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地域の人をつなぐメディアが、助け合いが当たり前の社会を生む。「恵比寿新聞」高橋ケンジさんの21世紀型ご近所づきあい術とは。

インターネットの発達によって誰でも情報を発信しやすくなった今の時代、地域メディアと呼ばれるものもたくさん生まれています。テレビや全国紙のような東京から全国に発信されるメディアから、それぞれの地域で人々が必要とするあるいは求めている情報を発信するメディアへと変化していくのはこれからの社会にとって利点も多いと思います。

しかし、そのような地域メディアは運営が難しいことも確か。今回はそんな地域メディアの一つ「恵比寿新聞」を運営するgreenz peopleの高橋ケンジさんに、メディアのこと、地域のこと、人生のことをお聞きしました。

公開インタビューという形で行った今回の取材、greenz peopleも4人参加し、インタビュー後には参加者みんなで一緒にランチを食べながら、さらにいろいろ話をうかがいました。

地域の人をつなぐ“メディア”になる

高橋さんは「以前数えたときは16個の仕事をしていた」というくらいいろいろなことをやっているのですが、それらの原点にあるのは恵比寿新聞でした。生まれは奈良という高橋さんがなぜ恵比寿新聞をはじめることになったのでしょうか。

いま東京に出てきて26年目で、転々といろいろなところに住んだんですがあまり肌に合わなかったんです。というのも出身の奈良では人との距離が近かったのに、東京にはその感じがなくて。

でも、今の奥さんを追いかけて恵比寿に住んでみたら、昔から住んでいる人もたくさんいるし、歩いていると花屋のおばちゃんが「今日デートなんでしょ」とかいちいち言ってきたり、超下町なんですよ。華やかなイメージがありますけど、よく見ると昭和の佇まいの路地が残っていたりとかして。

それが居心地良くて、地元の人たちと接しているうちにこういう面白い人がいるのにどうしてメディアは取り上げないんだろう、取り上げるメディアがあってもいいんじゃないかって思って。それで、メディアづくりの経験もないのに恵比寿新聞を始めたんです。

恵比寿新聞が創刊したのは2009年。恵比寿というまちの情報を伝えるメディアなのですが、その取り上げ方は「飲食店の記事なのに料理が一切出てこない」など、独特なものがあります。なぜそのようなスタイルになったのでしょうか。

はじめて1,2年は放置してたんですよ、誰も読まないから。でも、まちの人の話を聞くとそれなりに紆余曲折があって、田舎から来てる人も多いから自分とクロスオーバーする部分があったりして、そういうのを聞くのが好きで。知り得なかった価値観や人生観を聞いて仲良くなって、飲みに連れて行ってくれたりご飯をごちそうになったり家に招いてくれたり、どんどんつながっていったんです。

それは読者も一緒で、取材のときは年齢と出身地と出身校を聞くことにしてるんですけど、それに刺さる人がいて、そこから勝手につながりができたりするんです。そうやっているうちに今の「人アーカイブ型」の記事ができたんです。

2011年にSNSが普及しだすと、誰が読んでるか、どういう人が反応しているかというのが可視化されてきて、もっと楽しくなって来ましたね。

なにか狙いがあったわけではなく、恵比寿に住む「人」に注目して、その人の物語を記事にしているうちに現在のスタイルができあがっていき、それによって人と人とがつながっていったということのようです。

恵比寿新聞

SNSが普及した2011年は東日本大震災の年でもあるわけですが、高橋さんはそこでも人をつなぐことの必要性を感じたそうです。

地震があったとき僕は北海道にいて、嫁にも連絡取れないし、保育園も電話がつながらないし、大きい地震が起きたらすぐ混乱が起きることを実感しました。そんな中で防災の観点から考えてローカルメディアが役に立つことがあるんじゃないかと思って。

恵比寿がやっと地元と言えるような環境になって、恵比寿に住んでる2万人全員が知り合うのは無理でも、できるだけ困ったときに助けあるようなつながりっていうのをメディアが媒介になってつくれないか、情報を発信するだけじゃなくて人をつなぐプラットフォームをつくれないかと思ったんです。

高橋さんは同じところを2周も3周も取材に回っているそうで、自分を「回覧板のよう」とも表現していました。恵比寿新聞はそうやって文字通り人と人とをつなぐ「メディア(媒介)」になっているのです。そして、そのメディアとしての役割を果たすためには単なるメディア(媒体)でいるだけでは十分ではなくなり、活動の幅をどんどん広げていったのです。

イベントは人がつながる手段

恵比寿新聞は広告を一切取らない非営利メディアとして運営しています。高橋さんは、そこから広がっていった他の仕事で稼いでいるといいますが、その中の一つがイベント。小規模なものから商業施設で行うような大規模なものまで恵比寿のあちこちで仲間たちとイベントの運営を行っていて、昨年1年間で53回も開催したそう。どうしてそんなにたくさんのイベントを手がけるようになったのでしょうか。

初めてのイベントも2011年のことで、駅から2分くらいのところにあったとあるbarに水曜日に行ったらオーナーが真っ青な顔してるんですよ。「どうしたの?」って聞いたら、金曜日の貸し切りの予約がなくなって、仕入れもしててやばいからなんかイベントやらないかって相談されたんです。

「人集まらないと思うよ」って言いつつ、その頃たこ焼きにすごいハマってたので、じゃあたこ焼きパーティーでもやりますかって、木曜日の夕方に恵比寿新聞に告知して。蓋開けてみたら100人来たんですよ。

それで「もしかしたらみんな集まりたいのかな」と思ってイベントをやるようになったんです。

そこからさらに今のような大規模なイベントも含め「本気で」やるようになったきっかけは2013年にはじめて開催した「恵比寿鯨祭」だったそう。

ある日、お父さん友達に「クジラ好き?」って聞かれて、別に好きでも嫌いでもないですって話をしたら「今はクジラは調査捕鯨でしか獲れなくなって、クジラを食べる文化がなくなってきてるけれど、獲った肉はちゃんと食べてあげないといけない。だから恵比寿でフードフェスやらない?」みたいに言われて。

そのときは恵比寿とクジラなんて関係ないしと思ったんですけど、Wikipediaで調べてみたら実は昔の人はクジラのことを恵比寿って呼んでいたという記述があって。それでこれはやらなきゃと思って始めました。

恵比寿鯨祭では、30店舗くらいの飲食店がクジラ料理の腕を競い合う「GEI-1グランプリ」を開催。現在は運営を別の団体に任せてサポートに回っているそうですが、昨年も11月に開催されました。

恵比寿は駅から2キロの範囲に飲食店が1900店舗もあり、しかも恵比寿で成功したら全国で成功するというジンクスがあるくらい腕が良くないとやっていけない。その料理人たちに調理してもらえばクジラも美味しくなるんじゃないかって。

これが大規模なイベントだったので、そこからイベントのオファーが来るようになって、恵比寿で動いてくれる人も集まってきて、イベントごとにチームをつくってやるようになりました。

イベントって人がつながる手段なんですよ。顔見知りになったりつながりが強くなる仕組みのひとつ。なのでやってるんです。

頼まれてやった小さなイベントからはじまり、今では恵比寿のあちこちで1年中イベントを手がけるようになり、運営する側も参加する人たちの間でもつながりが生まれているそうです。イベントも人と人とをつなぐメディアであり、同時に恵比寿の魅力を外に伝えるメディアでもあるのです。

21世紀型ご近所づきあい

イベントはある種、外向きの活動ですが、高橋さんはもっと内向き、地元向きの活動もいろいろやっています。たとえば「恵比寿じもと工務店」は、高齢者リフォーム詐欺が多発していたのを受けて、気軽に近所に大工仕事を頼めるよう地元の大工さん2人とはじめたんだとか。

そして、恵比寿新聞の事務所では毎月第2第4水曜日に「恵比寿じもと食堂」もやっています。これはどのような経緯で始まったのでしょうか。

「恵比寿じもと食堂」の様子

元々の経緯は2015年、恵比寿の子どもを対象に行ったハロウィンパレードの日にアラレちゃんの格好をした一人の女性が真顔で「恵比寿にこども食堂をつくりたいんです!」と50ページぐらいの書類を渡されたのがきっかけだったそう。その女性が現在の「恵比寿じもと食堂」の代表の末岡まりこさんで、一緒にやろうと思った理由は「アラレちゃんの格好をして真面目に話している姿がめっちゃ面白かったから」だとか。

そして末岡さんとのやりとりと周囲の助けもあって、「こども食堂」ではなく「じもと食堂」として始めることになったのです。

厚労省が、子どもの貧困率が高いからそういう子どもたちを助ける「子ども食堂」をつくろうって言ってますよね。それはいいことだと思うんですが、やり方によっては貧困や孤食というところがむき出しになってしまっていて、そこに行くような子どもは貧乏だっていうレッテルをはられてしまうこともあると末岡と話してたんです。それは子どもは嫌ですよね。

だから、それはやめて「21世紀型ご近所づきあい」というスローガンを立てて、貧困とか関係なく、みんなで集まってご飯食べようというデザインにして、「恵比寿じもと食堂」って呼ぶことにしたんです。この「恵比寿じもと食堂」の名付け親はコピーライターの阿部広太郎さんで、恵比寿新聞で行うプロジェクトは阿部さんに相談してることが多いです。ロゴデザインはデザイナーの高橋理さん。素晴らしいクリエイティブになったと思っています。

確かに子ども食堂はものすごく増えていて、それはそれで意味があるとは思います。ただ、地域の観点から見ると、助ける側・助けられる側という立場の差があるのではなくて、ご近所なんだから困ったときはお互い様といった感じで助け合うフラットな関係のほうが持続可能だし心地よいのではないでしょうか。

これは大きな社会問題を地域レベルで適用しようとしたときに起こりがちな問題でもあります。貧困の解消という大きな問題を地域レベルに落とし込んでいくとまた違った問題が出てきて、別の対処法のほうがいい場合があるのです。高橋さんがやる「じもと食堂」はそこをうまくすくい取ってシンプルな解決策を示しているように思いました。

そしてさらに別の形でも、なくなりつつあるご近所づきあいを新たにつくる取り組みもしているのだそう。その一つが2017年に始まった「生活のマルシェ」です。これは隔週月曜日に恵比寿ビジネスタワーで開催しているもので、東京近郊の有機や無農薬の野菜を中心に販売しています。

「生活のマルシェ」の様子

以前は恵比寿近辺にも八百屋さんが3軒あって、人が集まる場所だったんですよ。何も買わないのにおばちゃんがずっといたり、八百屋のおっちゃんが子どもの居場所を知ってたり。でも最後の1軒が3年くらい前になくなって、みんながスーパーに買い物に行くようになったらやっぱりご近所づきあいはなくなっていったんです。

そんなことを話していたら、東急不動産がここの場所あいてるからなんかやってみる? って言ってくれて、その場所で農家さんに来てもらって野菜を売るマルシェを始めたんです。1年もやってると人がどんどんつながっていって、農家にお客さんが「来週は何なにとれるの?」って聞いたり、お客さん同士も集まって井戸端会議みたいにしてたり、そういう場所になったんです。

この「生活のマルシェ」は、近所の人たちが集まる場であり、住んでいる人たちと働いている人たちが交わる場でもあり、消費者と生産者がつながる場所でもあります。都市が生産地と直接関係をつくることや、住んでいる人と働いている人が関係を築くことは、都市のレジリエンスを高めるために非常に重要なことで、このマルシェは自然とその基盤となっているのです。

都市の食と農を考える

食や農とのつながりというのは、都市に暮らす人々が失いがちでありながら、これからの社会を考えると非常に重要なものでもあります。高橋さんは特に「農」に関しては、恵比寿の地域内にとどまらずにさまざまな活動を行っているようです。

その一つが、河口湖でやっている「恵比寿新聞ファーム」。近所の人たちや恵比寿新聞の読者と畑を借りてみんなで野菜を育てているのだとか。

恵比寿新聞ファームは今年が5期目で、300坪くらいの土地が2つあるんですけど、もちろん毎日行けるわけではないので地元の農家の人にお願いして、苗植えや収穫はみんなでやってます。

なんでそんなことをしてるかというと、僕が田舎にいたころ友達の農家を手伝ったりして、そこで食べさせてもらったかぼちゃがすごく美味しくて。大人になってから、あれは自分で採ったものだから美味しかったんだと思って、子どもにもやらせてあげたいと思ったんです。最初は個人的にやっていたんですけど、せっかくだから恵比寿の人たちとやろうって。

畑やると家族づきあいみたいになるんですよね、一緒のものを育てるので。全く関係なかった人たちが畑を中心につながりだして一緒に旅行行ったり、気心知れる仲になったりとか、そういうの面白いなって。

「恵比寿新聞ファーム」では地元の農家の方の指導で野菜を栽培。

農と向き合いながら、やはり地域のつながりを強くすることにもなる、これもまた「恵比寿新聞らしい」取り組みですね。

農に関しては、都市農に取り組むUFC(アーバン・ファーマーズ・クラブ)の理事もやっているそうです。これは災害時などを想定して「自分で育てられるノウハウが備蓄にもなる」という考えと畑を媒介に人同士がつながるというのが背景にあるそうで、生産地との関係と合わせて恵比寿に限らず都市部における地域のレジリエンスを高める活動だということができます。

高橋さんは、恵比寿という地域において人と人とのつながりの仕組みをつくり、さらに外部との関係づくりや農への取り組みを通して、本人は意識していないにしても地域のレジリエンスを高めようとしているのだとお話を聞きながら思いました。

狼煙は?

さてこの連載定番の“狼煙”ですが、「なにか上げたい狼煙はありますか?」と聞いたらこんな答えが帰ってきました。

いま地域通貨に取り組んでいて。いや、地域通貨と呼べないかもしれないんですが、オルタナティブな価値をテクノロジーでつくろうとしているんです。で、それを一緒につくってくれる仲間がほしいですね。特にプログラム書ける人がいないのでシステムエンジニアの方とか。

今度はいきなり地域通貨の話になりました。地域通貨も地域について考えると必ず出てくる話題ではありますが、恵比寿でなぜ地域通貨なのでしょうか?

震災のときに、働いてる人と住んでる人のつながりがもっとあったらもっとうまくやれたんじゃないかというのがあって、地域の適切なコミュニケーションの手段として地域通貨というかお金ではないものがあったらいいんじゃないかって。

最初は、「英語教えるから2000エビスね」みたいに得意分野をやり取りできるものを考えていたんです。それを発展させて、助けてほしい人のリストとできることのリストが可視化されたウェブサイトがあって、その真ん中に交換するものとして地域限定のものがあるといいという話になって。

それで、実証実験じゃないんですが、Facebookに「恵比寿電子回覧板」というのをつくって、「いらないものどうぞ」とか「助けてください」というやり取りができるようにしました。

つくって半年くらい経って、「引っ越しで要らなくなったものがあるからどうぞ」みたいにだいたい内容が決まってきてしまってはいるんですが、それでも、やりたいこととやってほしいことが見えるとすごくいいということはわかったし、ある程度まちの人が使うということもわかった。だからそれをどういう形に落とし込むのかを一緒に考えて、システムをつくってくれる人がいてくれたらいいなと思ってるんです。

地域の人と人をつなげるメディアとしてさまざまなものをつくってきた高橋さんが次に仕掛けるのが「地域通貨」ということに最初は少し違和感を覚えたのですが、考えていくと実は全てがつながっているんだと思いました。

それは、地域通貨が助け合いの手段として機能しうると思えたからです。「じもと食堂」のところでも書いたように、地域コミュニティでは「助け合う」というフラットな関係が重要です。

そのじもと食堂を例に考えると、500円を払うのも難しい人がいたらどうするのか、おそらく無料で提供するのだと思いますが、そうすると助ける側・助けられる側という関係が生じてしまいます。そこで地域通貨を使って、例えばお年寄りを助けて500エビスをもらってそれでご飯を食べるようにすれば、関係はフラットに戻ります。

高橋さんが地域通貨をつくりたいのは、そういった助け合いをスムーズに行うためのメディアになりうるからなのではないかと思ったのです。そして、高橋さんが目指しているのはそんな助け合いが当たり前の社会なのではないかとも。

そんなことを思ったのは、高橋さんがそこまで恵比寿という地域のためにいろいろなことをするモチベーションは何かという話からでした。高橋さんはこう答えました。

まちへの恩返しです。ものすごいお世話になってるんで。本当に辛い時も嫌なときもまちの人に支えられてきたというのはすごくあるので、恩返ししたいなって。

恩返し、つまり自分が助けられたから今度は助ける側に回りたい、そんな思いが高橋さんを恵比寿のまちのために走らせるのです。

システムエンジニアでなくても、そんな高橋さんを助けたい! あるいは助けられたい! と思ったらぜひ連絡してみてください。

高橋ケンジさんの連絡先
https://www.facebook.com/kenji.takahashi2

(写真: たけいしちえ)

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