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今ある経済への違和感は、昔から脈々とつながっている。それに対して生まれた、New Economics「新しい経済学」とは?

今の経済活動と人々の幸せってちゃんとつながっているのだろうか?
そんな経済への違和感を抱えるのはあなただけでなく、50年以上前から多くの人たちが感じ、考えてきたことだった。

そんな違和感を起点に、新しい経済の実践が世界中で花開く今だからこそ、この「New Economics」を歴史的変遷も含めて、皆さんにぜひ紹介させてもらいたい。

New Economics (新しい経済学)とは、「自然環境との調和を大前提に置き、人々の幸せに届く経済をつくっていく姿勢と実践」である。日本の広辞苑にその定義が載っているわけでも、イギリスのOxfordの辞書にその定義が載っているわけでもないが、New Economicsをこのように説明するのが一番しっくりくる。

New Economicsの父、経済学者E.Fシューマッハが残したもの

New Economicsの歴史を話すときに欠かせないのは、1973年に『スモール イズ ビューティフル —人間中心の経済学-』を出版した、経済学者E.Fシューマッハ(1911-1977)だ。

シューマッハは、1970年当時から、経済の急速な拡大に伴い生み出されてきた成長の果実だけでなく、痛みに耳を傾けた。そして、自然環境との調和のもとに、人々の生きがいや幸せであふれる生活・仕事を行えるような、人間性をもった経済のあり方を提唱した。New Economicsの父とも言われる人物だ。

シューマッハの代名詞、スモール・イズ・ビューティフル(写真は、洋書Meme Wars: The Creative Destruction of Neoclassical Economic(出版社: Penguin))

シューマッハは自然体の人であり、ユーモアがあり、楽観的だったと聞く。そのシューマッハが残した影響は計り知れないが、その中核をなす考え方があるように思う。

現代の経済システムは、労働(コスト)を最小化し、生産や消費を最大化するシステムである。それに対して、シューマッハが目指したのは、「消費を最小化し、人々の幸せを最大化する経済のあり方」だった。このことが提起する議論の幅は極めて広いが、2つの大きなポイントがあると私は受け止めている。

一つは、経済を身近なものとして取り戻すこと。“経済”という言葉を聞いて、皆さんはどんな印象を受けるだろうか? なにか説明しづらく、実態のないものと感じてしまう方が多いのではないか。

しかし“経済”という言葉の元をたどれば、ギリシャ語を起源とするエコノミー(経済)は、家を意味するエコを頭文字に据え、家を運営・管理することを意味する。「家計の管理」とも言える語源である。

社会の経済を、身近な自分の家の家計と捉えることができれば、シューマッハが提起した、「消費を最小化し、人々の幸せを最大化する」は、ごく自然なことだ。私たちは、家族の構成員の幸せを願い、限りある家計の中でお金のやりくりをしているのだから。

もう一つは、働くことの捉え方だ。シューマッハは、働くことや仕事は、人に欠かすことのできない喜びに満ちたものであり、それは、その人らしさを表現でき、かつ他の人を助けることもできる行為だと考えた。かたや、産業革命以降の経済は、働くことからその人らしさを排除し、働くことを単にコストのかかる労働力と矮小化する方向に助長したのではないか、という警鐘である。

シューマッハが残したメッセージのように、働くことからその人の意義や意味が浮遊してしまった形が現代の労働であれば、そこから人々の幸せを見いだすことは難しい。人々のやりがいに溢れた善き仕事というものをシューマッハはNew Economicsに託したのだ。

“もう一つの経済サミット”

そのシューマッハが撒いた思想の種が世界中に広がるなか、New Economicsの実践者達が一堂に会する経済サミットが1984年に行われた。

主要先進7か国の首脳が集まりグローバルな政治経済に関して議論を行うG7サミットへのアンチテーゼも込め、よりローカルな視点から人々の幸せのための経済を実現するために“もう一つの経済サミット”(The Other Economic Summit)と呼ばれた。ものごとには人の気持ちが集まる瞬間があるが、このサミットはその役割を十二分に果たした。

“もう一つの経済サミット”で議論された内容は、『生きた経済(The Living Economy)』という本にまとめられ、New Economicsの始まりの書となった。発刊後30年以上経っているが、その時の議論は今なおまったく色あせていない。新しい経済指標の必要性やベーシックインカムの検討など、今まさに世界各地で検討や実験が行われていることがここから始まっていた。

New Economicsの始まりの書『生きた経済(The Living Economy)』

また、このサミットをきっかけに、New Economicsを推進するための経済シンクタンクがイギリスに発足した。New Economic Foundationと呼ばれ、本連載「ローカルから始める、新しい経済の話」の第1回で紹介した「漏れバケツ理論」など、市民の内発的行動に対して背中を押してくれる経済やまちづくりの理論や方法論を綿々と生み出してきている。

第2回で紹介した私の学び舎であるシューマッハ・カレッジの経済学コースはこのNew Economic Foundationと連携してプログラムを展開している。

New Economicsの精神的柱 経済学者マックス・ニーフ

“もう一つの経済サミット”にNew Economicsを代表する経済学者が世界中から集まった中で、精神的な柱とも言えるのが南米チリの経済学者であるマックス・ニーフ(1932-)である。

主流派の経済学者ではなく、世間一般的にはあまり知られていないが、もう一つのノーベル賞とも呼ばれる、“ライト・ライブリフッド賞”を受賞しており、New Economicsに関わっている者であれば、知らない人はいない人物だ。マックス・ニーフの一見異端な経済論や国づくり・まちづくり論は、自分の重ねてきた経験に背骨となる言葉を与えてくれた。

“経済発展の対象は人間であって、モノではない” マックス・ニーフの言葉。

貧困の定義が貧困

これまでに私はブータンをはじめとする開発途上国と呼ばれる約20ケ国のアジア・アフリカ地域で持続可能な地域づくりに携わってきた。日本と開発途上国をいったりきたりしながら。そこで私が感じてきた違和感は、貧困の定義自体が貧困であるという実感だった。

グローバルスタンダードな物差しでは、一人あたりのGDP(国内総生産)の値がその国が豊かか貧しいかを決定づけ、個人においても所得水準の値がその人が豊かか貧しいかを決定づける。この物差し自体の重要性はあるものの、それ以外にも“貧困”の形はたくさんあるのではないだろうか。

例えば、日本の貧困は、必要最低限の生存には困っていなくても、実際に存在する。愛情の貧困、創造の貧困、対話の貧困、参加の貧困など。このような貧困は、モノやサービスの生産量をマーケットニーズに応えて10%増やせればただちに解決できるという類いのものではなく、より人間の内的なニーズに寄り添うことが必要不可欠なのではないか。貧困の定義が貧困であれば、貧困への解決策も貧困に陥ってしまう。

Human Scale Developmentとは?

マックス・ニーフは、貧困の定義を豊かにした。そして、発展の対象は人間であって、モノではないことを前提条件にし、人間の根元的ニーズを満たすことを目指す経済発展のあり方「Human Scale Development」を提唱し、実践を続けてきた。

本『Human Scale Development』のスペイン語版は1986年に出版され、その『一部を持続可能な社会づくりを進められている一般社団法人サステナビリティダイアログの牧原ゆりえさんが監訳し日本語訳にされている。この日本語訳と図を大いに活用させてもらい、「Human Scale Development」の考え方を共有させてもらいたい。

貧困とは、ニーズが満たされていないこと

本当の意味の貧困とは、 人間の基本的ニーズが長期的に満たされないこと、と定義し、その基本的ニーズは9つあるとマックス・ニーフは言う。

「愛情」、「生存」、「保護」、「理解」、「参加」、「怠惰」、「創造」、「アイデンティティ」そして「自由」の9つ。

従来の意味での経済的観点のみから見た貧困ではなく、ニーズという人間の内的な視点からみた多面的な貧困のあり方を提起している。この9つのニーズの中のどれか一つでも長期的に欠けていたら、お金に恵まれていたとしても、それは貧困である、という考え方だ。そして、人間の基本的ニーズは世界中すべての地域で普遍的に同じであるとした。

一方で、そのニーズを満たすための方法や手段は、人によって、場所によって、時代によって変化するものだとし、そのニーズを満たす手段を「サティスファイアー(satisfire)」と名付けている。このサティスファイアーは、

「状態(To be)」
「環境(To interact)」
「所有しているもの(To have)」
「何かの行動(To do)」

の4つに広がっている。

例えば、愛情のニーズに対応するサティスファイアーとして、「状態(To be)」: 寛容さ・団結・情熱、「環境(To interact)」 :親密さ・家庭・一体感のある場、「所有しているもの(To have)」:友情・家族・自然とのかかわり合い、「何かの行動(To do)」:抱擁する・世話をする・感謝をする、などを挙げることができる。

この、人それぞれ、地域それぞれの、サティスファイアーを、人は日々の生活の中で得ることで、各種ニーズを満たしていくことができるという考え方だ。

そのような国づくり・まちづくりを進めていくことを、「Human Scale Development(牧原ゆりえさんの日本語訳:ていねいな発展)」と名付けた。

その時に、経済活動を通じて生産されるモノやサービス(経済財)はあくまでサティスファイアーを実現するサポーターとしての役割であり、経済財を所有する、または消費することで、直接的にニーズを満たすことはないとした。

9つのニーズを満たした状況を貧困のない幸せと呼ぶのであれば、サティスファイアーという存在は、幸せと経済の関係性を説明する上での新しい言葉を提供してくれる。

マックス・ニーフの提唱したニーズとサティスファイアーと経済財の関係(図はサステナビリティダイアログ提供)

欠乏感は自分の幸せを教えてくれる大切な潜在能力

もう一つ、基本的ニーズの捉え方で重要なことがある。ニーズは欠乏を感じるとともに、同時にその欠乏感は潜在能力の現れであるという捉え方だ。

通常の経済学では、欠乏を測るのがうまい。この人はあの人に比べて生活水準が低い、この地域はあの地域に比べて資源が少ないなど、様々な欠乏を洗い出す。マックス・ニーフはそのような経済学の考え方を越えて、人間の基本的ニーズに対して欠乏を感じるのは、そのニーズに関してそれを満たしたい潜在能力があるからだと捉えた。

例えば、「愛情」の欠乏を感じるのは「愛情」を満たしたいという潜在能力があるからだと捉えた。潜在能力があるからこそ、欠乏を感じるのだと。

この考え方は新しい視点を与えてくれる。足りないと感じている愛情や創造などのニーズは、欠乏感であると同時に潜在能力である。それを満たし幸せに導いてくれるのは身近なこと、幸せと経済の間にあるサティスファイアーであり、自分自身の考え方次第でそれを自分で創りだせることやまたみんなで創り出していけることが可能であると。欠乏は潜在能力なのだから。

マーケットニーズに応え人々の経済財への消費及び所有欲求(Wants)だけを埋めていっても、本当の意味での貧困の解決やその先の幸せには至らない。そうではなく、人間の基本的ニーズを満たすのが本来の経済の役割なのだと、マックス・ニーフは語りかけている。

マックス・ニーフのニーズの満たし方の事例(図はサステナビリティダイアログ提供)

今回は、New Economics の系譜とその中の重要人物の一人であるマックス・ニーフのHuman Scale Developmentの考え方を共有させてもらった。

“心が海に乗り出すとき、新しい言葉が筏を提供する”
ヨハン・ゲーテ(ドイツの詩人)

New Economicsという昔から綿々と引き継がれてきた筏は、あなたの違和感を起点に、経済と幸福をつなぐ大きな航海へとステージを着実に進めている。

(Text: 高野翔)

 高野翔(たかの・しょう)

高野翔(たかの・しょう)

1983年、福井県生まれ。大学院卒業後、2009年、JICA(国際協力機構)に入構し、これまでに約20ケ国のアジア・アフリカ地域で持続可能な都市計画・開発プロジェクトを担当。直近(2014-2017)ではブータンにて人々の幸せを国是とするGross National Happiness(GNH)を軸とした国づくりを展開。現在はブータン政府のGNH外部アドバイザーとしても活躍。地元福井では、仲間たちとまちづくり活動を行っており、2013年、福井の人の魅力を紹介する観光ガイドブック「Community Travel Guide 福井人」を作成し、「グッドデザイン賞」を受賞。2017年8月末からブータンから英国に渡り、スモール イズ ビューティフルを執筆した経済学者 E. F. Schumacher の系譜を引く、Schumacher Collegeで新しい経済学を学ぶ日々。

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