不確実なことに満ちたこの世界のなかで、ただひとつだけ確実なのは「誰もがいつか死ぬ」ということ。いつか必ず、私たちの誰もが、大切な人との死別を経験します。
大切な人を亡くしたとき、私たちは大きな喪失感を味わいます。悲しみだけではなく、怒りや苛立ち、あるいは安堵など、そのとき自然に生まれる感情やプロセスは「グリーフ」と呼ばれています。
「一般社団法人リヴオン」は、「グリーフ」を抱えている人が必要とする心のケア、あるいは社会的な支援や、それらに関する情報が、誰の手にも届く社会をつくるために活動しています。greenz.jpでもたびたび、代表の尾角光美さんにインタビューをしてきたので、ご存知の読者も多いかもしれません。
今年は、「自殺対策基本法」の成立を機に尾角さんが初めて自治体から依頼を受け、講演してから10年目の年となります。
この節目に、尾角さんは「団体としての限界」を突破するために、イギリスの大学院に2年間留学することを決断。同時に長年の懸案であった組織づくりにも本格的に着手しました。今は、時差も距離もあるなかで、ビデオ会議システムなどを駆使し、大学院での研究とリヴオンの運営を両立しています。
前回のインタビューから2年足らずですが、さらに変化しつつあるリヴオンのお話を伺うために東京のオフィスを訪ねました。
尾角光美さん(右)、水口陽子さん(左)。ふたり名前にちなむ「陽光」という木の前で
1983年大阪生まれの東京育ち。2003年大学の入学直前、19歳で母を自殺により亡くす。翌年から「あしなが育英会」で遺児たちのグリーフケアに携わる。2006年、「自殺対策基本法」成立を機に自治体からの依頼を受け、自殺予防や遺族のケアに関する講演活動を開始する。2009年2月にリヴオンを設立、2012年に法人化。リヴオン編著として『102年目の母の日~亡き母へのメッセージ~』(長崎出版)。『大切なひとをなくしたあなたへ』(リヴオン)。2014年、初の自著『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)を上梓。2016年9月より、国際フェローシップ第5期フェローとして英・ヨーク大学に留学中。
水口陽子(みずぐち・ようこ)
1978年東京都出身。2012年に夫を交通事故により亡くしたことをきっかけにリヴオンと出会う。養成講座を修了し、『いのちの学校』『大切な人を亡くした若者のつどいば』『ファシリテーター養成講座』『僧侶のためのグリーフケア連続講座』他、各種研修にて講師を務めている。2015年、理事に就任。他には、2002年に第1子を出産後に心身の調子を崩した経験から、NPO法人マドレボニータ認定産後セルフケアインストラクターとして12年間、現在も活動中。
「代表の留学」という大きな挑戦によって起きたこと
日本とイギリスの時差は9時間、こちらの夕方がイギリスの朝になります。今回は、リヴオンオフィスから尾角さんに、ビデオ会議システム『appear.in』で接続していただきました。
日本とイギリスの時間を刻む時計がある、リヴオンのオフィスにて。代表・尾角光美さんとビデオ会議をする水口陽子さん(左)、但馬香里さん(右)
前回のインタビューでは、「グリーフ」について知識と体験の両方から総合的に学び、共有し合う場「いのちの学校」の「ファシリテーター養成講座」を準備中だった尾角さん。「同講座を開くことで、一緒にグリーフケアを伝える仲間を見つけたい」と話していました。あれから1年半あまり、どんな変化があったのでしょう。
尾角さん まさに、前回のインタビューで話したことが実現しています! 2015年1月から4月にかけて開講した「第1期 いのちの学校 ファシリテーター講座」に参加してくれたのが水口さんでした。
彼女は、死に直面している人にどう向き合うのかを一緒に考えて、それに対するヒントを常に差し出してくれるし、考えやすい場づくりをしてくれる人。今は現場で講師やファシリテーターを担いながら、理事としてもリヴオンを支えてくれています。
グリーフケアを教えようとする人ではなく、ともに学び合える場を一緒につくってくれる仲間がほしいというのは、本当に何年も、何年もかけて望んできたことでした。彼女が仲間に入ってくれたことは、リヴオンにとって一番大きな変化の一つであり、最大のギフトだったと思います。
もうひとつ、大きな変化がありました。それは尾角さんのイギリス留学です。尾角さんは、国際的な識見をもって社会課題の解決に貢献できる人を支援する「日本財団国際フェローシップ」に応募。第5期フェローに選ばれ、今年9月からヨーク大学大学院で国際比較社会政策を学んでいます。この決断の背景には何があったのでしょうか?
2016年10月、ロンドンにて井上英之さんと
尾角さん 留学を薦めてくれたのは日本の多くの社会起業家たちを育ててきた井上英之さんでした。彼は第1期フェローに選ばれて米国で2年間研究をしたのですが「僕にとって本当に最高の2年間だった。尾角さんもその時間を自分のトランジションに使ってみても
いいんじゃないかな?」と言ってくれて。個人として活動を始めてから10年が経ち、講演や研修で、講師としてグリーフケアを伝えることに、時間的にも体力的にも限界を感じ始めていました。一方で、自分たちが目指すグリーフケアが当たり前にある社会がこの世界のどこかにあるのなら、そのモデルを見たいという思いも、ずっとあったんですね。
毎年、日本の半分以上の都道府県を講演や研修のために駆けめぐりつつ、「いのちの学校」をはじめとしたグリーフケアの事業や「大切な人を亡くした若者のつどいば」などの遺児支援事業を動かしてきた尾角さん。時差があるなかで、メンバーとのコミュニケーションをどうするのかなど、遠距離でのリモートワークにはたくさんの不安があったといいます。
今は、どんな風に連携をとって事業を運営しているのでしょう。
イギリスにいる尾角さん側から見た「appear-in」のようす
水口さん 「ブラインドサッカー協会」の事務局長松崎英吾さんが、「国際フェローシップ」の3期生を伴侶に持ち、カナダと行き来しながら働いていたと聞いて、3人でお話を伺いに訪ねました。オフィスに二つの国の時刻を示す時計を置くこと、お薦めのビデオ会議システム、リスクマネジメントの方法まで細かくアドバイスをいただきました。
尾角さん メンバーとのコミュニケーションは、日本にいるときよりも意識をして丁寧にとるようにしています。「これはさすがに…」と思い、引き取る業務もあるけれど、今はできるかぎり信頼して委ねるプロセスに入っています。
任せきるだけでもダメだし、ときには具体的な指示も必要で、経営者としてその塩梅を学ぶ時間でもあります。日本にいても、これは必要なことだとは思うのですが、海外にいるとより明確に意識することができるようになりました。
今はリヴオン全員が新しい挑戦をしている時期。それぞれに“成長痛”を味わっていることも共有しているので、毎月一度の定例ミーティングは、振り返りはもちろんのこと、いたわり合い、ねぎらい合いを大切にしながらやっています。
日本を離れてからの方が、かえって経営者の仕事に集中できているという尾角さん。ただ、この10年で初めての“講演や研修をしない生活”にフラストレーションを感じることもあるそう。
小学校で講演をする尾角さん
尾角さん やっぱり私は現場のプレーヤーでいたいんですね。9月に一時帰国をした際に、一件だけ東北の石巻で研修を担当したんです。それがものすごく充実していて、目の前にいる人に、何かを差し出すことが本当に好きなんだなと改めて思いました。
プレイングマネージャーとして、フル稼働してきた尾角さんにとって、留学は「プレーヤー」と「マネージャー」の役割を見直す機会にもなりました。そして、新たなプレーヤーを育んでいくきっかけにもなったようです。
リヴオンが願い続けてきた仲間たちとの出会い
新たなプレーヤーのひとりである水口さんが尾角さんに出会ったのは、2014年2月にリヴオンが主催した「NVC(Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)」をテーマにしたワークショップでした。このとき尾角さんの著書「なくしたものとつながる生き方」を読み、リヴオンの活動を「もっと知りたい」と思うようになったそう。
そこで、同年6月に開講した「いのちの学校in東京」にも参加。第一講を受講して「これは絶対に全部参加したい!」と思い、全12回に参加しました。
グリーフケアを体験的に学べる「いのちの学校」。「丁寧に自分のグリーフに触れられる場であり、学びのコミュニティがそのまま学ぶ者同士のケアの場にもなっている」と尾角さん
水口さん 2012年の11月、交通事故で夫を亡くしました。突然のことだったので、1年間はなんだかよくわからないままに日常を送っていて。でも、日常生活すらままならない状態がすごくしんどかったんですよね。それだけ大きな出来事なのだとは思いながらも、「なんで普通に生活すらできないんだろう、私は」みたいな……。
近年は、遺族が「グリーフ」を分かち合う場は少しずつ増えてきています。しかし、「グリーフ」を学ぶ場となると講義形式の一方通行に学ぶ場がほとんど。「いのちの学校」のように経験を元に学び合える場や、身体的なケア(ヨガ)、アートを通じた表現など、総合的に学べる機会を提供しているところはなかなかありません。
水口さん 「いのちの学校」では、夫を亡くしてからの自分に何が起きていたのかを知り、それに対してどんな選択肢や方法があるのかを学びました。セルフケアやグリーフを表現するワークをして、参加者同士で感想を共有したりもできます。自分にはこういう場がすごく必要だったし、もっと広まってほしいと思いました。
水口さんは、2015年1月に開講した「いのちの学校 ファシリテーター養成講座」にも参加。修了後は、「いのちの学校」のファシリテーターとしてリヴオンで活動することになり、同年7月には、お坊さんを対象とした「僧侶のためのグリーフケア連続講座」のサポート役も経験しました。水口さんの参加は、リヴオンが組織へと成長するターニングポイントになりました。
「いのちの学校」は、尾角さんが留学中も東京・名古屋で開講中です
水口さん 私のなかでは「いのちの学校」を開催するには、その母体となる団体の運営もすこやかであるほうがいいという気持ちもあって、少しずつ、少しずつ関わりが増えていきました。
「現場担当の理事として入りませんか?」とオファーがあったときも、「自分に何ができるかわからないけどやってみたいな」と思ったんですね。
リヴオンの事務局を担う但馬香里さん
2016年6月には、事務局メンバーとして新たに但馬香里さんが入局。さらに、ファシリテーター養成講座第二期を修了した若手の僧侶ら2人が「いのちの学校in名古屋」を開講。東京でも遺児支援事業「大切な人を亡くした若者のためのつどいば」を担う仲間が増え、リヴオンの新体制がスタートしたのです。
リヴオンが一番届けたい「遺児支援」で響き合う
尾角さんが留学中のあいだ、事業は「何を大事にして継続するか」を相談しながら運営しています。
たとえば、これまで尾角さんが一手に担ってきた講演活動は縮小。一方、すでに述べた通り、「いのちの学校」や「大切な人を亡くした若者のつどいば」などは、継続、むしろ拡大しています。特にリヴオンが「本当に力を注ぎたい」と願ってきた「遺児支援」に関しては、新たな挑戦もすることになりました。
尾角さん初の著書「なくしたものとつながる生き方」(サンマーク出版)と、リヴオン編著による「102年目の母の日」(長崎出版)
水口さんは、「グリーフ」を抱えて生きることを「日常生活のリズムに突然ついていけなくなる感じ」と表現されています。大人でもしんどいし、子どもや若者であれば、グリーフによって起きていることを客観視して受けとめる手だてもないかもしれない。そんなとき、周囲にグリーフを理解して見守ってくれる人たちがいたら、つらい時期を少しは安心して過ごすことができるかもしれません。
しかし、残念ながら日本の現状は、「遺児支援」に関して手厚いとは言えません。米国には300団体以上、英国には150団体以上あるという遺児支援団体の数は、国内ではわずか10団体程度に留まります。
水口さん 尾角は18歳の時に父親が家を出ていき、19歳でお母さんを自殺で亡くして、大学入学を控えながら両親ともにいない状態を経験しました。進学をどうするのか、学費や生活はどうするのか、身体も動けないほど健康を害し、これからやっていけるのかと、すごくしんどい思いをしたので、「遺児支援」には強い思いがあります。
夫の死によって、私のふたりの子どもは父親を亡くしました。おそらくは、私のほうが子どもより先に逝くだろうと思うと、私もまた自分にいつ何があったとしても、子どもたちが安心して自分の人生を歩んでほしいという思いがすっごく強いんですね。
子どもとして親を失うグリーフを抱えてきた尾角さんと、親として我が子が抱えるグリーフを身近に感じている水口さんは、「子どもや若者にグリーフケアを届けたい」という点でも強く響き合っているのです。
来年は、関西で「遺児支援」を担う人を増やすために、お坊さんや医療従事者向けに、遺児のグリーフケアを学ぶ連続講座を企画。開催にあたっては、大阪ガスの会員向けサイト「マイ大阪ガス」が展開する「ソーシャルデザイン+」でのポイント応援を募集しています。
水口さん 全3回の連続講座では、親や身近な人を亡くした子ども、若者に対して必要なグリーフケアやサポートの基礎的な学び、そして死別を経験した人が必要とする情報とその情報の提供のしかたなど、実践的なことをお伝えしたいですね。また、今回の講座を通して、「遺児支援」の場の担い手になってくださる方とつながれたらとも考えています。
自分で情報を探して動くことができる大人以上に、グリーフケアを届けるのが難しい「遺児支援」。遺児とのつながりのつくり方もまた、尾角さんがイギリスで学ぼうとしていることのひとつです。
2年後のゴールは、社会政策の視点でグリーフケアを届けること
尾角さんが、ヨーク大学で専攻しているのは国際比較社会政策学(International and Comparative Social Policy)。今は、どんなことを学んでいるのでしょうか。
尾角さん たとえば、今日の授業のテーマは「社会的投資(social investment)」です。このコンセプトは、NPOから見ると「自分たちが社会に必要な支援を担い、効果的に税金を使わせていただきます!」という好機に捉えられます。
一方、社会政策のフィールドでは、グローバリゼーションによって福祉国家が衰退して、社会的投資に頼らざるをえなくなっている……という文脈で語られるものとなっています。NPOの側から社会を見るのではなく、世界的な潮流や政治、経済的な側面からNPOの動きを見ることは私にとって新しい示唆がたくさんあります。
スコットランドの学校で配布されている「the little book of loss」。「なんでも聞いていいんだよ」「泣くことはいいことだよ」と、シンプルなメッセージを子どもたちに伝えています
尾角さんが考える2年間のゴールは、イギリスの状況を学び「日本に社会政策の視点からグリーフケアを広められるようになること」。たとえば、スコットランドでは、死別を体験した子どもたちが必要な情報を、絵本のようにかわいい冊子「the little book of Loss」にまとめて学校で配布しているそう。教育機関もグリーフケアを届ける役割を担っているのです。
尾角さん グリーフケアというと、単なる心のケアと見られがちです。でも、死別を経験したときに起きてくる感情も、反応も「悲嘆」だけではないし、本当に人それぞれ。必要なケアやサポートもやっぱり一人ひとり違います。
自分が誰かを亡くしたとき、身近なところに手を伸ばせば必要な情報が手に入るしくみをどうつくり上げていけばいいのか。イギリスで学んだことを持ち帰って、日本にいる仲間と一緒に形にしていきたいと思っています。
リヴオンが作成した冊子「大切な人をなくしたあなたへ」
リヴオンが東日本大震災を機に起草した「大切な人をなくしたときのための権利条約」第4条「自分を大切に」には、次の一節があります。
「『みんな大変だから』と思い、我慢をすることも尊いことです。でも自分がつぶれてしまうほどの我慢はどうでしょうか。大切なのはあなたが、あなたらしく生きてゆけること。自分を大切にすることに許しを与えてもよいのです」。
多くの場合、私たちは悲しみや苦しみを「まずは自分ひとりで何とかしよう」と思ってしまいがちです。それは間違いではないけれど、本当に大きなグリーフを抱えているときには、ひとりでは限界を迎えることがどうしてもあります。
リヴオンが主催する、グリーフケアを学びあう場には「泣いても、悲しんでも、どれだけつらいと言っても大丈夫」という温かさがあります。リヴオンが掲げる「グリーフから希望を」という言葉のままに、「好きなだけ悲しんでもいい」という安心感が大きな希望につながっていくのです。
もし、この記事を読んでくれたあなたが、いつか大切な人を亡くす日がきたら、あるいは身近な誰かが抱えきれない悲しみに動けなくなっていたら、リヴオンの「大切な人をなくした人のために権利条約」を思い出してください。きっと、何から手をつけていいかわからなくなっていた問題をときほぐす、きっかけをつかむことができると思います。
(こちらは2016.12.06に公開された記事です)
– INFORMATION –
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