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与えられた楽しさよりも、自分で見つける楽しさを大切にしたい。本気で遊びたい都市部の若者と農村をつなぐ「物乞いキャンプ」

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この記事はグリーンズで発信したい思いがある方々からのご寄稿を、そのままの内容で掲載しています。寄稿にご興味のある方は、「採用について」をご覧ください。

「世の中に」とまでは言わなくとも、「自分の関わる場所」に自分しかできない「役割」がある。

そして、その役割を通して「人の役に立つこと」を実感できる。それは決して難しいことではないはず。

ですが、どうやら私達の周りには、それを実感しやすい場所とそうでない場所が存在するようです。今回私が紹介するのは、それを驚くほどシンプルに実感できる催し、その名も「物乞いキャンプ」です。

「物乞いキャンプ」とは?

物乞いキャンプは、兵庫県丹波市山南町谷川11区集落にあたる笛路村で毎月一度開催されているキャンプ。

キャンプのテーマは、「その日の食材はお百姓さんのお仕事を手伝って恵んでもらう」というもの。ただ「物を乞う」のではなく、「お手伝い」との物物交換により、キャンプ期間中を過ごす為の食材や知恵を賄います。

キャンプの舞台となる笛路村の名は、その昔、笛の材料となる竹が取れ、それを運ぶ道が高峰から望むと、笛のように見えたことから、笛の路『笛路村』と呼ばれるようになったことが由来。

そんな笛路村は、兵庫県で多自然地域と位置づけられる丹波市の中でも「秘境」と言える場所。背の高い雑木林を抜け、小高い里山に沿う狭い坂道を上りきったところに広がる隠れ里のような村です。
 
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笛路村の坂を登りきった高台から望む景色

その村に毎月集まってくるのが、「キャンパー」と呼ばれる20〜30代のキャンプ参加者たち。

2013年の5月から始まった物乞いキャンプには、学校の先生や大学生、地元の若者など様々な背景を持つ人たちが集まります。そのうちの多くは大阪や神戸から重い荷物を背負ってバイクや車で一時間ほどかけてやってきます。  
 
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作業着を積んだキャンパーのバイク

「物乞いキャンプ」のきっかけ

物乞いキャンプの発起人は、笛路村最年少農家の竹岡正行さん。2014年現在13世帯が住む農業振興地域の笛路村に、30歳(2015年現在)の竹岡さんはIターン移住をしてきました。

まずは父親が笛路村に建てた家に住みはじめ、村の人たちに農業を教えてもらいながら徐々に農家としての村の人達との関係、暮らしの基盤をつくってきました。
 
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草刈りをするキャンパー達を眺めながら話す竹岡さん

その竹岡さんが主催する物乞いキャンプのきっかけとなったのは、大学の後輩がつぶやいた「お金はないけど遊びたい!」という一言。

そんな後輩に竹岡さんは、「お金はないけど遊べることはたくさんある」と、村で人手の足りていない作業の手伝いをすることを提案。早速その後輩たち3人で広大な休耕田の草刈りから「やってみた」ことがキャンプの始まりとなりました。
 
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第一回目の休耕田の草刈りBefore

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第一回目の休耕田の草刈りAfter

キャンプでは、休耕田の草刈りから竹林や木の伐採、畑の耕耘、倉庫の解体から倉庫づくり、そして農作物の収穫まで、村の人から頼まれること、頼まれていないけれど必要だと思うことなど、ありとあらゆることに全力で取り組みます。

そんなキャンプ中は、眼前に宿泊できる家があるにも関わらず、例え雨の中でも広場にテントを立てて泊まり、蛇口を捻ればお湯が沸くお風呂を横目に、敢えて川から汲んだ水で五右衛門風呂を湧かします。

そんな、世の中の合理性を逆行するかのように、便利なことを不便にし、敢えて困難に挑戦するスリルをキャンパー達は「本気の大人の遊び」と楽しみます。
 
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作業開始!村のおじちゃんに敬礼するキャンパーたち

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作業後、川にホースを投げ込み水浴びの準備中

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川の水で湧かした五右衛門風呂。至福のひと時。

そんな「本気かつ全力で遊びたい」若者たちの存在は、いつしか笛路村の農業従業者の高齢化と、それによる農作業の負担を解決する兆しとなっていました。

なぜ、物乞いキャンプは若者を惹きつけるのか?

始まりから2年が経った今、笛路村に見る光景は「あいつらいつ来るん?」と、頼みたい仕事を用意してキャンパー達が来る日を毎月待ちわびる村の人たち。そして、「次の日運動会なんっすよー(学校の先生)」と、どんなハードな仕事が次の日待ちわびてようと村に来続けるキャンパーたちの姿。
 
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昼ご飯を頬張るキャンパーを見て微笑む村のおじちゃん

彼らはなぜ、物乞いキャンプに魅力を感じるのか。そこには笛路村に、「自分の力でつくれる幸せ」があるからなのではと、竹岡さんは話します。

まず一つ目の魅力は、「楽しい」をつくり出せること。

「今は楽しいこととか、面白いことはたくさんあるけど、”記憶に残ること”ってあまりない」と、メインのキャンパーである福森さんは話します。

小学校の先生である彼は海外で働くのが一つの目標だと話しますが、「日本にもこんな楽しいとこがあるなら、日本でもええやん!」と、キャンプでの経験を帰ってから自分の担任するクラスの児童に話すと、目を輝かせます。
 
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村のおじちゃんに同行して、初めて鹿を仕留めた福森さん(写真右)

また、物乞いキャンプを通して出会ったという竹岡さんの奥さんである郁子さんは、「都会ではすでにある道に”どれだけ楽しく乗っかれるか”、用意されたものを”楽しませてもらってる”って感じやけど、ここだと”楽しむ”基盤からつくらんといけんし、実際につくれる。自分がどう楽しめるかが大切で、都会の”楽しい”とは質が違う」と話します。
 
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お昼休憩中、談笑するキャンパー達をみて微笑む郁子さん

物乞いキャンプには、それだけで完結する「与えられた楽しさ」ではなく、自分達で試行錯誤してようやく見つけられる「楽しさ」があります。そうして気付いた「楽しさ」は、誰もが想像できるものではなく、やってみた本人たちでないと分からないものです。 

二つ目は、「0からの信頼」をつくれること。

笛路村は13世帯しか暮らしていない村。農業振興地域にも関わらず、農業従事者の高齢化が目立つ地域です。

そんな土地で「若者」であることは、それだけでもとても価値のあることであり、若者にできる役割はたくさんあります。ですがその役割は、肩書きなしの信頼関係があってこそ頼まれるもの。例え会社の重役であろうと、教師だろうと、大学生であろうと、そこにあるのは「若者である」という事実のみ。
 
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刈りとった草を運ぶキャンパーたち



「こいつはきちんとやるヤツや」、そう村の人に思われて初めて役割をもらえる。目を見て話し、すれ違い際に立ち話をして、挨拶をして、時間をかけて信頼を築いたキャンパーと村の人は、互いにとって誰とも代えのきかない唯一無二の存在になります。

そして、村の人からの信頼の証である役割を通して「働く」ことの対価になるのは、お金ではなく「働いた分美味しく感じるごはん」。

キャンプでは、人の役に立った分だけおいしいご飯が食べられる。普段忘れがちな役割をもらえることへの感謝を実感しつつ、何にも仲介されず「裸の自分」が築いた信頼を糧に食べられるご飯は、一際美味しいものです。
 
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汗かいて働いた後の手づくり絶品おにぎりランチ

そんな、「自分の力でつくれる幸せ」こそが、物乞いキャンプの醍醐味であり、キャンパーたちを惹きつける理由ではないでしょうか。
 
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ごはんにお味噌汁は村でとれたお米とお野菜

「幸せ」という漢字を調べると、「幸」は「手かせ」の象形であると分かります。なぜなら手錠をつけることによって、逆に手錠から逃れられる「幸せ」を表しているからなのだとか。

額から流れる大粒の汗を拭きながら、自分の草刈りした場所を見て、「この草刈り自己肯定感半端ないっす」と、ある日のキャンプで一人のキャンパーが言いました。大変な思いをして、汗をかいて働いて、人の役に立つからこそおいしいご飯が食べられる。

そして、その土台には「時間をかけて裸の自分が築いた人間関係」と「それを築いてきた自分だからこそ期待される役割」がある。そんな当たり前で大切な、何もかも「自分で0から生み出す幸せ」を、実感できる場所がここにはありました。
 
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すれ違い際に近況報告。そんな些細な会話こそ大事

(Text: 田代春佳)

田代春佳(たしろ・はるか)
1990年生まれの破天荒系女子・編集人見習い。小中学校を千葉県我孫子市で過ごし、高校は単身カナダのど田舎へ、大学は帰国し「当たり前を問い直す」文化人類学の考えにそれなりに衝撃を受け、その後東京で少々社会人をしてからご縁あり兵庫県丹波市へ。どんな場所や時代でも、人が心地よく暮らせる場や仕組みの追求が自分の使命だと思っています。興味あるテーマ:日本、田舎、一次産業、死生観、人の繋がり。あだ名は「はるちゃん」