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“なんとかする”の積み重ねが、“なんとかなる”への信頼を築く。「たべるとくらしの研究所」安斎伸也・明子夫妻の、変化を楽しむ人生サヴァイヴ術

平年より早い梅雨明けと、観測史上最高レベルの猛暑を記録した2025年の夏。
8月初めの日曜日、福島市の「あんざい果樹園」は、桃の収穫のピークを迎えていた。

あの日のことを思い出すと、今でも甘い桃の香りが蘇るほどの最盛期。慌ただしく出荷作業をするあんざい果樹園4代目・安斎伸也さんと、その父・安斎一壽さん。そして周りには、人、人、人。果樹園の一角に誕生した「おやつと果実酒とお土産のお店・果庭(かてい)」のオープンを記念しての、1日限りのスペシャルイベントが行われる日でもあったのだ。

隣接する美しい庭にリニューアルされたステージでの音楽ライヴ。福島周辺の美味しいものを集めた出店に、服の展示販売。どこを切り取っても絵になる空間での特別な日に、福島市内外から集まったお客さんはおよそ300人。

それに加えて、なんと台風までやってきた。
から梅雨、猛暑のあとの待望の雨。でも、今日を選ばなくても、いいのに!

たべるとくらしの研究所 グリーンズ

私にとって15年来の友人でもある伸也さんと、妻の明子さん。東日本大震災を機に福島から北海道に居を移し、「たべるとくらしの研究所」という屋号を掲げ、文字通り “食と暮らし” にまつわるさまざまな取り組みを興しつづけてきた彼らが、ホームの福島で新しいことをはじめると言う。その現在地を確かめるべくあんざい果樹園に到着すると、人だかりの中にチラチラと、忙しく動き回るふたりの姿が見えた。

雨予報のため、昼の部のライヴは急遽屋内に変更。ざあっと降ったあとには虹が出て、夕方のライヴは一か八かで屋外に決定。そのヒリヒリするようなプロセスを、伸也さんはいつものヘラヘラっとした笑顔で乗り切っていた、ように見えた。

そして、その目まぐるしい一日の最後に待っていた夢のような光景は、ふたりのこれまでの旅路を表現しているかのようだった。まったく、一筋縄ではいかない。試されるようなことが次々と起きる。でも、「みんなと一緒に見たかった景色」が確かにそこに、立ち上がっていた。

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たべるとくらしの研究所
福島で桃・梨・りんごを生産する「あんざい果樹園」4代目の安斎伸也さんと、鎌倉の寿司屋で生まれ育ち福島へと嫁いだ明子さん。東日本大震災後北海道へ移住し、札幌市内で「たべるとくらしの研究所」を発足。 “3.11以降の食と暮らしを足元から見つめ直すとともに、 小さな毎日の営みの中でできること、 さまざまな問題を抱えるこの世界を、 よりよい未来へとシフトさせていくために今できることを、 多くの人と共に考え、見つけていく場所” として、カフェ・畑・加工所・ワークショップ・ギャラリー・暮らしの中での実践・研究などさまざまな活動を行う。現在は北海道・蘭越町と福島を往来しながら醸造所の開業を目指す。

雨が降ったら開始5分でも中止
すべてがギリギリで成立した一日の舞台裏

伸也さん 本当のことを言うとね、8月2日、あの日には桃のピークは終わってたはずなんですよ。ここ2、3年は7月中に桃が終わってしまうっていう気候のサイクルだったから、もうピークは過ぎてるだろうって見立てで、あのライヴを引き受けたんです。

そうしたら、今年は20日間ぐらい雨が降らなくて、暑すぎたのもあって、桃の成長が一時停滞しちゃって。出荷時期がどんどん遅れて、スタートできたのはライヴの3、4日前。 だから8月2日はど真ん中のピークで、実は精神的にはかなり追い詰められていましたね。

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当日なんとか伸也さんを捕まえて話を聞くと「桃のピークと重なりすぎ〜!」と一言。greenz people、読者とともにイベントに伺い、桃の出荷を終え現在の拠点である北海道蘭越町へふたりが戻ったタイミングでオンラインインタビューを行った

桃は朝収穫し、その日のうちに箱詰めして出荷するのがあんざい果樹園のルール。昼のライヴを屋内にすると決めたあとは、すべてを友人たちに委ねて必死で桃を箱詰めしていた。ギリギリの綱渡りのような一日を、妻の明子さんも振り返る。

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福島に帰っている目的はあくまで桃のため。すぐ柔らかくなってしまうため出荷はスピード勝負。華やかなイベントの裏では、配送業者のドライバーさんがすぐ横で待機するなか、黙々と作業が続いていた

明子さん 私たちのイベントって、本当に雨が多いんですよ。今回も、雨が降った場合は室内で2部制にして、どっちの時間がいいかを選んでもらう形でチケットを販売していたんです。そういうことを臨機応変に対応できる人たちで、運営していたんですよね。

それで当日はやっぱり雨が降って、昼のライヴを室内でやったことで、お洋服の展示が中断しちゃったんです。その後にお客さんが集中したので私も接客に回って、「果庭」は1週間前に集合したスタッフに丸投げ(笑)。でも、できないことは組んでないので、じゃ、よろしく!って。

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屋内には沖縄からやってきた「kitta」のカラフルな洋服、屋外の小屋には福島「La Selvatica」の料理、宮城「Fattoria AL FIORE」のワインなど美味しいものが並ぶ。雨のため当日朝に出店場所が変更になっても「どんな状況でも対応できるチーム。みんなが超一流だった!」と明子さん

「果庭」のお披露目を考えていた時期、以前にもあんざい果樹園でライヴをしたシンガーソングライターの寺尾紗穂さんから、「あの情景の中でもう一度演奏したい。今回は蝉と一緒に。」という声がかかった。その声を起点にはじまったイベントのゴールは、やはり屋外でのライヴ。夕方のライヴも室内でと全員が勧める中、伸也さんと寺尾さんだけが最後まで屋外の可能性を信じた。

伸也さん ステージに屋根もないし、少しでも雨が降ったら機材も全部パーになって主催者の僕の責任になる。それでも、時間の長さや値段の問題じゃなくて、あの景色と空間と音、全部を体感する “質” の問題なんじゃないかなって。演者のお二人にも、雨が降ったら開始30分でも5分でも、その時点で中止になりますけど、いいですか?って話をして、やりましょうって。

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函館の「BOTAN & sumire」による装草花。ステージは数ヶ月前から伸也さんが郡山の工務店「BANKS」の長谷川大輔さんとともにコツコツと手直ししてきた。福島から東北、そして北海道でのご縁がさまざまなに交差するこの場所に、寺尾紗穂さんと角銅真実さんの音が乗る

結果、夕方以降は雨は降らず、蝉の声が響きわたる果樹園の庭で、夕暮れとともに刻々と変化し夜へと移っていく空の下、うしろにそびえる山々の静けさと音楽の豊かさ、そのすべてを全員が体感することとなった。

ステージ装飾を担当したのは、函館から駆けつけた「BOTAN & sumire」のお二人。昼の部が室内になり、夕方からのライヴが屋外で実施できるのか未定の中、果樹園の周りの野山から草花を採取し、自己判断でステージをつくりあげていた。

伸也さん 桃に必死で、BOTANくんとは何も話せてなかったけど、気づいたらあのステージができていて。人生の1ページにも明確に刻まれた景色だった。本当にたまたま運がよかっただけですけど、雨が降らずに外でもできたのはミラクルでしかない。感謝してます。何にって?ラッキーなことに!

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ライヴの景色の先に見ているのは
5年後、10年後のここの景色

2011年の東日本大震災のあと、当時5歳と2歳だった子どもたちを連れて北海道へ。その二人も19歳と16歳になり、長男は東京へ、長女は高校生になった。一方で、伸也さんのお父さんは76歳、代替わりの準備も始めなくてはならない。家族の状況が移り変わっていく中で、次第にまた福島に関わる時間が増えてきていた。

そんなとき、一つの出逢いがあった。福島県出身で、現在は宮城県でワイナリー「Fattoria AL FIORE」を営む醸造家、目黒浩敬さん。伸也さんが長年夢見てきた、りんごのお酒・シードルを自らつくることが、目黒さんとの出逢いで一気に現実となったのだ。

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明子さん おそらく5年後ぐらいには、周りの農家さんがどんどん衰退しちゃう。 10年後には、何もしなかったらうちも終わるだけっていうことが容易に想像できる中で、シードルっていう、ひとつの大きなきっかけをいただいて。

生食だけではなく、ジャムやジュースにする加工もやってきたけど、シードルをつくることができれば穫れた果物を最大限いかせる、その景色を残せる可能性があるって、私たちは前々からわかっていたんです。でも、どうしたらいいのかがわからなくて。そんな中、目黒さんとシードルプロジェクトを立ち上げることができて、果樹園の中に醸造所もつくるっていう未来予想図が、地続きに始められるビジョンを描けたんですよね。

そんな未来の希望が見えたとき、明子さんがまず取り掛かったのがカフェをひらくこと。福島に嫁いで来た明子さんが、同じ場所で25年前にはじめたのも「cave」という名のカフェ。カフェは明子さんの原点だ。

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明子さん カフェって、場所をひらく “とっかかり” みたいな。用事がなくてもお茶なら行く、人の出入りのハードルが一番低い場所。果物を買いに行くにはちょっと遠いし、安斎家に逢いに行きたくても、作業に出てたらいない。でも、あの場所をひらくことで人の流れが生まれて、果物もすぐ調理できる。

それに今回は、自分じゃなくて誰かに任せることも必要だと思って。50歳になって、私がやらねば!って自分を高めることよりも、今まで積み上げてきたものを誰かのために解放する。そんなふうに角度を変えてもいいかなと思っていたんです。

期待が高くても、最初は残念と思われても、場所っていうのはゆっくり育てていけばいい。風を通すことで、直売所にもすごくいい空気が流れてるしね。 安斎家のデッドスペースがなくなってきた! って感じ。

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桃の季節はかき氷、梨やりんごの季節はパイやタルト。あんこや塩焦がしキャラメル、ジャムなど、明子さんお得意の加工品と旬の果物の絶妙な組み合わせ。ここを起点に、新しいスタッフたちのアイデアが重なっていく

果樹園の横にあるカフェの役割。それは、畑と “たべる” をダイレクトにつなぐこと。ゆくゆくはここで、試作を重ねているシードルも販売していく予定だ。

そしてその先には、果樹とともに醸造所がある景色。
思い描いていた夢が、ゆっくりと今、現実へと近づいている。

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伸也さんが福島にいない期間もお父さんとは毎日連絡を取り合い、果物の状況は逐一把握している。果物が一番美味しいタイミングで加工し提供できることは、農家にとって最高の喜びだ

インディアンの長老が語る危機感は
遠いどこかの話ではなく農家のリアリティ

あんざい果樹園、果庭、たべるとくらしの研究所、北海道蘭越町の拠点に新しくつくったギャラリー「atelier mena」、そして醸造所。軽やかに、遊ぶように、次々とイメージにかたちを与えてゆく。一見すると華やかな多角経営にも見える安斎夫妻の取り組みだが、その背景にあるのは、農家としての健全な危機感。気候変動に人手不足、畑から見る世の中は困難だらけだ。どんなときでもポジティブに、土の上に立っている伸也さんは、だからこそしっかりと現実を見つめ、目を逸らしてはいない。

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伸也さん よくさ、どこかの先住民族やインディアンの長老が警鐘を鳴らしているとかさ、記事で読んだりするけど、うちの親父だって「いや、これはヤバいぞ! 」ってずっと言ってるからね(笑)。

ふつうに農業をやってたら、もう何十年とお盆に桃が採れるっていうサイクルに生きてきてる。でも、僕が農業に入った2000年くらいからリズムが乱れ始めてたのね。 気候的な問題で農業が本当に安定しなくなって、震災以降はもう本当におかしかった。

2、3年おかしくても「たまたまなんじゃね?」って乗り切ろうとするじゃん。でも、お盆だったものが2週間以上ずれて毎年のリズムになったら、もう僕らは自然に合わせるしかない。桃が2週間前倒しなら、梨とりんごもそうなって、すべてをもっと前に終わらせなきゃいけなくなる。

一方で、人手はどんどん減っていて、ベテランのお手伝いさんも高齢で亡くなったり、僕みたいな中間世代の跡取りもいない。どんどん縮小して、一人でやらなきゃいけないことが増えていくのに、作業は前倒し。だから品質も落ちていくでしょ。

環境問題的には高温障害で、農協や市場、スーパーの規格を満たせるものが減っていく。いろんな面から、どんどん圧迫されてるんだよね。

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そんな現状の中、今後どうやって農業を維持していくのか。これまでのやり方では生き残れない。特に果物は、甘さが足りなかったり傷がついてしまうとまったく価値がつかない。自分たちで加工までできる環境をつくることが、伸也さんの出した答えだった。

伸也さん ひいじいちゃんが植えた木がずっとそこにあって、果物がなる環境があって、それで食っていける。 つないでいく楽しみもある。なるべくなら、それをいかす形で遊べたらいいなって。ちゃんとやりたい気持ちはずっとあったけど、覚悟が決められなくて。北海道でも商売をはじめちゃったし、福島との行き来には交通費もかかるしね。

僕らが福島を出る前にやってたカフェの最初のビジョンは、農業をオーガニックにシフトしていく時に経済的に落ち込んだ分を、加工品やカフェでどうカバーできるか。そのチャレンジの最初の取り組みだったんです。だから今回、「果庭」っていう場所をあっこちゃんが立ち上げて、もう一度、その答えの中でやってみるっていう感じだね。

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あんざい果樹園の庭には、伸也さん手づくりのステージや小屋、アースオーブン。北海道では断熱や配管・配線まで。センスの光る空間づくりも、すべて自分の手で

言わば、2周目のチャレンジの第一歩。その一歩はただの一歩ではない。震災を経て移住し、都市でカフェを立ち上げ、引越し、福島へも行ったり来たり。その都度DIYで場をつくり続けてきたふたりにとってはもう、はじめることは特別ではない。

明子さん メンタルだけはハガネだから。「なんとかする力(りょく)」だけはね(笑)

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「なんとかする力」を育む、安斎家の子育て

安斎家のことを思い浮かべるとき、ふたりの傍にはいつも子どもたちがいた。
震災のあの日、果樹園での日常が強制終了してはじまった旅は、日本列島を南下し九州まで、そして最終的には北海道へ。翌2012年2月には札幌でカフェをはじめ、2018年からは蘭越町へと移り、北海道の大きな自然に囲まれた保育園跡地を舞台に、畑や作業場、住居がすべてひとつになった暮らしを、家族4人、いつも一緒につくり上げていた。

明子さん 震災は悲しい出来事だったけど、悲しみの底ではない。命があったらなんとでもなるから、未来ある子どもたちの命の成長を第一優先にと思って北海道に来た。でも、福島を置いてきた負い目というか、離れたからこそやるべきことをやらなくてはっていう、謎のプレッシャーを己にかけていて。

子育ての正解ってなんだろう? 子どもにとって何が幸せなんだろう? ってずっと考えてきて、地位とか名誉じゃなくて、 “ふつうにいること” なのかなって。何があっても、その時に「なんとかする力」じゃないか? って思ったの。

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明子さんが言う「なんとかする力」の原点は、やはり震災での経験だ。長崎に1ヶ月滞在し北海道へと旅立つ時、これまでの別れの挨拶だった「果物を送るね」というその一言が言えなくなっていた。大きな喪失感と同時に感じたのは、絶対にこのままでは終わらない!という強い決意だった。

明子さん あっこ、このままでは終わらねえ! って、出るときに誓ったよね。お世話になった人たちに感謝の気持ちを返すには、自分たちでもう一回再建するしかなくて、それが感謝を態度で示すことにもつながる。よくしてもらうことが、人へのエネルギーになるんだなぁって、その時にすごく感じたんです。

意を決してやってきた北海道で止まることなく突き進み、あっという間にカフェを立ち上げ人気店に。どんなことがあっても「なんとかする」。その姿を、二人の子どもたちはずっと見てきたはずだ。一方で伸也さんは、 “家族で遊べる” ことを探しては、子どもたちを自然の中へ連れ出していた。

伸也さん みんなで畑やろうよ〜とか、畑にあれ穫りに行こうよ〜とかね。クリスマスツリーを飾るなら、木を切るところから行くぞ!みたいな感じで。すべてをエンタメ化したいの(笑)

朝、突然思いついて1日で露天風呂をつくって入る。野菜や果物の自給自足に留まらず、ソーセージやベーコンもつくる。 “たべるとくらし” の探求は留まることを知らない。2017年からは中古の消防車にDIYでアースオーブンを取り付けた「モバイルアースオーブン」に家族で乗り込み、全国のイベントを旅してピザやソーセージ、その土地の美味しいものを焼いて回った。

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札幌国際芸術祭(SIAF)の一般公募作品として採択され、市民参加型のワークショップ形式で制作したモバイルアースオーブン。札幌市内を回り土や藁を集めるところから手づくりした(写真:佐藤有美)

4人での旅の道中、とにかくたっぷりあった家族の時間。その中で「生きるとは何か?」「幸せとは?」…夫婦で、家族で、いろんな話をした。

明子さん 子どもたちとは「どんな大人が素敵か」って話をよくしたね。 だから、うちの子どもたちは見た目では判断しない。奇抜な人に引くこともないし、先生だから尊敬するとか、そういうことでもなくて。訪れる土地土地で、子どもを子ども扱いしない、フラットに付き合ってくれる大人たちにたくさん出逢ったからね。

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気まぐれに手伝ったり、一緒に遊ぶ大人や子どもを見つけては誰よりもイベントを楽しんでいた安斎家の子どもたち(写真提供:安斎伸也)

ミュージシャンやアーティスト、食を仕事にする人など、常に多様な人々が集まる安斎家。「なんとかする力」に溢れた大人たちに触れて、子どもたちはのびのびと育ち、それぞれの価値観を身につけていった。高校を卒業する長男が選んだのは、音楽への道。明子さんは息子の門出を気持ちよく送り出し、その活躍を遠くから見守っている。

明子さん 本人の幸せは本人がなんとかするしかない。特に成人したら、自分で決めたことを尊重して、息子は息子で、母さんは母さんでなんとかする。 お互い頑張ってんな、俺たち!みたいな関係性がいいかなって(笑)。

8月の福島・あんざい果樹園でのイベントはとても象徴的だった。
二人の子どもたち、どちらも欠席。それぞれに予定があり、自分の暮らしの中で楽しみを見つけている。だから、親がつくるものに行かなくても、もう大丈夫。長男が最近ふと、つぶやいたそうだ。

「ああなんか、4人で暮らして、楽しかったね〜」

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生命力を信じているから「なんとかなる」
農家生まれ農家育ちのコスモロジー

「なんとかする」を積み重ねてきた安斎夫妻の、もう一つの大きなあり方。それは「なんとかなる」という言葉に集約できるのかもしれない。農家という職業柄、自分たちの力ではどうにもならない自然と常に向き合い、どこか運命に委ねているようなところがある。だからこそ、想像もつかない視点からのアイデアや意見がおもしろいと、友人たちも口を揃える。

伸也さん 僕は震災まで実家を出たことも一人暮らしをしたこともなかった、農家生まれの農家育ち。1年に1回くらいは大きな自然災害が起きるから、台風が来る前に、夜中に起きて車のヘッドライトをつけっぱなしにして梨を収穫する親の姿や、凍害から果樹を守るために、一晩中何かを燃やす地域の人たちの姿を覚えてるし、でもどうしようもなくて、ただ果物が落とされていったり、木が倒れちゃうのを見てるだけっていうこともあった。スキーもやってたから、自然の中での人間のちっぽけさ、何にも及ばなくてただただ圧倒されるだけっていう感覚もあるしね。

だから、何が起きてもまあ受け流せる。失敗したって、自然災害もあるぐらいだから、しょうがなくね?なんとかなるっしょ!みたいな感じで(笑)。

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25年以上、日々自然と向き合ってきた伸也さんの言葉には、常に自然への愛がある。目に見えない何かと対話しているように、身近な誰かのことを愛おしそうに語るように。それは紛れもなく、彼らが「生きている」ことを実感しているからだ。

伸也さん 春夏秋冬があって、芽吹く瞬間とかさ、日々葉っぱがでかくなって、冬には枯れ木の中でりんごがなってる。そのエネルギーがあるわけじゃん。 間近で見てると、明らかに生きてるし、あるひとつの意志を持っている。あの人たちは、種だから。子孫を残すっていう意思がある。

植物に意思なんてない、生きものとしての意識がないって思ってるのは人間の解像度が低いだけ。そういう前提で暮らしているのは、人間の勝手な思い込み。僕らにはその言語がないだけで、科学が進んだらコミュニケーションが取れるようになるかもしれない。そういうことを考えはじめると、めっちゃ面白いじゃないですか。

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2007年冬にあんざい果樹園のりんごジュースから偶然に炭酸発酵した酵母菌「パラダイス酵母」を見つけたのも伸也さん。草の根的に広まり、SNSのグループは2万人以上にまで広がっている

りんごのことを “あの人たち” と呼び、“あの子” とはちょっと合わないなというような感覚を抱くこともある。伸也さんの見ている世界は、決して人間中心ではない。とてもフラットで、自然との距離が近くて、伸也さん自身もその一点に過ぎない。

伸也さん 自然の持つ生命力をやっぱり信じてる。 底力というか、野生の強さみたいなものをね。 そこをすごく強くしていってあげたいから、自然栽培やオーガニックにシフトしたい。資本主義経済の中でどうやってバランスをとっていけるかが、僕にとってずっと大きなテーマですね。

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生命力を信じているから「なんとかなる」。その信頼の先にある自然栽培やオーガニックという選択肢。だからこそ「たべるとくらしの研究所」という屋号を掲げ、研究と実践を繰り返し、オープンに考える機会をつくり続けてきた。

伸也さんの根底にある「なんとかなる」と、明子さんが震災を経て培ってきた「なんとかする」。お互いの衝動に乗っかりあって生まれるふたりのグルーヴはいつも、世の中のムーブメントとなり、やがてスタンダードになってゆくはずだ。

変化を恐れず、何も決めない
だからコロナもなんでもない

たくさんのアイデア、たくさんのやりたいこと。つくりたい未来。ふたりの実践は止まらない。なぜそんなに、失敗を恐れずに挑戦し続けられるのだろう。

明子さん 震災でバン!って変わったじゃないですか、私たち。あの経験があったからこそ、変わることへの怖さがなくなりましたよね。あの変化が急激すぎて。超マイナスからのスタートだったけど、今振り返れば、あれは単なる変化だったんだなって思える。今ではもう、「なんとかする力」でなんでも対応できるしね。

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大きな流れを手繰り寄せる伸也さんと、実現エネルギーのかたまりのような明子さん。お互いをまったく違う存在として尊敬し合う、名コンビだ

伸也さん そうだね。あの震災もそうだけど、生きてりゃいろんなことが起きるじゃないですか。そういうのに、いちいち感情的にならない。感情に流されないで、起きている事実をフラットに判断して、自分の置かれている環境とチューニングする術が身についたのかなって思っていて。

それに、もう変化することにも抵抗がないから、全然決めたりもしない。決めるから、そうじゃないことが起きた時に残念に思うのであって、全く決めてないからなんとも思わないっていうかね。来たボールを、ただ真っすぐ打ち返してる感じ。

家族4人の時間をたっぷり過ごしたモバイルアースオーブンの消防車は、なんと数年前にもらい事故で大破してしまった。その時も、伸也さんは冷静だった。次の季節がはじまる、そんな予感にワクワクさえしているようだった。実際、その先には醸造所の計画など、新しい展開が待っていた。

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そして2020年。コロナ禍の異常事態が全世界を包み込んだ時も、なんとかなるし、なんとかする。明子さんは札幌で新たにはじめたお弁当の販売を通じて “日常を支える料理” に向き合う自分を再確認し、伸也さんは家族とゆっくり丁寧に料理をして味わう日々の中で、自分にとっての理想の生活を再確認した。観光客のいないニセコでは、家族全員で最高のスキーを楽しんだ。

世界のすべてがスローダウンしたとき、誰もが向き合った日常。楽しく、気持ちよく過ごすこと。身の回りを整えること。美味しいものを食べること。本質的に大切なことを誰もが再認識したとき、きっと安斎夫妻のあり方は多くの人の力になったはずだ。

やり散らかしOK!ストイックはNO!
ポップなオーガニックが世界を変える

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楽しいことが何よりも大切。安斎夫妻のつくる場にはいつも、心を満たしてくれる楽しさや美しさと、お腹を満たしてくれる美味しいものが溢れている。「楽しいから一緒に!」のお誘いが、あの手この手で繰り出されている。

伸也さん 果庭もあるし、果樹園もあるし、たべけんもあるし、ワイナリーも。 もう、やり散らかしですね(笑)。何をとっても極めてないかもしれないけど、そんなの全然よくて。それが普通になっていく方が、めちゃくちゃいいことだから。

自然栽培もオーガニックも、一人でがんばってそこだけよくなっても、環境ってよくなっていかない。僕が望むのは、それが広がって当たり前になっていく社会。みんなと成長しながら価値観をシフトしていく方が大事で、そっちが自分の役割だと思ってて。

もし普通の野菜とオーガニックの野菜が同じ値段だったら、やっぱりオーガニックの方が気持ちがいいし、美味しい方がいい。その選択が当たり前になって、誰でも気軽に畑をはじめられるようになっていくには、やっぱり楽しくないと!

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伸也さんの母・久子さんも、一壽さんとの結婚を機に福島に嫁ぎ、器屋をひらいて安斎家を変えてきた張本人。「ふたりは常に楽しいことだけ考えてる。私もそうなんだよね!」と、いつも大きなエールを送る

はじめの一歩は、小さな畑でいい。続けられないと意味がないから、ストイックに極めないとできないようなことはやらない方がいいと、伸也さんは言う。家族を犠牲にしたり、誰かに負担をかけたり我慢させたりすることがないように。畑だけでなく、すべてのことに通じる心構えのようにも思う。

伸也さん 僕らも環境の一部だから、一番最初の環境問題は僕ら自身。僕らが僕らを整えることは、たぶん環境問題につながるし、僕らのおしっこもうんこも生活も、ぜんぶ環境問題。いいおしっこといいうんこといい健全性を保つために本気でやれば、当然オーガニックがいいし、当然いいリズムで暮らさなきゃいけない。

それを突き詰めていくと、やっぱり自分で野菜を育てて、自分でつくって食べるっていうことが、体力的にも衰えないし、一番からだにいいんだよね。自分のために自分の時間を使うことが一番健全じゃない?

だから、オーガニックなんてすごくポップでいい。
やる人の数が今、圧倒的に足りないんだから、ポップに楽しく適当に、遊ぶみたいに畑をやる人が増えていけばいいなって。

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いつからこんなにも、つくる人とたべる人が別々になってしまったのだろう。
そんなに遠くない昔には、誰もが自分や家族が食べるのに十分な野菜を自分の畑でつくる日常があったはずだ。実際、福島や他の地域に住む友人たちでも、畑や田んぼのある暮らしを送っている人もいる。

ようは、気持ちや出逢い次第。
ふたりの話を聴いていると、畑のある日常をとても近く感じられる。楽しそう。できる気がしてきた。そんな一人ひとりのワクワクの芽を、ふたりはいつも「ほらね」と、ニヤニヤ顔で待ち構えている。

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遂に完成したシードル。その名も「APPLANET CIDER」(林檎惑星のシードル)。あんざい果樹園のりんごのみでパラダイス酵母からのシードルは「FEREMENT DANCE」(発酵ダンス)、AL FIOREで醸造されたワインのオリを加えたシードルは「RENDEZVOUS(フランス語で “待ち合わせの約束”)」と名付けられた(写真提供:安斎伸也)

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(撮影:3KG)
(企画:小倉奈緒子、佐藤有美)
(編集:村崎恭子)

連載「暮らしの変人」では、greenz people(NPOグリーンズの寄付会員)や読者も取材に同行しています。それは記事には収まりきらない、音、香り、熱気、変人たちが言葉を紡ぐときの間までをも含めた、その場ならではの“生きた空気”を体感してほしいからですが、今回、山中散歩さんがツアーの様子を動画にしてくれました!


今回はライヴ当日には安斎伸也・明子夫妻へのインタビューが難しかったため、周りの方々にお二人の話を聞きつつ、想像を膨らませながらあんざい果樹園へと向かいました。記事と動画の同時公開はgreenz.jp初の試みです。両方見ることで、より立体的に臨場感をもって、安斎伸也・明子夫妻と出会っていただけると思います。(小倉奈緒子)