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サステナブルな温泉地、熊本・黒川温泉ではじまった“泊食分離”の試み「Au Kurokawa」に生まれた地域のパン屋さんの話

寒い季節、かじかんだ指先を温めながら思い浮かぶのが「温泉」の二文字。
風情のある旅館のお部屋で食事をいただいて、お湯でぬくもって仲居さんが敷いてくれた布団でぐっすり眠るーー静かな温泉街で過ごす一夜を夢想するだけで、頭のなかがほぐれそうです。そう、温泉旅館に行けば、至れり尽くせりなおもてなしが待っていてくれるのです。

でも、お客さんに最高のひとときを提供してくれるサービスの裏側については、恥ずかしながら考えたことはありませんでした。宿泊客の一泊二食(しかも部屋食)を支えるのは、朝食から夕食までお世話をする従業員の長時間労働。しかも、過疎高齢化が進む中山間地域などでは、地元採用が難しくなっています。観光庁は、2017年から宿泊と食事を分ける“泊食分離”を推進していますが、飲食店そのものが少ない小さな温泉街では対応が難しいケースもあります。

熊本・黒川温泉郷もまた、この課題に直面していました。温泉街で働く人、温泉に入りに来る人、温泉がある地域がよりよくつながり直すにはどうすればいいのか? この問いを解くために生まれたのが、“地域の食のハブ”となる「Au Kurokawa」です。2024年9月末に、旗艦店となる「Au Pan & Coffee」をオープンしました。

「Au Pan & Coffee」をプロデュースしたのは、徳島・神山町で「地産地食」を合言葉に食堂「かま屋」、「かまパン&ストア」の運営や、地域の学校と連携する食農教育に取り組んできた農業法人フードハブ・プロジェクト(以下、フードハブ)です。8年前から神山町に通うわたしは、設立当初からフードハブへの取材を重ねています。フードハブと黒川温泉がタッグを組むことで、どんな新しい取り組みが生まれているのかを知りたいと思いふたつの地域を訪れました。

取材を通じて見えてきた、より良い地域や社会のつながり方について、みなさんにお伝えしたいと思います。

(トップ写真撮影:マエダモトツグ.)

全国の温泉旅館が直面する課題に向き合うために

黒川温泉郷は南小国地域の山あいにある歴史ある温泉地です。直径5km圏内には30の旅館と34の店舗が、自然に溶け込むように点在。宿ごとに異なる7種類もの泉質の温泉が湧き出ていて、湯めぐりを楽しむ訪問客数は年間平均約90万人(うち宿泊客は30万人)にも上るという人気です。まずは、Au Kurokawaの仕掛け人、黒川温泉観光旅館協同組合代表理事であり、旅館「奥の湯」オーナーの音成貴道さんに、なぜAu Kurokawaをつくることになったのかお話を聞きました。

黒川温泉観光旅館協同組合代表理事であり、旅館「奥の湯」オーナーの音成貴道さん。Au Kurokawaの仕掛け人

音成さん コロナ禍が明けてインバウンドのお客さんも戻ってきましたが、人手が足りないから部屋の2〜3割を売れない状態なんです。黒川温泉がある南小国町は人口4,000人の過疎地で、高齢化も進んでいるので地元での採用が難しい。都市部からの採用をしたくても、たとえば東京の若者に『黒川温泉と石垣島、どちらで働きますか?』と聞いたら、おそらく石垣島を選びますよね。九州のなかでも、コンビニやレストランがある別府や湯布院の方が若い人に選ばれやすい。地方の小さなまちの旅館は、どこも同じような課題を抱えていると思います。

また、一泊二食のおもてなしを提供する旅館従業員特有の働き方も人手不足の一因になっていると言います。

音成さん 朝食と夕食に対応するには、昼に“中抜け”という長い休憩時間を挟んで、朝7時から夜9時頃までという働き方になるのですが、今の世の中に合っていないんですね。海外のホテルのように宿泊と朝食だけにして泊食分離ができれば、旅館の仕事はフロントと清掃だけになるので8時間労働が可能になるのではないかと考えました。

夕食の提供について検討しはじめた背景には、和食の料理人の減少と高齢化という事情もありました。近年は、下積み期間が長く修業が厳しい和食を志す若い料理人が減っていて、地方の旅館が和食の料理人を確保するのが難しくなっているそうです。また、「温泉旅館といえば和食」というセオリーは、多様な食事を求めるインバウンド旅行客のニーズとズレはじめています。

音成さん コロナ禍のとき、どこの旅館も宿泊数が減っていたので、黒川温泉全体で板場を共有できたら経営的なリスクを分散できるんじゃないかと考えました。でも、それだと食事を配達したり配膳する人が必要です。だったら、建物をつくってテナントを呼んでくる方がいいんじゃないかと思ったんです。

音成さんはさっそく事業再構築補助金を申請。あっという間に8棟の建物をつくってしまいました。実は「Au Kurokawa」はお店ではなく建物からスタートしたのです。

Au Kurokawaの建物も、黒川温泉郷の風景になじむように設計・デザインされている。こちらはAu Pan & Coffee、同様の建物が全部で8棟つくられている(撮影:マエダトモツグ.)

早朝5時、仕込みをはじめるAu Pan & Coffee。お店全体がともしびのようにあたりを照らしていた(撮影:マエダトモツグ.)

「黒川温泉一旅館」で取り組む地産“地循”

「複数の旅館で板場を共有する」という音成さんのアイデアは、黒川温泉が育んできた「黒川温泉一旅館」というコンセプトをベースにしています。一つひとつの旅館は「離れ部屋」、旅館をつなぐ小径は「渡り廊下」ーー30軒の旅館と里山の風景のすべてを「ひとつの旅館」と見立て、ともに助け合い、磨きあってお客さんを迎えようという考え方です。黒川温泉観光旅館協同組合 事務局長の北山元さんは、このコンセプトが生まれるまでの歴史を教えてくれました。

黒川温泉観光旅館協同組合 事務局長の北山元さん。ポストコロナを見据えた黒川2030年ビジョン策定に尽力した

北山さん 黒川温泉郷では、1986年に旅館組合の世代交代があって、当時の若手、今の父親世代が中心となって植樹活動や看板の統一など景観づくりに取り組みました。また、黒川全体の露天風呂を利用できる入湯手形を発行して「露天風呂の黒川温泉」というブランドを確立。地域全体で黒川温泉郷を盛り上げるさまざまな取り組みが、『黒川温泉一旅館』というコンセプトにつながったのです。

それから約30年が経ち、旅館組合ではふたたび世代交代がはじまっていた2016年に熊本地震が発災。地元・南小国町の地域経済や黒川温泉郷は大きな打撃を受けました。そんななか、復興に向けて発足したのが、旅館組合、観光組合、自治会による「黒川みらい会議」です。

もともとは入湯税の嵩上げに関して話し合う場をもとうとして始まった会議でしたが、地域内経済循環の講師を招いてSDGsの知見を地域に取り入れることで食・人財・サステナブルという3つのテーマに取り組むことになりました。

北山さん 2018年に約半年かけて6回の会議を開きました。当時はSDGsの認知度が2割くらいでしたが、いち早くサーキュラーエコノミーの考え方を導入したことが、2021年に組合設立60周年を迎えたタイミングでの『2030年ビジョン』策定につながりました。

「黒川温泉2030年ビジョン」のテーマは「世界を癒す、日本里山の豊かさが循環する温泉地へ」。1,000年前から受け継がれてきた阿蘇の草原で放牧飼育される固有種「あか牛」を黒川温泉郷でお客さんに提供することで地域内経済循環を高める「次の100年をつくるあか牛“つぐも”プロジェクト」、旅館から出る食品残渣から完熟堆肥をつくる「コンポストプロジェクト」など、地域資源を利活用するとともに廃棄を減らして資源を循環させる「地産地“循”」モデルを目指して実証実験を進めています。

北山さん 2021年はコロナ禍の真っ最中だったので、イベントを企画しても緊急事態宣言で中止になる可能性がありました。組合60年の歩みを整理しようかという話もあったのですが、報告書をつくってもお客さまの自分ごとにはならない。それなら、『私たちはこういう方向を目指すので、みなさんも共感いただけたら一緒にいきましょう』と呼びかけるビジョンのほうがいいのではないかと考えました。

その土地で育まれた食をいただき、調理の際に出た残渣が堆肥になって、土を豊かにしていくのであれば、訪問した私たちもその土地の循環に参加することができます。黒川温泉のビジョンに共感するお客さんたちも増えているのではないでしょうか。

北山さん 私が感じているところでは、温泉に入りたいお客さまへの浸透はまだまだですが、『黒川温泉一帯地域コンポストプロジェクト』がサステナアワード2020環境省環境経済課長省を受賞したり、書籍に載せていただいたりしているのは、地域としての魅力が別な角度から評価されているのではないかと思います。今後は、ここに来たらサーキュラーエコノミーを体感できるんだと知ってもらうことが理想だなと思います。

2024年4月、南小国町は農林水産省からバイオマス産業都市に認定されました。申請時には黒川温泉郷の取り組みも要素のひとつに組み込まれたそう。これから、南小国町との連携も進んでいけば、黒川温泉郷のビジョンがより具体化することが期待されます。

地域の食のハブ「Au Kurokawa」をつくる

「Au Kurokawa」もまた、地産地循のコンセプトに沿って考えられています。名前の「Au」には「会いに行く、会いに来る」という意味合いがあり、お客さま、地元の人、生産者、料理人、旅館のスタッフなど、いろんな人たちが食を介して出会う場になればという願いが込められています。食材は、黒川温泉郷から半径50km圏内のものを使用。Au Pan & Coffeeの裏には、1日100kgの食品残渣を処理して24時間で堆肥ができる機械も導入する予定です。

音成さん 半径50km圏内には西は熊本市、東は別府市までが入ります。その範囲で肉も野菜もお米もお酒も揃います。Au Kurokawaは、地産の食材を使った料理を食べてもらう、地域の食のハブにもなりたい。基本は、旅館の代わりになる食事を提供する場所なので、テナントに入るお店には質にもこだわってもらいたいと考えていました。

Au Kurokawaの最初の一軒に選んだのは、気軽に食べてもらえる「パン屋」。パートナーを探しているときに、紹介されたのが徳島・神山町のフードハブでした。Au Pan & Coffeeの立ち上げには、フードハブのパン屋「かまパン」の製造責任者・笹川大輔さんらが全面的に協力しました。

かまパンでトレーニングを受けるAu Pan & Coffeeのメンバーたち

フードハブのビニールハウスや農園も見学しました

Au Pan & Coffeeのメンバーは、オープン前に約1ヶ月間かまパンでトレーニングを受けました。このとき、パンづくりの技術を教えるとともに、「アイデンティティを伝えることに注力した」と笹川さんは言います。

笹川さん 一番伝えたかったのは、自分たちのものごとは自分たちで考えて決めていこうよということ。誰かが決めたからやるのではなく、ちゃんと自分の意見を言って自分たちがいいと思ったものをつくることです。もし、そのとき決められなかったとしたら、もやもやをちゃんと滞在させるということも伝えたかったですね。それをなくしちゃうと自分がなくなってしまうので。

オープン前には、メンバーと一緒にお店で使う食材のリサーチのために地域の生産者さんたちを訪ねました。このリサーチを通じて、黒川温泉郷と新たに関係が生まれた生産者さんもいるそうです。

フードハブ・プロジェクト パン製造責任者 笹川大輔さん

笹川さん 僕たちにとって、パンは地域や社会とつながっていく手段でもあります。生産者さんや農家さん、僕たちがやろうとしていることが、どんなふうに社会とつながっているのかを理解しあえないと話が通じないし、ちゃんとつながれないと思っていて。リサーチを通じて、Au Pan & Coffeeのチームのみんなに、社会の生態系のどこに自分たちが位置するのかを知ってもらいたいという気持ちもありました。

「地元の食材を使っている」という事実だけを看板にするのではなく、生産者さんたちとお互いに認め合える関係をつくることーーそれが、Au Pan & Coffeeにインストールしたかった、フードハブのアイデンティティだったのです。

地域の関係性をつくるパン屋「Au Pan & Coffee」

北山さんは「まだまだこれから」と言っていましたが、Au Pan & Coffeeのストアマネージャー・菊池昭一さんは、地産地循というキーワードに惹かれて応募したとのこと。黒川温泉郷の目指す方向に共感する人が、Au Kurokawaに集まりはじめています。

Au Pan & Coffeeのストアマネージャー・菊池昭一さん(撮影:マエダトモツグ.)

菊池さん 「地域の人と関わりながら、自分たちの近くのものでつくるという取り組みが、自分のやりたいことに近いなと思いました。食材を安く仕入れて利益率の高い商品を売って、インフルエンサーを呼んでSNSで集客しようとする飲食店もあるなかで、フードハブの取り組みを知って『こんなに本質的なことをやっている人たちがいるんだ』と興味をもちました」。

菊池さんは以前、熊本・菊陽町でハンバーガーレストラン「THE LOCAL BURGER」を夫婦で営んでいたとき、なるべく手の届く範囲で食材を仕入れていたそうです。でも、パンづくりは未経験だったので「まさか採用されると思わなかった」と言います。実は、Au Pan & Coffeeのメンバーにはパン職人として経験を積んできた人はいません。そこには、笹川さんのチームづくりの考え方が反映されています。

笹川さん 僕は、かまパンでも経験者を入れるのにはあまりポジティブじゃなかったし、素人でチームをつくるほうが地域に根ざしたものができあがっていくという実感があるんです。自分のやり方をもっていない人たちの方が、ゼロからものごとを考えて一所懸命にやろうとするし、対等に関係しあえるから圧倒的に強いチームをつくれます。かまパンでの経験があったから、黒川温泉郷でも地域とつながるパン屋をつくれるだろうというロジックが成立しました。

オープン前のテストベイク、試食を繰り返してパンの味を仕上げていった

Au Pan & Coffeeには、かまパンと同じパンもたくさん並んでいます。わたしはかまパンのほぼ全種類の味を知っているのですが、食べ比べるとどちらもおいしいけれど何かが違う。もちろん、材料の違いもあるのですが味の芯の部分に違いがあるような気がします。笹川さん、この味の違いはどこにあるのでしょう?

笹川さん 今はまだ、かまパンをコピーした感じがあって、ちょっときれいにできすぎているかもしれない。どうやって彼らが自分たちのパンにしていくのか、技術的なことも含めて、まだこれからという部分です。ただ、中身をつくっていくのは彼らなので。以前は、地域のパンは地元の食材を使うパンとか、顔が見える人のために焼くパンではないかと思っていたけど、今は違うんだよね。ここで焼き続けることが地域のパンなのかなって思っています。

かまパンの厨房。スタッフとパンを焼く道具類やオーブン、パン生地がひとつになっている感じがします

ピークタイムを過ぎた頃にかまパンの厨房をのぞくと、笹川さんとスタッフが時に真剣に、たいていは楽しそうに話し込んでいる姿をよく見かけます。パンについて語っていることもあれば、哲学的に議論を深めていることもあります。彼らのようすからは、ルールを決めてチームワークしているのではなく、天然酵母のようにお互いが作用し合ってチームがふくらんでいくようなイメージが湧きます。かまパンの味は、かまパンチームそのものの味なのだと思います。これからきっと、Au Pan & Coffeeにも彼らにしかない味が育っていくのだろうと思います。

取材の翌朝、Au Pan & Coffeeに黒川温泉の中に直売所がある高村武志牧場さんが「山吹色のジャージー牛乳」を配達されていました。納品を終えると、菊池さんと談笑しながらパンのお買い物をしています。

菊池さんはAu Pan & Coffeeのコーヒーを焙煎から手掛けている(撮影:マエダトモツグ.)

「山吹色のジャージー牛乳」の味わいを生かしたカフェオレがとてもおいしかった(撮影:マエダトモツグ.)

菊池さん 牛乳屋さんは『ここのファンになったから』って言ってくれて、納品に来るたびにパンを買ってくれるんです。オープンから1ヶ月のうちに、『ここのパンを買いたいから』って福岡の方にリピートしていだきました。そういう関係性を少しずつ増やしていけたらいいですね。同時に、スタッフ全員がもっと魅力的な人間になって『会いに行きたい』と思ってもらえたら、もっと活気のあるお店になるのかなと思います。

「焼き続けることが地域のパン」という笹川さんの言葉の意味が少し掴めた気がしました。わたしがかまパンを8年食べているように、このまちの人たちや黒川温泉郷に来るお客さんたちが、Au Pan & Coffeeのパンやコーヒーを食べつづけることによって、お店もパンの味も地域のものになっていくのかもしれません。

(撮影:マエダトモツグ.)


(撮影:マエダトモツグ.)

Au Kurokawaに1軒ずつ新しいお店が増えるたびに、新しくまちとの関係性が生まれていって、地産地循のサークルが広がり、その密度も濃くなっていく。そこに生まれる熱量こそが、温泉と同じように人を惹きつけるぬくもりになっていくのではないでしょうか。黒川温泉郷の未来には、健やかな人とのつながりのなかでゆっくりとお湯に浸かって過ごせる、新しい温泉のあり方が生まれていくのだろうと思います。

そんな未来を感じさせる温泉を体験してみたくなったら、ぜひ黒川温泉郷へ!あなたが訪れる頃には、Au Kurokawaにまた新しいお店が生まれているはずです。

(撮影:杉本恭子)
(編集:増村江利子)