存在そのものが人間に対する啓示であり、地球的テーマそのものである。
と形容される島があることを知っていますか?
それが、屋久島。鹿児島本土から、フェリーか小型飛行機でアクセスできる離島です。縄文杉や、映画『もののけ姫』に描かれるような深い森を想像する人も多いかもしれません。
その想像にたがわず、日本でも貴重なスギの天然林が残り、フェリーから望むと、海にぽっかりと山が浮かんでいるかのように見える屋久島。この島で、「流域」の視点を暮らしに取り入れながら、ツアーなどで広め続けているのが、モスガイドクラブ・モスオーシャンハウス代表の今村祐樹(いまむら・ゆうき)さんです。
今回の取材では、屋久島の山・海・里を今村さんに二日かけて案内していただき、山と海と、人が暮らす里をつなぐ水と命の循環について教えてもらいました。アスファルトに覆われ、自然と分断されたまちでの暮らしにおいては、「私たちも生物であり、自然の循環の中にある」ということを実感する瞬間は、あまりないかもしれません。けれども、本当は私たちも生命体のひとつであり、自然の一部であり、ヒトという動物としての役割を持っている…。
今回の屋久島滞在や今村さんのツアーを通して、冒頭の『屋久島憲章』(※)の一文のように、体感をもって、そのことを教えられた気がしています。地球を脈々とかたちづくってきた命の営みや循環、人間という生きものの可能性。日々の暮らしのなかで、私たちが生物として持っている力を発揮し小さな積み重ねこそが、やがて大きな変化を生みだしていくのかもしれません。
(※)屋久島憲章とは、世界自然遺産として屋久島が登録された 1993 年に、屋久島の町議会によって、島の貴重な自然を生かした地域づくりとそれを保全することを目標として制定されたもの。
モスガイドクラブ代表。大阪府生まれ。大学卒業後、就職した仕事をやめ「自然の中で生きる力を身につけよう」と2002年、23歳の時に屋久島へ移住。現在は『おいしい空気、ゆたかな土壌、生命を育む水がつきることなくあふれだす地球へ』を目標に、宿泊業やツアーを営むモスオーシャンハウスや、森林整備、ビオトープや塩づくりなど、地球が生み出した『流域』という生態系をベースとした地域循環再生プロジェクトに取り組んでいる。
水は、命そのもの
「これを水につけて、ちょっと絞ってみてください」
今村さんを訪ねて早々に手渡されたのは、手のひらサイズの白地に黒い斑点模様の石。花崗岩(かこうがん)です。「えっ、これを…?」と戸惑いながら、水に浸した石をぎゅっと力いっぱい握りこんでみても、湿った石から水がポタッと落ちるだけ。
どういうこと? とハテナでいっぱいの私たちに、続けて渡されたのは、小さなガジュマルが生えた苔玉。花崗岩と同じように、苔玉を水に浸してから握りこむと、ふわふわな苔からじゅわーっと勢いよく水が滴り落ちます。こんな小さな苔玉のどこにそんなに水が?と、思わず感嘆の声が上がりました。
今村さん ね。これが命の重みだし、命って、この石みたいに何もないところに水を蓄えてくれる。命の総量が多いから、水が蓄えられているはずなんです。
屋久島はこの苔玉のようにできていて、実は、いろんな生きものが生きる地球上の多くの土壌が、最初は苔によってつくられている。あたりまえすぎて見落としているんですが、ここに、人類が生きていくためのヒントがあると思います。
静かにいたずらっぽく、実験の種明かしをしてくれました。
中に花崗岩が包まれており、それを土台に、菌類など無数の微生物と苔が共生している苔玉。これにより、この小さな苔玉に水が蓄えられ、ガジュマルが生きられる土壌がつくられています。そして、今からおよそ1,400万年前、花崗岩質マグマが基盤岩を押し上げて隆起した結果出来上がった屋久島は、苔玉と同じ原理でこの花崗岩のうえに土壌がつくられ、豊かな森が育まれました。つまり「この苔玉は、屋久島そのもの」と言います。
46億年ほど前は、溶岩で覆われていた地球。酸素も少なく、紫外線も強すぎたため、生物が生きられる環境ではありませんでした。その状態を大きく変化させたのが、シアノバクテリアという藻の仲間である細菌です。時間の経過とともに溶岩が冷えることで大気の状態が変化し、やがてできた海。そこで生まれたシアノバクテリアは、光合成によって酸素を排出し、しだいに紫外線を防ぐオゾン層を地球の周囲につくりだしました。
細菌の働きによって、陸上で生物が生きられる環境がつくられはじめた頃、海の中で生まれていた緑藻類が海岸などに打ち上げられ、地上でなんとか生きようと進化したのが、苔の仲間です。この最初の植物である苔が、地上に雨を留め、菌と共生関係を結んで土壌を生み出したおかげで、多様な植物や動物が生きられる今の環境が、地球上につくられていきました。
今村さん 苔を大事にしてください。苔は、何もないところから土をつくってくれる。苔は草の台と書きますが、本当にその通りの仕事をしてくれていて、いろんな生きものが生きる環境の土台をつくってくれているんです。
ひとりの力ではなく、目には見えない微生物や菌など、さまざまな生きものの営みによって成り立つ貯水のメカニズム。そこには、地上に降った雨を、みんなが生きられる環境をつくる”水の恵み”へと変えていく命のリレーがあるのです。
水を育む生きものたちが生まれた場所
「母なる海」といいますが、海は、生命のはじまりである微生物が生まれ、地上植物のルーツである苔の祖先が生まれた場所。苔玉を通して、生物の命そのものである水が、陸上に蓄えられる仕組みを見せてもらったあと、私たちは海へと向かいました。
これまで屋久島のガイドとして、数えきれないほど山に入り続けてきた今村さん。加えてここ数年、海水を汲んで塩を炊いたり、ビオトープの畑をつくったり、杉山を手入れするようになったそう。「山10日、里10日、海10日」という屋久島の昔ながらの一月の暮らし方を表す言葉どおり、1年を通して頻繁に山・海・里を行き来しているのです。
そのなかで見えてきたのが、山から海への水の流れと暮らしのつながり。たとえば、3月になると、海と川の水が混じり合う汽水域に、一気に海藻が生える時期があります。それは、春になり山の水が流れ出し、湧き出す時期とほぼリンクしている。塩をつくるために海に行くようになって、今村さんは初めてそのことに気づいたそうです。
今村さん 春の雨が、冬の間に山で蓄えられた栄養たっぷりの水を海に流し、海水と混じり合って森と海をつなぎ、海の生きものを育てる。そしてその海の恵みを糧に人は生かされ、里でまたその恵みを土に還し暮らしていく。そんな営みが屋久島ではずっとつづいてきました。
自分で実践するようになって初めて、その営みの大切さに気づかされたんです。
生きものの源となっている水が山から海をつなぎ、影響を及ぼしあっている。今村さんは、そうした自身の体感や、地形図、土地を歩いて得た情報をもとに、実際に自分たちの活動圏内をどのように水が通っているのかを「流域マップ」として可視化しました。
最初は、地形図に水の流れを記しただけの簡易的な地図をもとに、土地を歩きながら、「昔はもっとここを水が流れていたのでは?」「なぜ今は、ここの流れはこんなにも元気がないんだろう?」と推測したり、原因を探ったりしたと言います。そして数年かけ、目には見えない土中も含めた地域の水の流れや、特徴をまとめていったのが、流域マップ。
川はもちろん、地面の下には、目には見えないたくさんの水が流れています。実際、周りの土地と比べて低くなっており、水が流れそうな道筋を今村さんが辿っていったところ、海岸に水が湧き出している場所に行き当たったそう。毛細血管のような細い水脈は、森と海をつなぐ役割を果たし、海藻や貝、稚魚、微生物といった小さな生きものが育つ汽水域を生み出しているのです。
今村さん だから僕らは、自分たちの敷地の下を通っている目に見えない細かな水の流れも、すごく大事にしたいと思って、日々暮らしています。
でも、海に栄養豊富な水をつなげていこうと思うと、僕らの住んでいる里だけで頑張っても難しい。その上流にあたる山が、里や海とどう関わっているかを把握しながら、小さな水脈も健康にしていくという考え方が大切なんです。
水を介した山・海・里のつながりに想いを馳せる
山から海へと水が流れ込み、多様な命を育んでいる。そのつながりを観察したあとは、海に注ぐ川を遡り、川の上流に位置するビオトープ畑を案内していただきました。
ビオトープ畑の向こうには山が見えますが、その麓にはミカン畑やスギの人工林があります。ミカン畑のおばあさんに聞いた話によると、畑の近くをチョロチョロと流れる小川は、昔は結構な水量があり、炊事や洗濯、洗い物ができるくらいだったのだとか。川の水が少なくなったのは、杉林に林道ができてから。その話を聞いた今村さんは、やはり上流にあたる山にどう関わっていくのかが、地域全体の水の循環にとって重要だと考え、杉林の整備にも携わるようになりました。
今村さんたちが山の整備をするようになった頃は、“切り捨て間伐”といって、バタバタと伐採されたスギが、山中に倒れたままになっているような状態。まずは、その倒木を撤去し、人が入りやすい道をつくるところから手入れをはじめました。その後、川を整備するワークショップなどにも活動を広げ、徐々にビオトープの畑づくりにも取り掛かっていったのだと言います。
今村さん 小川が再生するところまではなかなか行き着かないのですが、水の流れが戻った状態を常に心に描きながら、少しずつやっていくしかありません。でも3年という年月をかけて、だいぶ心地いい森になってきました。
当初、ビオトープには生きものがいなかったのですが、今は12種類ぐらいの水棲昆虫が棲んでいます。水を張るだけで生きものはどんどん集まってくるんだなと、あらためて水の力も実感しています。
今後は、ビオトープを海までつなぐ“水の道”をつくり、海からエビやカニが上がってくるような場所にすることが目標なのだそう。そうすることで、海のミネラルが陸に還元され、畑の土地を再生していくことにもつながるのです。
今村さん 畑は本来、命を支える場所なんです。
現代では、畑はお金に変えるための作物を育てる場所になってしまっていますが、本当は、人も含めたいろんな命が、その土地で生きていくための糧を生み出す場所であるはずです。
山と海に挟まれた場所に里が位置するからこそ、里における人の暮らしは、水の流れにおいてとても重要な要素。山と海の双方に対して、人がどのように関わっていくのかが問われるのです。
ここまで、山からの水が流れ着く先の海と、里の暮らしを中心に案内していただきました。翌朝、いよいよ水が育まれる源流の森へと足を運びます。
水の流れを生み出す源流域へ
屋久島で一番雨を降らせるのは、南東からやってくる風。その風が運んできた雨が山に降ることで森を育て、島のさまざまな場所から川へと合流し、やがて里や海へと降りていきます。
九州最高峰の山々が連なる「奥岳」を有する屋久島ですが、山の上は神様が住む聖域と考えられてきたため、多くの島人はよほどのことがないかぎり、山頂には登らないのだとか。頂上付近は、点在する大きな岩の一つひとつに祠があるぐらい、信仰と密接に関わっている場所なのです。この日は、その奥岳と呼ばれる山々を守っている深い森に入っていきました。
その森には、前日訪れた汽水域に湧き出ていた水を辿ると行き着く、源流があるのだそう。今村さんたちの活動地域一帯をめぐるすべての水がその源流につながり、ひとつの流域となっているのだと言います。
この日、目指したのは標高1,000〜1,400mにかけて位置する源流の森。そのさらに手前には、照葉樹林の森が広がっています。縄文杉をはじめとするスギのイメージが強いですが、実は、世界最大級の原生状態の照葉樹林を有している屋久島。年中葉が落ちない常緑の森も、広く分布しているのです。
常緑樹が葉を落とすのは、新緑が芽吹く春の時期。そのため春の屋久島では、雨が降った後の闇夜に森へ行くと、月明かりが反射しているのかと思うくらいささやかに、森全体が光って見えるそうです。その光は、落ち葉を材料として、大量の菌たちが表土を形成する営み。よくよく目を凝らすと、落ちている葉のすべてに網目状に菌糸が広がり、勢いよく脈打つように動いている様子がわかるのだとか。
今村さんはこの営みを知ってから、梅雨の時期の大切さが身に染みたと言います。
今村さん 屋久島では、森がつくられる途中段階の場所が、至るところにあります。それを見ると、何もない土地の上に、こんなに豊かな水を蓄えることができる生態系が、途方もない年月をかけてつくられ、その上で僕らが生きているのだということを確認することができます。
岩の上では、僕たち生きものは生きられない。何が自分たちのベースをつくってくれているのかを思い出させてもらえるんです。
水を育む、はじまりの森
水を蓄える土壌がつくられ、森が生まれ、私たちが生きている……。その途方もない年月と命の営みを感じながら、車に乗って照葉樹林を抜け、森の中を歩くこと数分。水の流れが生まれる源流の森へと到着しました。
まず立ち寄ったのは、森の中で水が湧き出している場所。この水が、あちこちで表土へ染み出したり、土中へ浸透したり、降ってきた雨と合流したりを繰り返しながら、ビオトープ畑などを通り抜け、やがては海へと流れていくのです。湧き水は、森に育まれ、そのまま飲めるほど透き通ったきれいな水。水筒に汲み、飲んでみると、冷たく甘い水が、すっと身体に馴染みました。
この湧き水も、そもそもは雨からはじまります。もともと屋久島は雨に恵まれた島ですが、今回の滞在中は、梅雨時ということもあり、ほんの数時間でも雨と晴れがころころと入れ替わる毎日。突然の雨に打たれて、びしょ濡れになることもありました。不思議なのは、雨に打たれても不快な気持ちにはならないところ。それを聞いた今村さんは、「屋久島では、苔や菌、樹々など雨を喜んでる生きものが圧倒的に多いのだから、そりゃあ楽しい気分にもなるよね」と笑います。
今村さん 水がなければ、人を含めた生きものは地上で生きてはいけない。だから、雨が降ることは、本来はすごい喜びであるはずです。それなのに、まちに住んでいると、多くの人が「雨がいやだ、面倒だ」と思ってしまっている。そこに、今のいろんな問題が詰まっているのではと思うんです。
屋久島に来て、雨が好きになる人は多いけれど、それは、 生きものとしての営みを思い出す感性が開くからなのかもしれませんね。
人間の身体は、50%以上が水分であり、水がなくなれば数日で息絶える一方で、水さえあれば、数週間生き延びることができると言われています。それくらい、命と直結している水。屋久島は、山・海・里の距離が近く、その水を育む営みが、とてもわかりやすい土地なのだと、今村さんは言います。
今村さん 一度でも、自然の営みと暮らしのつながりを体で味わうと、距離は関係なくなります。僕は実家が大阪なんですが、大阪に帰っても、山や海とのつながりが見えるようになりました。そうやって、見えてくるようになるんです。
だから僕は、屋久島にはすごく価値があるなと思っています。山と海がつながっていることを知識で知っている人は山ほどいるけれど、それを体感する機会はなかなかないですから。
山と海、そして暮らしが、水によって脈々とつながっている屋久島。今村さんは、その水が好きで屋久島に住むことにしたそうですが、近年の屋久島では、戦後の経済成長にともなう屋久杉の過剰な伐採、世界遺産登録後山岳エリアへ観光客が集中したことによるオーバーツーリズムなどもあり、人間の経済活動による自然への過大なインパクトが続くことも懸念されています。
一方で、自然の恵みに生かされながら山や水を敬い、守りながら生きる自然信仰がいまだ息づいていたり、冒頭に紹介した屋久島憲章に記されているような、「水を守ろう」という心構えが大切にされているのもまた、屋久島なのです。
“動ける命”としての役割
川の源流にあたる湧き水の冷たさや甘さ。それを蓄える苔の美しさや踏みしめたときの気持ちよさ。そんな余韻に浸りながらやってきたのは、若いスギの木がたくさん並ぶ森の脇。「ここから、源流の川があるお昼ご飯の会場へ入っていきます」と言いながら、今村さんが樹々の向こうへと消えていきます。
「こんな道のないところを?」と半信半疑になりつつ、ちょっとワクワクしながら、私たちも急いで後を追いました。
今村さんの後について、足を踏み外したら落ちてしまいそうな崖の端を歩き、森の中を通っていくと、小さな川が流れる緑の空間がぽっかりと現れました。
屋久島では山だけでなく、すべての川にも神様がいるとされ、無言で渡らず、石を投げて挨拶をしたり、咳払いをしたりして、その存在を認めることを大切にしてきたそう。その話を聞いた私たちも「お邪魔します」と川に挨拶をしながら、秘密基地のような空間に足を踏み入れました。
川のように目に見えるものも見えないものも、「そこにいるよね」と認めること。一見、スピリチュアルな話にも聞こえますが、「見て存在を認め、気づく」ことが、とても重要なのだと今村さんは話します。
今村さん いい枝ぶりだなとか、ここはすごく風が通る大事な場所なんだなというように、人が役割を認めるというか、気づいてあげると、よりその役割を果たすようになるんです。昔からある神社なんかも、たぶん本来は同じような機能を持っていたはずです。
大事な場所を「大事なんだね」と認めて、ちゃんとそこに人が通うような状態をつくりだす。それはある意味、人間だけが持っている力なのではないかと思います。
再生していくための一歩として、まず思いを寄せること。それがいかに大事かということをすごく感じます。大事なものに興味を持ったり、気づく人がどれだけいるかで、その後のふるまいも変わり、変化を生むのだと思います。
たとえば、海から遠い里山で畑をつくるとしても、海を想像しながら取り組むことができれば、それだけで畑での日々の作業が、海と山をつなげる行為になっていく。そういった流れを想像する力をみんなが持てるようになると、大事な場所へ関わっていく人が増え、現状を少しずつ変えていけるのではと、今村さんは考えているそうです。
「関わることがすごく大事」という今村さんは、たとえば森の中を歩いたときに、地面が崩れている箇所に気づくと、落ちている枝を拾い、崩れかけている箇所に組んで帰ります。ちょっと枝を拾って移動させるだけで、雨の日に土が流れる一方だったところに、ワンクッション置くことができる。そうすることで、土壌に水が浸透するようになるのです。
人が森の中に入るということは、多少なりとも環境に対してインパクトを与えることになる。だからこそ、少し歩かせてもらう分、ケアをして帰る。ただそれを心がけるだけでも、森は変わっていくのです。
今村さん 人間は、地形のような大きなものはつくれないけど、ほつれた穴を直していくように、小さく分かれてしまったものを動き回ってつないでいくことができます。たとえば、昔から森に入っていた山仕事の人たちも、森の中を行き来する際に、同じように、少しずつ森の道を修復していました。
それは、植物ではなく、動き回れる命を持つものにしかできない。人間が得意とすることなんです。
植物は、水を蓄え土壌を育てることができるけれど、一本の枝を思い通りの場所に動かすことはできない。その役割を担えるのが、人間という動物の役割なのではないか。そして、人が自然に関わっていくとき、時間感覚をどのスケールで測るかで、見える景色が変わると今村さんは言います。
今村さん たとえばの話ですが、外来種の植物が入ってきたとき、私たちはそれを害とみなし、駆除しようとします。でも、外来種であっても、本来すべての植物は、最終的には土壌をつくっていく存在。
短いスパンで捉えてただ除去してしまうと、その植物がなぜそこに生え、どんなステップに向かっているのかを理解できません。本来は何が正解といったものはなく、どれも森になっていくうえでのただの段階にすぎないんです。
到底森にはなりそうもない岩の上であっても、道路のアスファルトの上であっても、森をつくろうと土壌を育んでいく植物の力。だからこそ、その力をちゃんと生かしていけば、破壊されていく一方のように見える環境も、やがて再生されていくはず。
植物も人間も変わりなく、生命体としての力を信じる今村さんの言葉は、とても印象的でした。
今村さん 自分は何ができるんだろうって、答えなんてないわけじゃないですか。だからこそ、人間とは違う植物の生き方に触れたとき、「人間ってなんだろう?」と考えることが、すごく大事だと思うんです。
もし人間が地球にとって、ただ負の存在でしかないのだとしたら、なんで僕らは生まれてきたのかわからなくなってしまう。でも、そんなことはないはずです。
人間にも何かしら役割があるのなら、それは、「変化を生み出す力」なのかもしれません。人間は、いろんなところに変化を生み出していくことができますが、それは、諸刃の剣。大きく破壊する方に変えることもあれば、心地よい方へ変えられることもある。そのあたりのサジ加減が重要なんだと思います。
生かされながら、生かしあう
自然の恵みによって生かされていることを自覚する人が増えないと、その土地を大事にしようという人も増えない。変化させる力を人間がうまく生かしていくためにも、今後は、流域について学び、実践に取り組む学校をつくりたいと、今村さんは考えています。
今村さん 大きな循環のサイクルを思い描きながら、小さな場所での実践に取り組めるといいなと思うんです。「ここだけをなんとかしよう」ではなく、実はそれがもっと大きな流れの中でつながっているという意識を持つと、大きな歯車の中の実践として、働いてくるような気がしています。
たとえば僕らがやってる畑や、ツアーなどの学びの場も、屋久島の中のすごく狭い流域での小さな実践です。でも、それが大きな水の循環につながっているとわかったうえで、今できることを積み重ねていく意識を持っているからこそ、見えてきたことや、できていることがあると感じています。
暮らしの中の実践を通し、自分たちの生き方を変えていく。屋久島が世界遺産になって2023年で30年が経ちましたが、屋久島の価値は観光地ではなく、これからの生き方を学び、実践していくことにあるのではないかと言います。
環境問題について考えるほど、人間なんて地球にとってはいない方がいいのではないかと思ってしまうこともあります。でもだったら、人は何のために生まれてきたのか?人間には、人間だからできる役割があるのでは?という問いかけには、ハッとさせられました。
森の中で感じた、樹々や苔と同じ雨に打たれる心地よさ。裸足で踏みしめた苔の大地のやわらかさ。その一つ一つを思い出すたび、自分も生きものであり、目には見えなくとも、たくさんの命に生かされているのだと感じます。コンクリートに囲まれたまちにいると、命の循環は見えにくいものですが、あなたの住んでいるまちにも、必ず水の流れがあり、命がめぐっているはず。
たとえば、「YAMAP流域地図」では、日本中どこのまちでも、地図上で水の流れを見ることができ、まちを流れる川の源流を辿ったり、流域を知ることもできます。私も、流域の話を聞いた一日目の夜に、思わず地元の川や、今住んでいる土地を検索してみたところ、水の流れが行政区分を横断し、予想外の地域とつながっていることがわかりました。
今村さんは、「歩いてみることが大事。歩いてみると、たくさんのことに気づけます」と言っていました。屋久島まで行くことは、明日すぐにでもできることではないかもしれませんが、自分のまちの源流をたどる散策であれば、今週末にでもできるかもしれません。
あなたの足元を流れる水が、どこから来ているのか。その流れをつなぐ途上には、何があるのか。今を変えるための一歩として、まずは、水の流れを辿ってみてはどうでしょうか。私も今度地元へ帰省したときには、近所の川を遡ってみようと思っています。
(撮影:鳥越万紀雄)
(編集:村崎恭子、増村江利子)
– INFORMATION –
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