あなたは最近、どんな魚を食べましたか?
スーパーに買い物に行けば、鮮魚コーナーにはいろいろな種類の魚介がずらりと並んでいます。マグロ、タイ、ヒラメ、アジ、タコ、アサリ……。しかし、それらがどこの海でとれたものなのか、案外よく知らずに食べていたようにも感じます。地球温暖化やSDGsが叫ばれて久しい今、海の生き物たちを取り巻く環境はどうなっているのか、そんな疑問がふつふつと湧き上がってきました。
考えるきっかけをくれたのは、兵庫県神戸市の漁師、糸谷謙一(いとたに・けんいち)さん。糸谷さんは、漁師として働くかたわら、地元の運河に生態系を取り戻すための活動「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」(以下、兵庫運河PJ)に取り組んでいます。
糸谷さんの活動をたどりながら、私たちの食生活を支えてくれている漁業や、海の中で今どんな変化が起きているのか、一緒に学んでみませんか?
1981年生まれ。兵庫漁業協同組合 理事。漁師の家系に生まれ、高校卒業後から漁師の世界へ。船びき網漁で、しらす、イカナゴを中心とした漁業に従事するかたわら、兵庫運河で干潟や藻場の再生に取り組む「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」にも参画している。
「ボラも住めない」と言われた兵庫運河
糸谷さんが活動する兵庫運河へ案内してもらうと、ほどよく透き通った青緑色の水の中で、大小さまざまな魚がスイスイと泳いでいます。ずっと観察していたら、大きなエイがひらりと横切っていきました。そんな風景を横目に「かつて、この運河は水が真っ黒で悪臭が漂い、近寄ってはいけない場所でした」と糸谷さん。目の前に広がる風景からは、昔の兵庫運河は想像もできません。
兵庫運河は、明治時代に近隣の事業者たちが私財を投げ打ってつくられました。兵庫運河の南東にある和田岬では、潮と潮がぶつかるため波が立ちやすく、物資を運ぶ船が難破することがしばしばあったため、和田岬を避けて船着場をつくる必要があったのです。
日本最大級の大きさを誇るこの運河は、戦後は近隣にできた製材所の貯木場として利用されるようになり、高度経済成長期には一大工業地域として栄えたといいます。戦後復興が最優先された当時、環境汚染への配慮はされておらず、工場排水や船から排出された油などは、全て海の中に垂れ流し。その結果、海の水質汚染がどんどん進行しました。
糸谷さん 1960〜70年代ごろ、戦後復興期の兵庫運河は真っ黒でした。貯木場の木の皮がヘドロ化して沈澱したり、メタンガスがボコボコと出たりするような状態だったそうです。近隣住民からは臭くて危険な場所として認識され、ドブ川に生息するボラですら住めないと言われていました。1971年には運河の清掃活動を行う『兵庫運河を美しくする会』などの市民団体が誕生し、近年では当時ほどの汚染状態ではなくなったものの、運河へのネガティブな印象が残っていることは、神戸に漁業のイメージが根づかない要因の一つにもなっていると思います。
近年、兵庫県はしらすの漁獲量全国一位を誇りますが、中でも神戸海域の漁獲量は県内でも上位に入るのだそう。その理由は、海の潮と六甲山系から流れてくるミネラルの多い水がぶつかるため、海の栄養分と言われる窒素やリンなどが溜まりやすく、それらを餌にする植物プランクトンをベースとした海の生態系のバランスが取れているから。
また、糸谷さんが所属している兵庫漁業協同組合はかなり古い歴史を持つ漁業組合であり、兵庫県の漁業の礎を築いたという誇りも持っています。地元住民の実感は薄くても、実は神戸は古くから漁業と深い結びつきがある地域なのです。
「自分の商売をつくってみなさい」
そんな兵庫運河に生態系を取り戻す糸谷さんの活動が始まったのは2011年のこと。「実は、最初から海の環境再生に関心があったわけではないんです」と、糸谷さん。兵庫運河の水質汚染の問題はあったものの、最初のモチベーションは自分の新たな生業をつくることだったといいます。
糸谷さん 29歳の時、いつものように漁に出ていたある日のこと。タバコを吸いながら休憩していたら、兵庫漁協で事務員をしていた方から突然『このまま親のレールに乗って生きていけるほど人生は甘くないぞ。自分の商売をつくってみなさい』と言われて。当時は漁獲量も減っていなかったので、心のどこかで『このまま続けていけば食いっぱぐれることはないな』と思っていたんです。
けれど、僕がやっている船びき網漁は海に生息する魚の量が自分の稼ぎに直結する漁法なので、この言葉をきっかけに、自分の子どもの世代までこの産業を続けていけるのだろうかという疑問を強く持つようになりました。あの人の言葉がなかったら今の僕はなかったかもしれないので、恩師のような存在です。
その言葉で一念発起した糸谷さんは、安定して漁獲量を得られる養殖に注目。同世代の漁師仲間4人に声をかけ、兵庫運河でアサリの養殖を始めました。しかし、深夜から漁に出て日中は寝ていることが多い漁師という職業柄、漁業者以外の人とのつながりがほとんどない状態からのスタート。誰にも信用されず、遊んでいるように見られたり、怪しい業者なのではないかと疑われたりすることもあったといいます。
一方で、アサリの養殖は1年目から上々の出来。収穫したアサリを販売しようと、関係各所に掛け合うも、調整は難航したといいます。「新しいことをするためには、新しいルールをつくらないといけない。そんな課題に直面して初めて、獲った魚を当たり前に販売できることのありがたさ、自分の親世代がやってきた努力を知りました」と、糸谷さんは当時の苦労を振り返ります。
そこで、地域の中で関係性をつくるために、糸谷さんたちは「兵庫運河を美しくする会」のもとへ足を運び、運河の清掃活動を手伝い始めました。そこでできたつながりが新たなつながりを生み、活動へのアイデアも得られたといいます。
糸谷さん 当時意識していたのは、気になった人にはとにかく会いに行く、ということ。そして、疑いの目で見てくる人には直接運河を見てもらうこと。その積み重ねで少しずつ信頼してもらえるようになり、関係性が広がっていきました。
その努力が実り、2014年に「兵庫運河を美しくする会」だけでなく、兵庫運河でアコヤ貝を使った環境改善に取り組む「真珠貝プロジェクト」、兵庫県内の湿地や河川などの自然環境保護のために活動する研究者が集まる「兵庫水辺ネットワーク」、近隣の「神戸市立浜山小学校」など、さまざまな団体と連携を開始。そのタイミングで「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」と名づけ、地域みんなで連携する取り組みに発展していきます。
魚を増やすには、アサリと干潟を増やすことから
アサリの養殖を始めた頃、糸谷さんの恩師にあたる人と農水産課に勤める神戸市役所職員から、「アサリだけでなく、これからは『里海づくり』が大切だ」と助言があったそう。里海とは、人の手が加わることにより、生物多様性が豊かになった沿岸海域のこと。そのためには、アサリをはじめとする“二枚貝”と“干潟”の存在が欠かせないといいます。一体なぜでしょう。
アサリなどの二枚貝は海中の植物プランクトンをエサとしますが、二枚貝がエサを食べる過程でろ過器と同じような働きをするため、海の水質浄化にも役立ちます。また、二枚貝は一つの個体で年間100万個以上の卵を産み、その卵が小魚たちのエサになるだけでなく、死んだ後には二枚貝の殻が海のpHをコントロールするのに役立ちます。このように、二枚貝は一石三鳥の役目を果たす海の生態系の土台であり、そんな二枚貝を育むための干潟や浅場は海にとって非常に重要な場所なのです。
しかし、大型船やフェリーなどの船着場をつくるために、日本は戦後に多くの干潟を「直立護岸」と呼ばれる人工海岸につくり替えてしまいました。大阪湾を例に挙げると、驚くことに1940年代に存在していた干潟の90%以上を失ってしまったのだそう。その影響で、二枚貝が減少して海のバランスが崩れ、生態系に悪影響を及ぼしています。ある研究結果(※)によると、海の生態系のバランスが取れていた状態を取り戻すためにはかなりの年月がかかると言われている一方で、海に干潟を戻して二枚貝や底生生物を増やし、海を「好気的」な状態(生きものが住みやすい状態)にすれば、再生の速度は10倍にもあがるとも言われているのだそう。サステナブルよりも一歩踏み込んだリジェネラティブな取り組みが求められている理由は、ここにあります。
※元広島大学大学院生物圏科学研究科山本民次教授による、牡蠣殻を使った海の底質土壌改善研究より
二枚貝は、海の生態系を豊かにするためにも欠かせない存在です。海の食物ピラミッドは、植物プランクトン、動物プランクトン、二枚貝、魚という順番で下から上に積み上がっています。つまり、アサリなどの二枚貝が減ると、それを餌とする魚も減ってしまうということ。活動を始めた当初、糸谷さんは日本で流通しているアサリの約90%が輸入品である事実を知った時は驚愕したと語ります。
糸谷さん かつての日本では、海外から輸入した貝を日本の海に入れておけば“国産”と謳えるルールがありました。当時スーパーで売られている国産表記のアサリのほとんどが輸入品である事実に驚くと同時に、輸入品を無理やり国産と謳わないといけないほどアサリが日本の海に自生していないことを知り、アサリの必要性に気づきました。初めこそ自分たちの生業づくりのために活動していましたが、アサリの養殖はそれをエサとして食べる魚たちを増やすことにもつながると知ってから、里海づくりへの意識が少しずつ芽生えていきました。
アサリの養殖が少しずつ成果を出し始めていた2015年頃、兵庫運河を直立護岸に変える計画が舞い込みます。しかし、里海づくりへの意識が芽生えはじめていた兵庫運河PJのメンバーは、直立護岸ではなく石組護岸をつくり、近くに小さな砂浜をつくってもらうよう神戸市に要請。その交換条件として、地域の子どもたちへの環境教育に取り組みながら、兵庫運河の自然をみんなで守っていくことを提案したといいます。
提案は受け入れられ、兵庫運河には現在アサリを養殖するための干潟が広がっています。この「浜っこきらきらビーチ」での取り組みが国にも評価され、糸谷さんの母校でもある浜山小学校の隣にも石組護岸と小さな砂浜をつくることに。小学校の校長先生に直談判し、アサリに触れながら海の環境を学ぶ授業を年間カリキュラムに入れてもらうことも叶いました。
人間も生態系を豊かにする一つのピース
アサリの養殖を始めて約10年、現在の兵庫運河の干潟は大小さまざまなアサリが確認できる場所に。いろんな大きさのアサリがあるということは、ここで生まれた命が次の命につながっている証拠。手応えを感じる一方で、活動を始めた当時は「なぜこんなにもアサリの養殖が上手くいっているのか?」と、疑問もあったといいます。
糸谷さん 視察のためにアサリの養殖に取り組んでいる全国各地のさまざまな場所に行ったのですが、人口が少なくて透き通るほど綺麗な海や豊かな山がある地域ほど、アサリの養殖に難航していたんです。一方で、工場排水や生活排水が流れる兵庫運河ではアサリがどんどん獲れる。その違いを考えたときに、人間も生態系の一つのピースになっていることに気づきました。
かつて江戸に幕府ができたとき、人口が増えたことによって近隣で美味しい魚が取れるようになり、江戸前寿司の文化が発展したという話もあるといいます。綺麗に透き通った海の方が豊かな生態系があるのかと思いきや、それは貧栄養状態になっている痩せた海。イメージと実態にはギャップがありました。
糸谷さん 人間の目で見たものだけでは自然は測れないと学びました。どこにでも干潟を戻せばいいというわけではなくて、潮の流れとの相性や生活人口などとのバランスを見ながら干潟を戻していくことが重要です。
糸谷さんが人と自然のつながりを実感したエピソードがもう一つ。神戸大学で農学を研究する保田茂先生に、海の生態系を取り戻すためにできることを相談すると、「君、米食べてるか?」という逆質問が。海の生態系とお米を食べているかどうかのつながりが咄嗟にはわかりませんが、この質問の裏には、田畑と海の生態系がつながっているという大事なメッセージが隠されていました。
糸谷さん お米を食べる人が減ると、農家が減って土地を耕す人がいなくなる。大地の恵みは全て海に流れていくので、陸の状態が悪くなれば海の状態も悪くなる。日本人がかつてほどお米を食べなくなったことも、海の生態系に影響しているのだと学びました。
農への関心は海への関心につながるはず。そんな想いから、兵庫運河PJではコミュニティ農園の取り組みを2022年に開始。「ウンガノハタケ」と名づけ、お米や野菜などを育てています。
今回のインタビューで使用させていただいた運河の隣にあるお店「北の椅子と」のオーナー・まきさんも、この活動に関わっているといいます。
まきさん 初めは60個ほどのバケツ稲を育てるところからスタートしました。ここで育てた野菜の残渣をコンポストに入れて堆肥にしたり、ここが公園緑地だった時代に使用されていた廃棄予定の木製パレットを活用してプランターをつくったりしています。全てが循環です。
ある女子高生の声をきっかけに、アマモ移植に目を向ける
アサリの養殖に加えて、兵庫運河PJでは里海づくりのためにもう一つ取り組んでいることがあります。それは、アマモの移植。アマモとは海藻の一種であり、アマモをはじめとする海藻が生い茂っている場所を藻場(もば)といいます。藻場は、魚が卵を産みつけたり、小魚が天敵から身を守る隠れ家にしたりする場所で、「海のゆりかご」という呼び名も。さらに、アマモは日光を浴びることで光合成をおこなって水中に酸素を供給する役割もあり、海の生態系に欠かせない存在です。
兵庫運河PJでは、近隣の海に自生していたアマモ8株を移植することからスタート。しかし、糸谷さんをはじめとする漁師メンバーは全員「やりません」の一点張りだったといいます。
糸谷さん アサリや干潟づくりを通して里海づくりへの関心は高まっていましたが、泥質の兵庫運河でアマモが育つイメージが湧かず、仮に育ったところで漁師に何のメリットがあるのだろうかと、そんなことさえ考えていました。しかし、2017年に表彰を受けて参加した『全国豊かな海づくり大会』(※)で出会ったある女子高生の言葉をきっかけに、アマモの移植活動にも取り組むようになったんです。
※「全国豊かな海づくり大会」:海の環境保全と水産資源の維持・培養を目的に、1981年から毎年全国各地で開かれている大会
それは、林業科でありながら藻場の再生にも取り組んでいる熊本県立芦北高校の発表でのこと。たくさんの観客を前に、発表者の女子高生が最初に発した言葉は「私は、お兄ちゃんのことが大嫌いでした」だったといいます。
糸谷さん 最初は『何の話をしてるんだろう?』って思いました。聞くと、嫌いだったお兄ちゃんがある時からアマモの虜になり、海の生態系が今どうなっているか、アマモがなぜ大切か、そんな話をたくさん喋るようになったと。『大嫌いだったお兄ちゃんが、かっこいいお兄ちゃんに変わりました。全国のみなさん、どうか藻場を復活させてください。日本の海はまだ諦めたものじゃありません』と、話すんです。その子の情熱に圧倒されると同時に、アマモのことも知らずに自信満々で大会に参加していた自分が恥ずかしくて。彼女の話に心が動かされ、アマモの移植にも取り組むと決意しました。
真の狙いは、海の法律を変えること
はじめこそアマモの移植に苦戦していた兵庫運河PJでしたが、最初の移植から3年ほど経った頃、近隣住民から「水中にたくさん草が生えてるよ!」という声が。確認してみたところ、そこにあったのはアマモの群生。時を経て、兵庫運河にも海のゆりかごが育まれ、今ではメバルやサヨリ、タコや車海老など、いろいろな魚が泳いでいます。
アマモ移植の成功をきっかけに、徳島大学や大阪公立大学付属高専などの全国各地の研究者と協力しながらアマモが吸収した二酸化炭素量を測定し、活動の効果を数値化する取り組みも始まりました。
そして、2022年には「Jブルークレジット®」(※)の認証を西日本で初めて取得。認証を獲得することでプロジェクトの認知度が上がったり、クレジットを取引することで得られた資金を活動費にあてたりするなどのメリットもある一方で、糸谷さんたちの本当の狙いは海の法律を変えることだといいます。
※Jブルークレジット®とは、ある場所において排出が見込まれていた二酸化炭素量と、海の生態系を再生することによって削減された実際の二酸化炭素排出量の差分をクレジットとして発行し、取引を可能にする制度のこと。
糸谷さん 海の環境を再生するためには、人間の経済活動よりも自然環境を第一に考え、環境整備に伴って海上工事をするという考え方が大切です。一方、日本はまだまだ経済至上主義の考え方が根強いため、海の生態系を取り戻すことが目的では、直立護岸を干潟にする工事の許可が取れません。
一人ひとりの意識が変わることももちろん大切なのですが、海の生態系は行政レベルで動かなければ元に戻せない段階まで来ています。行政を動かすためには、市民の声と根拠が必要。そのために、Jブルークレジット®のような数値化された実績を集めているんです。
兵庫運河の干潟でアサリやアマモを大切に育てながら、その目線の先にあるのは日本の法律という大局。大きな視点と小さな視点、その両方を兼ね備えて活動することの大切さを実感します。
1日1分、海のことを考えてみて
活動の広がりに伴って、兵庫運河に対する地域住民のイメージは大きく変わっていきます。近隣の人たちは、運河の様子に異変があった時に糸谷さんに連絡してくれるだけでなく、アサリを無断で取ろうとする人に自ら注意してくれることもあるのだそう。かつて、近づいてはいけない危険な場所だった兵庫運河は、今では地域みんなで見守る大切な場所になりました。
糸谷さんが特に嬉しく感じているのは、子どもたちの声。初めは3年生向けの授業だけだった浜山小学校との協働も少しずつ広がりを見せ、2023年には3〜5年生の3年間にわたる通年授業に発展。3年生ではアサリのことを、4年生では藻場のことを、そして5年生ではそれら二つが関わりあう生態系のことを学んでいます。「将来、海に関わる仕事をしたいと言ってくれる子や、漁業業界の問題やブルーカーボンなど教科書に載っていない話題をあげる子もいて、励みになります」と糸谷さん。
2021年からは、これまた糸谷さんの出身高校である神戸市立神港橘高校でも海の授業を開始。初めは全く海に興味がなかった学生が、授業の最後には前のめりで糸谷さんの話を聞いてくれるなんてことも。そして、授業の最後で決まって挙がる「私たちには何ができますか?」という質問に対し、糸谷さんはこう答えるといいます。
糸谷さん 『毎日1分、なんでもいいから海について考える時間をつくってみてください』と伝えています。海で見る夕日は綺麗だとか、夏の海で泳ぐ時間は最高だとか、なんでもいいんです。海について考える時間を持つと、自分の意識が変わって海に関する情報に敏感になったり、海に関わる活動をする人と出会えたりする。それは、僕自身もそうだったから。
糸谷さんのところで学んだ学生たちが、大きくなって各地へと旅立ち、また次の世代に海の生態系の大切さを語り継ぐ。糸谷さんが描くそんな未来は、兵庫運河の干潟で生まれたアサリの命がまた次の命へとつながっていくさまと重なりました。
糸谷さん 人の意識を環境優先に変えて、戻せる所に干潟を戻していきたいです。神戸や大阪で海の環境再生をしたい人は、僕のところに相談に来てくれたら嬉しいですし、各地で活動する人たちがみんなで手を取り合えたらと思います。
「千里の道も一歩から」。そうは言うものの、広大な海を目の前にすると、環境再生という言葉が現実味を帯びず、どこか他人事のように感じてしまうかもしれません。私自身もそんな感覚を持つ一人でした。しかし、糸谷さんとお話しするうちに、「まずは、自分が住む地域の海について知ることから始めよう」という気持ちになってきています。釣りによく行く友人に最近どんな魚が釣れたかを聞いてみたり、近所の魚屋に並んでいる魚の産地を観察してみたり…。そんな些細な行動が、やがて地方や国レベルでの大きな変化につながっていくかもしれません。糸谷さんたちが取り組む兵庫運河PJは、小さな一歩が大きな海を変えていくことを教えてくれました。
(撮影:HARRY)
(編集:村崎恭子、増村江利子)