12/19開催!「WEBメディアと編集、その先にある仕事。」

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リジェネラティブのヒントは、私たちの心の中に。屋久島の自然と共生するゲストハウス「aperuy」田中俊三さん・阿弓さんが“手が届く範囲の暮らし”を通じて伝えたいこと

「そのニワトリを殺せますか?」

深くてまっすぐな目で唐突に問いかけられ、思わず言葉に詰まってしまいました。両手でつかまえたニワトリは思っていたよりも軽く、やわらかくてあたたかい。

問いかけたのは、屋久島で家族とともに自然と共生する暮らしを実践する田中俊三(たなか・しゅんぞう)さん。

「できないと思います…」そう答えると、「そうですよね、だから昔はそんなに食べられていなかったんじゃないかな」と俊三さんは言いました。

開け放たれた扉が印象的なaperuyの宿泊棟。人だけでなく、猫や虫や風が自由に通り抜け、家の中と外がゆるやかにつながるような空間になっている

俊三さんと阿弓さんが営むゲストハウス「aperuy(アペルイ)」は屋久島の南東側、安房と呼ばれる地域にあり、宿とガイドと暮らしをミックスさせた旅のコーディネートをしています。自然と調和した暮らしの実践の場をもとめて、2008年に屋久島へ移住した二人の暮らしは、お米や野菜はもちろん、自分たちで使う薪や塩なども自給しています。

自然ガイドと小さな畑からはじまり、少しずつ関わる人や範囲を広げ、現在は量り売りのお店や宿泊、研修生の受け入れなども行いながら、水と緑が豊かな屋久島を訪れる人たちに“自然を破壊しない”暮らし方を伝えています。

自然環境のために「自ら行動すること」を大切にしてきた俊三さんと阿弓さん。自然と関わり合いながら、サステナブルな暮らしを実践してきた二人に、屋久島での暮らし方や、大切にしていること、これまでの実践を通して感じていることなどをお聞きしました。

手を動かし、自分でつくる。できるだけエネルギーを使わないaperuyの暮らし

(画像提供:aperuy)

aperuyのある約3,000坪の土地は、畑として使われた後40年間ほど放置されていた場所です。

人が入れないくらい草や木がびっしりと生えていたその場所を開拓し、田んぼも畑も家も、すべて一からつくったのだといいます。

植物が鬱蒼と茂る土地を目の前にしたときに、どんなことを考えながら手を入れていくのだろう?

俊三さんたちは、人と自然がともに豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法「パーマカルチャー」の考え方をもとに、畑や田んぼの位置を決めていったといいます。

俊三さん 畜産と建築と農業を有機的にミックスさせて、人間がいかにエネルギーを使わずに永続的な暮らしをするか、それをデザインするのがパーマカルチャーだと思っています。


 

俊三さん たとえば田んぼは水の管理が必要ですが、田植えも収穫も年に一度だし、普段はそこまで手をかけません。つまり自分たちが毎日行かないものは、近くに置く必要がないということです。でも薬味とかハーブとかは料理するたびに収穫したいから、手前にあった方がいい。だからよく食べる野菜、ネギとか大葉とか、そういうものは近くに配置しています。

畑で育てている野菜はあたらしく植えるものもあれば、何もせずに「育って」くるものも。最初は人の手で植えるけれど、種がこぼれて、今度は野菜が自分で育つ場所を選んでいるようです。種がこぼれて自然と育つ野菜が増えれば、種まきの労力も少なくて済みます。

「勝手に出てきた」という里芋。畑を案内してもらっているときに、畝ではないところにニラや紫蘇、里芋がたくさん育っているのを見かけた

庭には食べられる実をつける木も。バナナやパイナップル、タンカンやグアバ。他にも、琵琶、柚子、スモモ、イチジクに似た小さな実をつけるイヌビワも。もともと野生で生えていたものもあれば、植えたものもあり、そこらじゅうにフルーツが実っている様子に「楽園ってこんな感じだろうか」と想像した

「いかにエネルギーを使わないか」。それはつまり、自分たちの手の届く範囲で暮らしを営むということ。手の届く範囲を超えると機械に頼るようになり、石油などのエネルギー源を使いすぎてしまうことにつながる。環境問題の根底には、「面倒くさい」「楽をしたい」という人間の感情があるのではないかと俊三さんは言います。

俊三さん イタリアの食材でパスタを食べたいと思ったら、どこかのお店に行けばつくってもらえますよね。でもそれを自分で一からつくろうとすると、イタリアまで行ってパスタを買ってきて、また戻ってきて… と、めちゃくちゃコストがかかります。

いまはお金で「やりたい」を実現する社会になっているから、誰かが石油を使ってそれを運んでくるわけですが、「全部自分でつくる」というマインドセットで捉えると、そんな手間のかかることを誰もやろうとは思わないはずなんです。

手を使うか、機械を使うか。それによって環境への負荷は変わってきます。俊三さんたちは、機械を全く使わないということではなく、できるだけ機械を使わずに済むように暮らし方を設計しているのだそう。

たとえば、ガスを利用しないaperuyでは料理をする際は薪を燃料にしていますが、お風呂のお湯は、屋根に設置された太陽熱温水器と薪の力を合わせて沸かしています。

屋根に設置された太陽熱温水器。タンクに入った200Lの水を銅芯の入った真空管で温めている

機械に頼りはじめると際限がなくなってしまうため、「使わないと決めることも大事」と俊三さん。地元の大工さんと一緒に建てたというaperuyの家も、当初から「エアコンを使わない」と決めていたそうです。

屋久島の杉や石の他、湿気を吸ってくれるように壁には漆喰が使われている。現代の日本の建築の多くは新建材が使われているが、建設廃棄物はリサイクルや再利用が難しく、解体時には大量のごみを生み出してしまう。「せめて一家族分だけでもごみを減らしていきたい」と、やがて分解されて腐葉土になる木材をはじめ、自然に還る素材を選択したそう

俊三さん とにかく風通しがいいこと、それがポイントなんですよ。普通は虫が入ってこないように網戸を閉めるけど、ここでは開けています。網戸を閉めちゃうと大きな風が入ってこなくなるんです。

今回滞在した2階のゲストルーム。屋根裏は空気が通らず、熱がこもってしまうのでつくっていない。また、屋根は二重になっており、家の中が熱くなりにくい

俊三さん 窓の位置にも理由があって、北側に大きな窓があると涼しい風が入ってきます。あたたかい空気は上に逃げていくから、家の一番高いところに窓があるとそこから空気が逃げて、空気が引っ張られることでまた涼しい風が北側から入ってくるんです。

俊三さんたちが家を建てる際に参考にした『エアコンのいらない家』(エクスナレッジ)という本の中には、東京でエアコンのない暮らしをしている人も紹介されていた

驚いたのは、網戸のない開けっぱなしの窓なのに蚊に刺されなかったこと。俊三さんによると、網戸があることで入ってきた蚊を閉じ込めることになるのだとか。家の中で蚊が飛んでいるのは見かけましたが、夜中に蚊の羽音で目覚めることもありませんでした。湿度が高いと夜中でも蚊が出ることがあるそうですが、そんなときは窓を開け放って山の涼しい風を取り込むことを優先させ、蚊帳を張って対処しているそうです。

環境に配慮しながらも、快適さを犠牲にせず暮らすにはどうしたらいいのか。まずは「使わない」と決めてみることで必要な情報に出会えたり、工夫が生まれることもありそうです。

aperuyでは調味料やスパイス、ドライフルーツなどの量り売りを行っている。容器を持参することでプラスチック包装などのごみ削減につながる

暮らし方を「伝えていく」。その舞台としての屋久島

俊三さんと阿弓さんが出会ったのは大学時代。俊三さんはインドのラダック、阿弓さんはアフリカのケニアやマダガスカルへ行ったことがきっかけで、共通の願いを持つようになりました。

東京生まれ東京育ちの俊三さんは、水を汚し、自然に負荷をかける都市での暮らしに違和感を抱いていたといいます。大学時代には自然破壊を食い止める方法を研究テーマにし、卒業論文制作のために訪れたインドのラダックで印象的な光景に出会います。

俊三さん 子どもたちが、枠に泥を入れて外して、また泥を入れてっていう作業をやっていたんです。何をしてるんだろうと思ったら、「これで家をつくるんだ」って。日干しレンガをつくっているところだったんですね。彼らは乾いたレンガを積み上げて家をつくる。そして家が壊れると、また乾いた土に戻っていく。それがめちゃくちゃかっこいいなって思えたんですよね。

俊三さんがラダックで見た家づくりの様子(画像提供:aperuy)

一方の阿弓さんは、広島県の自然豊かな場所で生まれ育ちました。実家は土建業を営んでおり、自然を切り崩してダムや橋をつくることに対して、自然が好きな阿弓さんは気持ちの折り合いがつかなかったといいます。

阿弓さん 戦争も搾取も環境破壊も、背景には先進国の存在がありますよね。そこに加担したくなくて、「もうこんな国に住んでいたくない!」という思いからアフリカへ旅に出ました。でもいざ日本を出てみると、日本は食べものも美味しいし水も豊富にあるし、なんて豊かな場所なんだろうって。

私が訪れたケニアやマダガスカルでは、森林が少なく、干魃のときには飲み水もないので水を汲みに行っていました。でも川にも水がないから、土を掘ってどうにか水をとるんです。

その暮らしをしてみると、命の危機を感じることなく日々生きていけることは、なんてハッピーな国なんだろうって思ったんですよね。

アフリカへの旅をきっかけに日本の豊かさを再発見した阿弓さんは、同時に、子どもたちの表情の違いにも気づきました。

阿弓さん アフリカで出会った子どもたちは、本当に無邪気に夢を語るんですよ。「お医者さんになって病気の友達を治したい」とか、「学校の先生になりたい」とか。お金がないから教育を受けていないし、実際に叶えるのは難しいはずなのに……。

それでも「なりたい」という希望は常に持っていて、キラキラした目でそれを伝えてくれるんです。でも日本の子どもたちって、中学生くらいになると輝いた顔で夢を語らなくなりますよね。豊かな場所にいながら、どうして日本の子どもたちは元気がないんだろうって。

「何とかしないとって思っちゃったんですよね」と、阿弓さんは続けます。

阿弓さん アフリカの子どもたちに申し訳ないなと思ったんです。「そんな豊かな場所にいるのに、どうして君たちは夢を語らないの?」と、彼らが知ったら言うんじゃないかなって。だからこそ、私自身はやりたいと思うことをとにかくやるだけ。そして自分が子どもを育てるなら、いつまでも「これがやりたい」と言える人になってほしいなと思っています。

自然環境や他の国から搾取せず、自然と寄り添うように暮らしたい。そしてその暮らし方を日本で伝えていきたい。二人が思い描く暮らしの実践の場として、たどりついたのが屋久島でした。

「蓋をしたいもの」を循環の中に入れるということ

二人が暮らしの中で大事にしていること、それは植物と動物と人が循環しながら、自然への負荷を最小限に抑えること。

畑の隅にはニワトリ小屋があり、「コッコッコ」という鳴き声に自然と足が小屋の方へと向きました。ニワトリは生ごみを食べ、鶏糞は畑の栄養になります。そして産んでくれた卵は、また食卓にのぼります。

鶏小屋へ近づくと、外に出してくれると思ったのか、ニワトリたちが近づいてきます。俊三さんが小屋の扉を開けると、ニワトリたちが元気よく飛び出してきて、地面の草をついばみ始めました。一羽ずつつかまえて小屋に戻しているときに、俊三さんから冒頭のように問いかけられたのです。

俊三さん 昔はお盆や正月だけだったのに、いまは毎日のように鶏肉を食べていますよね。それは自分の手を汚さずに済むだけでなく、「生きものを殺す」という残酷な場面に立ち会わずして鶏肉が容易に手に入ってしまう。そんなシステムが日本にはできあがってしまっているからだと思うんです。実際に自分の手で殺して鶏を食べてみると、とても申し訳なくて毎日は食べられなくなります。それに毎日食べていたら、あっという間に鶏がいなくなって、卵も鶏糞も持続的に手に入らなくなっちゃう(笑)。

菜食中心のaperuyには国籍を問わず毎年さまざまな人が訪れる。お肉がどうしても食べたい人には「この鶏を殺して食べてもいいよ」と伝えるが、いまだに殺すことを決意した人は現れていないそうだ(画像提供:aperuy)

日本で消費される鶏肉のうち9割以上は、ブロイラーという、生産効率を最大化するために育てられた品種だといわれています。過密な飼育環境や抗生物質の過使用が問題視されることもありますが、その飼育環境は「好きなだけ食べたい」という人の欲求から生まれているのかもしれません。都会の暮らし方には「見えない」部分がたくさんありますが、その奥には生命があることを、俊三さんはニワトリとのふれあいを通して伝えようとしています。

少し緊張しながら鶏を抱き上げたが、つついたり暴れたりすることもなく、とてもおとなしかった

俊三さん 人はどうしても、残酷なことや汚いことに対しては蓋を閉じたくなります。でも、大事なのはそこだと思うんです。蓋をしたいものを、いかに循環の輪の中に入れるか。それがaperuyの暮らしです。どうしても鶏肉や魚を食べたい人がいたら、自らの手で殺して食べてみる。すると、それがどう循環していくのか、体験した人は痛いほどわかるんです。

もう一つの閉じておきたい蓋、それがトイレです。畑の横には、浄化槽のついたトイレがあります。

普通の水洗トイレのようですが、トイレの横の地中には2つのタンクが埋められており、EM菌(自然界にいる有用な微生物の集合体)の力で排泄物を分解しているのだそうです。

1つ目のタンクにはEM菌が入っており、水とともにトイレから流れてきた排泄物はタンクの中でEM菌によって分解される。そして分解された上澄の部分がこの2つ目のタンクに溜まる

俊三さん 都会に暮らしていると、自分の体の中に取り入れるものはめちゃくちゃ気にするんですけど、自分が日々体から外に出しているものには全くと言っていいほど無関心です。でも結局、それが見えないところで自然を汚染しているんですよね。
世界中の水は変えられないけど、自分が使う水だけは完全に浄化して自然に返したい。そしてまた使わせてもらいたい、ということで僕らはこのシステムにしています。

「これが分解されたものなんですけど、匂わないですよね」と俊三さん。真水ではないけれど、ある程度まで分解されているのだとか

分解されたあとの水は、畑に撒いたり、植物に吸収させたり。aperuyではそれを、「植物に最後の分解をしてもらっている」と捉えているといいます。

俊三さん この濁った水を、どうやってお金をかけずに誰にでもできるシステムで飲める水にするか。それは植物に協力してもらわないとできないと思ってるんです。植物は日中は根から栄養分を含んだ水分を吸い上げて、葉や茎や実を大きくさせています。そして栄養が取り除かれた真水に近い水分を、「蒸散」という作用で葉っぱから水蒸気として大気に放出している。目には見えてないけれど、飲める水にまで植物たちが浄化してくれているということです。

タンクの横に生えている大きなバナナ。取材時にはまだ実っていなかったが、ここのバナナが「一番うまい」そうだ(画像提供:aperuy)

撒くのが大変なときは、タンクから溢れさせて、横に生えているバナナに吸収させるそう。「2〜3本植えただけ」というaperuyのバナナは、何も手間をかけずとも大きく成長しています。

俊三さん すごくないですか?みんなが汚物として認識しているものが、システムを組むだけでめちゃくちゃおいしいフルーツに化けてくれるんですよ。

俊三さんが言っていたように、私たちは見たくないものにはどうしても蓋をしたくなってしまいます。でも「蓋をしたいもの」も、循環の中に入れることで役割が生まれるのです。すると、それはもう「汚いもの」や「見たくないもの」ではなくなるのかもしれません。

「信じて見守る」。好奇心を伸ばし、やり抜く力をはぐくむ子育て

また、aperuyの暮らしでは、薪割りは子どもたちの役割です。手斧(ておの)を持たせるのは危ないのでは…という心配も湧いてきますが、そういった小さなチャレンジと成功体験が子どもの「やりたい」を伸ばし、自分の進みたい方向へ自らの足で歩んでいける力をつけると考えているそうです。

アフリカでの経験から、日本の教育のあり方に疑問を持っていた阿弓さん。子どものやる気や好奇心を削がずに伸ばしてあげられるような環境をつくりたいと、次男の晴くんが1歳のときに、自然体験活動を軸にした保育を行う「森のようちえん」を始めました。コロナ禍で休業したそうですが、森のようちえんでも自宅でも、子どもと関わるときに大切にしていたのは、「チャレンジしたい気持ちを大人が止めないこと」でした。

阿弓さん たとえば年齢が近くても、木登りができる子とできない子がいます。できなくても本人がやりたいと思うなら、大人が待っていれば、子どもは自分でなんとかするんです。でもそこで大人が木に乗せてあげてしまうと、その子は登り方を学ぶチャンスを逃してしまいます。そうすると降り方も分からないから、下を見て急に怖くなって泣き出したり、焦って足を滑らせたりしてしまう。そういうことがケガにつながってしまうんだと思います。

だから、何かあったときにサポートする姿勢ではいますが、できるだけ見守るようにしています。その日にできなくても、次の日にまた挑戦するかもしれないし、次の日にやりたいと思わなければそれはそれでいい。その子が自分のタイミングで挑戦して、できたっていう感覚や、できなかったっていう悔しさを味わう。それぞれのペースで、ちっちゃくても一歩を踏み出していることをずっと見守っていた感じですね。

子どもたちの小さな身体の中に、こんなに立派な木に登ることができる力がある(画像提供:aperuy)

自分で挑戦するから、自分で工夫できるようになる。阿弓さんの信じて見守る姿勢は徹底しています。

阿弓さん 心配でつい手を出してしまうのは、失敗する方を先にイメージしちゃうってことなんだと思います。この子(長女:月乃ちゃん)は1歳のときから包丁を使ってるんです。子ども用の包丁を渡しても、「同じやつがいい」というので大人用のを持たせるんですが、普通は持たせませんよね。

でも、そのときに「やりたい」という好奇心が湧き出てきているのなら、それがその子にとってのチャレンジするタイミングだと私は思っているんです。

最近はバレーボールに熱中しているという月乃ちゃん(画像提供:aperuy)

失敗することも含めて、長い目で見て信じている。aperuyに滞在する間、阿弓さんと俊三さんが子どもたちに「ダメ」といっているところは一度も見なかったと思います。

「ダメ」と言わない子育ては、子どもの挑戦に付き合う分、根気がいる。けれど、子どもたちと関わる阿弓さんの表情は柔らかく、肩の力が抜けているように見えた(画像提供:aperuy)

「やりたい」という思いを行動に結びつけ、継続させる力をつけること。俊三さんは「それが持続可能な(サステナブルな)社会をつくっていくことにもつながると思う」と言います。

俊三さん 自然が壊れないことや戦争がなくなることって、みんなが望んでいますよね。SDGsでも17の目標が定められていて、理想の社会はもう共有されている。でもそこに向かって動き続けることができないのは、教育も大きく影響しているんじゃないかと思うんです。

「そんなのうまくいかない」とか「お金はどうするの?」とか、いろんなことを言われると、行動に移す前にリスクを考える癖がついちゃう。

一人でもいいから、常に信じて応援してくれる存在がいれば、チャレンジすることも怖くなくなるんじゃないかな。

信じて応援してもらった経験のある人は、他の誰かに対して同じようにポジティブな声をかけられるようになる。「やりたい」と思うことを信じて行動してきた二人だからこそ、人に対しても信じて見守る姿勢があるのだと思います。

阿弓さん手づくりの夕食をいただきながらの取材。畑で収穫された野菜の他、魚や豆腐など屋久島の食材がふんだんに使われており、素材の味が力強く、しみじみと美味しい

「一人が完璧」よりも「みんながちょっとずつ」

2008年に屋久島に移住してきて16年、これまでたくさんの人を受け入れ、共同生活を通してaperuyでの暮らし方を伝えてきました。でも、「この暮らしをすれば、だいぶ世の中は変わりますよ」と勧めても、実践する人は決して多くなかったそうです。

俊三さん 本心では、トイレはコンポストが一番いいと思ってるんです。でも以前カナダから来た高校生が、「こんなトイレは使えない」と言って帰ってしまいました。薪の料理は美味しいと喜んでくれてたんですが。

彼女には、とても感謝しています。あんまりストイックになると都会の人はついてこれなくなってしまうんだなって。だから電気も入れて、みんなが無理なく暮らせるような状態にしているんです。

こちらが「使えない」と言われてしまったコンポストトイレの座面を外したもの。使用後は多くの微生物が存在している落ち葉をかけて分解を促進させる(画像提供:aperuy)

俊三さん もし僕らが頑張りぬいて、一生涯かけて自然環境によくないことを「10」減らせたとしても、「あの夫婦はすごかったね。でもあんな暮らしはしたくないよね」で終わっちゃうのが関の山かなって。だから自分たちが少し手を止めてでも、ここの暮らしの心地よさを体感してもらって、それぞれの生活に戻ったときに、自分にできることを「1」だけでも減らしてみようと思ってもらえたらいいなと思っています。もし年間でaperuyに100人来るとしたらたった1年で「100」減らせるので、地球規模でみたらそっちの方が断然いいじゃないですか。

実際に、俊三さんと阿弓さんが家族で暮らす家はソーラーパネルを設置して電力を自給自足していますが、屋久島の日照時間では冷蔵庫が安定的に供給できないため、aperuyには屋久島町の電気を引いているのだそう。島内の電力の99%以上は水力発電でまかなわれているため、再生可能エネルギーとはいわれるものの、「島の大動脈である安房川に血栓をつくるようなダムをベストだとは思っていない」と俊三さんは言います。

俊三さん 再生不可能な資源を原料とする原子力や火力よりはベターだとは思うのですが、最近では河川の流れを止めない小型水力発電の技術が進化してきているそうです。集落ごとに川がある屋久島だからこそ、将来的には川の流れを止めない分散型の電力供給が実現できたら素敵ですよね。

都会育ちで、家もお米もつくったことがなかった僕でもここまでできました。だからこれくらいの暮らしなら、土と情熱さえあれば誰でもできると思っています。社会が自分の思い通りの方向になかなか進まなくても、自分の暮らしだけは今この瞬間からでも変えることができる。それが、aperuyが日本の社会に対して示せる希望かなって。

ここで学んでやり始める人が何人かは出てきて、それがまた自分たちのやる気にもなっていて。少しずつですが、でも確実にこんな暮らしを大切にできる仲間が増えてきているので、この輪をさらに広げていくことに注力していきたいです。

家や畑を案内してもらう間、俊三さんにたくさん問いかけられました。

「トイレを流したらどこへいくか知ってますか?」
「焼却所へ行ったごみは何を使って燃やしてると思いますか?」
「畑に虫が大量発生したら、自分ならどうしますか?」

ここを訪れた人に「1」減らせるくらいの心の変化を与えたい。そう願うからこそ、俊三さんは都会での暮らしとaperuyでの暮らしを比べながら、たくさん問いかけているのだろうと思いました。

自分の中の「自然」を信じて生きる

ちなみに、「aperuy」には、アイヌ語で「火が灯る」という意味があります。この場所を訪れた人がワクワクとした気持ちになったり、「自分にもできるかも」と思ってもらえるように。心に火を灯せるような場所になることを願ってその名前をつけたそうです。

心の火が勢いよく燃えていると、その人の表情はイキイキとしたものになる。でも、本来は誰もが生まれながらに持っている心の火も、「心が思っていることをできていない」ときには、くすぶってしまう。

俊三さんと阿弓さんも、かつては周りから反対や心配の声をかけられたそうですが、その頃も今も、心の火は勢いよく燃えているようです。二人のように心の火を灯し続けるには、どうしたらいいのでしょうか。

阿弓さん たくさん心配されたけど、どれだけ言われても最終的にその人生を歩くのは自分なので、周りの人の言葉は気にする必要がないかなって。自分たちが「やりたい」と思うことを信じてやるだけなんです。

俊三さん 「今、何をすべきなんだろう?」と、自分の心に訊ねたときにやってくる想い。僕たちはそれを直感と呼んでいますが、それが唯一無二の生物としての、自分が最も信頼できる指針だと思います。

自然がまだ健全な状態で残っている屋久島では、田畑の作業をしていると、不思議と僕も自然の一部として機能している実感が持てます。7000年以上続くこの島の森をつくりあげているあらゆる生きものたちとは、言語では意思疎通を図ることができません。でも実は、五感と心では潜在的に対話をしていて、生態系にとってすべきことを僕らも無意識的に理解しているんじゃないかな。

僕は高校を途中でドロップアウトしてますが、社会のルールに乗らなくても直感だけでここまで生きてこれました。心に湧いた大切なこと、やりたいことをずっと継続していたら、すべてが仕事になっていきました。最近では高校生の修学旅行を受け入れたり、ゼミの合宿の一環として、大学生がこの暮らしを学びに来たりするような動きも出ています。世の中が必要とし始めたということですよね。

環境再生医(※)としての側面もある俊三さんは、自然を再生させながらサステナブルな暮らしを追求する日々の中で、ある一つの答えにたどり着いたそうです。それは、「土と水と空気が健全であれば、自然は勝手にリジェネラティブになっていく(再生していく)」というものでした。

俊三さん 自然の再生能力を弱めてしまっているのは、残念ながら僕ら人間です。だから行政に任せっきりになるのではなく、僕ら一人ひとりが土と水と空気を汚さない暮らしを模索しながら日々の営みを創造していくことこそ、リジェネラティブな社会を生み出す一番の近道だと思っています。

「都会の公園の水が飲めるほど清らかな水になったらいいのに」
「会社へ向かう道の街路樹がフルーツの木だったら、毎日仕事に行くのが楽しみになりそう」

これまでに、そういった多くの素敵なアイデアを都会に暮らす方たちから聞きました。みなさんの心から湧き出てくる直感は、都会のアスファルトに埋もれてしまった大地の声そのものだと思っています。

人の意見を聞くのではなく、みんなが直感を信じて心のままにやりたいことをやれば、世の中は勝手によい方向になっていくと思います。そうして人びとの意識が変わっていき、自然の再生能力を損なわないことを大前提に、あらゆる分野のテクノロジーを進化させていったなら…。僕たちは屋久島で暮らしを創造しながら、そんな未来の地球に出会えることを夢見ています。

※環境再生医…認定NPO法人 自然環境復元協会が制定した資格制度。環境の修復や保全に関する専門知識を持ち、森林の保全や水質改善、土壌の回復など、自然環境を再生や改善させるための計画を立てたり、現場での指導を行う。特に、環境にダメージを受けた場所を自然に戻すための専門的なアプローチが求められる。

私たち一人ひとりの心の中には、リジェネラティブな暮らし方や生き方を願う火種がある。そう考えると、少し勇気や安心感が湧いてきませんか?

「こっちの水は甘いぞ」と俊三さんは言っていました。「こっち」とは、水と空気がおいしい暮らしであり、土に支えられた循環する暮らし方であり、心の声にしたがう生き方なのだと思います。

どの土地で生きたいのか、どんな暮らし方をしたいのか、すべては自分の心が知っているのだとしたら…。小さな声が聞こえるけれど自信が持てないという方は、aperuyを訪ねてみてはいかがでしょうか。迎えてくれるお二人はきっと、「いいじゃん!やってみたら?」と、背中を押してくれるはずです。

(撮影:鳥越 万紀雄)
(編集:村崎恭子、増村江利子)