目の前に広がる青い海。明石海峡大橋の向こう岸は、淡路島。
思わず「きれいだなぁ!」と、波の音に逆らうように感嘆の声を出してしまいます。
「本当はもうちょっと緑色の方が“豊かな海”なんです」と教えてくれたのは、兵庫県漁業協同組合連合会(以下、兵庫県漁連)の樋口和宏(ひぐち・かずひろ)さん。実は今、瀬戸内海、とりわけ兵庫県の海では漁獲量が著しく減り続けており、多くの漁師さんの頭を悩ませています。そしてその原因は、この海の青さにあるというのです。
漁業のまち・兵庫県明石市に住む私は、「豊かな海」という言葉や、陸の栄養分を海に流すための数々の取り組みが行われていることを市の広報物などでたびたび目にします。でも、毎日見ている海の中が具体的にどうなっているのか、取り組みが行われていても毎年「今年も不漁」のニュースが流れるのはどうしてなのか、よくわかっていないのが本当のところ。
今回、ご縁あって友人から樋口さんを紹介いただくことになり、自転車に飛び乗り約10分、明石海峡大橋を望む海辺に建つ兵庫県水産会館まで、お話を伺いに行きました。
兵庫県漁業協同組合連合会(※)指導部豊かな海づくり担当課長。三重県鈴鹿市出身で小さい頃から潮干狩りや釣りを楽しむ。近畿大学農学部水産学科卒。大学院時代は和歌山県串本で「近大マグロ」等の種苗生産技術を学ぶ。兵庫県漁連に入会後は水産加工に携わったのち、現在の部署に所属。漁業者の森づくり活動はじめ各種補助事業を担当。2013年から2年間は東京の全国漁業協同組合連合会に出向し、豊かな海を取り戻す活動に携わり始め、瀬戸内海環境保全特別措置法の改正に向けた漁政活動や「プライドフィッシュ」プロジェクトの立上げ等に関わる。その後兵庫県漁連へ戻り、2022年に新設された「豊かな海づくり担当」の課長に就任。
(※)漁業協同組合連合会とは、漁業者が所属する各地の漁業協同組合(漁協)をバックアップし、漁協とともに漁業者の営漁活動を支える協同組合
きれいになりすぎた海
瀬戸内海は、日本最大の閉鎖性海域。日本地図を思い浮かべるとわかりやすいですが、陸地にはさまれた狭い海です。水深50メートル以下の浅い海が広がり、多くの島があるために潮流が複雑であること、晴天が多く、数多の河川から陸地の栄養豊富な水が流れ込んでくるために植物プランクトンが発生しやすいことなどが、日本の他の海と比べた時の大きな特徴です。
この地域の人びとは古くから、多種多様な生物が生きるこの海の恵みを大いに受けてきました。1950年頃までは、瀬戸内海の海岸一円に砂浜が広がっていたそうです。
そんな海の状況が変わってきたのは1960年代、いわゆる高度経済成長期です。人口の急増と工業化が進み、沿岸部は埋め立てられ、生活排水や工場排水が未処理のままたくさん海に流れ出るようになり、水質汚染が深刻化していきました。熊本の水俣病や富山のイタイイタイ病など、工場から出たメチル水銀やカドミウムがそのまま海に流れ出たことによって引き起こされた公害病が日本の社会問題になったのもこの頃です。
樋口さん 瀬戸内海では、汚水の垂れ流しに加えて、し尿処理も大きな問題だったと聞いています。人口が増え続ける中で下水処理施設が整っておらず、回収した糞尿をそのまま大阪湾や播磨灘(兵庫県南西部南側の海域)のど真ん中に船で持っていって直接ドボンと流していたんですよ。今でこそ糞尿は有機物がいっぱいだから栄養の源なんですけど、当時はその栄養分が多すぎる「富栄養」の状態。殺菌もしないので、海中に大腸菌が多くなって海水浴ができなかったり、プランクトンが大量発生して赤潮が発生し、魚類養殖を中心に大きな被害が出たりしていました。
このような公害問題を契機に、政府には環境庁が新設され、公害対策として廃棄物処理や工場排水・下水処理施設の普及などが進められていきました。それらは功を奏し、水質は大きく改善。茶色く濁っていた海がしだいに緑色になり、さらには現在、潮流の速い明石海峡周辺や淡路島沿岸では透き通るほど青い海に変わっていったのです。
樋口さん 赤潮の発生頻度から察するに、2000年頃には瀬戸内海の水質は十分改善していたと考えられます。ただ、2001年に排水規制がさらに強化され、海にとって大事な栄養分である窒素やリンが“汚濁物質”に指定されたため、今は海中の植物プランクトンが健全に育つために必要な栄養までなくなってしまった「貧栄養」の海が広がっている状態です。
実は、海苔の色づきにも海の栄養状態が表れます。海苔は海水中の栄養分を吸収して黒く育ちますが、栄養が足りないと黄色く不健全な生育になってしまいます。農業でも栄養不足で葉っぱが黄色っぽくなる現象を「黄化症」といいますが、同じ原理ですね。
海の栄養は陸から流れ込む
兵庫県の瀬戸内海側で漁獲量の低下や海苔の色づきに異変が起き始めたのは、まさに2000年をすぎた頃から。それまで当たり前のように獲れていた魚が年々獲れなくなってきた、海苔が黒く育たない、という漁業者の声が多く聞こえてくるようになったのです。
樋口さん 漁獲量低下の背景には、いろんな要因が絡み合っています。地球温暖化による海水温上昇もその一つとされており、瀬戸内海では越冬のため南下していたタイなどの魚が冬の間もとどまって小さな生物や養殖海苔を食べてしまったり、そもそも低水温を好むイカナゴなどの魚は生息自体が難しくなってしまったり。貧栄養状態の海に追い討ちをかけるように温暖化の波が押し寄せ、海の生物をますます生きにくくさせています。
海水温上昇の問題は徐々に浸透してきていますが、海の貧栄養についてはまだまだ知られていないように感じます。そもそも、海の栄養とは一体どういうものなのでしょうか。樋口さんは、海の生態系ピラミッドの図を見ながら教えてくれました。
樋口さん 海の生物生産の一番基礎になる生き物は、植物プランクトンですね。陸でいう草みたいなものです。植物プランクトンから順に、それを食べる動物プランクトンや二枚貝、プランクトンを食べる小さい魚、大きい魚…と、食物連鎖で生態系がつながっているので、植物プランクトンが減少するとその上の生物も減ってしまいます。
植物プランクトンは植物と同じく光合成で増えるので、光と二酸化炭素を吸収し、酸素を出して増えていきます。その時、海水に溶けている無機態の窒素やリンなどの栄養塩も吸収しますが、これが重要です。今の瀬戸内海は広く栄養塩が不足しているので、植物プランクトンや海藻が置かれている状況は、陸上の土に栄養がないために植物が育たないのと同じことですね。
海の生態系の土台として不可欠な栄養塩は、雨水や動物の糞尿、土壌などに多く含まれており、陸地からは川や地下水などをつたって海に流れ込みます。かつては森川里海が上手く循環し、それぞれの生物が環境に適応して生きていたのが、人口増加や工業化に伴って汚水が流入したり、沿岸部の埋め立てが進んだりしたことで、海水中も沿岸も環境が激変。さらに海の有機汚濁を抑えようと排水規制が強化されたことで、今では海の生物が健全に育つために必要な栄養までも十分に届かなくなり、陸と海の循環がスムーズにいかなくなってしまったのです。
続いて樋口さんが見せてくれたのは、各府県が公表する全窒素負荷量(陸から海に流れ込む窒素の量・t/日)と、海水中の全窒素濃度(濃度・mg/L)(※)からつくられた資料です。
(※)海水中の全窒素濃度:有機態窒素と無機態窒素を足した濃度。有機態窒素とは、植物プランクトンや微生物、その残骸など有機物に含まれる窒素。無機態窒素とはアンモニア態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素を合わせた窒素で、一般的な植物が吸収できる窒素。
公害対策が進み水質が程よく改善された1999年度と、さらに窒素・リンの排水規制が進んだ2019年度を比較すると、兵庫県では陸から流れ込む窒素の量が半分近く減っています。同じように、1999年度には全窒素濃度0.3〜0.4 mg/Lの海域が広がっていたのが、2019年度にはほぼ全域が0.2 mg/Lを下回る状態に。この10年の間に貧栄養状態に陥ったことがよくわかります。
「わずか0.1〜0.2mg/Lの差ですが、海の生物に対してはものすごく大きい影響を及ぼしている」と樋口さん。公害を抑えながらも海に生物が湧き、漁獲量も保たれていた、2000年頃の海の環境を目指していきたいと話します。
樋口さん 海の栄養は多すぎもよくないですが、少なくとも全窒素濃度0.2 mg/L(※)を超える濃度の海を取り戻そう、というのが目標です。そのためには全窒素負荷量、すなわち陸から海に入る窒素の量を増やしていかないといけない。現在兵庫県では漁師が中心となり、農業を参考にした海底耕耘や海底への施肥、行政と連携して排水中の栄養塩を増やす要望活動など、「豊かな海づくり」と銘打ってさまざまな取り組みを行なっています。
(※)全窒素濃度0.2 mg/L以下の海は、植物が吸収できる無機態窒素がほとんど含まれておらず、生物生産性の低い海であることから、2019年に兵庫県条例「環境の保全と創造に関する条例」の水質目標値(下限値)として設定されている。
豊かな海を取り戻すために、陸で動き始めた漁師たち
実は今、日本沿岸の海のほとんどにおいて、貧栄養化や温暖化による水温上昇などの影響で海の生態系がバランスを崩しており、各地の漁師たちは、藻場の再生や魚礁の設置、漁網の目の拡大、海岸清掃など、改善のためにさまざまな活動を展開しています。
そんな中、兵庫県瀬戸内海の漁師たちが海の生態系の土台となる栄養塩を重視し、陸地から海に栄養を流す活動に注力するのは、なぜでしょう。
樋口さん 広い海に面しているところでは、栄養塩の濃度を回復させることは漁業者の手に負えないように感じます。でも、狭くて閉鎖的な海なら、人間が手を入れることでなんとかなる気がしています。
瀬戸内海は閉鎖性海域だから、陸地からの影響が出やすいはず……。その仮説をもとに、現在兵庫県では、貧栄養状態から脱し、生物多様性・生産性が高い海=「豊かな海」を取り戻すことを目標に掲げ、漁師によるいくつもの取り組みが行われています。具体的にはどのようなアプローチがあるのでしょうか。
着目したいのは、漁師が海ではなく、陸にはたらきかける取り組みです。そのうちの一つが「かいぼり」と呼ばれる、ため池(※)の水を抜き、底に溜まった泥を掻き出す作業です。
(※)ため池は、雨の少ない地域で農業用の水を確保するために、特に江戸時代に多くつくられていた。河川や水路の上流側から集めた水を蓄え、必要になると下流側の田んぼへ流せるようになっている。山間部から平野部までさまざまな場所にみられ、現在は住宅街の中にあることも多い。
兵庫県内のため池は日本一多く、その数は2万を超えます。かつては農家の手によって定期的にかいぼりが行われ、泥を含む池の水が、川の栄養分に加わって海に注ぎ込んでいました。近年は農家の減少・高齢化とともにため池の維持・管理が滞り、地域の課題になっています。そこで、海の貧栄養化に悩む漁業者が農家にはたらきかけ、共にかいぼりを行うことで、海の再生とため池の管理を同時にかなえる取り組みにつながっています。
樋口さん 昔は農業が基幹産業だったから、作物を育てるために水が必要で、ため池がしっかりメンテナンスされていたと思います。一方、昔の漁業者にとって魚は当たり前に獲れるもので、海の栄養なんて意識していなかったのではないでしょうか。むしろ「かいぼりをすると、流れてきた枯れ枝などが網やカゴに絡まるからやめてほしい」と話す漁師もいたとか。海苔の色落ちをきっかけに漁師が海の栄養に目を向けるようになり、2008年に明石市から海を隔ててすぐ南、淡路島の森漁協が農家と連携し、かいぼりを始めました。
ため池の泥って黒いから汚く感じるかもしれませんが、たくさん栄養が入っています。それが河川を通じて海に流れるので、かいぼりの慣習が復活することは、海への栄養供給の面で有効だと思います。今は海苔のシーズンである冬場に、主に淡路島や明石の漁業者が定期的にやっています。
もう一つの代表的な陸地での取り組みが「漁業者の森づくり」。漁師たちが森に入り、除伐や間伐の作業を行います。森を豊かにすることは、海の生態系にも影響を及ぼすのです。
樋口さん 海にとって、森林は大切な存在です。森林が豊かであれば、雨が降った時にしっかり保水してくれて、海の濁りを抑えながら、晴れた後にも土中の無機化した栄養と一緒に海に流れ出るので、沿岸の植物プランクトンや海藻の成長をより盛んにしてくれます。また、森があることで栄養豊富な腐葉土が増えますし、沿岸には陸上の植物の葉っぱを食べる巻貝など海の生物もいます。
農業のやり方を参考にした、施肥や海底耕耘
「漁業は、農業から学ぶところがたくさんあると実感している」と樋口さん。
なんと、兵庫の海では陸地の農業を参考にした取り組みも行われているといいます。
まず、2004年に淡路島の森地区で始まったのは、海底を畑のように耕す海底耕耘です。手を動かすのはもちろん漁師たち。海底には栄養塩の多い泥場があるので、漁船で鉄の桁を引っ張り、海底を耕すことでそれらを巻き上げ、海中に栄養を行き渡らせるのです。
そして、2020年には淡路島の育波浦地区で、藻場を増やすために沿岸の海底に有機肥料を直接投入する施肥が始まり、取り組みが広がっています。
海藻を増やすために、アマモが生えている場所や海藻の母藻や種をつけた藻場礁を設置した場所の周辺へ、あるいはゴカイやナマコなどの底生生物を増やすために、栄養の少ない砂地へ…というように、むやみに肥料を撒くのではなく、目的と場所をしっかり定めて行うのがポイント。海底にスッと沈みやすい粒状の肥料を使い、漁船を走らせながら目的地の上で偏りのないように投入しています。
やって終わりではなく、大切なのはその後の状況を観察すること。樋口さんは、施肥後の海底の様子を水中ドローンで撮影した映像を見せてくれました。昨年7月に設置した藻場礁の周辺に10月頃から定期的に施肥をしたところ、3月には海藻が繁茂し、ナマコが何匹も寄ってきているのがわかります。ところどころに落ちているモンブラン状のものは、ゴカイの糞。海中を見ると、このように変化を実感しやすいと樋口さんは語ります。
樋口さん 磯や岩が剥き出しになっているような場所には、海中に栄養がなく海藻すら生えないこともあります。でも、こうやって母藻や種を付けた石材を入れ、栄養を補っていけば、ちゃんと海藻が生えてくることを実感しています。アマモ場にも適度に肥料を入れたら、枯れることなく伸びている様子でした。
施肥をすることで、海中の水質として栄養塩濃度が一気に上がるわけではありませんが、肥料を入れた海底付近や、肥料に近い水中の栄養は増えていると感じています。そうして育った海藻や海底の小さな珪藻などの藻類を、ナマコやゴカイなどが食べ、それらを魚が食べるという循環が生まれているはずです。
「今手を打たないともう戻らない」行政との連携が始まる
こうした取り組み一つひとつの効果は、海の栄養状態を一気に好転させるわけではありません。「何十年もかかってこの状態になっているので、戻るとしても同じくらいの時間がかかると思う」と樋口さん。それでも「今手を打たないともう戻らない。より効果的な方法を探しながら、いろいろとやり続けるしかない」と力強く語ります。
そして近年、海の栄養を増やすために最も効果的だと言われ、兵庫県内でも運用が進んでいるのが、下水処理場や工場などから放流する排水をコントロールし、栄養塩濃度を増加させる取り組みです。
2004年ごろ、有明海に面する福岡県大牟田市内の下水処理場で排水内の栄養塩を増加する運用が始まったのをきっかけに、兵庫県でもそのノウハウを参考に、2008年から明石市で試験運用、その後は淡路島、姫路市などの下水処理場で少しずつ運用されるようになりました。しかし、この頃は年間の窒素負荷量を増やすのはご法度。季節ごとに窒素濃度を増減させ、調整する必要がありました。
風向きが大きく変わったのは2021年。「瀬戸内海環境保全特別措置法」(以下、瀬戸法)が改正され、瀬戸内海の特定の海域に対し、排水中の栄養塩を適切に増やして海に流すことができる「栄養塩類管理制度」が創設されたのです。
樋口さん それまでは制度上、陸から海に流れ込む栄養塩類の量は、基本的には削減もしくは現状維持の方向でした。2021年の瀬戸法の改正で、ようやく栄養塩類の“供給”が認められるようになりました。ただ、栄養塩はありすぎてもなさすぎても良くないので、場所によって適切にきめ細かい管理をしていこうと、舵が切られました。
こうして現在、兵庫県が2022年10月に出した全国初となる「兵庫県栄養塩類管理計画」のもと、海に面する県下28の下水処理場と5つの工場で、排水基準の範囲内で窒素を高めて海に流す取り組みを進めています。もちろん、水質や海の変化については、しっかりモニタリングをしながら。とはいえ、シミュレーション結果では、海域全体の全窒素濃度が上がるほどの効果は、まだ期待できないそう。
樋口さん 全体の水質で見るとこういう結果かもしれないですが、実際に海を見ていけば、例えば海苔の色づきがよくなったとか、海藻がたくさん生え出したとか、生き物が増えてきたとか、そういう変化が起きてくると思います。そこはきちんと、現場の海を見ていかないといけないですね。
もしかしたら悪い影響が出るかもしれないし、「生き物が減った」となるのは一番避けたい。もしそうなれば、どこに問題があるのか、別の視点で検証していく必要があります。豊かな海のため、海の生物を増やすための栄養塩類管理なので、本末転倒になってはいけません。
一部の海では、すでにこの取り組みの効果が見られているといいます。一級河川・加古川の下流にある兵庫県加古川下流浄化センターでは、管理計画ができて比較的早い段階から、排水中の窒素を1日あたり約1トン増やせるようになり、その結果、河口付近の海で養殖する海苔の色づきがよくなったり、ワカメがたくさん生えるようになったりと、嬉しい報告が届いているそうです。
こうした排水中の栄養塩の調整にいち早く動いているのは、「兵庫県ならでは」と樋口さん。取り組みが進んでいる理由は、行政内の連携にあると言います。
樋口さん 他の府県の漁業者や関係者と話していても、同じ問題は起きているんですね。なぜ兵庫でこの取り組みがいち早く進んだかというと、行政とのつながりに尽きます。
うちの県は恵まれていて、各地の漁業関係者が地元議員や県市町の担当者と日頃からよく意見交換をしているので声が届きやすく、行政の中で課題意識が浸透しているようです。県庁内部でも水産部局と環境部局、土木、下水道など、全然違う部局同士の意思疎通がはかれているためにうまく連携が取れて、スムーズに動けるのだと思います。
行政って部局ごとに方向性が違うので、水産部局としては海の貧栄養化に問題意識があっても、環境部局や下水道の担当からは「それは水産の話だ」「うちは法律を守って水をきれいにしようと窒素やリンの削減に努めているのに何がダメなのか」など、部局間の障壁があって前に進まないということは、ままある話だと思います。
2023年、兵庫県が海苔の生産量日本一になるという明るいニュースが舞い込みましたが、栄養塩類管理の取り組みが功を奏し、わかりやすい変化が生まれれば、他の府県へも広まっていくかもしれません。
見えないから、海は難しい
この日、取材に同席したメンバーのうち、奇しくも3人の実家が農家。畑の栄養が海に流れ出る、という話に目から鱗だったり、「畑と海って別のものじゃないんだと知った」「実家の親に伝えたい」という感想がこぼれたり。それぞれ、気づきを得る機会にもなりました。
樋口さん 農業は植物の日々の生長が目に見えるから、そのぶん技術が発展してきたと思うんです。でも、海の中ってとにかく見えないんですよね。今、目の前の海にどんな魚がどれだけいるかって、漁師であっても肌感覚でしか答えられない。そこが海の難しさかなと思います。でも、豊かな土壌づくりが作物や生態系を育てる、という原理は陸も海も一緒ではないでしょうか。
帰り際、明石市出身のフォトグラファーが「実家の畑が塩害に遭っている」と相談をしたら、すぐさま地図で場所を確認し、「この川の上流にダムができ、水量が減ったのではないか」「下水処理場からの流入が少なくなったのかもしれない」と、流域を見ながらいろんな可能性を示してくれた樋口さん。流域の上流で起きることが下流、そして海に影響を及ぼすということを意識するだけで、物事の捉え方が大きく変わるのだなと痛感しました。
陸と海。地図にくっきりと境界線があるからか、私たちは別のものとして捉えがちです。でも実際は、陸上での行動が水をつたって海へ流れ出し、じわじわと生態系に反映されていくのです。公害の歴史や現代の海ごみ問題など、悪しき例ばかりが目立っていましたが、樋口さんのお話を聞いて、毎日の暮らしの中で、陸から海へポジティブにはたらきかけることもできるのだと、希望をもらうことができました。
コンポストや畑を始めてみたり、近くの森や川、池、水路の手入れに参加してみたり。意外と身近で、簡単に始められることが、豊かな海につながるのです。また、「ひとうみ.jp」では、海の生態系を取り戻すための全国の漁業者の活動を検索することができます。お住まいの地域の取り組みに協力してみてはどうでしょう。
「この栄養は、どこの海を豊かにするのかな」とイメージしながら取り組むと、食卓に並べるお魚の選び方も変わってきそうです。いつの日か、自分で育てた野菜を美味しく感じるように、 “自分が育てた海”の恵みを美味しく感じることが当たり前になったら、素敵だと思いませんか。
(撮影:藤田温)
(編集:増村江利子)