ゼロからまちをつくっていく。
今回、取材で福島県双葉町を訪れて、その言葉の意味を初めて少しだけ体感したような気がしました。
2011年の原発事故に伴う避難指示が2022年に一部で解除され、ようやく駅周辺などの中心地で住民が暮らせるようになった双葉町。2024年現在は、避難先から帰還した人や移住者など合わせて130人ほどが暮らしています。
双葉町を車で走っていくと、見えてくるのは民家と思しき建物などが並ぶ街並み。「意外とまちの風景が残っているんだ」と思ったのも束の間、よく目を凝らしてみると、建物の窓から雑草やツタが生えていたり、倒れたままの棚が放置されていたり……人が住んでいる気配のない建物が、そこかしこに取り残されたままでした。
10年以上住民のいない状態が続いた双葉町では、そこで暮らしていくための学校や病院、スーパーなどの整備のほか、住む場所の確保も課題になっています。そこで公営住宅としてつくられたのが、今回足を運んだ「えきにし住宅」です。
えきにし住宅には2022年10月から順次入居が始まり、少しずつ住民が増えています。そんなえきにし住宅に住む方々は、一度住民がゼロになった土地で日常をどのようにつくり、土地に根付いていた文化をどう共有しているのでしょうか。
えきにし住宅で芽生えはじめているのは、これから先も続いていく日常を築くための、“生き方のわかちあい”でした。
双葉駅の西にできた、新たな暮らしの場
福島県の浜通り(福島県東部の海沿いの地域)に位置する双葉駅。その西側に、2022年10月、「えきにし住宅」がオープンしました。敷地には、長屋や戸建てからなる全86戸が並び、2024年8月現在、63世帯が暮らしています。
もともと双葉町に住んでいた方であっても、一度住民票を町外へ移した人は移住者として計上されてしまうため正確ではないそうですが、えきにし住宅に住む帰還者と移住者の割合は、おおよそ半々だそうです。
大きな窓がついた土間も特徴的なえきにし住宅。家の外と内の狭間のような土間の空間は、訪れるお客さんを気軽にもてなしたり、手仕事にいそしんだり、趣味の自転車を飾ったり、創作のアトリエとして活用したりなど、さまざまな生活スタイルに合わせた使い方をされることを想定して設けられたそうです。
また、建物脇のちょっと一息つけるベンチや、天候に左右されずにワークショップやマルシェなどを開ける「軒下パティオ」、集会所といった場が敷地内に設けられているなど、住民同士が自然と挨拶を交わしたり、ちょっとした行事ごとを開いたりといった交流が生まれやすいように意図した設計もなされています。
えきにし住宅で徐々につくられる、毎日の暮らし
まずは、えきにし住宅での暮らしについて、双葉町出身の帰還者である石川さん、山崎さん、村井さんと、北海道から移住したという古田さんに、お話をお聞きしました。
家同士の玄関が通り道を挟んで向かい合わせになっていたり、家の脇に座って一息つけるベンチが配置されていたり、玄関が大きな窓のついた土間になっていたりと、住民の方がお互いの気配をなんとなく感じられる仕掛けが、あちこちにちりばめられているえきにし住宅。
実際、住民のみなさんは、どのように暮らしているのでしょうか。
石川さん 今はえきにし住宅のあるこの土地が、もともと私の家があった場所。ここから見える山の景色は、ずっと見ていた風景でした。
山崎さん 双葉町生まれ、双葉町育ちで、2022年の11月くらいに避難先から引っ越してきました。私も隣の家の方も車を使う生活なので、駐車場ごしに顔を合わせてよくお話することもあります。
古田さん 北海道生まれ北海道育ちで、公務員をやっていまして、定年退官して双葉町に来ました。今は、バス会社で働いています。
家族は北海道にいて、ここには私が単身で住んでいるのですが、家の前にプールを出して、ブランコやハンモックをウッドデッキの上に置いて、土間に人工芝を敷いて、自転車とかをディスプレイして…… 「男の隠れ家」みたいな世界を実現できているので、最高です(笑)
集会所や軒下パティオなど、アイデア次第でいろいろな活用ができそうな空間が備えられているえきにし住宅。実際に現在は、集会所を活用して毎週木曜日の午前中にカフェイベントが開かれたり、年末に集まっておせちなどの正月料理をみんなでつくったりしているそう。また、軒下パティオを活用して、夏祭りや餅つき大会などのイベントが開催されるほか、毎朝7時からラジオ体操を行ったりもしているそうです。
山崎さん ラジオ体操がラジオで流れている6時半ではちょっと早いので、私たちは7時にしようって話して、毎朝7時に集まってラジオ体操をしています(笑)
村井さん 私は集会所を使って、手芸部の活動を毎週しています。もともと月に2、3回来て、双葉町を応援してくれていた方が、去年、ちりめんの生地を提供してくださったんです。
双葉町ではだるま市が有名ですが、いただいたちりめん生地でだるま用の座布団をつくってだるま市で販売したら、とても好評で! あっという間に売り切れてしまったので、今年もつくろうと、仲間を募っています。去年よりもちょっと大きい座布団も販売したいなというのが、今の目標なんです。
今は裁縫好きな住民の方が4名ほど集まっているという手芸部。だるまの座布団だけでなく、それぞれがつくりたいものを持ち寄ったり、集会所に飾っている吊るし雛をつくったりもしているそうです。「みんながやりたいことを持ちよって、これからさらに活動が広がっていくといいですね」と村井さんは話します。
山崎さん どの活動も、基本的には口伝えでお誘いをしていますが、誰かが声をかければ、普通に「じゃあやりましょう」となって。裁縫でもなんでも、活動がはじまれば、興味がある人は出てくるんです。
双葉町ではだるま市のほか、もともと地域ごとに特色があるほど盆踊りも盛んでした。町民の多くが避難した先のいわき市でも開催され続けていたくらい、大切にされていたのです。
双葉駅での盆踊り大会も、2023年からようやく再開。えきにし住宅では、みんなで集まって盆踊りの練習をして参加しているのだそうです。
自分がやってみたいことに仲間と挑戦したり、ご近所さんと季節ごとの行事を味わったりと、日常を編みなおしているような印象のえきにし住宅での暮らし。
えきにし住宅に住んでいる方々は、双葉町出身の方も多いとはいえ、震災前はそれぞれ異なる地域に住んでいた方もいるため、必ずしもお互いに顔見知りというわけではありません。でも、顔を合わせたときにちょっと挨拶したり、季節の行事ごとを共にしたりするなかでご近所さんとの関係性が少しずつ育まれ、それぞれの身近な「やってみたい」をかたちにしていく暮らしが、徐々につくられているようでした。
生き方をわかちあう「なりわい暮らし」
双葉町への移住者が新たに暮らしをつくっていくのはもちろん、双葉町に戻ってきた人たちにとっても、震災当時は子どもだった人たちが成人するほど長い、10年以上という年月が経過しています。帰還者も移住と同じように、ゼロからこの土地での暮らしをつくっていく必要があったはずです。
だからこそえきにし住宅は、“未来をつくっていく場”になることを大切に設計したと、えきにし住宅の設計者であるブルースタジオのクリエイティブディレクター、大島芳彦(おおしま・よしひこ)さんは言います。
帰還者の方のなかには、いずれはもともと暮らしていた地域へ戻りたいと考えている人たちもいるそう。ですが、高齢になってからひとりで知り合いが誰もいない地域に戻るのは大変なことです。
その点、一度えきにし住宅に住めば、新しい出会いがあり、ひとりで地域に戻る以外の方法が見出せるかもしれないし、一緒に移住する人を見つけられるかもしれない。「将来的には、そういう話も出てくるといい」と、大島さんは言います。
大島さん 帰還者の方たちも、もともとはそれぞれ違う地域の出身。いずれは慣れ親しんだ地域に戻りたい方もいるでしょう。
だからこそ、「一旦えきにし住宅に住んで交流を育んでから、もう一度自分たちの地域に戻っていきましょう」という、2段階での移住ができるように意識しました。
そうした交流が生まれるためにも、住民同士がお互いの存在を知り合うことが欠かせません。だからこそ、通常の災害公営住宅のような被災者のための住宅とは違う仕掛けが、えきにし住宅には施されているのです。
なかでも、えきにし住宅で特徴的なのは、「なりわい暮らし」という考え方。「なりわい」と聞くと、商売と結びつけてイメージするかもしれませんが、ここでいう「なりわい」とは、個々の人間性であったり、“生き方”みたいなものなのだとか。
大島さん 村井さんの手芸や、山崎さんのラジオ体操のように、それぞれの好きなことや得意なことなどを遠慮なく表現して、仲間を1人でも2人でも増やしていこうというのが、「なりわい暮らし」という考え方です。
そのなりわい暮らしを後押しするのが、境界線を引かない「中間領域」という空間です。たとえば各住居に備えられている土間は、家の内と外の境界線を曖昧にしています。さらに、広場や遊歩道のような共有スペースは、住民同士はもちろん、外の社会とえきにし住宅の境界線も曖昧にします。
そうした空間で、やがてはそれぞれの個性をいかした展示やお披露目が行われたり、地域の住民の方も交ざりあって公園のように過ごしたり、マルシェが開かれたりすることで、えきにし住宅がさらに生き方をわかちあう場になっていけば、と大島さんは考えているそうです。
双葉町は、住民が一度ゼロになった土地。そのため、今双葉町に戻ってきている人たちや移住者の方たちは、「自分たちが双葉町をなんとかしなきゃいけない」という当事者意識を持っている方が多いのだとか。
だからこそ、それぞれの「なにかしたい」という思いを育んだり、かたちにするような仕掛けが重要です。ゆえに、えきにし住宅が大事にする「なりわい暮らし」には、ともに未来をつくる礎として住民同士の交流を生み、個人のやりたいことを後押しできるように、という想いが織り込まれています。
大島さん 「地方にはまちづくりのプレーヤーがいない」と言う方もいますが、そこに住んでいる人たちにこそ、隠れたポテンシャルがあるということが見えていないだけだと思います。
双葉町のように、まだ人がいない土地では商売が成り立たないから、プロは来ない。だけど、思いを持った人たちが集まるから、その人たちの生き方みたいなものを小さくてもシェアできるようにしていくと、その中からビジネスの種が生まれる可能性がある。そのきっかけを組みこんでいこうというのが、えきにし住宅の設計で大事にしたことです。
ひとりの住人の方の「やりたい」という思いをきっかけにはじまった手芸部のように、だんだん活動することが楽しくなって上達し、「もっと地域らしい要素を取り入れられないか」と考えはじめたり、つくったものを小さく売り出しはじめたり。そうした個々の活動に眠っている芽を育む仕掛けが欠かせないと、大島さんは続けます。
大島さん 自分が表現したことに対して、いいね! と反応してくれる人がいるとか、仲間が見つかるとか。そういったことによって、「もっとやってもいいかな」と思ったり、「あの人とだったらできる」という関係を見つけてもらったりすることが、すごく大事だと思っています。
周りの地域と役割分担をしていく
今までのまちづくりでは、自分たちの町を隣の町と比べて、「あっちにあるものをこっちにも欲しい」というないものねだりをしながら、それぞれが潰し合ってしまったという事例が多くあったと大島さんは言います。
だからこそ、福島県の沿岸部の復興を考えるとき、「他の地域との役割分担」が必要。では、沿岸部のなかで、えきにし住宅の役割とはなんなのか。それは「暮らしの場」です。
大島さん えきにし住宅では、住んでいる人たちが人間らしく暮らせる場所であることが重要です。生活をみんなで共有できる場であり、興味があることを少し商売にしてみる、くらいのことまではやれるぐらいの環境が、ここにはちょうどいいのではないでしょうか。
2022年10月から入居が始まったえきにし住宅。約2年で、「住み方が上手な人」も出てきているようです。
大島さん 自分なりの工夫を凝らして楽しんでいる古田さんのような人が、他のみんなに場のうまい使い方を伝えていってくれるはず。だからこそ、これからえきにし住宅では、いろんな新しいことが生まれていくのではと感じています。
でも、大掛かりなイベントごとや、やる気のある人だけがやっているような活動になると続かなくなってしまうので、あんまり一気に盛り上がらなくていい。活動がはじまるきっかけだけは、僕らのような設計側がつくっておいて、住民の方が自発的に「これをやったら楽しいんじゃない?」と思いついたことが、少しずつ実現するようになっていくといいですね。
2022年に避難指示が一部解除され、住民が戻りつつある双葉町。空き地が目立つ駅前や、雑草が生えた空き家、建物の中で散乱したままの家具なども目に入りますが、そこでは確実に、生活が根付きはじめ、何かしらの行動を起こそうとしている人たちが増えています。
えきにし住宅の取材中、たまたま出会った移住者の方は、「これから確実に人口が増えていくだろう双葉町はとても面白く、まだ何も揃っていないからこそ、自分が担える役割もたくさんあるのではないか」と楽しげに語ってくれました。
そういう未来を見ている方たちが集いつつある双葉町だからこそ、1年後には、さらに進化した景色が広がっているのではないかという想像が広がります。
(編集・撮影:山中散歩)
– INFORMATION –
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まち商いスクール in 福島県双葉町
「まち商いスクール in 福島県双葉町」は、参加者それぞれが“わたしをいかした小さな商い”をオンライン講義とフィールドワークを通して学び、最後にはまちのマルシェで小さく実践してみる4ヶ月間のプログラムです。
たとえば、まちのリビングとなるようなゲストハウス。
たとえば、大好きなコーヒーを片手にくつろげる古本屋。
たとえば、地域のマルシェや軒先で出店するドーナツ屋。
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(申込期限:9月22日(日)23:59)