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生きている森のように変わり続けたい。和歌山県橋本市のフリースクール「つくるがっこう イホルラ舎」では、子どもも大人も“同じ一票”で対話を重ねる

「だれですかー?」
「朝の会で言ってた人かな?」
外玄関の格子戸の向こう側にいる私たちの気配に気づいて、いくつもの明るい声が先に出迎えてくれました。

こちらから挨拶する前に声をかけてくれるって、嬉しいなあ。そう思いながら戸を開けると、庭に置かれた大きなトランポリンで飛び回る子どもたちの姿が。汗を流しながら高く跳ねたり、座って揺られたり、休憩しに室内に戻ったり。室内の様子はというと、絵具で絵を描いたり、木工用の端材をつかって工作をしたり、ブロックのおもちゃで遊んだりと、みんな思い思いのときを過ごしています。

玄関に置かれたすのこは、庭のトランポリンまで裸足で行けるように敷かれています

つくるがっこう イホルラ舎」は、和歌山県の北部・橋本市高野口町のフリースクールです。近年、通信教育やホームスクールなど、学びの選択肢が広がる中、フリースクールは、一般的に不登校の子どもに対して学習活動、教育相談、体験活動などの活動を行う民間施設のことを指します。平成27年度に文部科学省が実施した調査では、全国で474団体・施設が確認されており、学校以外の子どもたちの居場所になっています。

イホルラ舎には、現在は小学生から中学生まで合計18名の子どもたちが通っています。運営するのは造形教室「booka(ぶーか)」の講師としても活動する柴田政治(しばた・まさはる)さん香織(かおり)さんご夫婦。みんなは2人のことを、先生ではなく「ぶぅちゃん」「カオリン」と呼んでいます。

ここでの活動指針は3つ。「自分のことは自分で決める」「みんなのことはみんなで決める」「実際に体験する」。困ったことや揉めごとは、その都度話し合って考えていきます。一人ひとりの主体性と、対話・多様性の担保を大切にしているイホルラ舎での日々は、どんな風に営まれているのでしょう。これまでのことや、これからのことを、じっくりと伺いました。

柴田政治(しばた・まさはる)/ぶぅちゃん〈写真左〉
木工作家。慶應義塾大学総合政策部卒業。株式会社富士総合研究所(現:みずほ総合研究所)勤務後、美術大学、高等職業訓練校を経て作家活動開始。高等専修学校美術非常勤講師。
柴田香織(しばた・かおり)/カオリン〈写真右〉
美術家、アートナビゲーター。子ども工作・自然教室講師、知的障がい児デイケアセンター勤務を経験。武蔵野美術大学を経て作家活動開始。高等専修学校美術非常勤講師、県立中学・高校デートDV講師、森のようちえんアートナビゲーター。

ふらっと行ける場所があればいいのに

イホルラ舎がある高野口町は、北は大阪府、東は奈良県へそれぞれ電車で30分ほどのところに位置します。高野山への参詣口として賑わい、旅館や飲食店が立ち並んでいたこのまちは、高度成長期には織物業が発展し、かつては日本全国のパイル織物の約80%を生産していたこともあります。

神奈川県で住んでいた柴田さん夫婦が、香織さんの祖父母が暮らすこの地に引っ越してきたのは2006年のこと。夫婦ともに地元の高等専修学校で美術非常勤講師として授業をしたり、各地でワークショップをしたりする中で、かねてから抱いていた「子どもの主体性を大切にした造形教室をしたい」という思いがますます募り、自宅母屋の離れにアトリエを構え「造形教室booka」をはじめます。

政治さん 高等専修学校の授業は生徒と相談しながら内容を決めるんです。主体的な学びって面白いなあと感じて、造形教室にも取り入れたいと思いました。教室では、つくりたいものを一緒に考えながらつくっていくんですが、何もつくらず過ごすのもOKにしていました。

香織さん 私は高校生の頃に不登校だったんですが、肩書きがないってなんと生きにくいのだろうと感じていて。あの頃は本当に居場所がなくて、気軽にふらっと行ける場所があればいいのにと思っていました。だから造形教室では、子どもたちが気軽に来てその時にしたいことができたらと考えていたんです。

放課後の習い事なので、子どもたちは宿題をしたり、近くの溝にザリガニを捕まえに行きたいって言ったり。でも、親御さんが何をしておいてほしいかも分かっていて、終了15分前に急いで作品をつくったりする。そんな様子を見て、もう少し自由に過ごせる学童みたいな形にしていこうか、と2人で話していました。

造形教室は予め内容が決まっている方が準備は楽ですが、子どもたちの「したい」気持ちを大切に。本格的な木工もできます(画像提供:イホルラ舎)

そんな折、小学5年生だった娘さんから「学校に行きたくない」という相談を受けます。入学前に家族でホームスクールやフリースクールなどの学びの場について調べていたこともあり、新たな選択肢として知り合いが運営する大阪のフリースクール「デモクラティックスクール」に通うことに。

政治さん ホームスクールも試して、不登校になって2週間くらいでフリースクールに通い始めました。初めて行ったとき「これ、僕たちにもつくれるんじゃないかな」と思ったんです。でも、僕たち夫婦は、意見が食い違うことが多くて。僕は慎重で、本当にできるかって考える。

香織さん 私はわくわくしたら、やろう! って言う。そのときは、ぶぅちゃんまでやろうと言ったから、驚きました。それに、授業や造形教室は週1回の薄いつながりだったので、もう少しじっくり子どもたちと関わりたい気持ちもあったんです。

政治さん そうそう。自分たちがやりたいことをするためにこの手があったか、という発見でしたね。

ちょうどその頃、新型コロナウイルスの影響で、娘さんは電車でフリースクールに通うのも難しくなっていました。娘さんの「みんなが意見を言えて、みんなが納得できる学校をつくりたい」という声も後押しになり、空き家になっていた香織さんの祖父の家を拠点に、フリースクールづくりを始めます。

当初は運営団体や計画をしっかりつくってからスタートしたい思いもありましたが、コロナ禍と周囲の待ち望む声が重なり、わずか半年間で準備を進め、2020年6月、造形教室のフリースクール部門として、娘さんを含む3名の子どもたちを迎えてスタート。その後、運営委員会を発足し、翌年には任意団体「つくるがっこう イホルラ舎」を設立しました。

自分で声にして、動いてみる

いま、イホルラ舎には小学2年生から中学3年生までの18名が在籍しています。当初は不登校の子が来ると想定していましたが、オープンしている週3日のうち全日来る子や、週4日学校に行って週1日イホルラ舎に来る子、学校に疲れたら来る子も。いろいろな通い方があります。

至るところに子どもたちの作品が並びます

香織さん たぶん、みんな誰が何年生かもあまり分かってないです。体が大きい子も小さい子もいるし、何年生だから何ができないとだめ、ということもない。小学2年生の子が中学生に漢字を教えていることもあります。それでも馬鹿にされないし、みんなバラバラだと感じる文化が大事だと思っています。

「自分で決める」ことを大切にしているイホルラ舎では、時間割はなく、1日の過ごし方は朝の会で相談して自分で決めます。

朝の会でその日にすることをボードに書いて、ゆるやかに決めます。「みんな瞬発的なので、見通し程度ですが」とのこと

毎月の予定も相談して決めており、そのときに使うのが「ワクワクPOST」。子どもたちは、それぞれ行きたいところ・したいことを用紙に書いて入れます。取材に伺った日は、ちょうど次月の予定を決める日。「市民プールに行きたい」という発案に対して、子どもたちが行き方やスタッフの人数をまとめて、日程を決めていました。

月1回、次月の予定を決めるときに開けるワクワクPOST

政治さん 相談には乗りますが、基本的にここは大人がお世話をするところじゃないってことは徹底しています。ただ希望を書いてPOSTに入れただけでは叶えられないんです。

香織さん 一緒に考えようかって声かけはしますが、あくまで主導権は発案者の子にあります。

だんだん増えていった手づくりのロッカー。背が低い子も上の方を使いたくなるそう

何かをつくりたくなったら、すぐに手に取れる道具や材料が並びます

今年から子どもたちの多様性を担保するために、ボランティアスタッフを募集しました。そうすることで、例えば、近所の公園まで行きたい子と室内遊びをしたい子で意見が分かれたときも、両者の意見を尊重できるようになりました。ただ、そうやってイホルラ舎の環境を整えているのは大人だけではないようです。子どもたち自身も声を出し、過ごしやすい環境づくりのために行動します。

政治さん フリースクールでは結構あることですが、一部の子から、周りの子の過ごし方が「うるさい」という意見はよく出るんです。我慢するのもストレスになるし、ルールをつくっても仕方ないところがあって。

香織さん それで聴覚過敏の子が、自分はどう言う風に聞こえていて、何がしんどいかをみんなに伝えて、「聴覚過敏クラブ」をつくったんです。いまは離れのスペースをクラブの子たちが使う部屋にするために動いています。

子どもたちで取り組む新たな居場所づくり(画像提供:イホルラ舎)

新しい部屋をつくるのも自分たちで。なんでも知ったつもりにならずに、手を動かし、体験することを大切にしています。

政治さん 大人が先導して「みんなで一緒に何かつくろう」と言ってもあまり反応がないですが、例えばイベントで「商売をしてもいい」となると、みんな商い魂に火がつくんです。

香織さん そうそう。だからマルシェには積極的に参加しています。聴覚過敏クラブの子は、クラブで使う物を買うために手づくりアクセサリーを販売しています。おやつづくりが好きな子は、クッキーを焼いて売っています。売れなくて困っている子には、どうしたら売れるのか一緒に考えてみよう、と相談相手になったりしています。

書くこと、声にすること、やってみること。ここでは、自分の内側にあるものを表現し、体感する機会がたくさんあります。子どもを子ども扱いせず、大人に決定権があるわけではないと感じることで、自分が声に出して動けば変わることを、子どもたちは自らの腑に落としているように感じます。

部屋の掲示板には、お知らせやミーティングで決まったことが貼られます。いま、クラブ活動は、ダンス部、音楽を聴きながらおやつをつくるミュージックスイーツ部、イホルラ発信部、チャーハン部などがあります

ルールは自分たちでカスタマイズできる

日々の気になること・困ったことはミーティングで話し合います。「食事中に立ち歩いて食べる人がいる」「ゲームをするのはどうなの」「人にお金をあげるのはいいのか」など、湧いてくる疑問や違和感に対して、子どもも大人も同じ一票をもって話します。

ミーティングは予定して開かれることもあれば、突然開催されることも。参加は自由、決まったことは1カ月間試して、改めたければまたミーティングを開きます。年齢も性格も様々な子どもたちの中には、今でこそ「何を言っても大丈夫」という雰囲気がありますが、最初からこのような空気ではなかったそうです。

香織さん 「自分のことは自分で決める」、「みんなのことは話し合って決める」を大事にしていたはずなのに、肝心の私たち自身が、みんなで伸びやかに意見を言い合い、合意をとる体験をしてきていなかったんです。こちらが当たり前と思っていることは社会通念的なことで、子どもたちに「なぜ」と聞かれると説明できないこともあります。例えば、「普通は、歩きながらご飯を食べるのは行儀が悪い」って言うと、「普通って何?」って話になります。

政治さん 社会通念に従う必要はないですし、一緒に過ごすメンバーが納得できればいい。必ずしも公平じゃなくてもいいですしね。民主主義がわかっていなかったです。決定を子どもたちにどこまで任せていけるか、というところも。そこは、やっていく中で自分たちも変わっていきました。

ミーティングの記録ノートは、書きたい人が担当します。書くのが苦手な子が自分から挑戦してみることもあるそう。「今、はじめて罰則をつくろうという話が出ていて。教育的じゃないという指摘もあったけれど、ここは教育的じゃなくてもいいしって。で、ハチに刺されよう、蛇に噛ませよう、とか平気で言ってくるんです(笑)」。子どもたちが何を言っても馬鹿にされないと思っている雰囲気が伝わってきます

今では、面倒だからと参加しなかった子が毎回参加するようになり、年齢にかかわらず「こうしたい」と思ったことをミーティングで提案する雰囲気が生まれているといます。

筆者の子どもの頃を思い返すと、話し合いの場では、声が大きい人の意見に流れたり、多数決で少数派の意見が汲み取られなかったり、ときに重たい空気が流れていたような気がします。ところがイホルラ舎では、軽やかにルールが提案され、必要に応じて更新されていく。それは、自分たちでルールをつくり、それをひっくり返したり、上書きできるという確かな実感があるからではないでしょうか。

ミーティングの様子(画像提供:イホルラ舎)

政治さん 自分でルールをカスタマイズできるような感覚が身につくと、意見が出るようになります。1カ月やってみて気に入らなければ自分で変えられますし。大人が決めるものと思っていたら意見は出てきません。

香織さん いつもポジティブに建設的な話ができるわけではなくて、言い争う時もあるんです。話がまとまらず1回目、2回目と回を重ねることもあるけれど、それも含めて面白いです。大人も子どもも、失敗していいですしね。言ってみなきゃ分からない、やってみなきゃ分からない。

森のように、変化しつづける場所

「イホルラ舎」は、フリースクールの名前を考えているときにメンバーの一人が「イホルラという響きがふと浮かんだ」と口にした造語。偶然にも万葉言葉の「庵る(いほる)」には「仮宿」と言う意味があり、この名前には「自分たちの居場所・学ぶ場所を作る」という意味を込めています。

「イホルラ」の響きと同じく、「行こら(=行こう)」「しよら(=しよう)」など、語尾に「〜ら」をつけるのは、この地域の方言でもあります

今後は、関わる大人を増やして、互いに学び合える場所にしていきたいそう。イメージは「子どものため」ではなく、大人もやりたいことができる「まちの学校」です。意図せず生まれる出会いは、子どもにも大人にも化学反応を起こし、世界を広げるきっかけになるかもしれません。

香織さん 私はここが森みたいだと思っていて。どこからか種が飛んできて、そこから生え出して大きくなったかと思うと、枯れたり、飛んで行ったり、生き物みたいに変わっていく。どうなるかは決まっていなくて、関わってくれている子どもたち・大人たちも含めて、変化している感じがするんです。

柴田さんたち自身も、イホルラ舎での日々を通じてずいぶん変わったと話します。

きちんと準備して、計画通りに進んでいくのが好きな政治さんは、今では子どもたちが揉めるのを見るのが大好きだと言います。自分では常識に囚われていないと思っていた香織さんは、子どもたちとの対話を通して、自分が大切にしたい価値観の本質を揺さぶられながら、お互いが納得できるところを探しているそう。

政治さん はじめは、子どもは素直だと思っていたのに想定外のことばかりが起き、毎日イライラしていました。それを見て、子どもたちは「ぶぅちゃんイライラしてる〜」って笑っていましたね。でも、しだいに「こちらが思うように動くわけない」って分かってきて。子どもたちの揉め事もどんどん変わっていく、賢くなっていくんです。それを見ているのはすごく面白いです。

香織さん どんなことにも、みんな理由があるんですよね。それを深く聞いていくと、なるほどなぁと腑に落ちます。それに、今までサポートが必要だった子が、新しく入ってきた子をサポートしてくれたりもして。大人の知っている世界の豊さも子どもたちに伝わってほしいし、子どもたちの持っている面白さも大人に伝わったら面白いな、と思います。

私たちはみんなそれぞれのリズムや感覚をもって生まれますが、成長する中で周りと同じであることや、比較すること、我慢することを身につけていきます。それは大切なことですが、その過程で自分が好きなものや、自分にしかない感覚を置いてきぼりにしてしまうことも。

柴田さんたちは「はじまりは不登校支援でしたが、いまは支援しているとは思っていません」とはっきり言います。仲間がいること。好きなことを満足いくまでできること。何もしなくてもいいこと。自分らしく過ごせること。その経験の積み重ねは、自分の中に確かにある「自分への信頼感」を思い出させてくれるようです。

イホルラ舎には、これからどんな種が飛んできて、どんな風に育っていくのでしょう。
子どもも大人もかわり続けるこの場所に、どんな種を持ってあそびにいこう。そんな気持ちが湧いています。

(撮影:佐伯桂子)
(編集:村崎恭子)