いまのgreenz.jpの合言葉、「生きる、を耕す。」ですが、これまでの合言葉もグリーンズメンバーのクレド(行動指針)として携えています。そのふたつが、「ほしい未来は、つくろう」、そして「いかしあうつながりを、つくろう」。
「生きる、を耕す。」ことで、「いかしあうつながり」がもっと豊かになり、結果的に「ほしい未来は、つくろう」がより実現しやすくなる、と考えているのです。
現在、「いかしあうつながり」という合言葉を提唱した前編集長の鈴木菜央は、そのつながりのデザインを「パーマカルチャー」を重ね合わせてサスティナブルな生活を実践し、いかしあうデザインヴィレッジや武蔵野大学サステナビリティ学科の教師としてもそのノウハウのアウトプットとさらなる模索を続けています。
今回は、鈴木菜央の過去のトークイベントから、「いかしあうつながり」を振り返ります。対談相手は、音楽業界のヒットメーカー時代からミニマルライフを実践する作家で、環境保護アンバサダーの四角大輔(よすみ・だいすけ)さん。サスティナブルな森の生活をニュージーランドの湖畔で15年近く営んでいます。そして、会社員生活と森の生活で得た幸福メソッドを、書籍『超ミニマル主義』『超ミニマル・ライフ』の2冊にまとめました。
「ミニマル」がキーワードの四角さんと、「パーマカルチャー」がキーワードの鈴木菜央が、自分たちの体験をもとに持続可能な暮らし方、働き方を考えていきます。二人の掛け合わせで改めて見直した「いかしあうつながり」と、共創できそうな未来のヒントを、みなさんにお届けします。
※本記事は、2022年10月6日に開催されたトークライブイベント、「四角大輔さん × 鈴木菜央 ミニマリズムはサステナブル? 〜新しい働き方とパーマカルチャーについて」の講演内容をもとに、記事化しました。
レコード会社プロデューサー時代に、10回のミリオンヒットを記録した後、ニュージーランドに移住。湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営み、場所・時間・お金に縛られず、組織や制度に依存しない働き方を構築。第一子誕生を受けてミニマルライフをさらに極め、週3日・午前中だけ働く、育児のための超時短ワークスタイルを実践中。ポスト資本主義的な人生をデザインする学校〈LifestyleDesign.Camp〉主宰。
僕らは幸せになるために生きている
鈴木菜央(以下菜央) 実は、四角大輔さんとは会ったことがあるんだけど、ずっと話したいな、すごい人だな、でももう喋れないのかな、と思っていました。
四角大輔さん(以下四角さん) 嬉しい。僕もずっとなおさんと喋りたいなと思ってて、日本に帰るたびに、時々「どっかで会えないかな」って連絡したの覚えてます?
菜央 そうだったね。そうそう、大輔さん、新しい本出したんでしょ?
四角さん 『超ミニマル主義』読んでくれたんですか? 嬉しい、分厚いのに。
左)四角大輔著『超ミニマル主義』。モノ・情報・データを断捨離し、タスクとスケジュールをミニマル化する仕事術本。右)その続編『超ミニマル・ライフ』は、食事・運動・睡眠・ストレス・人間関係・お金にフォーカスした人生術本。
菜央 この本のなかで心に響いたのが、エピローグにあった、「僕らは幸せになるために生きてるんだ」ってメッセージ。本当にそうだなって思って。普通に生きてるとそういうことって全然考えないじゃない。で、愕然としたんだよね。自分の今の日常生活の何割が自分の幸せにつながってるんだろうって。
自分がこれが幸せと思ったことに向かって、自分の日常生活の一つひとつをシンプルに変えていく。そうすると、大輔さんの言葉でいう、「本当に大事なもののために、どうでもいいことを減らしていく」っていうことになる。ただ単にモノを減らすことがいいってことじゃないよ、っていうのがすごくよかった。
四角さん ありがとうございます。コロナ禍の前年の2019年、作家業に専念すべく、僕の唯一の社会との接点であるオンラインサロン(※)だけを残し、他の仕事は全部やめ、収入を半減させてまでして、本当にこれだけ(『超ミニマル主義』と『超ミニマル・ライフ』)ずっと書いていたんですよ。
(※)ポスト資本主義的な人生をデザインする学校「LifestyleDesign.Camp」
菜央 それだけのエネルギーが詰まっているんだね。本当にいい本だった。ということで、最初に「僕らは幸せになるために生きている」ってことを今日は特に掘り下げたくて。
僕はパーマカルチャーを10年弱ぐらい、自分なりに勉強したり実践したりしてきた。 で、パーマカルチャーって、持続可能なライフスタイルをどうデザインするかということなんだけれど、じゃあなぜ持続可能じゃなきゃいけないのって言ったら、やっぱり幸せになるためなんだよね。
幸せとは今の世代だけが幸せで、次の世代がその尻ぬぐいをしなきゃいけないっていうのでなく、ある国の人たちは幸せなんだけど、他の国の人たちはそうじゃないというものでもないと思っている。
四角さん 次世代や社会的弱者を犠牲にしての幸せなんて、嫌ですよね。
菜央 幸せということを考えると、”つながり”とか、”次の世代”とかいうことも含んでいくものだと僕は思う。じゃあ、その幸せをどうやってつくったらいいかっていう時に、パーマカルチャーがすごい役に立つんだよね。
もちろんパーマカルチャーにもいろんな考え方があるんだけど、僕はやっぱり一番最初に自分の幸せって何? っていうことを考えたり、自分の中に入って見つけていくことをいつも繰り返しやるんだよね。
大輔さんもミニマル主義に基づいて、時間や、洋服、部屋の工夫など多岐にわたって実践してきているけれど、大輔さん自身が何を幸せと思ってるのかということと、どうやって大輔さんは自分の幸せをチェックしたり、そこに向かってるかを確認しているのかをぜひ聞いてみたい。
四角さん 人間にとって、幸せって何? と考えることが、生きる上で一番大切だと僕は思っています。
そう考えはじめたルーツは、小学校の低学年なんです。そもそも僕は、生まれた時に死にかけた。母親も危ない状況で、緊急輸血をして。そのせいかは分からないけれど、僕は病弱で幼稚園も半分しか行けず、難病で長期入院したり。なので、社会性をほとんど身に着けないまま小学生になった。
集団生活に不慣れでおどおどするし、身体も気も弱かったので、いじめの恰好のターゲットに。体はしんどいし、学校もすごく嫌で、3年生くらいで早くも人生に絶望してしまい、小学生ながらに「生きるってこんなにしんどいんだ」と思ってたんですよ。
菜央 そうだったんだ。
四角さん 結局、なんとか4年生ぐらいから体調もアトピーも改善しはじめた。体が元気になると心も前向きになり、気も強くなって、そのままガキ大将になっていくんですが(笑)。でも、それまでの苦しかった日々で、ない知恵を絞ってどうにかしたいと思った時に、「生きていて今、何が一番気持ちいいか」を自分に問いかけるようになったんです。
当時、気持ちいい瞬間は、2つあった。1つは、夢中になっていた野球でボールを打つ瞬間。バットの芯でボールを捉えると、ボールはすごい勢いで飛んでいくので圧倒的な快感でした。2つ目は、大好きな釣りで大きな魚がかかり、ガガガッとひく瞬間。水中の魚は見えないのに、手元にとんでもない衝撃がくるのが感動で。
この2つが他の何よりも気持ちよくて。両方とも一瞬のことだけど、その後は何日も、何ヶ月も、思い出すたび余韻にひたれる。こういった感動の瞬間の数が多ければ、日々の大半を占める学校生活がどんなに辛くても、何とか生きていけるんじゃないかな、と。
菜央 なるほど。
四角さん そして、その瞬間をできる「限り多く手にするにはどうすればいいか」ってことを考えはじめた。同時に「嫌だな、しんどいな、面倒だな」ってことを、最小化して心を軽くしたいと考えた。
これが「大事なことを最大化するために、他を最小化する」という、ミニマル思考につながりました。そこから、「今生きてて何が一番気持ちいいか、何が最も感動する瞬間か」って常に考える癖がついたんです。
菜央 ”幸せ”みたいな言葉も使わずして、そんなことを考えていたという。
四角さん そう。こういったルーツが、まさに僕の生き方、つまり働き方と暮らし方すべてに影響を与えてきて、そのまま50代になった。今となっては、「弱かったからこそ」その時に、この幸福論に気づけたんだと思ってます。その頃から自分の「内なる心の声」に真剣に問いかけることが習慣になったので、その後の人生で周りに惑わされなくなった。他人がどう言おうと、世間や流行がどうであれ、体の芯が震えるほどのあの感動は、揺ぎないものですから。
パーマカルチャー2.0では
すべてを“コミュニティ”と掛け合わせて考える
菜央 今、世界に目を向けてみると、いろいろな経済危機の際に、どうやって自分たちが生き抜いていくかを考えさせられるよね。
例えば今、ロシアのウクライナへの侵攻が注目されているよね。化学肥料の生産大国であるウクライナやベラルーシがこの侵攻により打撃を受けることで、化学肥料の輸出が困難になり、今年の冬から世界各地で食料の収穫量が下がり、近いうちに食料の危機が起きるのでは、と言われている。特に途上国はその影響は大きいようで。また、ここのところ冬ごとにエネルギー価格が爆上がりするような時代になってきてるよね。
そういった経済危機、環境の激変と隣り合わせで生きている僕らが、いざ困った状況にたたされた時に、どうやって仲間内でそういうところでも生き抜いていくのか。
例えば雨水を集めるとか、太陽光で発電するとか、家を直して断熱するとか、いろいろなことが必要になってくるとする。それらを仲間内で知恵と力を出し合って解決していこうとするよね。
四角さん そういうことはなかなか一人ではできないですからね。
菜央 あと何か困った時に、いかに仲間内で物をぐるぐる回すことで、助け合っていくとか。
僕の地元の千葉県のいすみ市では、地域通貨「いすみ発の地域通貨 米(まい)」をつくって200家族がfacebookのグループ上ですごい活発にやり取りしてて、6年経ってもありとあらゆるものを交換し合っている。それだけでなく、「ズボンの裾あげできる人いませんか」みたいな相談から、「駅まで連れていってほしい」「子供預かってください」みたいな困りごとまでが飛び交っている。
そんなやりとりをして仲間内でしっかりつながっていると、数年前、台風で千葉県の半分ぐらいが停電した時に、「自分のうちのお風呂を解放するので、誰でも入ってください」とか、「ご飯食べにきていいですよ」とか、「充電できますよ」とか、そう自発的に周囲に言う家族が、このコミュニティにたくさん現れたんだよね。
今だけよければいいとか、 ここだけがよければいいみたいな考えではなく、自分のいるコミュニティでの豊かな関係性やつながりによって、いろいろな問題が解かれていく。まさに僕たちのやっていることって、パーマカルチャーじゃん、って。めっちゃやっててよかったなと思って。
四角さん その感覚わかります。僕も今住んでいるニュージーランドで、同じような経験をしてきました。僕が暮らす湖畔の集落は、小さな町から20キロ離れている山奥で、自然発生的にパーマカルチャー的な人が集まってる。スキル交換、物物交換が日常的に行われて、貨幣制度や商品社会に依存したくないってスピリットがある。
2010年に、この湖畔に移住するときは「異国の地だから誰も頼れない」と、一人でも生き抜く覚悟で海を渡った。移住は15年がかりで実現したんですが、その間に、自然の中を生き抜くサバイバル能力と、組織やお金に依存せず資本主義を生き抜く能力を身につけたのはそのためだった。
自給自足するつもりだったので移住の条件として、自然、それも湖と土しか見ていなかった。まず、湧き水を利用できること。次に、湖のマスが自然産卵できる環境で、貴重なタンパク源となるマスが持続的に釣れること。それと畑ができる土壌であることが条件でした。
菜央 なるほど。
四角さん でも、結局その湖畔のパーマカルチャー的なコミュニティの人たちに、めちゃめちゃ助けられたんです。菜央さんがおっしゃったように、各々が違うスキルを持っていて。畑なんか僕の何倍も得意な人がいて、家やボートを直せる人、いろんなモノを手作りできる人、果樹の達人などがいる。僕が皆の役に立てるのは釣りだけ(笑)。
まさにその湖畔が僕のホームプレイスなんだけど、愛する湖、大自然に帰るというより、あのコミュニティに、あの仲間たちのもとに帰るって感覚のほうが強いんです。
という訳で思ったんですけど、菜央さんの言うパーマカルチャー2.0において、コミュニティって結構重要なんじゃないですか?
菜央 もう、コミュニティと掛け合わせて全部考えるって感じかな。
四角さん やっぱりそうなんですね。
自給できる領域を広げていき、
コミュニティで生き延びる
菜央 たとえば起業も1人で起業するんじゃなくて、コミュニティで起業すると孤独じゃなくなるんだよね。コーポラティブに、お金を出し合ってみんなで働くみたいな。そうすると、最初に考えた人が資本を持ってなくても、 みんなの資本を合わせれば、結構なことができるんだよね。
例えばこの街に映画館がないから、欲しい人がお金を出し合って、みんなの映画館にしようと。別にそれは営利目的じゃなくていいわけじゃん。
グローバル企業って、エンタメも含めて地域の商売を席巻してるわけでしょ。そういうふうにして地域も自分でやっていかないと。
四角さん グローバル化っていいことだと捉えられることが多いけど、実は恐ろしいことですよね。
菜央 つまりコミュニティでエンタメも含めて自給できるようになる。エンタメ自給って、やっぱ自分ひとりじゃできないんだよね。
四角さん ですよね。うちの集落にスティーブっていうギタリストがいて、彼はいつも夜明け前から湖畔の桟橋の上でギターを弾く。野鳥の歌声と一緒に聴こえてくる、その美しい音色にじっと聞き耳をたてる時間が至福で。小さなコミュニティならではの、エンターテイメント自給ですよね。
菜央 えー、なんかいいな。これが豊かさだね、素晴らしいね。
四角さん もうひとつ、コミュニティといって思い出すのが、糸島でシェアハウスを運営して仲間たちと暮らしている畠山千春さん。グリーンズの元メンバーですよね!「自分のスキルを提供できる人限定」というように、コミュニティに貢献できる人しか入居できないルールにしていて、まさにパーマカルチャー的な「いかしあう」ということを実現してますよね。
菜央 実は探せば、日本でもそういうコミュティはいろんな身近なところに存在するんだよね。わざわざパーマカルチャーって言葉をつけてみんな取り組んでいる感じだけど、パーマカルチャーを最初に考えた2人もどこを視察したかというと、アジアの昔から続いてきた農業の現場や山だったし。
四角さん 彼ら、日本の里山にもかなり来てますもんね。
菜央 そうなんだよね。だから里山って聞くと、昔のムラ社会のしきたりみたいな息苦しい関係を思い出して嫌になる人もいっぱいいると思うんだけど、そうじゃなくて、そのつながりとか、いかしあうってところは取り入れて、コミュニティをつくり直すっていうかね。
例えば、そこからいつでも抜けられるし、自分がフィットする他のコミュニティに移動できるみたいな、そういう柔軟さもあっていいと思うんだよね。そういう場所が各地に作られていくと、各々が生きやすいし、いろいろな危機があっても長らえられるというか。つまり自給できる領域を増やしていって、コミュニティで生き延びるっていう感じなのかな。
シェアエコノミーによってミニマリストを極められる
菜央 だからね、ミニマリズムとパーマカルチャーを掛け合わせて、なんか新しいものができるんじゃないかっていう気がしてるんだけど、どうですかね。
四角さん できると思いますね。それを言語化したいなって思いました。
菜央 例えば、これはちょっと俺無理だわ、ということをコミュニティの誰かがやってくれたら、そこは自分的にはミニマルって。コミュニティのミニマリズムみたいなね。
四角さん そうですね、まさに。所有を極限まで減らすミニマルライフって「シェア」が前提だったりしますから。
菜央 それと例えば、大工道具とかも全部自分で持ってる必要ないんだよね。僕はコンクリートドリルを持っているんだけど、自分で使うのって年に1回とかじゃない。だから使いたい人がいたら貸すんだよね。
四角さん 誰かひとりが持ってればいい。
菜央 そう。軽トラも使いたい人がいたらどうぞ、と。そうすると逆に向こうからいろんなものを貸してくれるから、全部買わなくて済むみたいな。
四角さん そうやってシェアすることで個々がミニマルライフを送れる訳ですよね。僕ね、『超ミニマル主義』(と『超ミニマル・ライフ』)を書くときに、世界のミニマリストの動向を調べたんですよ。ミニマリストと呼ばれる人は世界中で、今この瞬間もどんどん増え続けるんですけど、 途上国や貧困国にはいなくて、やっぱりモノが多い日本のような先進国で圧倒的に多いんです。
65ヶ国を旅してきて断言できるのは、世界で一便利でモノが多い日本では、ミニマリストたちの進化の度合いが、ダントツでぶっ飛んでいるんです。もう世界最先端。
菜央 リードしてるわけだ。
四角さん ニュージーランド人やアメリカ人に、日本のミニマリストってこんな感じですって言って、『手放す練習』の著者・ミニマリストのしぶ君の引っ越しの荷造りの様子のYouTubeとか見せると、ぽっかーんってしますよ。しぶ君の引っ越しは22分で終わるんです。
菜央 やばいね(笑)
四角さん これって普通の人が出かける時にかかる時間くらいですからね(笑)。日本ではシェアエコノミーが急速に進んできた。その進化があるから彼らはより一層ミニマリストを極められるんです。
日本はもともと世界から尊敬される「ミニマリズムの国」だったのに、いつの間にかそれと対極の「マキシマリズムの国」になってしまった。そんな中から、「環境と健康を破壊して、人生をむしばむ大量生産・大量消費はもういらない。モノは少ないほうがいい」ってことを、社会活動やアートではなく、ミニマルな生き方でもって表現する人たちが多数出てきた。だから、ミニマリストは活動家でありアーティストだと、僕は解釈しています。
寝れていれば必要なものが手に入る
ハンモックパーマカルチャー
菜央 確かに。でもそのシェアエコノミーは、全部がいいわけでもないと僕は思ってて。大きな存在が提供する、レンタカーやカーシェリングに代表されるシェアエコノミーは、もちろん便利で利用していいと思うんだけど、自分たちの地域でシェアエコノミーを作るっていうのが、僕はハッピーかなと思ってて。
四角さん 地域でシェアエコノミーを作るって、いわゆる地域通貨のことですか。
菜央 そうだね。で、なんでハッピーかと言うと、人と人とがつながれる豊かさがあるからなんだけど。そもそも地域通貨は、モノが安く手に入るからいろんな事情がある人にとっても助かるし、自分としてはゴミが活かされるとめっちゃ気持ちいいって面は確かにある。でもゴミを減らすって目的だけじゃないんだよね。
地域でモノをシェアする現場では、めちゃくちゃしゃべってつながりが深まるんだよね。例えば僕、この前、冷蔵庫もらったわけ。大きな家電をもらうのには、まずその友だちの居間に入らなきゃいけないんだよね。居間に入ると「おぉ、こういう家なんだ、入ったことなかったね」とか言って。
その後、その人の掃除も手伝ったりして、その間にいろいろ情報交換する。で、冷蔵庫はひとりでは運べないから、「じゃあ軽トラに乗せるのにもう一人呼んでくるから」って隣の人までやって来て、またその人と仲良くなって。よいしょってみんなで協力して運んで、自分の家まで行って、あーだこーだと話しながらみんなで設置して。とにかくめちゃくちゃしゃべる。
つまり冷蔵庫をもらったっていうこと以上に、そういう営みや交流のなかで、人とつながったっていう幸せが強かったのね。そういうことがめっちゃいっぱいあるわけ。それがね、豊かさ。
だから、シェアエコノミーもいいんだけど、友だちができるかどうかとか、その地域の関係性が豊かになるかっていう視点で考えると、もっと面白いサービスや、自分たちでできることもあるんじゃないかなって。
四角さん まさにそうですね。
菜央 さらに「地域通貨を教えてくれ」と他の地域から言われて、じゃあちょっと何人かでチームを作って話に行こうとか、って話に行くと、また違う地域とつながったりする。また、地域通貨がある地域に住みたいと言って、引っ越してくる人も結構いるのね。
そうすると、実は地域の長期的な未来づくりにもつながっている。その豊かさが素敵なんだよね。一円もお金がかかってなくて、特に事務局もいなくて、何も負荷がない。もうなんかハッピーしかないみたいな。
最小限の労力で、なんなら寝れていれば必要なものが手に入る、っていう仕組みをいかにデザインするか。これがハンモックパーマカルチャー。
四角さん まさにミニマル・ワークスタイル!日本人の働き方の対極ですね。
菜央 そうなんだよね。日本人の気質でパーマカルチャーを受け取るとアリとキリギリスの、アリ。やっぱり”アリパーマカルチャー”みたいになっちゃう。
四角さん アリ、大好きですもんね。ワーカホリックな日本人は(汗)。
最小労力、最短時間、最小限の負担でやる
菜央 すっごい一生懸命いろんなこと考えて、どんどん企画ややることが増えていくみたいな。そうじゃなくて、いかにシンプルにつくるか、いかにやらずに済ませるか。いかに向こうから波が、人が、モノが勝手にやってくるか。
この状況を俯瞰して見るために、僕らはよく“ベクター”と考えて見える化してみるのね。ベクターって、いわば「矢印」。たとえば「僕らは、どんなベクターの中にいるかな?僕らの上、横、中を通る矢印ってなんだろう?」 というふうに考える。風とか太陽、表通りに面していれば例えば視線や観光客もベクターかもしれない。台風でさえも、もしかしてコロナみたいな社会状況も…
四角さん 災害や不況も、大事なベクターになりえると。
菜央 うん。それで思い出したんだけど、昔庭でニワトリを飼っていて。鳴き声が周りにうるさいかなと思って敷地の一番奥側で飼ってたの。でも奥だと餌やるのも面倒だし、どうにかパーマカルチャー的に解決したいなって思ってて。で、いろいろ観察した結果、思い切ってその小屋ごと通り側に引っ越しをしたらね、見事に通りがかりの人がどんどんいろんな野菜くずとか持ってきてくれて。パーマカルチャーに一歩近づいたみたいな。
四角さん なるほど、ベクターと同時に、先ほど出たハンモック理論ですね。
菜央 他に例を出すと、”合気道”って相手の力を最大限に活かして自分の身を守るんだよね。
四角さん 最小限の力で最大のパワー出すって言いますもんね。なんなら触らずに倒すみたいな。…なるほど、今ね、僕が提唱する「ミニマル主義」も「ミニマルライフ」も、結局それと同じだと気づきました。
パフォーマンスを出すことが目的ですが、あくまでポイントは最小労力、最短時間、最小限の負担にすべく創意工夫することにあります。
僕の庭の畑や果樹園もその考え方です。畑作業てタスクが永遠になくならないんですけど、それをどうすれば最小限の手間で済ませられるかを考えます。例えば植物の配置を考えるのに、コンパニオンプランツ(※)を利用して、何もしなくても植物同士がお互いを「活かしあう」という状況に持っていく、とか。
こんなふうに僕はパーマカルチャーを”農法”として参考にしてきたんですけど、その考え方は、結局は僕の生き方全般にも通ずるな、と今菜央さんの話を聞いて気づきました。
(※)育てたい野菜や花のそばに植えることでよい影響をもたらす植物のこと。 別名、共栄作物とも呼ばれる。
ハンモックパーマカルチャーは超持続可能
菜央 ハンモックパーマカルチャーでいうと、すごく衝撃を受けた究極の事例があって。
何年か前にアメリカのパーマカルチャーの聖地と言われてる「ブロックスパーマカルチャー農園」に、数日間滞在して見学してきたんだよね。 そこは一周したら1時間ぐらいかかるような山があって、畑はもちろん、家や小屋、大きな池があって、「聖地」と言われるくらいだから、ありとあらゆるデザインの実験や工夫がちりばめられている。
菜央 その中でね、電話ボックスくらいの大きさのトイレが設置されている。まあ、穴を掘って便座を置いているだけという、すごい簡素な手作りで、風通しもいい。それが、その山に全部で30ヶ所程置いてある。水洗トイレだと、一般的には例えば水洗トイレを設置すると考えると、配管の関係でどうしても母屋に数個しかなくっていう状況になるじゃない? そうじゃなくて、敷地のあちこちにトイレがあってどこで作業していても歩いて20~30秒でトイレにたどり着けるから、すごく便利なの。
で、なんでこんなにいっぱいあるんだろうなって思って、ある朝トイレに行こうとしたら、トイレがない。見たら、1~2メートルぐらい隣に置いてあって、夜中に移動するのよ。最初小人がやってるのかと思ったけど、違った。どういうことかっていうと、一切うんこに触れないで上の箱の部分だけを動かす。穴掘るじゃん、箱を置くじゃん、その穴がうんこやおがくずでいっぱいになったら箱だけを動かす、そうして穴は埋める。それをその狭い範囲で何回かやると、その辺の土地がめっちゃ肥える。で、そこに果樹を植える。
四角さん 究極のハンモック!ですね。
菜央 そうなの。まずそれを聞いてびびった。それで肥えたその土地に桃とかリンゴとかイチゴとか、めっちゃいっぱい果物がなって。
四角さん すごい発明だな! そこ、1回行きたいな。
菜央 で、そこの人たちに、「ここ暮らしていて、一番ストレスになってることはなんですか?」って聞いたら、「うーん、果物がとれすぎることかな」って。
四角さん 幸せすぎる、それ。
菜央 で、それで話は終わらなくて。最終日に、「一週間ありがとうございました、帰ります」って言った時に、「皆さん、世界の裏側から来て、私たちの土地を豊かにしてくれて、いろいろなお話もしてくれて、日本料理も作ってくれて、本当にありがとう」って感謝されて。そこで気づいたの。あぁ、僕って彼らにとっての“ベクター”だったんだって。
四角さん うん、なるほど。
菜央 そう、世界中から来たいと思わせて、滞在してもらって、そして水洗で流さすんじゃなくて、そこに含まれているエネルギーを収穫する、うんこという肥料、豊かさを収穫して土に戻す。 そして果物がなりまくる。それもストレスになるぐらい。訪問者たちのうんこやおしっこという課題を、一気に資源と豊かさに変える。パーマカルチャーっていう考え方は、こんなにもパワフルなんだなっていうのを知ったんだよね。
四角さん めちゃめちゃいいなぁ! でもね、今の話聞いて「いいな、すごいな」って思う人と、「なんか遠い世界のヒッピーみたいな人たちのファンタジー聞いてるみたいだな」って思う人とに分かれると思うんですよ。
日本では、アリとキリギリスの、アリの中でも一番働くアリみたいな感じでみなさん働いているじゃないですか。こう言ったら耳が痛いかもしれませんが、どうでもいいモノを買うために、どうでもいいコトを獲得するために、命を削って働いている。「昇進したい、評価されたい、勝ち組になりたい」といったコトのために。
菜央 うんうん。
四角さん で、めちゃめちゃがんばって働いて、どうでもいいモノをいっぱい溜め込んで家の中も頭の中もぐちゃぐちゃ。褒められて昇進して、「よし、あの同期に勝った!」 って、そんなのは脳内でドーパミンが出て、すぐ終わってしまう。
そして、そんなどうでもいいコト「地位とかプライド」のために、また死ぬ気でがんばり続ける。そんなものは、持続可能じゃないし、ただの命の無駄づかいでしかない。
さらにどうでもいいモノを保管するために家賃を払い、メンテナンスしたり、整理収納したり…苦労して得たモノで、さらにリソースが奪われる。もう、ハンモックどころじゃないで。
菜央 そうなんだよね。
四角さん 僕は、日本人が抱えるこの「不幸な生き方」をずっとなんとかしたいと思い、なんとか心を動かそうとメッセージ本みたいなものを出してきて。それなりにそういう本は売れて、行動してくれた人はいたみたいなんですけど、メッセージを受けとめきれない人も多数いたようで。だから、今回『超ミニマル主義』(そして『超ミニマル・ライフ』)で、誰もができるノウハウに落とし込んだ技術書・戦略本を書いたんです。
アリとキリギリスの話は、アリが美しい在り方とされる物語ですよね。今の日本の人たちの働き方は、ガーッと働いて、倒れて。で、しばらく休んで、もう一回がんばって倒れて…。でもこれ、絶対に持続可能じゃない。 かたやハンモックパーマカルチャーって考え方は、めちゃめちゃ持続可能じゃないですか。
菜央 すごく分かります。
(編集: 青木朋子)