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“顔を覚えるファストフード店”「ペンギン」は、なぜ住人100人の地域で営業を続けるのか

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2011年の東日本大震災と原発事故により、全住人が避難を余儀なくされた福島県双葉町。いま、避難指示が一部解除され、少しずつ住人が戻ってきています。

そんな双葉町で、新たな文化、経済、人のつながりなどを生み出していく“まちを創る人たち”を訪ねました。

ユニークなファストフード店が、福島県双葉町にあります。

「ファスト」なだけあって、提供は迅速。だけど店員さんがお客さんの顔を覚えていて、ときには人生相談にものるらしい。メニューにはないけど、たまに故郷の味である「味噌おにぎり」や「キノコ汁」も出るそうな。

いつでもどこでも、同じ味を効率よく提供する。そんな「ファストフード」の常識をくつがえす、そのお店の名前は「ペンギン」。いったいなぜ、ちょっと非効率的とも思えるような商売をしているのでしょう?

マネージャーである山本敦子(やまもと・あつこ)さんへのインタビューから見えてきたのは、まちの人々への思いでした。

このまちのお客さんを第一に考える

「双葉町産業交流センター(通称F-BICC)」の1階にあるフードコートに、「ペンギン」はあります。

ペンギンのロゴがあしらわれた店では、ハンバーガーやサンドイッチ、ソフトクリームなどのフードやドリンクを提供しています。

ペンギンは、もともとは1982年に山本の母親である吉田岑子(よしだ・たかこ)さんが双葉駅前にオープンしたお店。地域の人たちの憩いの場になっていたものの、コンビニの進出などの影響で2007年に閉店。その後、震災後の2020年に、ここ双葉町産業交流センターで13年ぶりに営業を再開したのです。

現在マネージャーとしてペンギンを営んでいるのが、山本敦子さん。ショートカットで、朗らかな笑顔が印象的な方です。

「せっかくだし、ペンギンの味を味わいたい!」ということで、山本さんにおすすめを聞いてみることに。

山本さん おすすめはスペシャルサンド! 「ビーフ」「フィッシュ」「カツ」「テリヤキチキン」の4種類の味があるんですけど、ボリュームたっぷりで、たとえば「カツ」は160グラムのカツをドン! と入れてあるんですよ。

それはぜひ! ということで注文してみると、出てきたのは山本さんの言葉通り、でっかいカツがはさまったボリューミーなサンド!

頬張ると、ジューシーな肉に特製ソースが絶妙にマッチしていて、思わず「うま!」と叫んでしまいました。これで650円は安い!

山本さん 最近はちょっと物価が値上がりしてるから、値段は結構ギリギリ(笑) だけどやっぱり、出てきた時に「650円なのにこんなにでかいんだ!」って思ってもらうのがすごく大事だと思ってて。お客様にお得感を持っていただくために何ができるか、いつも考えてるんです。

“お客様ファースト”で考える山本さんのスタンスは、メニューづくりにもあらわれています。

たとえば、最近では日替わり弁当にも力を入れています。もともとはメニューになかったものの、工事現場などで働く人の「ハンバーガーじゃなくて、弁当が食べたい!」という声を受け、提供を始めたそうです。

それに、ときにはメニューにない食べ物も出すこともあるんだとか。

山本さん あのね、双葉の人はおにぎりに生味噌を塗って、おやつにして食べてたんですよ。だから、イベントの時に、「味噌おにぎりあるよ」って出したら、みんな「懐かしい〜」って。はははは!

それ食べた人、今でも言うの。「あんときの味噌おにぎり、ほんと懐かしかった〜!」って。そういう、このまちならではの食べ物も出せる店をつくりたいんですよね。

山本さんの話から、ペンギンがまちの人々から愛される理由が、少し垣間見えた気がしました。

ハンバーガーやサンド、フライドポテトにハムカツにアイスと、メニューは豊富!

まちと共に歩んできた店

全国津々浦々にあるファストフード店とペンギンが一線を画しているのは、このまち、双葉と共に歩んできたことと関係がありそう。その歩みの始まりは、明治期にさかのぼります。

山本さん うちの先祖が、もともとは福島の伊達郡にいた人たちで。だから今でも「伊達屋」っていう屋号なんだけど。

双葉って、昔は駅がなかったの。明治時代に駅ができたんですよね(筆者註:明治31年に長塚駅として開業。のちに双葉駅となる)。線路ができるんだったら流通網もできるから、駅の前の土地を開拓して、ここで商売したらいいんじゃないかってことで、当時のうちの先祖が燃料屋を始めたんです。山に木を切りに行って、運んできてね。

開拓精神あふれる「伊達屋」の人々は、先祖代々、一人にひとつ(一家にひとつ、ではなく!)商いをつくるのが慣習になっていたといいます。たとえば、山本さんのひいおじいちゃんはタバコ屋、おじいちゃんはボーリング場や電子機器の工場、山本さんの両親はガソリンスタンドを営んでいたのだそう。

山本さんの母親、吉田岑子さんも、子どもたちが大きくなってきたタイミングで「そろそろ自分の商いをやりたい!」と考え、山本さんのおじいちゃんに相談しました。すると、おじいちゃんの反応は…。

山本さん 「おれ、ソフトクリーム食いでぇな」って。自分がソフトクリーム好きだったんでしょうね(笑) それで、ソフトクリーム屋を始めることになりました。

「冷たいもの出すんだから、名前はペンギンでいいんじゃね?」というおじいちゃんの一声で、店の名前も決定。1982年、双葉駅の前に「ペンギン」がオープンしました。店主は岑子さんで、山本さんも時々お店番を頼まれる事があったそう。

もともとまちにファストフード店がなかったため、ハンバーガーやドーナツなども販売し、しだいに地元の高校生たちで賑わう店に。岑子さんは若者の進路相談に乗ったりと、ペンギンは憩いの場として親しまれました。

しかし、まちにコンビニが進出したこともあって、だんだんと訪れる人が減少。ペンギンは2007年に閉店することになりました。

そして4年後の2011年、東日本大地震が発生。双葉駅から直線距離で4kmの福島第一原発で事故が発生したのです。

まちの空気感を持った店をつくれるのは、私しかいない

震災と原発事故で、双葉町は全町避難に。山本さんもさいたま市の避難所に避難を余儀なくされ、その後、弟の知成さんが住んでいた横浜に移り住みました。

山本さんは次第に避難先の横浜での生活にも馴染み、ずっと住むつもりでマンションも購入したそう。

しかし2017年、またしても転機が訪れます。放射線量が高く通行止めとなっていた国道6号線が通行できるようになり、双葉町周辺で避難指示解除に向けた除染作業も大きく進んでいくなか、ガソリンスタンドを再開させることが決まったのです。

山本さんの弟と夫がその経営を担うことになり、山本さんは家族と、双葉町のすぐ近くにあるいわき市へ引っ越すことになりました。

そんななか、あるニュースが飛び込んできます。それが、双葉町に建設予定の「産業交流センター」内にあるフードコートで、テナントとして入る地元の店を募集している、という情報でした。

その知らせを聞いて、募集に手を挙げたのが弟の知成さんでした。知成さんは、「地元の人が双葉に戻った時、ペンギンのハンバーガーを食べれば、当時の空気を感じることができるのでは」と考えたのです。

ペンギンを再開するとなれば、自分も関わることになる。けれど、山本さんの心中は複雑だったようで…。

山本さん そのとき、子どもが高校3年ぐらいだったかな。まだもうちょっと、子どものことも含めて今後どうするか考えたかったから、「その挙げた手、どうすんのよ…」って思ってましたね。

だけど、「みんなそっち(双葉に)行っちゃったなぁ」と思って。ちっちゃい田舎だから、誰かが1人復興に携わってると、「自分もなんかしないとだな」っていう気持ちが掻き立てられるっていうかね。

悩んだ山本さんの背中を最後に押したのは、「私しかいない」という思いでした。

山本さん 都会と違う、田舎の空気感っつうのがあるんですよ。そういうのがわからない人がお店やって、違う空気感を出してると、双葉の人が帰ってきた時に「なんか違う」って思うんじゃないかなぁって。

だから、誰かが空気感をつくんなきゃいけないと思ったんです。「やるとしたら、私しかいないよなぁ。だったら、行くか!」みたいな感じで、ペンギンをやることにしたんですよね。

こうして2020年10月1日、「ペンギン」が復活。山本さんはマネージャーになりました。営業初日から、ペンギン再開を待ち侘びていた人たちが訪れ、大きな賑わいをみせたそうです。

“顔の見える商売”が、まちを創る

その後も、ペンギンは連日たくさんの人が訪れ…となれば「めでたしめでたし」なストーリーなのですが、現実はそう簡単にはいきません。

なにしろ、2022年8月に双葉町の避難指示が一部で解除され、住むことが可能になったものの、2024年6月現在まちに住んでいるのは100人ほど。平日は産業交流センターや工事現場で働く人などが訪れるものの、土日は人影がまばらになることもあるそうです。

たくさん儲けたいのであれば、多く人が訪れる場所で営業するのが得策でしょう。それでもこの場所に店を構えるのは、山本さんが目指しているのが「儲けること」とは別のところにあるからです。

山本さん もちろん利益がないと継続できないから、利益を出すのも大事。だけど、最初から儲けようとは考えてないです。

1日の売り上げ目標もなくて、「とりあえずつくった弁当は全部出てくれ!」みたいな感じ(笑) みんなに「バカなの? 計算してんの?」って言われるんだけど、「うん、バカだと思う!」って返してる(笑) 私って、商売人として儲けられる人ではないんですよね。

商売の目的が「儲けること」じゃないとしたら、一体なんなのか。そのヒントは、山本さんのこんな言葉にある気がします。

山本さん 儲けることよりも、「どっからきたの?」みたいな雑談ができたり、地元の人が戻ってきた時に、地元の言葉で話ができたりする場所になることが大事。だから、なるべくお客さんの顔を覚えて、「いつものでよろしいですか?」って声をかけるんです。そうやって覚えてもらえると、お客さんも嬉しくて、また来てくれるので。

山本さんが取り組んでいるのは、たとえ規模は小さくても、一人ひとりと心を通わせる“顔の見える商売”なのでしょう。

都市では、資本を持つ会社が再開発をし、大きな商業施設が次々に建っています。そうした場所でのビジネスでは、たくさんの利益を得るために数値目標を達成することが大切にされ、お客さんの顔が見えることは二の次、三の次になることもあるはずです。

けれど、同じ商売でも山本さんが行っているような地域での商いでは、“顔の見える”ことが大事なようです。それは、収益という意味でも、まちを創るという意味でも。

山本さん 数字ばっかり追ってるのがお客さんにバレてしまうと、まちで商売やるのはきついかも。「なんかこいつ、商売ばっかりだよ」って思われるからね。

私は、毎日来てくれる人にはおまけでご飯をいっぱい入れちゃって、「ま、いいか!」って言ってんの(笑) 売り上げにはつながらないかもしんないけど、そういうちっちゃ~いことが、「またペンギンに行くか!」って気持ちにつながるでしょ。そういう気持ちを持ってくれる人の輪が大きくなれば、まちも元気になるかなって。だから、やってることはものすごくちっちゃいのよ。

売り上げの規模でいえば、全国チェーンのファストフード店に比べたら大きくないかもしれません。けれど、ちっちゃい工夫の積み重ねで、“顔の見える関係性”を生み出している山本さんやペンギンは、まちにとって数値化できない影響を及ぼしそうです。

特に、一度全町民が避難となり、これからまちをふたたび創っていくフェーズにある双葉町なら、なおさらです。なにしろ、「このまちに住みたい」「このまちに関わりたい」と僕たちが思う大きな要因は、「あの人がいるから」と思える、人の存在なのです。

山本さんが日々行う、「ちっちゃ~いこと」の積み重ねによる“顔の見える商売”の先に、多くの人が住んだり訪れたりする未来の双葉町の姿があるような気がしました。

目標は立てない。だって、明日死ぬかもしれないしさ

…と、勝手にペンギンやまちの未来を妄想したのですが、山本さんに「今後どうしていきたいですか?」と聞くと、「まったく考えてないんだよね! はっはっは!」と、気持ちよく笑い飛ばされました。

山本さん だって、明日のことだってわかんない! 震災が起きて、ほんとにそう思ったもん。

それまで私、ピアノとエレクトーン教えてたの。「将来は、障がいがある子と健常者の子が一緒に学べる教室をつくろう!」って目標を設定して、一生懸命頑張ってた。そしたらすぐ震災が起きて、「おい! 設定して2か月で震災かよ!」っていうね(笑)

やっぱりさ、思うようにはいかないのよ。だったら、“目標は、その日の弁当が全部出ること”でいい。 だって、明日死ぬかもしれないしさ。1日1日、その日の目標をクリアしたら、次の日、また次の日…ってやっていこうと思って。だから、ね、つまんないんだよ(笑)

「つまんないんだよ」と言いつつ、はっはっは! と気持ちよく笑う山本さんは、とても楽しそうにペンギンでの日々のことを語るのです。

いや、もちろん商売をする中で、大変なこともあるんでしょう。たとえばこんなエピソードも。

山本さん 再開したての頃、毎日たくさんの人が来てね。私たちもまだ慣れてないから、ちょっと提供が遅れるじゃない? そしたら、あるお客さんにすんごい怒鳴られたの。「てめぇ、やる気あんのか!」って。

そこまで言われて、こんな私でも1ヶ月間ぐらいしょげたんだよねぇ。「あんなこと言われるなら、やんなきゃよかった」ってさ。

でも、だんだんだんだん、悔しくなってきてね。「ちっくしょう、絶対負けない!」って。今度その人が来た時に、「うわ! ずいぶん成長したじゃん!」って思われる店にしよう! と思って、どうしたら提供が早くなるかとか、どうしたらソースがハンバーガーからはみで出なくなるかとか、いろいろ工夫したんだよねぇ。

なるほど、ペンギンのサービスや味の裏に、そんな経験があったとは。ちなみに、そのお客さんへのリベンジは果たせたのでしょうか?

山本さん また来てくれたかは、わっかんない! 顔覚えてないんだよね。でも、また来てほしい。メディアで呼びかけたいよね。「あの時の方、ペンギンがどんなに進化したか見にきてください!」ってね(笑)

あの時のお客さん。もしこの記事を読んでいたら、どうぞ成長したペンギンへお越しください。きっとあの頃とは見違えるはずですよ!

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(執筆・撮影:山中散歩)

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