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生口島の玄関口として内と外を混ぜ合わせ、“多様で豊かな土壌”にしたい。「SOIL Setoda」がまちに築く、唯一無二の風景とは

あなたは、自分のまちが好きですか?

新潟出身の筆者は、2020年から京都に住み始めました。しかし、自宅から徒歩数分のところにあるお店でも、まだ入ったことのないところはたくさんあるし、顔を知らないご近所さんも多いです。今の暮らしは大好きですが、まだまだ、まちのことを理解できていないかもしれません。

そんな自分のまちから旅立ち、取材に向かったのは、広島県尾道市にあるSOIL Setoda(以下、SOIL)」。“街のリビングルーム”というコンセプトで、食堂やゲストルーム、観光案内所などを備えた複合施設です。

瀬戸田港に到着して、すぐに見えるSOILは、まさに生口島の玄関口

SOILが建つのは、瀬戸田町の生口島(いくちじま)。瀬戸内海に浮かぶこの島は、レモンの生産量日本一として知られ、江戸時代には製塩が盛んだったのだとか。そんなことをスマホで調べながら、三原港から勢いよく船で進むこと約30分。瀬戸田港を降りると、冬の潮風が優しく吹き抜けていきました。

「なんでも聞いてくださいね」と、にこやかに挨拶してくださったのは、SOILを運営する株式会社Staple代表取締役の岡雄大(おか・ゆうた)さん。SOILは、なぜ生口島に誕生し、一体何を目指すのでしょうか。たっぷりとお話を伺いました。

岡雄大(おか・ゆうた)
株式会社Staple代表取締役。早稲田大学 政治経済学部卒業。大学卒業後、スターウッドキャピタルグループの東京及びサンフランシスコオフィスで不動産やホテルブランドへの投資業務に従事。2018年、株式会社Stapleを創業。広島県瀬戸田と東京都日本橋に拠点を置き、都市一極集中ではない社会を見据えた場やまちの企画・開発・運営に情熱を燃やす。

SOILは、生口島の玄関口

SOILが誕生したのは、2021年4月。新築された建物と、その向かいに建つ築140年の塩蔵を改装した2棟からスタートしました。

新築された建物には、薪火料理の食堂「MINATOYA(ミナトヤ)」、中長期滞在が可能な5部屋のゲストルーム、誰でも自由に使えるラウンジスペースなどが備わっています。

リジェネラティブ(環境再生型)農法でつくられたコーヒー豆を提供する「Overview Coffee」

そのほか、スペシャルティコーヒーロースター「Overview Coffee」の国内初の焙煎所や、瀬戸田を楽しむツアーを提供するアクティビティセンターなどの機能が備わっています。

岡さん SOILは瀬戸田港のすぐ横に建っていて、路地の先は、しおまち商店街に続いています。

SOILは、ひとつの大きな建物をつくって地域の経済活動を集約するのではなく、このまちの玄関口になることを目指してつくりました。SOILを起点に、自分の足で島を歩き、地域の人と関係を築いていくという、昔ながらの生活を楽しんでもらいたいなと思います。

ゲストルームの窓からは、心地よい日差しと潮風が入り込む

生口島の人口は、約8,400人(令和2年国勢調査)。厳島神社が創建される前は、この島に仮社が置かれたとされているなど、古くからの神聖な歴史を持ちます。また近年では島全体を美術館に見立てて、各地に計17点の立体アート作品が展示されるなど、「島ごと美術館」としても知られているのだそう。

岡さん このまちの生活者は、過去から現在、そして未来へと、どんどん移り変わっていきます。どの時代でも、このまちに住んだり通ったりしているということは、何かしらの愛着があるからこそ。旅行をきっかけに生口島を訪れた人も、「ここに住んだら人生が面白くなるかも」って思ってもらえたら、いつかは「未来の生活者」になっているかもしれません。

だからこそ、まずは生口島に来て、このまちを知ってもらいたい。海の眺望を楽しめるゲストルームは、中長期の滞在もしやすいようカジュアルな価格帯で。薪火料理を味わえる食堂は、地元の農家や漁師から直接仕入れた旬の食材を使用。旅という非日常が、生口島の日常に穏やかに溶け込むよう、こだわりや配慮がちりばめられています。

まちづくりをするのではなく、好きになったまちでいろいろやる会社

そもそも、なぜSOILを生口島にオープンするに至ったのでしょうか? 「少し長くなりますが、お付き合い願えますか?」と、岡さんは自分のルーツを話してくれました。

岡さん 僕は岡山に生まれて、アメリカや東京で育ちました。アメリカは田舎の方だったので、ローカルも都市の暮らしも、それぞれ経験してきたつもりです。住む場所が変わると自分の人生もどんどん変化していく気がして、それをし続けることが人生の楽しみになっていたのかもしれません。

大学時代にアルバイトを始め、自分でお金を稼げるようになると、岡さんの楽しみは旅をすることに変わっていきました。旅の中では、街角にたたずむ本屋やホテルなど、その土地ならではの風景に美しさを覚えた岡さん。世界中の様々なまちに行ったり住んだりしたからこそ、唯一無二なものを残しているまちはとても貴重だと感じ、そんな風景を残したいという思いが芽生えていったそうです。

「そういった意味では、仕事の入り口を、ちょっと間違えてしまったかもしれませんが……」と笑う岡さん。社会人になり就職したのは、投資会社でした。

岡さん 投資や金融の仕事を始めてみると、いかに世界がお金で動かされているかに気が付きました。大型のショッピングモールが力を持って、商店街の個人店を吸収していったり、有名ホテルチェーンが増えて、民宿が潰れていったり。投資や金融はビジネスなので、できるだけ大きなお金が集まるところに注力しなくてはいけません。そうすると僕が大好きだった「唯一無二の風景」が消えてしまう速度を、僕自身の手で早めてしまっているようで……。仕事では世界を飛び回ることができて楽しかったけれど、僕が取り組むことは他にあるなと気づいたんです。

人生をかけて、挑戦したいことはなんだろう。岡さんが自分に問いかけたとき、「今のSOILの原点」ともいえる光景を思い出したそうです。それは、仕事の視察で訪れた、バリ島のリゾートホテル「アマン」での体験でした。

岡さん アマンは世界的なリゾートホテルとして有名ですが、バリ・ウブドの「アマンダリ」は、もともとそこにあった村なんじゃないかと思うようなたたずまいをしていました。建物の壁や屋根には隙間があって光が漏れているのに、部屋の冷蔵庫を開けるとシャンパンが入っていて、そのギャップが面白かったですね。また、働いている方々のほとんどが地元の方で、おじいちゃん、お母さん、息子さんと、親子3世代で働いているスタッフさんにも出会いました。

ホテルは事業者の意志があって、ビジネスとして建設された場所。しかし宿泊中は、まるで現地の村に泊まっているかのような感覚があったと岡さんは言います。

岡さん 3世代のスタッフさんと出会えたり、「また来てね」みたいな会話を交わしたりと、ホテルに泊まったというよりも、バリ島の村に遊びに行って、友達が増えたような感じだったんです。偶然の出会いが、旅の醍醐味。こういった体験を提供できている会社があるんだったら自分もやってみたい、挑戦しなきゃいけないと、会社を辞めて起業しようと決意したんです。

2018年、岡さんは株式会社Stapleを創業。まちづくりをするのではなく、“好きになったまちで、いろいろやらせていただく”会社。そのような心持ちで、新たな挑戦が始まりました。

ワークショップを経てたどり着いた「住みたいまち」

事業の拠点を探す中で、岡さんはリゾート地や無人島などを紹介されたそう。しかし、なかなかピンと来る場所はありませんでした。そんな中、アマンの創始者エイドリアン・ゼッカ氏が手がける旅館「Azumi Setoda」が、生口島にオープンすることに。岡さんも開業に向けて協力することになりました。

岡さん Azumi Setodaは、僕が共同代表を務める別会社『Naru Developments』がプロジェクトを担当し、明治9年に建てられた屋敷を改装してつくりました。もともとは廃墟だったので、ホコリまみれになりながら、家の中を調査したんです。仕事を終えて外に出てみたら、竹刀を差したママチャリに乗って、鼻歌を歌いながらおじいちゃんが目の前を通っていったんですよ。それを見て、ああ、最高だなと(笑) ありのままの生活が、すぐ隣にある場所。そういうところで、僕は仕事がしたいんだなと確信しました。

岡さんが2021年3月に開業したAzumi Setoda。明治時代の豪商が建てた「堀内邸」を改築した

しかし瀬戸田の人びとにとって、岡さんたちは、いきなりやってきた黒船のような存在。「Azumi Setoda」プロジェクトの資金集めにも、骨が折れました。どうしようかと頭を抱えていると、「岡さんたちのことを知ってもらったり、どんな場所にしたいか考えたりする機会を、地元の人と一緒につくりませんか」と、尾道市から提案されたそう。そこで2019年度から、Stapleとして地元住民とのワークショップを始めることになりました。3ヶ月に1回ほどのペースで開催し、尾道市や県外の企業も巻き込みつつ、2021年度まで3年にわたって続いたそうです。

岡さん ワークショップで話し合うテーマは、まちの構想や、他のまちの事例、デジタルデータの使い方など、どんどん変化していきました。こうして話し合いを続けて出てきた瀬戸田町のスローガンが、「住みたいまち」だったんです。すごくシンプルな言葉だけれど、考えれば考えるほど深い一言だなと思って。瀬戸田町のみなさんにとって、このまちを観光地にしてほしいわけじゃないし、かといって盛り上がってほしくないわけではない、ということですから。そのバランスを考えるのが難しいなと感じました。

「Azumi Setoda」プロジェクトをきっかけに、瀬戸田に深く関わるようになった岡さん。ワークショップの中では、“住みたいまち”にするには、他にもできることがあるという声が集まるようになっていきました。

岡さん 今SOILが建っている場所は、もともとワークショップに参加していた地元の方が所有していた土地なんです。実は最初、「この土地は売りません」と言われていました。そりゃあ、港からすぐの、一丁目一番地のようなところですからね。ですがワークショップを通し、対話を重ねたことで、僕たちの熱意が伝わったようで……。このまちのためになるんだったら、ぜひ活用してくださいと、僕たちに任せていただいたんです。震えるほど、嬉しい思い出ですね。

ワークショップで感じた瀬戸田の温かさを、観光客にも伝え、残していきたい。だからこそSOILは「街のリビングルーム」を合言葉に、旅行者と地元の方との和やかなコミュニケーションが生まれる空間を目指したのだそうです。

岡さん 「地元の人」というと、きっと昔から住んでいる人のことを思い浮かべる方が多いですよね。でも、数年後の未来を想像すると、いろいろな人が「地元の人」になり得ると思うんです。だから旅行で来る人や、移住するわけではないけれど中長期で滞在する人など、SOILはそういう人たちが集える場所にしたいなと考えました。

いつかは、みんな「地元の人」になる

こうして、2021年4月に生口島に誕生した「SOIL Setoda」。生口島には尾道と三原から定期船が出ているので、多くの旅行者が船から降りてすぐ、最初の目的地として訪れるそうです。地元住民にも親しまれ、仕事が休みの日に飲みに来る人も多いのだとか。

現在SOILでは、フルタイムやアルバイトを合わせると、生口島だけで約20人が勤務しています。働くために瀬戸田の外から移住してきたスタッフも多いと岡さんは言います。

岡さん オープニングスタッフを担当してくれたのは、10人ほど。みんな瀬戸田が面白いと聞いて集まってくれて、今は全員が移住してきたんじゃないかな。2〜3年働いていると、スタッフのみんなが、どんどん地域に溶け込んでいくんです。商店街の方とも仲良くなって、シフトが終わった後に、レモン農家さんの家に集まって一緒に食事をすることもあるそうですよ(笑) 10年くらい経ったら、きっとスタッフのみんなも完全に「地元の人」になっているんじゃないかなと思います。

また2021年12月には、都市とローカルで働く人びとの拠点として、東京日本橋に「SOIL Nihonbashi」がオープンしました。

岡さん ここでつくったジュースやコーヒーは、「SOIL Nihonbashi」でも販売しています。僕もスタッフも、東京で瀬戸田のことをたくさん話すので、実際に生口島で働きたいと移住された方もいるんですよ。

瀬戸田と日本橋で活動を展開する「SOIL」では、それぞれの間を行き来するスタッフも多いのだとか。

岡さん 地方で暮らすために、都会の生活や仕事をすべて捨てる必要はないと思っています。自分の退路を断ってまで移住するのって、相当な勇気が必要ですから。瀬戸田のスタッフも、たまには東京の刺激を求めたくなるだろうし、反対に東京のスタッフにも瀬戸田の空気を吸ってもらえますし。会社という制度に甘えれば、東京でも働けるし、瀬戸田で暮らすこともできる。こうした選択肢と心理的な安全性を持つことは、生きる上でとても大切な部分だと思うんです。

アクティブなお店を、10店舗つくる

2棟から始まったSOILは、2023年4月、その隣に、お惣菜と食のセレクトショップ「ひ、ふ、み」を直営店としてオープン。その2階には3部屋のゲストルームができ、もともとあった施設と合わせて10部屋になりました。

これまでSOILの客層の多くは旅行者でしたが、「ひ、ふ、み」では地元住民が多いのだとか。

岡さん 客層が逆転したのは偶然ですが、それぞれのお店でお客さんが行き来し、良い循環が生まれています。またSOILの発展は、取締役の小林亮大(こばやし・りょうた)の力が大きいですね。彼は4年くらい瀬戸田に住んで、活動を推進してきてくれたので。僕は東京と瀬戸田を行き来する生活を送っているのですが、正直それだけでは、この場所に何が必要なのか、定義しきれなかったと思うんです。このまちに住んで、毎日人の行動や表情を見ているからこそ、次は何が必要になってくるのか分かってくる。スタッフの求人も、募集をかけているわけではなく、SNSや人づてで増えていっています。

約600mにわたって続く「しおまち商店街」は、瀬戸田港と耕三寺をつなぐ参道として栄えたのだそう

「街のリビングルーム」を合言葉に、最初は2棟から始まったSOIL。今後は、1階がテナントで、2階が宿泊施設の建築ユニット「ショップハウス」を10棟まで増やしていくプランがあるのだそうです。

岡さん 10という数字は、具体的な根拠を持って定めた数字ではありません。感覚的に、商店街の中にアクティブなお店が10店はあってほしいな、という思いからです。10棟つくりますっていうのは、会社内外にも大々的に宣言しているので、絶対やりきりたいですね。これまでは僕たちの直営のお店ばかりでしたが、次にできる店舗は、滋賀から移住してきた料理人さんが小料理店をやってくださる予定です。地元の方がいて、SOILがあって、そこに新しい層の方が入ってきてくださって。ようやく、多様なコミュニティになりつつあるのかなと思います。

SOILの屋上から、生口島のまちを望む。SOILの店舗のひとつとして、本屋を新造するプロジェクトも進んでいるのだとか

このまちの唯一無二の風景を、増やしていきたい

SOIL(=土壌)という名前に込められたように、SOIL Setodaをきっかけに生口島の内と外とが混ざり合い、多様で豊かなまちが醸成されつつあります。

ゲストルームには土壌にまつわる本が並ぶ。岡さんは、土にとって微生物多様性が大切なのと同じように「まちにも多様性を持ち込みたい」と考えている

岡さん 森は一度手を加えたら、ずっと手入れをしないと、良い育ち方をしないと聞いたことがあります。僕たちがやっていることも、それに近いかもしれません。原生林のように見せているけれど、明確な思いや意図を持って活動をしているので、ケアはし続けないといけないんです。でも長い時間をかけることで、僕たちが水を与えなくても、自然に芽生えて自生していくものもあるはず。どんなタイミングでその日がやってくるのか、楽しみに待ちたいと思います。

やりたいことは無限にあるし、ゆくゆくは学校もつくってみたい。「まちづくり」は言い過ぎだけれど、自分が好きな唯一無二の風景が、まちに増えていくこと。それが自分たちの仕事の醍醐味ですと、岡さんは最後に話してくださいました。

取材を終えて、しおまち商店街を歩いていると、真っ赤な自転車に乗ったおばあさんに呼び止められました。

「どこに行ってきたの? ああ、SOILさん! 岡くんのところだね。彼、頑張っているよねえ」

立ち話もなんだからと、シャッターを開け、自分のお店に招き入れてくれたおばあさん。小一時間ほど、生口島のことを楽しく教えてくれました。

「遠くから取材に来たんだね。これ、何か役に立つかな? 持っていくと良いよ」

そう言って大切そうに棚から取り出したのは、SOILがオープンしたときの新聞の切り抜きや、折込チラシ。水色の封筒に入れて、お土産のレモンと一緒に託してくれたのです。

自分にとっての、唯一無二の風景。自分が暮らすまちでも、そんな光景を見つけていきたい。

帰りの船では、次第に離れていく生口島を見送りながら、穏やかな波に揺られていました。

(撮影:小黒恵太朗)
(編集:村崎恭子)