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「夫婦の契約書」作成から約5年。事実婚夫婦が育ててきた、“自立した他者でありながら、家族でもある”関係

僕らはパッケージに囲まれて生きている。

マクドナルドではセットを頼み、スマホはいくつかのサービスがまとまったプランで契約し、旅行は観光地や宿の宿泊がまとまったツアーで…といった具合に。

なにしろ、自分でゼロから考えるのはわずらわしい。だから、あれこれ考えずにすむパッケージを選ぶことで、そのわずらわしさから解放されているのだ。

法律婚も、ある意味パッケージだなぁ、と思う。

婚姻届を出せば、税や社会保障上の優遇、子どもが「夫婦の子」と認められることなど、さまざまな権利が享受できる。それだけじゃなく、多くの義務も課されることになるけれど。

それらの権利や義務を自分たちでゼロから話し合い、つくっていくことは、想像しただけで大変だ。(というかそもそも、夫婦別姓や親権など、自分たちじゃできることに限りがある権利や義務もある。)

法律婚では、婚姻届にハンコを押して提出すれば、いろんな権利(と義務)を与えてもらえて、すり合わせや手続きのわずらわしさから解放される。ある人にとっては便利な「パッケージ」になり得るのだ。

でも、そんなパッケージを選ばず、自ら結婚にあたっての権利や義務をすり合わせていったふたりがいる。高木萌子さんと、江口晋太朗さん夫婦だ。

萌子さんと晋太朗さんは、第一子の妊娠がわかったことをきっかけに事実婚を決意。2018年9月、事実婚の契約書を公証役場に提出し、公正証書を作成した。

なぜふたりは「自分たちで契約書をつくる」という手間のかかるプロセスをとってまで、事実婚という選択をしたのだろう。そして結婚から4年がたった今、その選択をどのようにとらえているのだろう。

一軒家で、家族3人での暮らし

神奈川県にある逗子駅から、車で10分ほどの閑静な住宅街に、萌子さんと晋太朗さんが住む一軒家はある。家の前の道沿いには、視界の向こうまで桜並木が続いていた。訪れたのは3月のはじめ。もうすぐこのあたりは、桜でピンク色に染まるらしい。

萌子さんと晋太朗さん、2023年の夏で5歳になるお子さんの3人は、2021年に都内から引っ越して以来、この家で暮らしている。「桜が咲く頃は本当に綺麗で。うちの庭に知り合いを呼んで、お花見をすることもあるんです」と萌子さん。ひろびろとしたリビングには観葉植物があって、窓の向こうには庭が見える。こんな場所で暮らしたら、さぞかし気持ちがいいだろうなぁ、と思う。

萌子さんはコミュニケーションと社会的事業のプロジェクトマネージャーとして、晋太朗さんは編集者として、メディアづくりや企業のブランディングなどの仕事に携わっている。家事育児は、朝と夜に分けて分担しているそうだ。

晋太朗さん 朝にお弁当をつくり朝食の準備をする係と、夕方に子どものお迎えにいって、お風呂を入れて寝かしつける係と。互いの仕事のスケジュールを踏まえて日毎の担当を変えてますね。

ふたりのカレンダーには、「晋朝萌晩」など、その日どちらがどちらの担当をするのかが書かれていた

「男は外で仕事、女は家で家事育児」みたいな性別役割分業の気配は、少しも感じられない。というかたぶん、そこからなるべく距離をとって、それぞれの個性に合わせた役割分担にしているんだろう。

萌子さん わたしはわりと大雑把で、掃除もそこまで細かくやらなくても大丈夫! って感じなんですけど、彼は朝起きたときに綺麗じゃないと嫌なタイプらしくて(笑)

晋太朗さん だから基本的に掃除は私がやってます。やりたくない人はやらないから(笑)やりたい人がやるのでいいと思うんですよ。

萌子さん わたしは盛り上げ役だよね。「いいよいいよ〜、めっちゃ綺麗になってるよ!」って(笑)

会話のはしばしから、仲の良さが垣間見えて、微笑ましい。仲の良さ、といっても、親密すぎるのでもなく、離れすぎるのでもなく。それぞれが相手を尊重しているような距離感で、ふたりともすごく自然体。それが夫婦の第一印象だ。

事実婚とは

そもそも「事実婚」とは、婚姻届を提出していない状態で、事実上の結婚生活を送るカップルや、当事者に結婚している意識があるカップルなどのことを指す。

日本に事実婚を選択した人がどれくらいいるのかについては、データが少なく実態が見えにくいが、成人人口の2~3%を占めているのではないかといわれている。(参考:「コラム3 事実婚の実態について」 内閣府男女共同参画局

法律婚では、婚姻届を出すことで夫と妻がひとつの戸籍をつくり、どちらか一方の姓を名乗ることになるが、事実婚の場合はそれぞれがそれまでの姓を名乗り続けることができる。また、事実婚で出産した場合、生まれた子供は「婚外子(非嫡出子)」となり、原則として親権者は母親となる。父親は子供を「認知」をすることで法的な親子関係を結ぶ形となるため、親子の関係は父・母それぞれに存在する。

ただ、ひとくちに「事実婚」といっても、いろいろなかたちをとるケースがある。住民票の世帯を同一にするだけの夫婦もいれば、契約書を交わすことで法律婚における夫婦と同じような権利や義務を課す場合もある。

「夫婦の契約書」と「遺言書」をつくった

萌子さんと晋太朗さんの場合は、「事実婚に関する公正証書」を作成した。いわば「夫婦の契約書」をつくったのだ。

自身も事実婚をし、公正証書も作成していた行政書士・水口尚亮さんのサポートを受けながら作成した契約書では、25カ条の契約を交わした。

契約書では、たとえば不貞行為を働いた際の罰則や、法律婚における離婚にあたる契約解除の際の子どもの親権、財産の分配にまつわる取り決めなどが定められている(その内容の一部は、晋太朗さんのブログで公開されている)。

25項、17ページにもなる契約書と聞くと、「そこまでするのか」と思う人もいるかもしれない。けれど、ふたりがつくった契約書は法律婚に伴う権利や義務をもとにチューニングしたもの。つまり、法律婚をする人だって、自覚があるにせよないにせよ、それくらいたくさんのことを決めていることになるのだ。

さらに萌子さんと晋太朗さんはどちらかが急に亡くなることを想定して、財産分与のことなどを取り決めた遺言書も作成した。事実婚ではパートナーへの相続権が認められないため、事実婚のパートナーに財産を受け渡すためには生前贈与をするか、遺言書で遺贈を定めておくなどする必要があるのだ。

「遺言書を書くことを嫌がる人とか、結婚するのに遺言なんて…と思う人もいるけど、明日突然どちらかが死んでしまうこともあり得ますからね。まだまだ日本では遺言書を書く人の率は少ないですが、仮に法律婚していても遺言書はあったほうが、いろいろと揉めないと思います」と萌子さんは言う。

萌子さんが書いたのは遺言書だけじゃない。絵本に子どもへのメッセージを書いたり、よくつくる料理のレシピを書き残したりしてる。この絵本の端にもメッセージが。「なんでわたしがこの絵本を買ったのか、わたしが子どもに対してどう思ってるのか、自分が突然死んだら伝えられないから、ちゃんと書いておこうと思ったんです」

ふたりの話を聞きながら、こんな疑問も浮かぶ。結婚という人生でもとびきりロマンティックなひととき(結婚=ロマンティックなもの、というイメージも幻想だと批判されているのだけど)に、「契約書をつくりましょう。別れや死のこと、ちゃんと考えましょう」なんて言われたら、シラけてしまうんじゃないかな?と。

萌子さんと晋太朗さんは、「むしろ、あまり考えずに法律婚をすることに、今では怖さを感じる」という。

萌子さん 契約書をつくっていくなかで、「婚姻届にポンってハンコ押しただけで、こんなたくさんの権利と義務が発生してるのか」って、怖くなりましたね。きっと多くの人が、財産の分配のこととか親権のこととか、あまり考えずハンコを押すじゃないですか。 いや、これはみんな勉強したほう方がいいぞって。

晋太朗さん 夫婦関係が円満なうちは問題はないんですけどね。離婚や死別をするとなったときに、財産や親権の問題は必ず出てきますよね。今は法律婚をしても3割は離婚する時代です。法律婚にせよ事実婚にせよ、問題が起きることを想定しておくことは大事だと思いますよ。

「結婚は勢い」という言葉をたまに聞くが、「勢い」で負うにはあまりにリスキーなあれこれが、法律婚には伴ってくる。ロマンティックじゃない作業だとしても、どんな権利や義務がついてくるのか、結婚の前にきちんと理解しておきたいよな…とふたりの話を聞きながら思う。

事実婚の提案と、困惑

そもそも萌子さんと晋太朗さんは、どのようにして事実婚にいたったのだろうか。

ふたりが出会ったのは、共通の友人が開催したイベントでのこと。その後、当時萌子さんが所属していた会社の仕事に晋太朗さんが関わったこともあり、仕事の相談をする仲になった。

萌子さん まぁ多分、わたしの方が好きだったんだと思います(笑) わたし、それまで結構堅実な人と付き合うことが多かったんです。でも、晋太朗さんは会社に就職してなくて、フリーランスで活動してるって経歴で。わたしからすると、「どうやって生きてきたの?」みたいな。すごく新鮮で。

萌子さんのアプローチもあって惹かれあい、関係を深めていったふたりに、2018年1月、妊娠がわかる。萌子さんは「妊娠したし、婚姻届を出すだろう」と考えていた。しかし晋太朗さんにはずっと、日本の婚姻制度に対する違和感があった。

晋太朗さん 家族のあり方が変わってくるなか、いまだ夫婦別姓や同性婚が認められていないことなど、現状の婚姻制度によって不幸になっている人たちがいることを知ってて。そういう制度に対して、自分なりにできることはなんだろうか、とずっと考えていました。いざ自分が当事者になる状況になった中、今できる方法に向き合いたいと思ったんです。

実は出会った当初から、婚姻制度への違和感については萌子さんとも話していた。とはいえ実際に妊娠がわかり、「事実婚でいきたい」と伝えられた時、萌子さんは驚いたという。

萌子さん え? みたいな(笑) わたしは会社員の家庭で育ったこともあって、比較的型にはまって生きてきた人間なので、「好きな人と結婚して、毎月会社からお給料もらって、いつかローンで家を買って、定年まで働いて…」みたいなイメージがあったんですよ。

そもそも、事実婚についてあんまり知らなかったこともありますし。現実的なところでいえば、子どもも生まれるし、親になんて説明すればいいかもわからないよ…って思ったんです。

事実婚のメリット・デメリットを徹底的に調べた

事実婚をするかどうかは、ふたりだけの問題ではない。生まれてくる子どもに対して不利益がないのかや、両親に納得してもらえるかなど、おたがいに疑問点があった。そこでふたりは、事実婚のメリットとデメリットを徹底的に調べることにした。

しかし、ネットで検索してもなかなか正確な情報が得られない。そんななか大きな助けになったのは、行政書士の水口尚亮さんに相談したことだった。

すでに紹介したとおり、水口さん自身も事実婚をし、子どもを育てている方。まさに当事者である水口さんに、ふたりは事実婚のメリット、デメリットを確認していった。

一般的に事実婚は、改姓が不要であることや事実婚を解消しても戸籍に記録が残らないこと、相手の親戚付き合いから距離が保てることなどのメリットがある一方で、相続権がないこと、ふたりで親権を持てないこと、配偶者控除や医療費控除など税制上の優遇が受けられないこと、持ち家を買う際にペアローンが組みにくいこと、家族関係を証明しにくいことなどのデメリットがあるといわれる。

そうしたメリット・デメリットをみていったうえで、萌子さんと晋太朗さんが感じたのは、「色々と課題やデメリットはあるが、今の自分たちにとっては大きなデメリットではない」ということだった。

萌子さん わたしたちは共働きで、これからも互いに仕事をする前提なので、配偶者控除が必要な状況にはなりにくい。親権の問題も、「僕が持ちたい」って言われたらちょっと悩んだかもしれないですけど、幸い彼もわたしが持っていていいと言ってくれたので。

晋太朗さん もちろん、相続の問題とか、親権の問題を気にする方もいますし、税制優遇を必要とする人もいます。なので、「一概に事実婚はデメリットがない」とは決して言えないですが、すくなくとも私たちにとっては、今のところ大きなデメリットではないと捉えました。

事実婚について調べていくなかで、萌子さんの事実婚に対する考えも変わっていった。大きかったのは、あるアスリートの言葉だった。

萌子さん 当時、仕事の関係で、プロボクサーの村田諒太さん(筆者註:2023年に引退)と話す機会があったんです。彼は、自分を鼓舞するために『俺は村田諒太だ』って繰り返し唱えてリングに上がってるって言っていて。

それを聞いた時に、「『わたしは江口萌子だ』って唱えてリングに上がれるかな?」って想像したら、「ぜんぜん力が入らないわ…」と(笑) 30数年、高木萌子として生きてきたわけですからね。そう気づいた時に、結婚したからといって姓を変えなければならないのはたしかに変だなって思ったんです。

萌子さんの考えが変わったこともあり、ふたりは事実婚をするという決断をした。といっても、その決断が最終決定だとは考えていなかったらしい。事実婚をしてみて、不都合が生じたら法律婚をすればいい。それに、今後選択的夫婦別姓が認められるなど、法律婚のデメリットがなくなれば婚姻届を出してもいい、という余地を残しての選択だった。

夫婦の契約書をつくる

「事実婚をする」という意思決定をしたあと、ふたりが取り組んだのは契約書の作成だ。冒頭でも書いたように、行政書士の水口尚亮さんが作成した公正証書を雛形に、どの項目を入れてどの項目を入れないか、それぞれの項目の内容をどのようなものにするのかを話し合っていった。

たとえば子どもの親権について。法律婚では婚姻期間中の親権は夫婦が共同で持つことになるが、事実婚の場合は原則として母親が親権を単独で持つ。父親は認知をすることで父子関係が認められ、法的な相続関係となるが、父親が親権を得るためには父母で協議したうえで母親を親権者から外し、父親に変更する必要がある。

この点は幸い、萌子さんが親権を持ち晋太朗さんは認知する、というかたちで合意することができた。ただ、「契約解消の際の親権は双方で話し合って決める」という内容も盛り込んだ。「便宜上、わたしが親権を持ってるけど、『自分にもある』って実感を彼にも持っていて欲しかったから」と萌子さんはいう。

また、子どもの姓については晋太朗さんの姓である「江口」にすることも検討したというが、子どもの姓と親権者の姓を別のものにした場合、公的手続きのなどの際に親子関係の証明が煩雑になってしまうことから、萌子さんの姓である「高木」にすることにした。

不貞行為を働いたことに伴う慰謝料請求をする離婚については、一般的な慰謝料請求の裁判の判例をもとに「結婚年数×いくら」という計算式と上限金額を設定した。

2018年3月に作り始め、25項目、17ページにわたる契約書が完成したのは9月。かかった費用は、行政書士の方に十数万円、公証役場に出すのに数万円だったという。

ちなみに、契約書の作成にあたり、それぞれの親にも事実婚の選択をすることを伝えた。その反応は、意外なものだった。

萌子さん 「事実婚なんてやめなさい!」と説得されるかと思ったら、「子どもに影響がないようにしさえすれば、したいようにすればいい」ってすんなり受け入れられたので、驚きましたね。

晋太朗さん 私の親も「好きにすればいい」という感じで。5月くらいにはお互いの親も含めた食事会をしたりして、親とのコミュニケーションはスムーズにいきました。

数少ない困った点は、「住宅ローン」と「里親になること」

夫婦の契約書をつくってから、2023年で5年目(公正証書ができたのは2018年9月だが、契約期間の開始は2018年5月にしていた)。現在、事実婚、そして契約書をつくったことをどのように捉えているのだろう。

これにはふたりとも、「正直、今のところ大きなデメリットはそんなに思い浮かばない」という。

萌子さん 子どもが姓のことで困ってしまうかなと思ったけど、いまのところすんなり受け入れてくれてます。保育園側も、 親の姓が別でもどうこう聞いてこない。

外国人の方と結婚された方とか、シングルで子育てをしてる方など、実は私たちの周囲にいる方々のバックグラウンドは多様で、そうした状況に現場はうまく対応しているんだと感じます。もちろん、まだ事実婚して5年なので、今後どうなるかわからないですが。

数少ない困ったこととしては、都内で家の購入を検討した際の住宅ローンと、里親になることだったそうだ。

萌子さん 事実婚だと住宅ローンを共有名義にできなくて、ペアローンも難しかったので、都内で家が買えなかったんです。彼ともいろいろ話した結果、彼の実家である福岡に家があるから、いずれそっちに引っ越せばいいか、ということもあって、その時は大きな問題にはならなかったです。

晋太朗さん あとは里子の受け入れかな。以前、里親になることを検討していたんです。事実婚でも、制度上は里親に登録はできるんですよ。

でも児童相談所に相談に行ったら、事実婚で里親の登録は珍しいのか、担当の人がすごく慌てていて、やりとりがあまりスムーズではなかったです。

すべての児童相談所がそうなわけではないと思うんですけど、事実婚夫婦が里親に登録することはあまり想定されていないのだと感じました。とはいえ、諦めずに引き続き里親を検討していきたいと考えてはいます。

それ以外には大きなデメリットは感じていないという。ただ、あくまで現時点での話。これから別の問題がでてくる可能性は、ふたりとも頭に入れているようだ。

晋太朗さん 例えば、親族や親の介護の問題、大きな病気や入院・手術時での同意、保険の受取など、事実婚によるデメリットも挙げればきりがありません。いろんな可能性やパターンを考慮するなかで、その時々で対処していくしかないと思っています。

契約書づくりは「価値観・限界・不安」をすり合わせるプロセス

一方で、事実婚のメリットはいろいろと感じているらしい。たとえば、契約書をつくる過程でパートナーの貯金状況など、聞きづらい情報もオープンにできたことや、民法や戸籍法など家族にまつわる制度を理解できたこと。

さらに、二人にとって、契約書と遺言書をつくるプロセスを通して、深く話し合う機会を持てたことが重要だったようだ。

晋太朗さん 契約書をつくるプロセスって、どんな関係でいたいのか、どんな生活をしたいのかを意識して、合意を取るわけじゃないですか。その作業を通じて、「家族である」っていうことを確認してる感覚もありましたね。法律婚をする人でも、最初に話し合えた方が、その実感は高まる気がします。

萌子さん そうそう。結果よりプロセスが大事かもしれない。パートナーとの関係とか、子どもとの付き合い方とか、お金のつくり方とか、自分や相手の軸がその過程で見えてきたような気がします。

キャリア志向のカップルがキャリアと家庭の両方を充実させる方法について研究したジェニファー・ペトリリエリは、著書『デュアルキャリア・カップル』のなかで、カップルが直面する最初の転換期として「それぞれに独立した仕事と生活を手にした状態から、お互いを頼る状態へと移行する」時期をあげている。

そして、仕事上の大きなチャンスや子どもの誕生によって引き起こされるその転換期をうまく乗り越えるためのツールとして、「二人の協定づくり」を提案している。その協定とは、パートナーと次の3つの分野について徹底的に話し合い、すりあわせたものだ。

価値観:何を幸せと感じ、何を誇りに思い、何に満足を感じるのか。いい人生とはなにかについての考え方

限界:地理的限界(住みたい場所、もしくは避けたい場所)、時間的限界(仕事について「もうたくさんだ」と思うライン)、在・不在に関する限界(最低限一緒に過ごしたいと思う時間はどれくらいか、離れて暮らすのは問題ないか、など)

不安:相手との将来のことや、パートナー家族のことや、子どものことなど、それぞれが抱えている不安
(参考:『デュアルキャリア・カップル』64-71頁)

この3つについて話し合い、共通の基盤を築いておけると、転換期を乗り越えるための助けになるという。

萌子さんと晋太朗さんが契約書をつくるプロセスは、まさにこの「価値観・限界・不安」をすりあわせ、「二人の協定」をつくる作業だったんじゃないだろうか。

欧米では、「二人の協定づくり」のように結婚前におたがいの価値観や考え方をすり合わせる「プレマリッジセッション」が日本よりも一般的におこなわれているらしい。萌子さんと晋太朗さんは、「こうした話し合いが日本でも、もっと広まったらいい」と語る。

晋太朗さん お金はどうするかとか、死んだらどうするとかいうことを話すのって、いわゆる「ラブラブな夫婦」のイメージとは違うかもしれません。

だけど、この先どうなるかわからないことを考えると、結婚前に現実的に冷静な話をしておくのはすごく大事だと思うんですよね。もちろん、結婚した後も定期的に見直すことも大切です。

契約書づくりは、「個人であり、家族でもある」を実現するプロセス

家族社会学者である久保田裕之さんは、従来の婚姻制度を「完全な他者から完全な家族への制度的飛躍を強いるもの」だとしている(『最小の結婚』244頁)。

いいかえれば、法律婚は婚姻届を提出すれば「家族」に付随するさまざまな権利や義務がまとまって付与される「完全パッケージ」である、ということだ。

そのパッケージを、「自分たちであれこれ考えなくていいんだ、ラッキー」と捉える人もいるかもしれない。けれど、気づかないうちに自分たちの望まない権利や義務が課されることになったり、個人よりも家族が優先される関係性につながったりするし、そもそもその制度から排除されてしまっている人もいる(同性カップルや夫婦別姓を望む人のように)。

萌子さんと晋太朗さんがしたような、対話を通じて自分たちの契約をつくっていくプロセスは、「完全な他者から完全な家族」に飛躍するのではなく「それぞれが自立した他者でありながら、家族でもある」という関係を、自らの手でていねいに立ち上げる作業だったのかもしれない。

「それぞれが自立した個人でありながら、家族でもある」ことは、萌子さんも晋太朗さんも大切にしてきたようだ。

萌子さん 結婚しても「高木萌子」っていう独立した個人であり続けたいとは思ってます。夫婦で別の姓にしたことで、よりその意識は持てていますね。

それに、扶養家族になれないのもわかってたので、常にわたしが一人でも自立できるか、稼げるかどうかっていうのは意識してます。実際は、一人ではどうにもならないときも多々あるんですけど。

晋太朗さん そうだね。自立した個人であるっていう感覚はそれぞれ持ってると思いますよ。最悪、いきなり明日死ぬかもしれないし。急にシングルになって、子育てどうする?ってなったときに、それまで家事にも育児にもコミットもしてなかったら、何もできないわけじゃないですか。なので、それぞれがワンオペでも育児ができるように、すべてのことを互いが把握しています。

夫婦でもそうですけど、子どもに対しても、家族である以前にひとりの個人として尊重するように意識はしてます。子育てに関することも常に一緒に議論しながら進めています。

また、「それぞれが自立した個人でありながら、家族でもある」ためにも、契約書をつくる作業は有効だったようだ。

「夫婦の契約書をむすぶ」と聞くと、「他人同士がひとつになる」というイメージを持ちそうになる。でも、実際はそうではなくて、「2者間の契約だから、前提としてそれぞれが独立した個人でないといけない」と萌子さんがいうように、むしろ契約書をつくることは、「パートナーも他者である」ということ確認する作業でもあるのだ。

晋太朗さんも、「家族と個人は、本来両立できるものです」と強調する。

晋太朗さん つい、家族の中に個人が内包されてるって勘違いしてしまいそうになりますよね。だけど、本来は個人と家族は別のもの。それぞれの個人が家族にコミットしてるだけであって、基本になるのは個人であると思うんです。

もちろんそれを図式であらわせば、個人の部分に家族が、家族の部分に個人が重なっている部分はあるので、ふたつの円が重なる「ベン図」みたいな感じではあると思うんですけど。個人と家族が完全に一致はしないですよね。それが、契約書をつくることで実感しやすくなりました。

そう、家族と個人は、一致しない。本来一致し合うことのないそれらが侵食するとき、DVや虐待や、個人が我慢を強いられること、避けられたはずの別れ…といったことが起きてしまう。

夫婦の契約書をつくるプロセスは、家族と個人という本来は別々のものをどこまで重なり合わせ、どこからは個人の独立性を保つのか、という境界線を明確にして、「ほしい家族」の輪郭をつくっていく作業なのかもしれない。

けれど、家族と個人の関係は、どちらかがどちらかを奪い合うばかりではないということも、萌子さんが教えてくれた。

萌子さん この4年の間に、個人としていろんなやりたいことが出てきたんですよ。勉強したい、海外で仕事したい、みたいな。

それが「やれる!」って思えてくるのも、家族がいる安心感があるからなんですよね。家族がいるからこそ、わたしがわたしらしくいられる部分もあるんです。

契約や仕組みに依存しすぎない

法律婚という、ある意味「完全な他者から完全な家族」への飛躍を可能にするパッケージを選ばなかった萌子さんと晋太朗さんは、「自立した個人でありながら、家族でもある」という家族のかたちを、自らつくっていくことを選んだ。

ただ、「事実婚」や「契約書」といった言葉の印象が強いから、そこにばかり注目してしまうけれど、それらをつくることでもって「家族ができた」と安心してしまってはいけない。「実際は、そのあとのほうが大事なんですよ」と萌子さん。そう、ふたりの「ほしい家族をつくる」は、今も続いているのだ。

萌子さん 仕事でもそうですけど、契約とか仕組みとかって一部でしかない。その後にどう運用していくかっていうことのほうが大事だと思うんですよね。

晋太朗さん 結婚したからといって、永久不滅なものとしての家族になるわけじゃないですからね。それぞれのライフステージとか、健康状況が変われば、家族のかたちも変化していく。普段の努力によって関係をキープし続けなければ、家族はすぐに壊れるものでもある。お互いに気を配り続けることが大事な気がします。

契約や仕組みは、家族や個人を守るものにもなれば、それにとらわれすぎると「なんで決めたのにやってくれないんだ!」といった不満が爆発して喧嘩が勃発する、といったように、家族や個人を損なうこともある。だから、契約や仕組みをつくったあと、それに依存しすぎないことはとても大事だ。

そのことの比喩として、萌子さんは面白い話をおしえてくれた。

萌子さん この前、滋賀にある比叡山延暦寺に行ったんです。延暦寺には「不滅の法灯」っていう、1200年消えることなく灯され続けている火があるんですよ。

それだけの長い間灯し続けてるって、どんなすごい仕組みがあるんだろう?と思って、「どんなふうに管理してるんですか?」って住職の方に聞いてみたら、「仕組みはない」っておっしゃっていて。ただただ毎日欠かさず、油をたやさないように気をつけてますって。「油断大敵」って言葉、そこからきてるんですね。

それを聞いて、なるほどなぁと。契約や仕組みにするのは簡単。でもそれをガチガチに決めないからこそ、その火を絶やさないようにみんなが気をつけるじゃないですか。1200年消えることなく灯され続けている秘密は、「契約や仕組みに依存しすぎないこと」にあるんだなって。

そうか。夫婦の関係性も、灯りのようなものかもしれない。

「結婚したから大丈夫だよね」「契約書をつくったから大丈夫だよね」と、気をかけることをやめてしまったら、灯りはちょっと風がふいただけて消えてしまう。だから契約や仕組みに依存しすぎることなく、お互いが気をつけあうことが大事なんだろう。

そんな感想を話したら、萌子さんがこれまた面白い話を続けた。

萌子さん わたしたち家族においての「油」は、実は「個人の権利を尊重する」って意識なのかもしれないです。家族だとしても、一人の個人として相手の権利をしっかり尊重すること。たとえば私が大学院に行きたいっていってるのも、彼は尊重してくれてると思うし。

晋太朗さん そうだね。もちろんみんなが好き勝手やったら家族が成り立たないから、家事や育児のマネジメントをどうするとか、 お金どうするかみたいな、やるべきことはやったうえで、お互いがやりたいことをできる環境をつくる努力はしていますね。

家族の灯りを絶やさないための、「個人の権利を尊重する」意識。
契約書をつくることに意味があるのは、そんな意識が育まれること、言い換えれば「家族の灯り」を絶やさないために、みんなが気をつけ合う、「油断大敵」な意識が育まれることにもあるのかもしれない。

いずれ、一緒に住まなくなるかもしれない

と、ここまで書いてきてちゃぶだいをひっくり返すようだけれど、萌子さんも晋太朗さんも、今の家族のかたちがずっと続くとは考えていないようだ。互いのキャリアや子どもの自立状況によっては、一緒に住まないかもしれない、という。

晋太朗さん 選択肢としてゼロではないですよね。子どもも大きくなって自分なりにやりたいことがでてきたらそれを応援したいし、我々も自立してる。例えば彼女も、「仕事で海外に行きたい」みたいな話もしてるんですよね。

彼女の今後を考えた時に、私としてもそれは応援したい。でも別に、私が一緒に行く必要性もないですし。もちろん、その逆もあるかもしれない。それぞれのやりたいことをそれぞれが応援できるようなことはサポートしていきたいですね。

萌子さん そう、いずれ彼と離れて海外に行く気満々です(笑) できれば子どもは連れていきたいと思っていて。それは英語も学んでほしいし、っていう思いもあるで。

ただ、晋太朗さんは「そうしたことと婚姻関係は別のこと」と付け加える。将来的に法律婚の仕組みが変わって、法律婚をしている可能性もあるそうだ。

晋太朗さん 今のような夫婦関係における法的な保護やサポートがないほうが良いとも思っていませんし。法律なり社会の状況が変われば、ずっと事実婚でいることも見直せばいい。

それと、どういう婚姻関係であっても、一緒に住むかどうかもまた別問題ですよね。ともに暮らすこと、どういった関係性であり続けるか、それもつねに変化していくものだと思っています。

そうか、「家族の灯りを、ひとつ屋根のしたで灯し続けなければいけない」という考えも、きっと思い込みなのだ。

もちろん、子どもが成人するまで、ケアの担い手として家族のかたちを維持するという養育者の責任はあるかもしれない。だけど、子育てを考慮に入れなければ、また話はかわってくる。

そのとき、「家族の灯り」が個人の安心と幸福を守るものになるのか。そうでないなら、「灯りをちがう場所にわける」、あるいは「灯りを絶やす」、という選択もありうるんだろう。

10年後や20年後、萌子さんと晋太朗さん、そしてお子さんはどんな人生を歩んでいるんだろうか。すくなくとも、どんなパッケージにも選択を委ねることなく、ほしい家族を自らの手でつくっていることは間違いない。そんな気がしている。

参考文献

植村恒一郎、横田祐美子、深海菊絵、岡野八代、志田哲之、阪井裕一郎、久保田裕之 著,『結婚の自由 「最小結婚」から考える』2022,白澤社
ジェニファー・ペトリリエリ著、高山真由美訳『デュアルキャリア・カップル 仕事と人生の3つの転換期を対話で乗り越える』2022,英治出版
「コラム3 事実婚の実態について」 内閣府男女共同参画局
公正証書による事実婚の契約内容の一部を解説します」江口晋太朗

(編集:佐藤伶)

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