募集要項は記事末をご覧ください。
そんな景色がいま、日本の過疎地域に広がっています。
「なんとかこのまちを、未来へとつないでいけないか」
地域に足を運び、豊かな自然の恵みを享受して、地元の人との関係性を育むうちに、そんなことを思うようになった経験のある方もいるかもしれません。
モリウミアスの代表・油井元太郎(ゆい・げんたろう)さんも、かつては地域を訪れるたびにそんな想いを抱いていたそう。
東日本大震災の後、ボランティアとして訪れた石巻市雄勝町に残されていた廃校をいかして子どもたちがまちの自然とつながる体験施設「MORIUMIUS(モリウミアス)」を立ち上げてから7年半。子どもだけでなく、保護者や企業研修の方、各分野の専門家など年間1,500人もの人が訪れるようになったいま、油井さんの視線は、「子ども」から「まち」へ。いえ、「子どもとともにまちへ」と言った方が正確かもしれません。
名実ともに、「まちの未来をつくる」ことに向けて歩み始めたモリウミアスで、いま、「暮らし」と「食」を担うスタッフを募集しています。暮らすこと、食べること。日常の営みから未来を育む、モリウミアスの仕事とは?
▽「モリウミアス」については、こちらの記事もご覧ください。
子どもたちと、まちの未来をつくる。それは自分自身の未来を切り開くこと、でもある。いま、石巻市雄勝町「モリウミアス」で働くということ。
森と海と、“子どもとまちの”明日へ
東日本大震災による津波が押し寄せ、まちの約8割の民家が流されるという大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝町。年間を通して、ホタテ、ホヤ、牡蠣、銀鮭といった海の幸に恵まれる、リアス式海岸の美しいまちです。
このまちの高台にあった廃校が、2年半に渡りのべ5,000人の手で再生され、子どもの複合自然体験施設「MORIUMIUS(モリウミアス)」として歩み始めたのは2015年7月のこと。
火をおこしてかまどでご飯を炊き、生ゴミを堆肥化し、豚や鶏など動物の世話をし、森に入り手入れをして、漁船に乗り込み海の幸を得る。「サステナビリティ」というコンセプトを軸に、自然との共生の中で子どもたちが自ら生きる力を学び取る7泊8日の夏のプログラム(※)を中心に、春から初夏、秋から初冬にかけては週末のショートプログラムも展開し、都心を中心に全国から子どもたちが訪れるようになりました。
(※新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、それまで7泊8日だった夏のプログラムを、2020年は4泊5日、2021年以降は6泊7日に変更して開催しています)
コロナ禍でもオンラインプログラムや地元の海の幸を盛り込んだ食品の通信販売も次々に事業化し、企業研修やアーティストも積極的に受け入れ、子ども大人問わず関係人口を増やし続けてきました。
2022年4月からは子どもが長期に渡って自然の循環とともにある暮らしを営み、地元の公立小中学校に通う「漁村留学」もスタート。2022年度は、3人の子どもたちがモリウミアスで暮らし、地元・石巻市立雄勝小中学校に通っています。
全校生徒30人の中で3人の存在は大きく、日々の学校生活で刺激を与え合うだけでなく、地元の子どもたちがモリウミアスを訪れるなど、活発な交流が生まれ始めました。ときには、留学生が漁師さんのお手伝いをしたり、地域の方の自宅に泊まりに行ったりすることも。留学生を通して、学校や地域の人々とモリウミアスの関係性も深まっています。
さらに2023年度からは、石巻市と民間事業者、個人が一体となり、雄勝町の中心部にある津波被害の跡地で進めている公園事業の担い手として、本格的なスタートを切る予定。モリウミアスは2万平米もの広大な土地を引き受け、葡萄畑とワイナリー、食品加工場、レストランなど、雄勝町内外の人々が集うフィールドを生み出す計画が動きはじめています。
モリウミアスのことを「子どもの体験施設」と思っていた方は、ここ数年の動きに変化を感じるかもしれません。
でも、そもそも「モリウミアス」という名前の由来は「森」と「海」と「明日」にあり、「明日」には当初から「子どもとまちの明日」という意味を内包していました。当時は「まち」という言葉に復興の意味合いが強く含まれていましたが、「まちづくり」という思想はずっとモリウミアスの根底に流れ続けていたのです。
設立から7年半。まずはあるものをいかして子どもたちの学び場を営むことで、関係人口を増やし、まちとのつながりを育み続けてきました。これまでの確実な歩みをベースに、漁村留学や町中の公園での農事業など、いよいよ本気で「まちづくり」へと舵を切り、モリウミアスは新たなフェーズに入ったと言えるかもしれません。
自分自身が楽しみ、暮らしのモデルをつくる。
「泊まるチーム」の仕事
さて、進化し続けるモリウミアスにおける仕事とは?
モリウミアスのスタッフは、主に「学ぶチーム」「泊まるチーム」「食べるチーム」の3つに分かれており、個人の興味関心やニーズに応じてチーム間を横断しながら仕事をしています。ここからは、今回のスタッフ募集の対象となる「泊まるチーム」と「食べるチーム」の仕事について、スタッフの方々のインタビューを交えてご紹介していきます。
まずご紹介する「泊まるチーム」は、モリウミアスの宿泊予約や設備管理、お客さんとのやりとりや経理も含むバックオフィス業務全般を担います。モリウミアスの“縁の下の力持ち”とも言える「泊まるチーム」で活躍する原田明季(はらだ・あき)さんにお話を伺いました。
兵庫県姫路市出身の原田さんは、NPO職員や塾講師、公立中学校の教員を経て2018年よりモリウミアスに合流。約5年間にわたりプログラムの予約管理や問い合わせ対応、学校団体との調整等事務仕事のほか、掃除や風呂炊きなどの体力仕事も担ってきました。
いまでは泊まるチームの中心で、誰からも頼られる存在の原田さんですが、参画当初はどこまでも主体性を求められる組織のあり方に対する戸惑いも大きかったと語ります。
原田さん 「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますよね。でもここでは、「従おう」と思うと「従わずに自分で考えて!」って言われちゃって、「えー! 最初くらい従わせてよ」みたいな(笑)
つまりモリウミアスの「郷」って、人それぞれにあるんですよね。一番大事なポイントだけ抑えていれば、それぞれに大事にしたいことを持っていていい。だから、みんなの考えを探りつつ、自分の答えを見つけていく姿勢が求められます。難しいけど面白いですよ。最初は修行ですが(笑)
戸惑いながらも、スタッフやまちの人、訪れる人々とのコミュニケーションにあふれる仕事のなかで、自分自身の生き方の根本を見つめ直してきたと振り返る原田さん。モリウミアスの仕事の魅力をこのように表現してくれました。
原田さん ひとことで言えば、多様性。子どもたちのプログラムでも大事にしていることですが、いろいろな人のいろいろな価値観に触れることで自分の視野も広げられます。
泊まるチームはコミュニケーションの窓口だからこそ、多様な人々との出会いが多く成長のチャンスにあふれています。単純な事務作業も多いのですが、各業界のスペシャリストの方など、たくさんの刺激的な出会いがあるのはモリウミアスならでは。
こんな世界があるのか、こんな考え方もあるのか、っていつも新鮮な驚きがあって、コミュニケーションが好きな方にとってはすごくいい環境だと思います。
多様性にあふれるモリウミアスで働くことで、暮らしも「180度変わった」と言う原田さん。休日は衣類を繕ったり、地域のお方の家でお茶をしたり、農作業のお手伝いをしたり…。このまちの人や自然とつながりにあふれる暮らしを満喫している様子です。
原田さん 私、マッチさえすれなかったんですよ。こんなにエコで丁寧な暮らしがあるなんて全然知らなかったし、震災のことも漁師さんの暮らしも野外活動も全く知らなかった。
だから何もかもが新鮮で。自然にも周りにもフェアな生き方っていいな、と思いますし、ここにいるとそういう暮らしの情報がいっぱい入ってくるので、あれもこれもやりたくなって楽しいですね。
私の役割は「暮らしのモデルをつくる」といいますか、私自身が楽しむことで「モリウミアスで働く私たちの暮らしがこんなに素晴らしいものなんだよ」って子どもたちや地域の人々に伝えていきたいですし、そのことで私たちが周りにとっていい影響を与えられたら最高だなって思っています。
2022年にはモリウミアスの「学ぶチーム」スタッフ安田健司さんと入籍し、雄勝町内に新居を構えました。原田さんの人生も、新たなステージへと向かっています。
原田さん このまちには震災後、いろいろな人が訪れましたが、やはり長くいる人は少なくて。地元の方の中には「みんなすぐに去っちゃう」という感覚があるのを感じます。私も帰省するたびに「辞めたのかと思った」と言われてしまうんですよね。
でも私はそういうみなさんの気持ちに寄り添いたい。見ず知らずの私によくしてくれたみなさんに、「私はいるよ」と言ってあげたい。悲しませたくない。いまはそんな気持ちとともに、このまちで生きています。
「いつか自分で宿泊業をやりたい」という想いを携えながら、いまここでの暮らしも仕事も存分に楽しみ、人々との関係性も大切に育んでいる原田さん。「ここで働く時間は絶対に無駄にならない」と語る真っ直ぐな眼差しが印象的でした。
多様な人との関わりの中で、自分の興味関心を具現化していく。
「食べるチーム」の仕事
「泊まるチーム」とともに、今回スタッフ募集の対象となる「食べるチーム」は、モリウミアスが大事にしている“自然とつながる食”に関する業務全般を担います。
地元漁師さんや産直から食材を仕入れ、保護者や企業研修等で宿泊する方向けの食事をつくるのはもちろん、子どもたちのプログラムにおける料理のレクチャーも担当。一昨年からはオンラインプログラムの講師や通信販売「モリウミアスアットホーム」の商品開発など、モリウミアスの事業展開とともに、仕事の幅は広がっています。
今回お話を聞いたのは、モリウミアス設立当初から「食べるチーム」の顔として活躍してきた山口孝則(やまぐち・たかのり)さんです。子どもたちからも「ホヤさん」として愛される山口さんは、岩手県出身。自衛官として6年間働いた後、食の専門学校に通い、さまざまな飲食店での勤務を経てモリウミアスに合流しました。
「手に職を」と食の世界に飛び込んだ山口さんをモリウミアスへ導いたのは、「生産地で働きたい」という想い。専門学校時代にモリウミアスの前身となる団体のインターンとして雄勝町の漁師さんの仕事に触れ、都心のレストランの発注作業との間に大きなギャップを感じたと言います。
山口さん 漁師さんは朝3時から出かけて20代の僕でもヘトヘトになるほどの労働をしているのに、レストランでは夜にFAXで魚介類を注文したら、朝納品されるのが当たり前。「便利ならいい」、「効率的な方がいい」という価値観に違和感を覚えました。漁師さんの暮らしを体験した僕が、生産現場を伝えながら食事を提供することができたら、漁師さんにも喜んでもらえるんじゃないかと思ったんです。
モリウミアスで働き始めて2年ほどは、子どものプログラムに深く関わることなく、宿泊に来た方々向けの料理の提供に必死だったという山口さん。先輩スタッフと共に、モリウミアスにおける“食の軸”を見定めていきました。「子どもも安心して食べられるものを提供したい」という想いから、2年の月日をかけて3つの基準をつくりました。
この基準をもとにつくられたモリウミアスの食事は、いつしか訪れる人々を魅了するように。
リピーターのみなさんが絶賛するその美味しさの秘訣は、これらの軸に加え、多様な人が関わるモリウミアスのあり方にあるようです。
山口さん 他の飲食店と違って、スタッフは毎年冬に研修に行くことができますし、子どものプログラムにもゲストシェフを招いています。オンラインで料理人の人と対話したり、地域のお母さんが来てくれることもあります。多様な人が関わってくれる団体だからこそ、外からの刺激で自分では思い付かないことを料理に落とし込んでいける。新しいアイデアを生むためのきっかけがたくさんあるんです。
山口さん自身も「里山十帖」(新潟県)や遠野(岩手県)の「民宿 とおの」、「とおの屋 要」に研修に行き、そこで学んだ食のあり方や発酵の哲学をモリウミアスに持ち帰ったそう。また、ゲストシェフとして招いたインド料理のシェフから学んだスパイスの使い方や、地元のお母さんたちから聞いた保存食の知恵は、いまも日々の料理にいかされているそうです。
多様性に溢れ、風通しの良いモリウミアスならではの料理を生み出し続けている山口さん。7年半の月日を経て、いまもっともやりがいを感じているのは、当初全く関心のなかった子どもの教育なのだとか。
山口さん モリウミアスで魚をさばいた子どもたちは家でもやるのかなと思っていたのですが、実はそうでもないということを知って、教育に興味を持ちました。行動が変わるのは最終形態で、実はとてもハードルが高い。
それでも、なんとかならないかと家での学びを充実させることに取り組み始め、いまは雄勝の食材をきっかけに自分の暮らしの中のことにも目を向けてもらうようなオンラインプログラムも届けています。
プログラムに参加した子どもたちが家でも魚一尾を親御さんにおねだりしてさばいていたり、お母さんが料理をする大変さを実感したり、といった子どもたちの変化や成長が、いまの山口さんの原動力。これからはガーデンパーク事業の一環として食品加工場の立ち上げに注力するとともに、貧困など困難な環境にある子どもたち向けのプログラムにも意欲を示しています。
山口さん いまはそういった子どもたちにオンラインで学びを届けていますが、つながればつながるほど、現地に来てほしいと思うようになりました。そういう子たちにこそ、こちらでの学びをそれぞれの暮らしの拠点に持ち帰ってもらいたい。県外に旅行に行ったこともないまま親になるような子もたくさんいるので、雄勝に飛び出して来てほしいなって思います。
「モリウミアスは自分の興味関心を具現化できる環境」と語る山口さん。食を通した多様な人との関わりの中で、自らも変化し続ける山口さんの挑戦は、続いていきます。
「自然環境の活性」「子どもの教育」「まちの活性」をぐるぐる回していく。
モリウミアスのいまとこれから
記事の最後に、モリウミアス代表・フィールドディレクターの油井元太郎さんに伺った、モリウミアスのいまとこれからについてお届けします。
雄勝町では道の駅や商業施設、高台の住宅地等、復興工事が終わりに近づく中、モリウミアスとしては「ここ数年、これまでの活動で生まれなかったインパクトを確実に生み出している」と、感慨深い表情で語ります。
油井さん これまでは、「子どもたちのためにはなっているけれど、まちのためになっているかといえばインパクトは弱い」という気がしていたんです。でもいまは、漁村留学生たちの存在が地元の学校の継続やコミュニティの存続にもつながっていますし、市の公園事業については、ある意味これからの雄勝を委ねられた事業ともいえます。
これらの事業が本格化することで、「自然環境の活性」「子どもの教育」「まちの活性」という3つが大きくぐるぐる回っていくイメージを持っています。規模が大きく、まだ時間軸は見えていないですが、いろいろな人を巻き込んでいけば明るい未来が待っているんじゃないかと思うんです。
そんないまがあるのは、やはりこれまで7年半の積み重ねがあったからこそ。
油井さん それがなければ、土地があっても大規模農業や普通の六次産業で終わっていたと思います。子どもたちと積み重ねたこの7年半の経験はとても大きいですよね。
正直、1,000人のまちをどうサステナブルにするかというのは当初は全然思い浮かばなかったですし、いまもわかりません。関係人口を増やして外の人の力を借りて町とのつながりを育むといったことはなんとなく見えていますが、それでまちがどうなるかというところまでは見えていないんです。
でも、例えば漁村留学の視点で見ると、子どもたち自身が自然環境をより良くすることや、自らいろいろなことを学んでいくこと、それがまちの未来につながっていくという視点を持つこと自体が、モリウミアスの考える雄勝のまちづくりだと言えるかもしれない。いまのモリウミアスはそういうふうに捉えることもできますね。
職業体験テーマパーク「キッザニア」の日本での立ち上げメンバーでもある油井さんは、かつて、キッザニアのプログラムの一環で子どもたちとともに過疎地域を訪れました。自然環境は豊かなのにまちはどんどん衰退していってしまう。そんな光景を見て、ギャップを埋めたいという想いを抱いていたそう。当時から油井さんの視点は「まち」に向いていたのです。
油井さん それがモリウミアスにつながっています。モリウミアスをつくろうと思った当初から自分の中には震災復興という目的だけではありませんでしたし、仮に震災がなくても雄勝はいずれ同じ状況に陥っていたと思います。雄勝のまちと廃校に可能性を感じたのでキャリアチェンジしてモリウミアスを始めたという経緯があります。
教育とまちづくりをひとつに捉え、子どもと一緒にまちをつくる。長年抱いていた油井さんの想いは、いよいよ現実のものへ。
油井さん いまの子どもは機会に恵まれていません。それは大人が機会を与えないようにしているから。もっといえば、子どもを信じてあげられていないんです。待てずに答えを安易に示してしまったり、すごく平易なことしかやらせなかったり。「まち」や「社会」についてもちゃんと伝えていない気がします。
モリウミアスの漁村留学生は、毎日ご飯をつくって風呂を炊いて、そのためのエネルギー源となる木を自分で週末に薪割りをしないと生きていけません。だからこそ、自立してたくましく、かつ自然との共生を地でいくような、地球の未来を意識した子どもたちが育っています。これからはさらにまちづくりという視点で、留学生たちにも公園事業に関わってもらえたらいいですね。
熱くまちの未来を語る油井さんに、スタッフ応募を検討している方へのメッセージをいただきました。
油井さん まだ決まっていないことが多く、未来がはっきりと定まっていないのでチャレンジングではありますが、だからこそ自己実現がしやすい環境だと思います。それぞれがそれぞれの想いを持って、子どもたちやまちの未来に向かって走っていって、振り返ると自分が描いていなかった未来が切り開かれている。そんなきっかけが、ここにはあります。
決して「永住してください」とは言いません。自分の人生の一幕としてここでなにをやるかを、一緒に考えていくような組織です。そこに可能性を感じて飛び込んで来てくれるとうれしいです。
子どもを信じて、ともにまちの未来をつくる。
サステナブルなまちづくりのモデルとなりそうなモリウミアスのビジョンを、一丸となって実現していくのは紛れもなくスタッフのみなさんです。日々の事務作業も食事づくりも、このうねりをつくるための原動力になる。あなたという存在がかけ合わさることで、そのうねりはより多様性豊かになり、未来へ向かうエネルギーは増大していく。
果てしない可能性に満ちたモリウミアスで、一緒に人口1,000人のまちの未来を育みませんか?子どもたちと雄勝のまちの人々、多様性あふれるスタッフのみなさんが、あなたの合流を待っています。
(編集:山中康司)