リトアニアの独立運動を率い、初代元首となったヴィータウタス・ランズベルギスに迫ったドキュメンタリー映画『ミスター・ランズベルギス』が、12月3日に公開されます。
歴史の大きなうねりと、それを後押ししたたくさんの人たちの熱狂、そして一人のリーダーの姿に圧倒され、歴史の知識の有無にかかわらず引き込まれます。劇場の椅子に体をゆだねて、歴史的瞬間を目撃するかのような映像体験に浸ってください。
ソ連とリトアニアの運命を分けた1991年8月。あなたは何をしていましたか?
1991年8月23日、リトアニアはソ連から独立を宣言しました。ところが私自身、当時のニュースを思い返してみれば、その数日前、8月19日に起きたソ連8月クーデターのほうが、より印象に残っています。クリミアへ休暇に出ていたゴルバチョフが軟禁されたというニュースは、当時17歳だった私の心に強いインパクトを残したのです。
世界の注目がソ連の行く末に集まっていたその時、実はリトアニアの独立運動は大きな転機に差し掛かっていました。21世紀の日本に暮らしていると、独立を求めるという活動自体にリアリティを感じないかもしれません。けれどもこの映画を観れば、ソ連がクーデターに揺れていたあのとき、リトアニアの人たちが独立を勝ち取る戦いのまっただ中にいたことが実感できるでしょう。
映画は、リトアニアの独立を訴える政治組織サユディス(=運動の意味)の活動から始まります。ランズベルギスは最高会議議長に就任し、1990年にソ連に対し独立を宣言。スクリーンに映るランズベルギスはもともと音楽大学で教鞭をとる音楽家でしたが、すでに政治家としての風格を兼ね備えており、あまり変わらない表情からは強い決意が漂っています。
当時、ソ連ではゴルバチョフによるペレストロイカが始まっていました。ソ連の改革を進める一方、ゴルバチョフはリトアニアに対して独立宣言の撤回を要求し、経済封鎖を実施します。リトアニアに対する締め付けが厳しくなり、1991年1月11日には「血の日曜日事件」が勃発。これは、ソ連軍が首都ヴィリニュスを占拠し、多くの人の血が流れた事件です。緊迫した空気、ソ連軍に対し何とか抵抗を試みようとするリトアニアの人たち。文字通り、独立運動が命がけであったことがわかります。
その後、クーデターにより権威が失墜したソ連は、リトアニアの独立を認めざるをえなくなります。ソ連という大国の歴史が大きく舵を切ったとき、リトアニアの歴史もまた大きく動いたのです。そんな激動の時代を、当時の出来事をとらえたニュース映像や家庭用のビデオカメラで録画されたと思われる映像で見せつつ、当時を振り返るランズベルギスのインタビュー映像を加えることで、歴史に対する新しい視点を付け加え、観客に考えるきっかけを与えてくれます。
ゴルバチョフとエリツィンを、リトアニアの視点から見てみると
アーカイブ映像に映る若き日のランズベルギスは常に冷静沈着、強い意志とリーダーシップを感じさせる人物です。けれども、インタビュー映像に登場する90歳近くになった彼は、まるで別人のよう。にこやかにインタビューに答える様子は、威厳がありつつも柔らかな物腰でさえあります。丁寧に質問に答え、しばし考え込むことはあっても、苦い表情や怒りを見せることはありません。
そんなランズベルギスですが、ゴルバチョフに対する意見は辛辣です。日本では、ペレストロイカを始めてソ連を改革しようと試みた彼に対し、ポジティブな印象を抱く人が多いかもしれません。けれども、ランズベルギスにとっては独立運動を抑え込んだソ連の指導者なのです。「血の日曜日事件」をはじめ、独立運動で流された血や汗を思えば、厳しい評価をくだして当然とも考えられます。
ゴルバチョフを非難し、エリツィンを高く評価するランズベルギスのような物言いは、日本ではあまり耳にしない気がしますが、そんな感覚そのものが、歴史の多面性を表しているのでしょう。ランズベルギスの言葉を聞いて、自分がどんな印象を受けるか、どうしてランズベルギスはそんな風に言うのか、多角的に感じたり、考えたりする機会にすることもできそうです。
上映時間が4時間を超えるだけに、気軽に足を運べる作品ではないかもしれません。けれども、長時間のアーカイブ映像と丁寧なインタビューだからこそ伝わるものがあったというのが、スクリーンに向き合った実感です。知らなかった事実に目を開かされた感覚、さらにじわじわと気づきが自分の中に広がっていく感覚。ぜひ劇場に足を運んで、自ら体験してみてください。
(Pictures: ©️Atoms & Void)
(編集:丸原孝紀)
– INFORMATION –
12月3日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
https://www.sunny-film.com/mrlandsbergis