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家族関係を保つ秘訣は「健全な負債感」。マンションに夫婦&友人と暮らす“ポスト家族”を訪ねる。

これまでの「家族」のあり方にとらわれず、自分たちなりの家族のかたちをつくる人を訪ねる連載「ほしい家族をつくる」。まず訪れたのは、はしかよこさんのもとだった。

はしさんの家族はユニークだ。はしさんたち夫婦に加え、5人の友人たちと、ひとつのマンションに住んでいる。そして、5階のワンルームには夫婦と友人の3人で暮らしていて、他の階に住む友人たちはその部屋を自由に出入りしているという。

はしさんが「ポスト家族」と呼ぶ、そうした関係性は、これまで社会で当たり前とされてきた「家族」の限界を乗り越えようとするものだ。血のつながった親子や夫婦から成る、狭い意味での「家族」によりかからず、かといって市場や行政サービスに任せきりにせずに、ケアしあう関係性をつくるー。はしさんたちは、まさに「ほしい家族をつくる」を実践しているように、僕には思えた。

そんなはしさんの家族とは、一体どのようなものなのだろう。
そして、どのようにして、その関係性をつくってきたのだろう。

家族が担ってきた役割をシェアする

この連載の第1回となるコラムを、ウンウン唸りながら書いていたころのこと。スマホでTwitterのタイムラインを眺めていると、はしさんのnoteが目に飛び込んできた。

『ポスト家族論 ~古くて新しい生活単位~』

と題されたそのnoteには、次のように書かれていた。

「私たちの暮らし方は、夫婦というプライベートな領域を、友人というひとつ外側の社会にひらくことで、これまで家族が担ってきた役割をみんなでシェアするスタイルだと思う。

つまり、家族の役割を市場に求めるのではなく、血縁や婚姻関係にない人にも求めていくということだ。」

思わず、山手線のなかで叫びそうになった。
「それそれ! 僕が知りたいの、そういうことなんですよ!!」、と。

ちょうど連載をはじめるにあたって、取材先となる家族を探していたのだ。ぶっちゃけ、見切り発信の連載である。編集部から企画にGOサインをもらったものの、取材する家族のアテがあるわけでもなく、「家族」というテーマについての知識があるわけでもない。

そんな、右も左も、なんなら上も下もわからないなかで出会ったはしさんのnoteは、連載が進むべき方向性を示してくれる北極星のようにピカピカして見えた。これは取材するしかない。

TwitterのDMで取材の相談をしてみると、はしさんは快く受け入れてくれた。この連載、はじめての取材が、こうして決まったのだ。

マンションの各部屋に7人が住む家族

蕎麦屋や昔ながらの商店など、どことなく下町の雰囲気が残る街並みを抜けたところに、はしさんたちが住むマンションはあった。

この日は4月だというのに、最高気温が26度。歩いていると、汗がダラダラと出てくる。マンションの前で待ち合わせた編集担当の佐藤伶さん(家族というテーマに興味があるんじゃないかと思って、この連載に巻き込んだのだ)と、「あちぃっすね…」と言葉を交わす。

「ようこそ! 来てくださってありがとうございます」

エレベーターで5階に上がり、部屋のチャイムを鳴らすと、はしさんが笑顔で迎えてくれた。涼やかな風が吹き抜けるような笑顔だ。はしさん夫婦と友人が住むというワンルームも、開放的な空間。自然光がやわらかくさしこむ部屋の中に、ふたつのベッドが横並びで置いてあって、はしさん夫婦と、友人がそれぞれ寝ているらしい。

窓際には作業スペースもある。広々としたキッチンでは、はしさんがいつも料理をしているそうだ。この日ははしさんのパートナーであるKさんが、奥で作業をしていた。他の住人は出かけているとのこと。

つめたいお茶をいただいて、一息ついたところで、はしさんの家族について聞いてみた。ワンルームに夫婦と友人の3人が住んでいる、ということからして、あまり他では聞かない関係である。はしさんにとって、このマンションに住む人たちが家族、なのだろうか。

はしさん そうですね。このマンションに、今は計7人が住んでいるんですけど、その7人が家族っていう感じです。いわゆる「家族」とはちがうかたちだと思うので、呼び方はむずかしいですけどね。

このマンションに住むのは、はしさんと、パートナーのKさん(男性)、友人の Dさん(男性)。この3人が、5階のワンルームに同居している。そして、3階、6階、7階、8階にそれぞれ友人が住んでいる。別の階の人々は、もともとはしさんやDさんの友人だったそうだ。

僕はなんとなく、シルバニアファミリーのおもちゃを思い浮かべた。建物をぱかっと縦に割ると、それぞれの階でそれぞれの生活が営まれている。けれども、感覚としては家族なのだ。

撮影:Eichi Tano

「家族2.0」は2人じゃないからちょうどいい

「でも、7人のなかにもグラデーションがあるんですよ」

と、はしさん。レイヤーって、どういうことだろう?

はしさん それぞれのメンバーによって、Facebookメッセンジャーのグループがあるんです。グループには「家族2.0」「劇団家族」「〇〇(マンション名)の住人」etc…みたいな名前がついていて。それぞれのスレッドでのやりとりは、入ってない人からは見えなくなってます。

「家族2.0」「劇団家族」。めちゃくちゃ名前がチャーミングである。それに、家族にレイヤーがある、というのもおもしろい。たしかに人が7人もいれば、関係性に濃淡が出てくる。何か情報をシェアするにしても、「Aという情報はあの人とシェアしたい」「Bという情報はこの人とシェアしたい」ということもあるだろう。そのあたりの線引きは、どうなっているのだろうか。

まずは「家族2.0」について。

このグループには、はしさん夫婦とDさんが入っている。3人は一緒の部屋に住んでいて、食費や家賃といった家計も分担しているらしい。

はしさん わたしと夫で共有する財布をひとつつくっていて、そこから拠出したお金と、Dくんが拠出したお金をまとめた3人の財布がある、みたいな感じです。そこから必要な家電を買ったり、家賃とか食費とかを払ったりしています。

「家族2.0」では、食費や家賃といった家計を分担しているだけではない。関係性を保つために、この3人という人数が絶妙らしいのだ。

はしさん たとえば、2人だけだとうまく伝えられなかったり、喧嘩をしてしまったりすることもある。そういうときはもう1人が、両方から話を聞いて、さりげなく相手に伝えたりしてくれて。そんなふうに、2人の関係で揉めごとがあっても、もう1人が間に立ってくれるから助かってますね。

我が身を振り返ってみても、2人だけの関係性はこじれると本当にこじれる。なんだか逃げ場がないような感じになるのだ。そういえば僕の知り合いで、パートナー同士と一人の友人という、計3人で暮らしていた人が、「夫婦だけじゃなくて、もう一人いてくれるのがいいんだよねぇ」と、しみじみと語っていたのを思い出す。

とはいえ、夫婦だけですごしたいときはないのだろうか。

はしさん あー、プライバシーみたいなとこで言うと、難しいですね…。夫婦の寝室がほしいよね、という話はずっとしてます。でも、基本的にはわたしたちも、夫婦っていう関係を外に開いてるみたいな感覚ですね。ふたりの夫婦と、もう一人が住んでいるっていうよりは、フラットに一人ずつの個人が3人いる、っていう感じかな。

そうか。夫婦+友人、じゃないのだ。はしさんたちの感覚としては、3人がフラットにつながっているのが「家族2.0」なのだ。

僕はてっきり「夫婦が住む家に、一人の友人が居候的に住んでいる」というかたちをイメージしてしまっていた。そのイメージの根っこには、「家族は、夫婦からなるユニットが基本単位になっている」という固定観念があるんだろう。

はしさんの話を聞いていると、そうした凝り固まった固定観念がときほぐされていく感じがする。

劇団家族、そしてマンションのみんな

さて、次のレイヤーは「劇団家族」だ。これまたおもしろいネーミングである。この「劇団家族」は、「家族2.0」の3人に3階に住むRさんを加えた4人が入っているそうだ。

Rさんは、3人とは住む部屋は違うものの、はしさんいわく「すごい頻度でご飯を食べに来る」。メッセンジャーグループでは、今日どこで仕事をするかであったり、気になったニュース、晩御飯はどうするかといった話を毎日してるらしい。

ただ、「家族2.0」のメンバーとは違い、Rさんは自分だけの部屋を借りているため、家賃は別。食費に関しては、頻繁に食べに来るため「Rさんも負担してもいいんじゃないのか?」、という話も出たらしいが、たまにRさんが「そこそこ高額なプレゼント」を買ってくれることもあるため、今のところ折半にしてはいないそうだ。

そして「家族2.0」と「劇団家族」以外に、マンションの6、7、8階にも友人が住んでいる。Dさん、Rさんほどではないものの、5階のはしさんたちが住む部屋にご飯を食べに来ることもあるそうだ。

撮影:Eichi Tano

自然発生的に育まれていった関係性

「家族2.0」と「劇団家族」、そしてそれぞれの階の住人たち。はしさんの家族は、レイヤーがあるのだ。ひとつのマンションに7人が住み、レイヤー構造がある、はしさんのユニークな家族はどのようにしてつくられていったのだろうか。

ことの始まりは、2020年の3月。新型コロナウイルスの広がりを受けて、1年1ヶ月におよぶ夫婦での世界一周から帰国したはしさんとパートナーのKさんは、住む場所について悩んでいた。

はしさん ちょうど日本で緊急事態宣言が初めて出されたくらいのタイミングで帰国して、行くあてがなく「どうしたらいいんだろう…」って状態だったんです。

そのときちょうど、都内のあるホテルが日本人の長期滞在者向けにマンスリープランをはじめてたので、そのホテルに住み始めたんですよ。そこのマネージャーをやっていたのが、もともと知り合いだったDくんだったんです。

Dさんは、ホテルの空き部屋に住みながら仕事をしていたが、やがて長期滞在者で部屋が埋まってしまう。ちょうどはしさん夫婦の部屋にクイーンサイズのベッドが2個あったため、「うちの部屋に住む?」と声をかけ、はしさん夫婦とDさんは一緒に住むようになった。

3人が共同生活を始めたそのホテルは、部屋数が5部屋ほどだったので、すべての部屋の住人が顔見知り。共有のラウンジスペースにはキッチンがあったため、はしさんは料理をつくるようになった。

はしさん ラウンジにみんないるから、自分だけで食べてるのも変だし、「食べる?」って感じになって。あの時期は緊急事態宣言で外食ができなかったから、毎食8人ぶんくらい、昼ご飯も晩ご飯もつくってました(笑)。

たまたま同じホテルに住むことになった長期滞在者たちが、食事を共にすることを通して、つながりを深めていった。

しかし、住んでいたのはあくまでホテル。ずっと住み続けられる場所ではない。コロナが落ち着いたタイミングで、はしさん夫婦は次に住む場所を検討するようになる。その話に、「次どこ住もうか?」と混ざってきたのがDさんだ。

はしさん 「あ、Dくんも一緒に引っ越すつもりなんだ」って(笑) 。それがめちゃめちゃおもしろいと思って。別に3人で住むのが楽しかったんで、いいかって思ったんですよね。

そんなタイミングで、はしさんのもとに現在住んでいるマンションの情報が入った。敷金礼金がかからず、3人が住む部屋も確保できそう。それならあまりリスクもないし、ということで、トントン拍子で引っ越しが進んだ。

やがて、ホテル暮らしの際に自転車でご飯を食べに来ていた友人であるRさんも、そのマンションに通うようになる。「こんなに帰らないんだったら、もうこのマンションに住みなよ!」というはしさんの一声で、Rさんもマンションに住むようになった。

こうして2021年の1月ごろ、マンションでのはしさん家族の生活が始まった。そう、はしさん家族は、「この指とまれ!」的に集めたわけではなく、自然発生的に生まれていったのだ。

とはいえ赤の他人から家族になったというわけではなく、もともと友人のつながりがベースにあったというから、ある程度価値観のようなものは合っていたのだろう。

撮影:Eichi Tano

家族とはケアの関係性

マンションに住む住人たちを「家族のような関係性」だというはしさん。なにをもって「家族」といっているのだろう。

はしさん 「この人に何かあったら、ケアしたい」って思える関係性が、家族の本質なんだとわたしは思います。たとえば、DくんとかRさんが病気になったら、面倒をみようって思うし。

今のところ、住人のなかで大きな病気や事故などにあった人はいないが、さしあたりのケアとなっているのは、食事だ。普段の食事は、はしさんが「なんとなく多めに」つくっているらしい。特に約束をしているわけじゃないけれど、ご飯どきになるとDさんやRさん、ときには他の階の住人も集まってきて、団欒が始まるのだという。

はしさん 特に連絡をくれずにきて、「なんで自分の分ないの?」って言われるから、「いや、連絡してよ!」って時もありますけど(笑)。

食事の他にも、風邪をひいた時にポカリを買ってきたり、仕事で精神的に落ち込んだ人がいれば話を聞いたり…。一つひとつはささやかかもしれないが、そうしたケアが日常的にあるのとないのとでは、安心感が違うだろう。僕自身、コロナ禍の一人暮らしで、独りでいることの不安を身にしみて感じた。

「ただ…」と、はしさんは続ける。

はしさん わたしが書いたnoteでも、この関係性を「家族」とはいわずに、「ポスト家族」っていってたんですね。それは、なんとなく家族って、もっと覚悟が必要なんじゃないかと思ったから。

それこそ病気になった時に、家族だったら一生面倒をみる覚悟がなきゃなんじゃないかな、ってイメージもあって。今マンションのみんなに対して、その覚悟があるかどうかは、まだわからない。だけど、少なくとも1年ぐらいだったら面倒見るよ、っていう感じです。

そう、はしさんがいうように、はしさんの家族を今後5年、10年とつなぎとめる契約のようなものはないのだ。であれば、この関係をつなぎとめるものはなんなのだろう?

ヒントは、「健全な負債感」にあった。

「健全な負債感」を残す

健全な負債感」とは、西国分寺にあるカフェ・クルミドコーヒーの店主・影山知明さんが著書『ゆっくりいそげ』のなかで書いていた言葉だ。

「相手との関係の中で「受け取っているものの方が多いな」「返さなきゃな」という気持ちを背負うこと。しかも、それは必ずしも義務感ということでもなく、本当にいいものを受け取ったとき、感謝の気持ちとともに人の中に自然に芽生える前向きな返礼の感情ともいえる。」
(引用:『ゆっくりいそげ』,56頁)

この「健全な負債感」が、はしさんの家族にはあるという。

はしさん たとえば、わたしがみんなのぶんのご飯をつくっても、お金のやりとりはしないんです。お金に換算したら、わたしがすごく食費を負担してることになるんですけど。

でも、たまに地方に出張に行ったとき、お土産で食材を買ってきてくれたり、食器を洗ってくれたりしてくれる。そこには、「たくさんのものをもらっちゃったから、返さなきゃ」っていう、「健全な負債感」があるのかもしれないですね。なんか、自分がやってること以上にみんなが返してくれてるって感覚があります。

『ゆっくりいそげ』を書いた影山さんは、あるインタビューの中で、お金は「すごく便利な道具であるだけに、関係を省略できる」ものだと指摘している。(参考:「影山 知明(3):インタビュー|幸せ経済社会研究所」

お金を払えば、相手がまったく知らない人であろうと、モノやサービスを受け取ることができる。そこに面倒なコミュニケーションは発生しない。それは便利なことでもある。

でも裏を返せば、お金を払って等価交換にしてしまうと、そこで関係性は途切れてしまうのだ。

だからこそ、はしさんは家族の関係性のなかで「お金で等価交換すること」から距離をとる。

はしさん 厳密に等価交換にしないというか、すごいファジー(あいまい)な感じなんですよ。Rちゃんなんかは最初、「ご飯食べさせてもらってるから、お金払うよ!」って言ってくれて。でもそれをしてしまうと、わたしが「500円の商品」をつくってることになるじゃないですか。

そうなると、市場での価値の交換と同じになる。お金をもらわなかったら、「かよちゃんがつくった、地球で唯一無二のご飯」なのに、お金をもらった瞬間に、レストランのランチと比べられる。つまり、代替可能なものになるんですよね。

相手が代わりのきく存在になることって、家族っていう関係性を考えた時に、どうなんだろうなぁと。家族は、市場の原理が働かない場所だからこそ、良さがあると思うんですよね。

撮影:Eichi Tano

「健全な負債感」を残すためのアイデアが生まれた

お金による等価交換にせず、「健全な負債感」を残すことで、関係性を維持する。それを象徴するようなエピソードを、はしさんが教えてくれた。

はしさん あるときRちゃんが、「かよちゃんがあまりにもご飯をつくりすぎてる。これは搾取なんじゃないのか!」って、声を上げてくれたことがあったんです。それで、どうしようかって話になったんですけど、出てきたのがお金を払うことじゃなくて、「肩たたき券をわたす」っていうアイデアだったんですよ。それが、あーなるほど!と思って。

よく、肩たたき券をお母さんやお父さんに贈る、みたいな話ってあるじゃないですか。それって、お金で払うとそこで関係性は終わっちゃうから、あえて精算しないで、「健全な負債感」を残してるんだと思うんです。そういうアイデアが自然に生まれてくるのがおもしろいなぁ、と思って。

はしさんの話を聞きながら、自分の経験を思い出していた。あるとき、僕が住んでいるシェアハウスで、キャリアカウンセラーという資格をいかしてキャリアカウンセリングができないかと検討したことがあった。

けれど、対価をどうするのか、ということでつまづいた。お金をもらってやる、というのも違和感があったのだ。それは、シェアハウスという、ある意味家族に近いような関係性の中で、お金による等価交換を持ち込んでしまうと、そこで関係性の質が変わってきてしまうということを、無意識に感じていたのかもしれない。

けっきょく、その違和感が拭えずにそのアイデアはたち消えになってしまったのだった。

「健全な負債感」の「健全さ」をチューニングする

ただ、お金による交換はメリットもある。コミュニケーションの面倒さがなくてすむのだ。

僕らは、コンビニのレジでは、ほとんど言葉も交わさずにほしいモノを手に入れることができる。それは、お金という媒介があるからだ。

逆に、お金を介さない交換では、そのモノやコトがどの程度価値があるのかについてを交渉したり、それに対して何を返せばいいのかなど、その都度コミュニケーションが発生する。だから、「健全な負債感」を残すコミュニケーションは簡単じゃない。

フランスの文化人類学者、マルセル・モースは、北米西海岸の先住民による贈与の習慣「ポトラッチ」を分析するなかで、タオンガ(宝物)の交換が行われる背景に、お返しをしないと呪い殺されるようにつくられていることを指摘した。何かを与えられることで生じる「負債感」は、「呪い」にもなるのだ。

はしさん 貸しをつくるのも、借りをつくるのも、ある意味怖いじゃないですか。失敗すると、「こんなにしてあげてるのに!」とか思っちゃったり。限度を超えてくると、関係性が破綻すると思う。

その点わたしたちの家族は、「これをしてもらったら、これを返すとちょうどいいよね」っていう感覚がみんな似てるのかなって気がしてます。だからうまくいってるのかな。

そんなはしさん家族でも、「健全な負債感」を残すコミュニケーションが失敗することもあったらしい。

はしさん わたし一度、家出したことがあるんですよ。

ある日、ゴミ箱からゴミが溢れてたんです。当時は、わたしがいつもゴミ袋を替えていたんですけど、その時ふと「わたしばっかりゴミ袋を変えてるな。これでわたしが替えなかったら誰が替えてくれるんだろう」と思って。意地悪なんですけど、放置しておいたんですね。

しばらくしてみてみたら、いっぱいになったゴミ箱の横に、ゴミが置いてあって。あー、これは誰かが当然替えてくれると思ってるんだな…! と思って、怒って近くのホテルに家出するっていう事件がありました(笑) 。同じ家族のメンバーであるはずなのに家事をしてくれないことが、家を蔑ろにされているみたいで悲しかったんです。

その後、はしさんはKさんとDさんに悲しさを感じてしまったことを伝え、「ゴミ箱事件」は収束した。それ以来、なにか怒りそうになることがあっても、その背景にある自分の気持ちを伝えるようにしているという。こんなふうに、お金による交換に頼らないからこそ、日々試行錯誤しながら「健全な負債感」の「健全さ」をチューニングしているんだろう。

撮影:Eichi Tano

アプリやサービスで、コミュニケーションの労力を減らす工夫

お金を介さず、「健全な負債感」を残すことで関係性を保つコミュニケーション。それははしさんがいうように、とても高度なものだ。具体的に、どのようなコミュニケーションの方法をとっているのだろう。たとえば、家族会議みたいなものは?

はしさん 主に「劇団家族」の4人で、必要に応じて開催されますね。例えば家事の分担とか、家賃のこととか、何か話し合わなきゃいけないことが生まれた時に開いてます。前は定例にして、カレンダーにいれてたんですけど、だんだん形骸化してきて。必要に応じて開く今の形に落ち着きました。

コミュニケーションの労力を少なくすることも、関係を保つ上では大切だ。たとえば共用物の購入などに関わる家計のことについては、毎月「家族2.0」のメンバーがそれぞれ立て替えたものをnotionと言うメモアプリに記録し、月末にKさんが精算する、というかたちにしていたそう。だが、そのスタイルはKさんに結構な負担がかかっていたらしい。

そこで導入したのが、「B/43(ビーヨンサン)」というサービスのペア口座機能。これは、家族やパートナーと一つの口座と、2枚のプリペイドカードを持つことができるというものだ。それぞれの支払い履歴や残高をアプリで確認することもできる。

はしさん アプリでいつ誰がいくら使ったかもわかるので、そのサービスを導入して、ちょっと楽になったかもしれないですね。

ただ、そのサービスもカードは2枚しか発行できなくて。本当は「家族2.0」や「劇団家族」のメンバーでそれぞれカードを持てるといいんですけど、なかなかそういうサービスはないですね。

周囲への説明が難しい

日本のサービスや社会制度は、まだまだはしさん家族のような多様な家族のかたちを想定したものにはなっていない。また、制度がないだけではなく、そもそも日本でははしさんのような家族のかたちについて、社会的に受容されているとは言いがたいのが現状だ。

実際にはしさんも、誰かにこの家族のかたちを説明すると、訝しがられてしまうこともあったらしい。

特にむずかしいのが、親への説明だ。

はしさん 実は、わたしの親にはまだこの家族のことを言ってないんですよ。親は「血のつながった人や夫婦が暮らすのが家族」っていう価値観に染まって育ってきた世代なので、説明しても理解してもらうことはむずかしいんじゃないか、っていう心配があって。

だから、伝え方がむずかしいですよね。いつかタイミングがきたら、「家族」っていう言葉を使わずに、たとえばコミュニティをつくって生活の負担をみんなでシェアしてるんだよ、みたいな形で伝えようかなと思っています。

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まだまだ、ベターな関係をつくっていける

人間関係は環境やメンバーの状況の変化に伴い、つねに変化していくものだ。はしさん家族は、今後どうなっていく可能性があるのかを、最後に聞いてみた。

はしさん 先のことはわからないですけど、今よりベターな関係はつくっていけると思っています。

たとえば、さっきも言いましたけど、本当はわたしたち夫婦だけの寝室はほしいと思ってるんですよ。修学旅行の夜みたいに、横並びで寝落ちするまでしゃべってる今の感じも、それはそれですごく楽しいんですけど、寝室が別であればまた新しい関係が生まれるはず。今は家賃とか部屋数の兼ね合いでできてないですけど、もし次は引っ越すときはみんなの個室がある建物に住みたいねっていう話はしています。

それに、もし子どもが生まれたりしたら、関係は変わりますよね。DくんもRちゃんも子育てに参加したいっていってるし。わたしはわたしで、夫婦だけで子育てできる自信はないんですよ。

だから、そういう協力的な人が周りにいてくれる環境はあった方がいいなって思います。子どもにとっても、いろんな大人がいるっていいことなんじゃないのかなって思いますしね。

撮影:Eichi Tano

取材を終えて

はしさん家族は、これからもきっと変化していくのだろう。そこには複雑なコミュニケーションや、親世代や世間の価値観と折り合いをつけなければならない場面もあると思う。けれどはしさんは、どこか「ほしい家族をつくる」実践にともなう大変さを楽しんでいるようにも見えた。(もちろん、1日のインタビューでわかることは限られているけれど)

既存の家族観にとらわれずに「ほしい家族をつくる」実践。それはある意味自分たちなりの文化や習慣をつくっていく過程でもある。たとえば「健全な負債感」を残すコミュニケーションだったり、複数人で使えるプリペイドカードを導入したり。

そんな過程は、捉え方次第ではすこぶる面倒なことだ。けれど、はしさんのように楽しみながら「ほしい家族をつくる」実践を行っている人たちがいるということは、これから家族をつくりたいと考えている僕にとっては希望に感じる。

…と、そんなことを、取材からの帰り道、はしさんに勧められた蕎麦屋でそばをすすりながら考えたのだった。連載「ほしい家族をつくる」は始まったばかり。次はどんな家族との出会いがあるんだろうか。

(撮影:Eichi Tano
(編集:佐藤伶)

– INFORMATION –

イベント「ほしい家族の井戸端会議」開催!
9/15(木)第2回 「ほしい家族をつくるには、どうしたらいい?」を語

「ほしい家族の井戸端会議」は、本連載に紐づいて「家族」についてゆるゆると対話をする会です。毎回、直近で公開された記事を題材にし、記事では伝えきれなかったエピソードを、執筆者である山中康司が紹介。それを踏まえて、参加者の皆さんと「家族」というテーマについてざっくばらんにおしゃべりします。

第2回のテーマは、「“家族の決まりごと”、どうつくる?」。お気軽にご参加ください!

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