今、化学合成農薬と化学肥料を使用しない農産物によってつくられたオーガニック給食が全国で広がりを見せています。
オーガニック給食は、子どもたちが安全なものを食べることができ、健康につながるだけでなく、給食という形で有機農産物が普及すると農家の出荷先や収入も安定し、さらには農薬を使わないことで環境も良くなると言われています。
2022年4月には、農業の環境負荷低減を目指す「みどりの食料システム戦略」に関連する法案が参院本会議で成立。この法案の中では、有機農産物の給食利用について教育分野との連携を求めています。(参考:https://hsac.jp/noutre/5679/)
千葉県いすみ市は、そんなオーガニック給食の先進地として注目を集めています。現在市内すべての小中学校の給食に有機米を導入。野菜も、有機で育てられた地産のものが8品目取り入れられています。小中学校の給食に100%有機米を導入したのは全国でもはじめてで、大きな話題となりました。
実は私も、地元・神奈川県二宮町で地域の学校給食がオーガニックになったらいいなと願うひとり。同じ志を持つ地域の仲間とつながり、地域の生産者の話を聞いたり、試食会を通して給食センターに足を運びながら、何から始めたらいいのだろうと思案している真っ最中です。
そんなオーガニック給食に興味津々な私が、今回一緒にいすみ市に向かったのは小野寺愛(おのでら・あい)さん。これまでgreenz.jpの記事に何度も登場しているアクティビストです。
小野寺愛(おのでら・あい)
一般社団法人そっか共同代表。日本スローフード協会三浦半島支部代表、エディブル・スクールヤード・ジャパンのアンバサダー。NGOピースボートに16年間勤務し、世界中を旅する中で「グローバルな課題の答えはローカルにある」と気づき、神奈川県逗子市での地域活動に情熱を注いでいる。
現在、米国でオーガニック給食を提唱する料理人アリス・ウォータースの著書を翻訳中で、2022年秋に『スローフード宣言〜食べることは生きること』(海士の風)を出版予定。三児の母。
一般社団法人「そっか」の共同代表として、神奈川県逗子市を拠点に子どもと大人が共に遊んで学ぶ活動に取り組む小野寺さん。他にもさまざまな立場から、環境や食について、世界的なムーブメントを日本に広める活動をしています。
小野寺さんは、自身がアンバサダーをつとめる「エディブル・スクールヤード」の創始者、アリス・ウォータースさんの発言をきっかけに地産地消の給食に興味を持ち、「自分のまちでも、子どもたちが給食で地元の生産者さんの食材に出会えたら」と地域でオーガニック給食の実現を目指しています。
今回訪れたいすみ市では、実は「オーガニック給食にしたい!」という市民運動から給食の有機化が実現したわけではないそう。それではどうやって取り組みがはじまったのでしょう? 給食のオーガニック化に携わった方たちにお会いし、実現へのヒントを探しに行ってきました。
(※)アイキャッチ写真提供:いすみ市農林課
コウノトリの取り組みに感銘を受けて
この日、いすみ市のオーガニック給食をめぐる取材ツアーをご一緒したのは、小野寺愛さんと、いすみ市役所農林課・主査の鮫田晋(さめだ・しん)さん、生物多様性の専門家である手塚幸夫(てづか・ゆきお)さんです。
まずは、いすみ市の給食オーガニック化の立役者であるお二人に、いすみ市がオーガニック給食を実現するまでの背景から、実際にどんな仕組みで行っているかまでお話を伺いました。
鮫田晋(さめだ・しん)
1976年生まれ。埼玉県出身。千葉県いすみ市農林課・主査。学生時代に始めたサーフィンが縁で、2005年に東京の企業から、岬町役場(現いすみ市役所)の職員採用試験を経て転職。いすみ市に移住する。13年より、環境と経済の両立を目指したまちづくり「自然と共生する里づくり」に従事し、有機米づくりの普及に着手。15年から市内小中学校の給食に有機米を提供し、18年には全国に先駆け有機米100%に。現在、有機野菜の提供も拡大中。
手塚幸夫(てづか・ゆきお)
高等学校で生物を教える傍ら、自然保護、演劇、フリージャズに関わる。(~2013年)
1995年より有機稲作に取り組み、同時に有機水田を取り囲む水辺の小動物の諸調査を実施している。2005年からは、日本各地の生物多様性地域戦略の策定に関わり、里山里海の伝統的な自然管理の手法を見直すことが持続可能な地域づくりの第一歩であると訴えている。
2015年に房総野生生物研究所の代表となり、さらに2020年にはオーガニック専門店「いすみや」のマネージャーとなり、野生生物の保護管理から有機農業まで幅広く活動している。
小野寺さん 今、学校給食をオーガニックにしたいと思う親たちのネットワークが全国に広がっていますよね。私も一母親としてもちろん地元の学校給食が地元産のお野菜で、安心安全だったらいいなと思っています。でも同時に、「我が子の食卓を安全に」という主張だけでは変わっていかないとも思うんです。
いすみ市は「生物多様性を守ること」をまず掲げて、そのためにいろんな立場の人たちがみんなで動き出した。子どもたちのオーガニック給食にもつながったのは、実は偶然というか、地域の自然を大切にしたら自ずとついてきた結果なんです。その流れに感動したし、大きなヒントがあるのではないかと感じています。
いすみ市のオーガニック給食へつながる取り組みが始まったのは、2012年。市長のトップダウンで、「自然と共生する里づくり連絡協議会」(以下、協議会)という組織がつくられたのがそもそもの始まりでした。この協議会の設立は、いすみ市長が、兵庫県豊岡市の取り組みに感銘を受けたことがきっかけだったと言います。
鮫田さん コウノトリってご存知ですか? 一度絶滅しかけた鳥なんですけど、野生のコウノトリを保護して、人工繁殖させて、野生に返すという素晴らしい取り組みを兵庫県の豊岡市がされていて。
コウノトリが野生で生きるためには大量の生き物が必要になる。多くの生き物が生きられる環境づくりのために要となったのが、「農薬に頼らない米づくり」だったんです。
豊岡市では地域が一体となって育てた無農薬米を「コウノトリ育むお米」として販売。産物の付加価値をあげることで、農家の所得や農地を守ることにもつなげました。
こうした環境重視の米づくりから始まる地域活性化を、水田地帯であるいすみ市でもできないだろうか、との思いから、協議会の活動はスタートしました。
生物多様性と地域の産業を結びつける
いすみ市がこうした環境重視の農業に市として取り組もうとした背景には、千葉県の生物多様性戦略もあると手塚さんは話します。
手塚さん 2007年、堂本暁子さんが千葉県知事をされていたときに、私は千葉県の生物多様性戦略の策定に関わらせていただきました。その中に、「伝統的な農林漁業から学ぶことで、生物多様性の保全が見えてくる」という視点を盛り込んだのです。
「生物多様性の保全活動」というと、希少種や残された自然を保全することだと一般的には考えられます。実際、当時他の地方自治体がつくった戦略は希少種保護などを中心にしていることが多いそう。そんな中、千葉県では「伝統的な農林漁業から学ぶ」という、環境保全型の産業を柱にした「生物多様性ちば戦略」を策定。2015年には、千葉県の戦略を受けて、いすみ市でも「生物多様性の地域戦略」が手塚さんらによってつくられます。
戦略の策定にあたって、いすみ市で堂本さんを招いた講演会を開催していたことも、市の方向性が「農業や人の生業を持続的にしていく」となっていくことに影響を与えていたのではないか、と手塚さんは語ります。
手塚さん 希少種を保護することは生物多様性の保全のひとつかもしれないけれど、それは全然僕らの暮らしには響いてこないですよね。私たちの暮らしを中心に据えて考えてみると「里山や里海を守る」ってことがキーワードになってきます。
有機米の取り組みのはじまり
2012年に協議会が設立するも、それまでいすみ市では有機稲作を手掛ける農家はゼロだったそう。そのため、市内の慣行農家を協議会のメンバーとして迎え、勉強会をしたり、豊岡市に視察に行ったり、豊岡市の市長を招いて市民向けに講演会を開いたりということを1年間かけて行いました。
市民もこれは良い取り組みだと感動し、さあやってみよう! となったそのとき、事業計画は白紙でした。2013年から担当になったという鮫田さんは、「じゃあいすみ市で何ができるのかって、その頃はまだみんな疑問だったんじゃないかと思います」と当時を振り返ります。
そんなときに「無農薬栽培をやってみます」と手を上げてくれたのが、農事組合法人みねやの里(※)の矢澤喜久雄(やざわ・きくお)さん。最初は2反という比較的小さな規模から有機米づくりは始まりました。
(※)2013年当時は、峰谷営農組合
ところが初年度は草取りに追われて失敗。農業技術を学ぶ必要がある、と考えた鮫田さんは、栃木県のNPO法人民間稲作研究所の故・稲葉光國(いなば・みつくに)さんを指導者としていすみ市に招きます。稲葉さんの講演会には、協議会のメンバーや農家、市長や議員など70〜80人が参加。稲葉さんの人格や農業と向き合う姿勢が農家さんの気持ちを動かしました。
翌2014年の有機稲作の担い手を育成する研修には、自給的に農業をする人も含めて30人ほどが参加し、1年間稲葉さんの指導を受けながら、有機米づくりを進めます。
コウノトリが来るような田んぼを、ということを目標に取り組み始めた矢先、奇跡的なことが起こります。まだ始めたばかりだった2反の田んぼをめがけて、コウノトリが実際に飛んできたのです!
鮫田さん いすみ市にはたくさん田んぼがあるのに、私たちが始めたたった2反めがけてコウノトリがやってきたんです。どうやら記録上、いすみ市にコウノトリが来たということはそれまで一度もなかったということでした。そんな奇跡にも励まされましたね。
有機米100%の給食実現へ
2014年は合計約1ヘクタールの田んぼで、約4トンの有機米が収穫できました。農家と市で話し合い、「せっかく収穫できたから子どもたちに食べさせたい」と、市内の小中学校2200人分の給食1ヶ月分としてまとめて提供されます。生物多様性と地域活性化の観点からはじまった有機米づくりが有機給食へとつながったのは、この時でした。
反響や応援の声も大きく、以後いすみ市は給食の有機米全量化に向けて邁進していきます。
やがて有機米づくりは慣行農家へも広がり、実際に給食の有機米全量化が実現されたのは2017年。協議会ができてからまだ5年のことです。この年の秋には50トンが収穫されました。
新規に有機稲作に取り組む農家を開拓するにあたっていすみ市が大切にしてきたのは「給食だから安く」と農家の厚意に甘えることなく、有機米としての相場どおりの価格で買い取りを行うこと。収穫した米は、各農家から農協を通して給食センターや取引先へ卸されます。
小野寺さん 農家さんからすると、有機をつくったらちゃんとした価格で買い取ってもらえるし、販売先も保証されているという形なんですね。大切なのはそこですよね。
農家は新たに米づくりについて勉強する大変さはあるけれど、つくったからにはきちんとした額で全量買い取ってもらうことができる。そうした保証を、いすみ市では給食を通じてつくっていきました。
手塚さん 学校給食は、環境重視の農業という車輪を回すための車軸になってきたと思うんです。
手塚さんの言う通り、給食は有機農家の生産を後押ししていきます。有機米100%の給食を実現すると、今度は地域で有機野菜を生産する農家さんからも「つくった野菜を給食に使ってほしい」と問い合わせがくるように。相談を受けた鮫田さんが給食センターへ取り次ぎ、有機野菜の導入へとつながっていきます。給食に合う品目を一つひとつ開拓し、現在では主要な8品目のうち13%で地産の有機野菜が導入されています。
有機野菜の全量化も目指したいと考えてはいるものの、その時期に収穫できるものに合わせて、かつ栄養計算もしながら献立をつくり変えるとなると、時間がかかるかもしれないそう。
今後について、「今は目の前にある需要に対して、生産者を育成しながら、どれだけ有機農産物のシェアを高めていくかというところに注力していきたいと思っています」と鮫田さんは話してくれました。
集落の未来を考えることが、有機農業につながった
一方で生産者さんにはどんな思いがあるのか知りたくて、次にみんなで訪ねたのは、農業組合法人みねやの里の矢澤喜久雄さん。2013年に、最初に有機米に取り組もうと手を上げた農家さんです。
春のはじめの日差しが差し込む田んぼの中で、矢澤さんは私たちを出迎えてくれました。元高校教師だという矢澤さんは、手塚さんの恩師でもあるとか。小野寺さんの地元・逗子の知り合いが矢澤さんとつながっていることがわかり、温かい雰囲気の中、インタビューははじまりました。
小野寺さん いすみ市の学校給食に関する記事を読んでいると、意志の強いカリスマ的な方がスーパーヒーローのように変えていった、というように感じられたんですけど、実際にお会いしたらみなさん温かくて。嬉しくお話を伺っています。
インタビューを切り出した小野寺さんは、矢澤さんが農業を始めた背景から話を聞き始めました。
矢澤さんは代々農家の家系で、お母様が中心となって農業に取り組んできました。お母様の姉妹はみんな近くに嫁ぎ、お互いに助け合いながら「結」というかたちで農業を営んできたといいます。子どもの頃から家の仕事を手伝っていた矢澤さんでしたが、本格的に農業を始めたのは退職後からでした。
そんな矢澤さんは2012年度に設立された協議会にメンバーとして参加。豊岡市の取り組みの紹介を聞いた1年の終わりに、次年度からの計画が示されず、これで終わってしまっていいのだろうかと思ったそう。
矢澤さん このまま何もしないで終わったら、次の年度から何もなかったようにこれまで通りのいすみ市が進んでいくだけだと思いました。それで組合長と相談して、うちで無農薬で米をやってみましょうかと会議で申し上げたんです。
とはいえ、最初は自分たちのような小さな組織で始めてもいいのだろうかという戸惑いもあったそう。そんな矢澤さんを突き動かしたのは、「集落を守っていきたい」という思いでした。
矢澤さん 元々は集落で「結」というかたちで個人個人で農業をしていたのですが、農機具の高騰と米の値段の暴落などを受けて、協働で農業をやっていこうと2004年に営農組合をつくりました。(※)
ただそれも漠然とやっているだけじゃ長続きしないだろうと思っていて。だからいすみ市が市の活性化策として何かをやるときには、我々が農業的立場から協力する。そういう取り組みに参加することでしか自分たちの集落を守れないと思っていました。
(※)峰谷営農組合は、その後2016年に農事組合法人みねやの里として法人化。
いすみ市もいすみ市の農業も変わる必要がある。そのために何かしなきゃいけないーーそうした問題意識が、矢澤さんが有機米の取り組みを始めてみようと声をあげる背景にありました。
矢澤さん 有機稲作については何も知らなかったから失敗するかもしれないとは思いました。でも例え失敗しても1年間取り組めば、必ず今まで見えなかった別の景色が見えるはず。何もやらないよりはいいと思ったんです。
有機米づくりを実現して見えてきた景色
2013年の初年度は、これまで通りのやり方で田んぼづくりをしながら、農薬と化学肥料を使わずに進めます。手探りというよりは何も探ってもいなかった、と笑いながら矢澤さんは話してくれました。
矢澤さん 除草剤を使わなければたぶん草だらけになるというのは想像していましたけど、田んぼの中を這いずり回るように草取りをして。こんなに草取りをしなきゃいけないとなるとこれは厳しいな、と思いましたね。
2014年に稲葉光國さんを招いた研修会に参加して米づくりを始めると、農薬を使わなくても草が出ないことに驚きます。
矢澤さん 稲葉先生のお話を伺うと、科学性があって、理論的にも納得できるんです。草を抑えることができるんだったら農薬を使わなくてもいいですよね。
農薬を使わないと虫に食われないかということをよく聞かれるんだけど、虫の被害もほとんどなかったです。一昨年このあたりでカメムシが大量発生したときに多少影響を受けたぐらい。
それはね、農薬を使わないと、クモやカエルやトンボなど生き物が増えて、そういう生き物が稲に害を与える虫を食べてくれるからだというのは、後からわかりましたけどね。
有機米づくりに取り組むことで、まさに多様な生物が生きられる環境がつくられ、田んぼに生き物と植物のいかしあうつながりが生まれました。そして2014年には見事4トンを収穫。このとき、どうして子どもたちの給食に提供しようということになったのでしょう。
矢澤さん 有機稲作に取り組むのはなぜかというと、素朴な意味で環境を守ることにつながるのと同時に、やっぱり安全な食を消費者のみなさんに食べてもらいたいという思いがあるからですよね。
せっかく安全な米ができたから、これから成長し、将来を担う子どもたちに食べてもらう。これ以上に有機に取り組む意味を体現する、価値のあることはないと思いました。
子どもに安全なものを食べさせたいという人からの問い合わせがあったり、新聞で見た人がみねやの里まで米を買いに来たり。反響は大きなものでした。
そんな矢澤さんに続くように、次々と農家が有機米づくりに参入し、いすみの給食米全量化が達成されます。リスクを恐れず最初に挑戦した矢澤さんは、まさにファーストペンギン。矢澤さんが有機米をやってみる、と言って成功したからこそ、いすみ市に有機農家が広がったのです。
当初は集落の農業を守っていきたいという思いに突き動かされたという矢澤さん。有機米づくりが話題になることで、今後の展望は見えてきたのでしょうか。
矢澤さん 始める前よりは見えてきたように感じています。今研修生が入ってきていて、もし彼の将来設計と私たちの願いが重なれば、続けてうちで働いてもらえたらありがたいなと思っています。そのためには、この集落で2家族ぐらいが有機農家として生計を立てていけるシステムをつくらなくちゃいけないと考えています。
有機米づくりで田んぼに生物多様性を取り戻し、子どもたちへ安全な米を届ける矢澤さんは、農業の後継者を育てるという新しいつながりも生みだしています。
小野寺さん すごいですね。次世代のことを考えて…。なんというか、人の美しい循環を見せてもらったように感じました。ありがとうございます。
学校給食をまちぐるみで実現していくには?
有機農家を育てて広げていくこととオーガニック給食とをセットにして進めてきた、いすみ市。「我が子の健康」だけではない、地域への広がりがあることを感じました。
その取り組みを踏まえて、私たちのまちではオーガニック給食実現に向けて、どのように動いていくことができるのでしょう。インタビューの最後に、鮫田さんからアドバイスをいただきました。
鮫田さん いすみ市では有機米や野菜の導入にあたって給食費を変えてないのですが、市民から集めた税金を使って事業を進めるためにはしっかり根拠を持たないといけないですよね。そのためには、「子どもたちの健康を守る」だけにとどまらない、いくつかの目的をセットにして、まちぐるみで目指していくのがいいのではないかと思います。
まちぐるみで動いていくときに、具体的にはどんなことをしたらいいのでしょう。
鮫田さん まずは給食の有機化をこれだけ求めている人がいる、というニーズを見える化することが大事ですよね。人を集めることも大切だと思います。多くの仲間がいるほうが行政は関心を示すんじゃないかな。農業の担い手の問題を解消するために、有機農業が必要なんじゃないかと考える自治体は増えて来ているので、そこにアプローチするのもいいかもしれません。
そうしてまちぐるみで動きながら、実際に給食を変えようとしたとき、給食を賄えるだけの田んぼがないため有機米に取り組むことが難しい場所もあります。そんな地域では何から始められるでしょう?
鮫田さん すでに有機の給食を実施している武蔵野市では、新潟県魚沼市や山形県高畠町などの米どころの産地と契約して、有機米を入手しているそうです。さらにそれだけでは終わらずに、子どもたちが産地に滞在して、交流もしている。
そういう風に自分たちのところでつくれなくても、他の産地と提携して、子どもたちへ教育の場を提供するとか、少し広い視野で何か議論できれば、地元の生産物がなくても、それで終わらずに何かやる方法というのはあるかもしれないですね。
まちぐるみでやっていこうと思ったときに、もう一つ壁を感じるのが自治体と共に取り組むこと。「一市民として、一母親として、愛を持って自治体の職員さんたちと共に取り組めたらと思っているのですが、どうやったら職員さんの心や行動を動かしていけるんでしょう」、小野寺さんが問いかけます。
鮫田さん 一つひとつ、つないでいくしかないんじゃないですかね。私も当初はとんでもない事業の担当になっちゃったなと思っていたんです(笑) 豊岡市がお手本であり、すごくまぶしかったんですよ。ただどんなプロジェクトでも、始めはきっとすごく地道な第一歩というのがあっただろうと思いました。どこかの町でもやっているっていう事例があるのは、市町村の職員にとっても励みになるんじゃないですかね。
できる方法を考えている人と、はじめてみる
先行事例を参考にしながら、ニーズがあるということ、できるということを示して地道に取り組んでいく。いすみ市でともに取り組みを進めてきた手塚さんは、鮫田さんの姿勢にもヒントがあると話します。
手塚さん 僕が鮫田さんとずっと付き合ってきて感じるのは、いつも「どうしたらできるか」しか考えてないんですよ。できない理由を口にしない。そんな人だからね、やっぱり一緒にやろうと思うんですよ。
鮫田さん 今すぐにやれと言われたらできないとは思うけど、どうしたらできるかについては考えてみます。でもその代わり、自分にできることしかできないですよね。
できることをやって、できないことは誰かに託す。つながりを大切にしながら事業を進めてきました。
小野寺さん これは「いかしあうつながり」ですね。自分の範疇でできることをやっている結果、みんながいかしあっていく。植物だって動物だって、そうやって生きているんですもんね。
どうしたら自分が住むまちで給食の有機化を実現するか、ということを考えていましたが、今の手塚さんと鮫田さんのお話が答えかなと思いました。「できない理由じゃなくて、どうやったらできるかを考えている人と、小さくていいから始めていく」っていうところからなのかもしれないですね。
それぞれの場でできることがある
いすみ市の有機給食化に関わったキーマンたちの話からたくさんの学びをいただいた取材の後、日を改めて、小野寺さんに取材を通して感じたことや今考えていることを伺いました。
小野寺さん いすみ市を訪ねて印象的だったのが、誰も「(給食有機化を)私がやりました」と言わなかったこと。それぞれの場所でそれぞれができることをしていたら、変わったという感じがします。
県知事が生物多様性戦略を策定して、市長が協議会を立ち上げて、そこに鮫田さんという誠実な職員がいて、手塚さんという生物多様性の専門家がいて、「じゃ、自分が有機米づくりを始めてみよう」というみねやの里の矢澤さんも立ち上がって。みんなが自分の立場でできる最善を模索した。この中の誰がいなくても、オーガニック給食は実現できなかったんじゃないかなと思いました。
たしかに、鮫田さんも手塚さんも矢澤さんも、「私が給食を実現した」とは語らず、「目の前にあるできることをした」という話ぶりでした。その在り様から、小野寺さんはどんなメッセージを受け取ったのでしょう。
小野寺さん 「それぞれの場でできることがある」ということです。
誰かに変化を求めるのではなく、今ここで自分にだってできることがあるはずだということを、改めて思い出させてもらいました。トップダウンでいきなり全部が変わったらラッキーと思うかもしれないけど、急激な変化では誰かが置き去りになることもある。いすみ市は、準備ができていたというように感じています。みんながそれぞれの場所で土壌を耕して、種をまいていたから、機が熟して一気に芽吹いたというような。
それぞれの場でできることがあるーーそうしたいすみでの感触を踏まえて、小野寺さんは今、給食について何から始めていきたいと考えているのでしょうか。
小野寺さん 逆に、給食にとらわれなくてもいいかなと思うようになりました。地域の農家さんを大切にするとか、食卓を一品でも地産のものに変えるとか、できるところから始めていこうと。
例えば、今、子ども活動でつながりのある地域の60家族で、地域の農家さんの野菜を共同購入しているんです。隔週木曜日に「そのとき畑にあるものをみんなで買い取ります」と約束することで農家さんは出荷先が保証されてハッピー、私たちもとれたての旬の野菜を食べることができてハッピー。その活動を改めて大事にしようと思いました。
地元の漁師さんに教わりながら、わかめの養殖もしているんです。自分たちで苗づけして、収穫して、釜茹でして、洗って、脱水して…その晩に旬のわかめをしゃぶしゃぶして食べたらそのおいしさはもう、格別です。スーパーでは遠くの産地のものを含め何だって買えて便利だけど、つながりがある中で地元の旬をいただくって、ものすごく幸せ。
そうやって地産のものを食べる食事が、毎日じゃなくても、例えば週に1日だけでも私たちの食卓に増えたらどうだろう。「地元産の安心安全を子どもたちに」って、家でもできることはたくさんあるんですよね。私たちはまず足下から一人ひとりにできることがあるんじゃないかな。
オーガニック給食をまちで進めたい、と仲間と動き出したけれど、どこから切り込んでいったらいいのだろうとモヤモヤしていた私にも、この小野寺さんの言葉は大きな希望のように感じました。
「なりたいと思う変化に、あなた自身がなりなさい」とはガンディーの言葉ですが、オーガニック給食で実現したいものーー地域の生産者が大切にされて、環境に配慮されていて、子どもたちが健やかに育つーーこれをまずは私から始めていこう、そんな風に思いました。雨が降り、太陽の光がさしたら、きっとまかれた種はどこかで発芽するかもしれません。
鮫田さんは、その地域にあったやり方がきっとあるはずとエールを送ってくれました。地元の産業や環境にあった「できる方法」を考えながら、まずは足下から小さくはじめてみませんか。
(撮影:上山葉)
(編集:村崎恭子)