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共所有「コモンズ」をつくる意味。循環する未来へ進むプロジェクト「小さな地球」を訪ねて

さまざまな場面において「経済を回す」ことが問われる昨今。かつて経済学者のE.F.シューマッハー(1911〜1977)は、過度な経済追求を危険視して「スモール・イズ・ビューティフル」だとうったえましたが、そこから約50年、パンデミックや気候危機が進行中の世界は果たして”ビューティフル”でしょうか?

その問いに「未来はもっと美しくなる」と断言してくれた人がいます。そして、本当に美しい世界をわたしに見せてくれました。場所は首都圏からもほど近い千葉県鴨川市。釜沼(かまぬま)と呼ばれる里山に、言葉を失うほどに美しい原風景と棚田が大事に守られ続けています。

1000年前の風景を残す
安房(あわ)の天水棚田

ここは1200年前の人々がつくった山の中の田んぼです。機械がない時代ですから、村人同士が力を合わせて木を切り出し、山の斜面を少しずつ平らにならしながら棚田と呼ばれる階段状の田んぼをつくったんですね。今でもこの田んぼの多くが手作業です。田んぼの壁面も、資材は使わずクロと呼ばれる粘土質の泥で固めています。また田んぼには欠かせない水も、環境上の理由で水路がつくれないため、山の湧き水と雨水の恵み、天水(てんすい)だけで稲作をしています。

そう教えてくれたのは、林良樹(はやし・よしき)さん。1999年にこの土地に移住、22年前からずっと釜沼集落の皆さんと共に棚田を管理するひとり。そして、世界の現状にやや絶望気味だったわたしに「美しい未来」を断言してくれた人です。

(Photo by hirono)

良樹さんが明るい未来を信じているその背景には、これまでの活動に加えて、この夏本格的に始動した「小さな地球」と名づけたプロジェクトがありました。良樹さんの言葉をお借りすると、「持続可能で、生物が多様性を保ち、伝統文化も継承され、どこの誰でも参加できて、小さいけど力強い、そしてとても美しい世界」へと進むこのプロジェクトについて、話をうかがいました。

「小さな地球」はこんな場所
現代にコモンズをふたたび

棚田から車で数分の距離に、かつての村長さんが住んでいた古民家があります。大きな母屋と、牛小屋だった建物、横には棚田と果樹園、向かいに畑、さらに裏の山を含めて全部で約2ヘクタールという広大な土地を共同購入し、みんなの共通財産、つまりコモンズとして様々な活動に活かしています。

東京ドームが2個以上も入る大きさの土地を、良樹さんが個人ではなく、みんなで所有するのはなぜなのでしょうか。きっかけは、2年前の被災経験にありました。

(画像提供: 林良樹)

2019年の9月8日、台風15号が房総半島に直撃しました。夜中の嵐は風速50mにもなり、この村でも家屋が破損し、倒木や土砂災害が発生。それに電気が止まったので、電気で汲み上げている水道まで止まってしまいました。それまで台風が直撃するなんてことはなかったので、僕だけでなく村の長老たちにとっても初めての出来事だったようです。

僕の家も築200年を超える古い家で、嵐などの時は柱がしなる造りになっています。しかし、あの日の強風は寝ることもできないほどのものでした。そして夜中にガラス戸が割れて、嵐が吹き込んだ土間は、まるで洗濯機の中みたいに水浸しでめちゃくちゃになってしまい、さらに屋根を覆っていたトタン板が全て吹き飛びました。

ご自身も被災した良樹さんですが、高齢者がほとんどである地域のために翌日から動き出しました。太陽光パネルで充電したデバイスを使い、SNSで支援を要請。すぐに全国から届いた飲料水や食べ物を各家庭へ届けたり、刈ったばかりだったその年のお米の収穫を可能な限りかき集めるなど、必死に動いていたとき、良樹さんは大きな気づきを得る景色を裏山から目にします。それは、トタン板が吹き飛んだご自宅の屋根でした。

(画像提供: 林良樹)

トタン板の下には茅葺きが敷かれていたのですが、嵐によってむき出しになっていました。台風一過の澄んだ空気の中、この里山の風景にぴったりと馴染み、「なんて美しいんだろう」と感動してしまったんです。

以前、この村の長老たちから聞いた話では、この集落ではかつて、みんな茅葺き屋根の家に住んでいたそうなんです。集落には今と同じ25軒の家があり、それぞれの屋根を年に1度、みんなで葺き替えていました。通常、茅葺き屋根は20〜30年ごとに葺き替えると良いと言われているため、1年に1軒ずつ持ち回りにするとちょうどよかったんですね。

昔は材料の茅(かや)を育てる共有の茅場(かやば)もあり、毎年新しい茅をどこかの家の屋根に使って、古い茅は田畑にすき込んで肥料にしていた。ゴミも出ないし、みんなの団結や信頼も強まる。里山1000年の知恵が凝縮された、循環のシンボルが茅葺き屋根だったわけです。

現代では茅場も、共有地も、共同作業も減ってしまい、茅葺き屋根はとても高価なものになってしまいました。しかし台風によってむき出しになった茅葺き屋根を見て、この上にもう一度トタン板を張るのではなく、現代の結(ゆい)を再創造し、失われた茅場も、技術も、知恵も、コミュニティも取り戻し、この原風景を蘇らせたい、本来誰のものでもないみんなの里山を守りたい、と強く思いました。

同じ時期、台風15号の被災をきっかけにして釜沼集落内に3軒の空き家が出ることになりました。うち2軒には、それまで棚田などに定期的に通っていた方々が移住を決めて入居。もう1軒が、後に「小さな地球」の活動のために共同購入された古民家と土地でした。

コモンズ「したさん」の出発
過去から学び、未来を描く

しかし僕個人にはそれほどの貯金もありませんし、そもそも個人的な所有自体にあまり関心がありません。それに、地域に根づく形にするためには誰かひとりのものに頼るよりも、共所有であることが重要です。目指したいことは決してただ昔の姿を取り戻すことではなく、この美しい里山を文化的な財産とする、未来の共生社会だからです。

そのためにも、地域の人だけでなく、都市に住んでいる方々がこの場所を一緒に体験できるようにしたい。都心から1時間半で着きますから、すぐ行ける、地縁や血縁を超えたふるさとのような場所として、みんなでここを守っていきたいんですね。

みんなで共有して、作業も共同にすることで、こうした文化を次の世代にも渡せると思うんです。ここを閉じたエコビレッジ化するのではなく、大人でも学生でも家族でも、ここに来て作業したり一緒に楽しんでもらう。お手伝いしてもらえたら僕らも助かるし、都会暮らしの方々にとっても心身に良い機会になるでしょう。自由に参加しやすい仕組みをつくり、都市も田舎も、一緒に心地よい社会をつくる。それを「したさん」でやっていきたいと思っています。

「したさん」とは、この古民家に付けられている昔からの名前でした。歴史の古い地域では、住人の苗字ではなく、建物に付けられた屋号があり、その名前で呼びあう風習が残っています。釜沼でも、良樹さんが被災した家が「勇気塚(ゆうきづか)」、台風後に空き家となり現在は移住された方々が住む「越路(けいじ)」と「じいた」、そして今回コモンズとなったのは「畳尻の下」、愛称は「したさん」です。

都市と連携する意味

良樹さんは台風に被災するだいぶ前から、釜沼集落と都市をつなぐ活動を重ねてきました。

まだ地域通貨が今ほど知られていなかった2002年には鴨川を含む安房エリアの地域通貨「あわマネー」を発足、15年前には棚田にオーナー制度を設けて都市住人たちを集落に迎えたり、7年前からは、地方創生に本気で取り組む企業や大学との連携も始めています。こうして定期的に都市から訪れる人の循環が始まり、年々加速度的に充実。良樹さんが「この原風景は都市の皆さんのおかげで保たれているんです」と言うように、年間述べ1000人以上の都市在住の方々が訪れて、釜沼の関係人口となっています。

年会費を収める棚田オーナーたちは定期的に釜沼を訪れ、農体験を中心とした年間の手仕事を体験。第二のふるさとのように過ごす。

中でも2016年から釜沼に通う建築家で、東京工業大学教授である塚本由晴さんは、「小さな地球」プロジェクトの中心的存在のひとりでもあります。塚本さん自身も、そして、塚本ゼミの学生たちも毎週のように「したさん」に通い、自発的に改修作業などに参加しています。

共同購入後、大きな古民家をみんなが使いやすい場所にするために、プロの大工さんに力をお借りしながら構想して、1年以上掛けてつくってきました。中に残っていたゴミを出したり、一昨年の被災で出た地域の廃材を活かしながら土間をつくり、床を整えて、壁を綺麗にし、キッチンをつくって、自然素材の調度品も入れて。営業許可が下りた時には歓喜の涙を流した学生もいましたよ。この夏からは宿泊施設として利用してもらえるように準備中です。

社会的立場や肩書きも超えた「個人」と「自然の資源」が活かされて、過去から学んだことを元に未来の姿を描く。「僕らがお手本にするのは自然です」と話す良樹さんは、この地域文化創造プロジェクトを、あらゆる生命が循環する母なる星に例えて「小さな地球」と名付けた一般社団法人としました。

一般社団法人小さな地球、理事の皆さん。塚本由晴さん(アトリエ・ワン/東工大教授)、良樹さん、横浜から移住された福岡達也さん(旅する暮らし舎)

扉は開かれ、出航を待つ

あらゆる「壁」を越えたいんですよね。都市と里山、消費者と生産者、過去と現代や男と女、日本人と外国人など、様々な分断の壁を越えてつなぎ直し、一人ひとりが主体的で、誰もが主人公になれることをやっていきたい。そしたら誰にとっても世界が美しいものに思えますから。一つひとつゆっくりですが、みんなの夢が叶う場所をつくりたいと思っています。

「小さな地球」では、すでにいくつもプロジェクトが進行中でした。台風での被災という辛い経験から生まれた茅葺き屋根の再生をはじめとし、「したさん」におけるオーガニックマーケットawanova、リネンの服とカフェ「コテランネ」の営業、ゲストハウス利用、「アトリエふわり」との土に還る服づくり、近隣地域の森のようちえんとの協働、和太鼓グループTAWOOの活動拠点、広大な果樹園におけるタイニーハウスビレッジ計画など、新しい共感経済が次々と生まれつつあります。定期的に地域の体験ツアー「あわたび」も開催され、コロナ禍の現在はオンラインで参加する機会も積極的につくられていました。

新月の日に開催されるオーガニックマーケットawanovaは、今年で12年目。今春から「したさん」に場所を移し、地域のおいしいものが揃い、誰もが終始快適で楽しそうに過ごしていました。

コモンズである「小さな地球」は現在、ゆるやかなメンバーシップを軸にしたコミュニティとして広がり始めたところです。参加希望者は毎月1000円の会費で、イベントや配信など、活動へのお誘いを受け取れるようになり、古民家への宿泊やコミュニティキッチンの利用といった自主的な参加も叶います。また、もっと積極的に協力を申し出たい人には、一般社団法人への基金も受け付けています。

僕らは今、持続可能で平和な未来に向けた「船」をつくっている感じです。美しい未来を目指した、大人も子どもも、誰でも乗れる船。この制作に投資した人は一緒に船をつくったり、自ら乗って漕いだりもできるし、もしくは陸から手を振るだけでも良いんです。途中で気が変わったら乗ったらいいし、投資してない人を誘うことだって自由に決めることができる、そんな船をつくっています。

22年前、長い旅を経てこの集落にたどり着いたときに「人生の新しいチャプターを始めた」という良樹さんは、今再び「小さな地球」で新しい章を綴り始めたようです。

22年前に初めてこの棚田を見た時、足が震えるほどの感動を覚えました。なんて美しいんだ、なんて素晴らしいんだって。地元の長老たちとは少しずつ信頼関係を築いてきて、今僕のアイデンティティはもう完全にこの里山と共にあります。いくつもの循環が折り合って調和するこの里山を、僕は「いのちの彫刻」と呼んでいます。

一面さわかやかな色を見せる夏の棚田。(Photo by hirono)

地域とコモンズに情熱を向けながら、雄大な自然と自らのクリエイティビティを融合させて生きる良樹さん。「では、ご自身の幸せは何ですか?」と最後におうかがいしたところ、この日いちばんリラックスした笑顔で教えてくれました。

みんなが笑顔で楽しそうにしてる様子を見られる時ですね。藁葺き屋根も棚田も人との交流も全て、みんなと地域のものですから、いつか僕の命が尽きた後もずっと続いてほしい、それが願いです。だから自分自身はいつも透明の存在でいい。その場にいるみんなが平和で楽しそうに調和してる時が、僕自身も一番幸せを感じています。

都心から1時間半で行ける「小さな地球」に、ぜひ一度お出掛けしてみてください。過去に学んだ現在、そして、美しい未来を体感できるはずです。