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わたし同士の共鳴によって変化が出現する― “わたし” をめぐる冒険 第2回・井上英之さん

連載『”わたし”をめぐる冒険』は、意識の探検家・三好大助が、様々な研究者・実践家のもとを訪ね、「わたしの全体性を祝福する生き方」を探求していく対談シリーズです。

「ソーシャルイノベーション」という言葉を聞いて、みなさんはどんなことを想像するでしょうか。直訳をすれば”社会変革”となりますが、何だか大きすぎて、自分とはちょっと距離があるなあ、と感じている方もいるかもしれません。

しかし、日本に「ソーシャルイノベーション」や「社会起業家」というキーワードを定着させた貢献者のひとりであり、「全国高校生マイプロジェクトアワード」などを通じて全国的に広がる「マイプロジェクト」という手法の生みの親でもある井上英之さんは、「ソーシャルイノベーションは、身体性からはじまる」と言います。

わたしたちひとりひとりが感じている”いま”という感覚が何より大切であるということ。そして、そこからそれぞれの内発的な意図が生まれ、そんな”わたし”同士の共鳴がソーシャルイノベーションへとつながっていくということ。

ということで、今回は「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」共同発起人でもある井上さんをゲストにお招きし、マインドフルネスとソーシャルイノベーションの関係について、お話を伺いました。

(※)本対談はgreenz people限定のトークイベントとして開催しました。

左:井上英之さん 右:三好大助さん

井上英之(いのうえ・ひでゆき)
「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」共同発起人、INNO-Lab International 共同代表。慶応義塾大学卒業後、ジョージワシントン大学大学院に進学。外資系コンサルティング会社を経て、2001年、NPO法人ETIC.に参画。日本初の、ソーシャルベンチャー向けプランコンテスト「STYLE」を開催するなど、若い社会起業家の育成・輩出に取り組む。2003年、社会起業むけ投資団体「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」を設立。2005年より、慶応大学SFCにて「社会起業論」などの、社会起業に関わる実務と理論を合わせた授業群を開発。「マイプロジェクト」と呼ばれるプロジェクト型の学びの手法は、全国の高校から社会人まで広がっている。2009年に世界経済フォーラム「Young Global Leader」に選出。近年は、マインドフルネスとソーシャルイノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。近著論文に、「コレクティブインパクト実践論」(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー、2019年2月号)。
三好大助(みよし・だいすけ)
意識の探検家。1988年島根県生まれ。バングラデシュのNGO、Google などで、テクノロジーを通じた社会課題の解決に情熱を注ぐ。その経験から「この世界の在りようは、わたしたち一人ひとりの意識の在りようとつながっている」と気づき、内的世界の探究を開始。
現在はファシリテーターとして独立し、企業の組織開発や個人の内的変容の伴走を行っている。とにもかくにも、スパイスカレーが大好き。

ソーシャルイノベーションは、身体性からはじまる

三好さん いのさん、今日はありがとうございます! 対談に入る前に、少し、自分とつながる時間をとりたいと思います。

(みんなで1分くらい瞑想)

三好さん ありがとうございます。では、いまの気持ちから。

僕は、えーと、そうですね。大好きないのさんとの対談なので、ちょっと緊張もしていたんですが。いま沖縄で、海が近くて、空が大きくて、すごく自然を感じられる場所にいて。朝吹き込んでくる風しかり、朝日しかり、「もっと安心していいんだよ」って語りかけてくれているような、そんな感覚を思い出すことができて、ちょっとリラックスできました。

いのさんは、どんな感じですか?

井上さん いまは軽井沢にいます。寒いです。窓を開けると気持ちいいんだけれど。

今日は、朝4時から執筆をしていて。しばらく脳を使いすぎて上半身の生き物になってしまったので、足が「外に行こうよ」「歩こうよ」って文句を言ってる感じかな(笑)

それで、あの、うん。まったく手ぶらで来ていい、ということで、本当に手ぶらです。いま目の前にいるだいちゃんとYOSHくん(注:「グリーンズの学校」編集長の兼松佳宏のこと)と、ほかのみなさんと、少しずつつながりはじめてる体感はあるかな。こんなふうに話していていい?

三好さん ぜひ、このまま流れに任せていきましょう。

井上さん きっとこういう始まり方って、公的なミーティングとは真逆で。ふつうだったらアジェンダがあって、そのことについてしか話さないし、すべて議事録を取られるから、記録に残すために話す、みたいなことも多いですよね。それって、どこか身体性から切り離されているというか。だって政府の委員会とか、こんなふうにチェックインしないでしょ(笑) 首相とかに、「いま感じていることは?」とか聞いたほうがいいと思うんだけど。

三好さん 「昨日は辛いことがあって」とか絶対言わないですしね(笑)

井上さん 本来、わたしたちは、さまざまな状況を背負いながら、ひとつの発言をしていると思う。ちょっとしたひと言でも、その瞬間瞬間、お腹とかが動いていて。いま、「うーんっ」って、ゆったり声を出したら、きっと、副交感神経系の何かが動いて、少しリラックスしたりとか。一方で、身体とつながっていない頭だけのスピーチをすると、どんどん血がのぼって、カッカしたりとかしてね。

三好さん そうですよね。

井上さん じっくり頭から体に注意が降りていくと、このZOOMの画面でも、それぞれに映っているものの背景に気づくことができたりする。この人は人通りの多い場所からつないでいるんだなあ、とか。最初は二次元だった画面が、三次元みたいに感じられてくる。自分の場所と続いている感じがする。そうしてはじめて、今日のテーマである”ソーシャルイノベーション”で扱うような、何かが変わっていくことを始められるんだと思う。

だって、その変化の基本要素はひとりひとり、小さな虫からバクテリア、ウィルスも含めて、世界を構成しているひとつひとつの現象なのだから。たくさんの生き物やその他のものがあって、互いに影響しあい、またその一部である感覚から、ぼくたちのいる社会とか世の中というものが見えてくる

外からではなく、内からの意図に気づく

井上さん いまコロナの真っ最中で、いろんな人がいろんなことを言っているけれど、僕はそんなにすぐに社会は変わらないと思う。でも、同時に、確実に世の中は変わっていくとも思う。

これからも人類は確実に愚かな行為を重ねると思うんです。「マイクロプラスチックやばい」と思っているのに使っているし。寒ければ床暖房入れちゃうし。3歩進んで、2歩戻る。頭のいい人が頭だけで考えて言うほど、早くはいかない。

とはいえ、間に合うか間に合わないかはわからないけれど、「よい」と思う方向に一歩ずつ進んでいくんじゃないか、という希望というのかな。それを信頼することが民主主義の基本だと思うので。そこに賭けつつ、間に合わなかったら、ちゃんとみんなで滅びましょう、というのがいまの気持ちですね。

三好さん 地球も一つの生命体だとしたら、その健康を乱す人類は、地球の免疫機能によって体外へ排除されてもおかしくないですもんね。

井上さん 4歳になる息子と一緒に探究学舎の「生物進化論」という素晴らしいコンテンツを学んでいるんだけど、その時代の最強の生物は必ず滅びるっていうんだよね。

三好さん そうなんですね!適応したらむしろ永く続きそうなのに。

井上さん でも、環境が変わるの。だいちゃんの言うように、地球も一つの生命体で、ダイナミックに変化する存在だから、地殻変動するし、氷河期はくるし、おまけに外から隕石が来るし。で、そこで生まれたクエスチョンは、恐竜で最強だったティラノサウルスは、滅びゆく状況について自覚的だったかどうか、ということ。

人間にはセルフアウェアネスがあって、自ら気づいたからこそ、何とかしようという意図が生まれる。そう思うと、やっぱり目標は大事だと思うんです。ただ、それが外部から与えられたものばかりで固まってしまった時、どうなるのか?

「いい大学に通うと、いい会社に就職できる」みたいな外発的なインセンティブを、まるで自分の意図のように置き換えることに慣れてしまったときに、その意図は自分自身から離れていってしまう。でも、それぞれが感じている ”いま” というものがあって、本来、そこから意図も生まれるわけで

三好さん 自分の生存を守ろうと外側に合わせた結果、”わたし” から離れてしまうわけですよね。それは一見安全な気がするんだけど、”わたし” と切れてるので身体が絶対に悲鳴を上げる。実は ”わたし” の内発的な意図につながって生きることが、一番安心でサステナブルなはず。それなしではどんな社会的なアクションも持続しないですよね

井上さん そう。それはいまの僕でいうと、おしっこいきたいわけ(笑)

三好さん ぜひ、いってきてください(笑)

井上さん マインドフルネスなどで、例えば自分の呼吸に気づけるようになると、本当に自分が感じていること、エネルギーがわくこと、違和感のあること、喜びを感じること、オーセンティシティともいうけれど、そういうことに気づくことができる。それを無視して、「地域を元気に!」みたいな議論はできないわけですよ。頭だけだと議論の結果、すごく暴力的なことになってしまったりする

もちろん自分のことを見たりするのって怖かったりもするので、セルフアウェアネスは簡単ではないけれど。ということで、おしっこいってきてもいい?(笑)

ソーシャルイノベーションは結果か、プロセスか

井上さん はい、戻りました。

三好さん おかえりなさい(笑) そうだ、今日聞きたいと思っていたんですが、いのさんがそもそも身体性やマインドフルネスに関心をもったきっかけは何だったんですか?

井上さん うーん。だいぶ早い時期から火種としてはあったんだけど、意識の中心にいれることになったのは、いろいろとやりすぎて、ちゃんと自分の体がおかしくなってからかな。

三好さん ちゃんと(笑)

井上さん 社会起業というキーワードの言い出しっぺとして、どんな結果が出るかはわかりません、って言いたくないじゃない。30代前半って、世の中に自分の居場所があるなんて確信を持てないし、自分でつくるしかないと思っていた時期みたいで、とにかく走っていたわけ。でも、いくら頭で考えてパワポをつくっても、だんだん身体と噛み合わくなってきたんです。

明らかに自律神経がおかしくなって、NHKの番組収録中に腕がしびれて手が上がらないとかもあって。好きで始めたことだったはずなのにイライラして、どこか人のせいにしている自分に気づいて。何か違う、って心も体も泣きたくなっていた。

あ、これじゃだめなんだと思って手を放し始めたのが、東日本の震災以降なんですが、当時はちょうど、ソーシャルな領域に注目が集まっていた時期でした。いろんな人がこの分野について語り始め、リソースが集まり始めたんですよね。それを見て「違うなあ」と思ったり、嫉妬したり、とかもあったけど。

三好さん いのさんにもそんな時期があったんですね。

井上さん そもそも自分の所有物じゃないしね、そこから手放していったら、どんどん自由になっていきました。本当、いまの方がいいもん(笑)

それで、今日のテーマの「ソーシャルイノベーション」にやっと入るんだけど。その定義ってあちこちいっているんですよね。シンプルに言うと、結果なのか、プロセスなのか、という話があって。

「結果」でいうと、例えば教科書の発明によって、一気に教育が広がった、みたいな。クレジットカードもわかりやすいかな。未来からお金を借りてくるというタイムマシンを生み出した。

あるいは、結果としてエジソンが電球を発明したのはすごいことだけど、じゃあ、エジソンがそこに至るまでにいろんな素材を試して、最終的に日本の竹に至ったわけだけど、その試行錯誤のプロセスは無意味なのだろうか。エジソン以前にも電気を灯そうと努力した人はこの世界に無数にいて、たくさんの人の熱意や学びが積み重なってここに至っている。そういうストーリーやプロセスを含めてソーシャルイノベーションでもあるわけで。

三好さん たしかに。

井上さん 新型コロナだって、ひとりのすごいリーダーが命令しただけでは、絶対に次にすすめない。ひとりひとりが集合的に、コレクティブに、社会の隅々まで何らかの転換をしないといけない

三好さん 僕が働いていたバングラデシュのグラミンバンクも、結果だけ見たらマイクロクレジットという仕組みに注目されがちですが、その背景にある思想がとっても大事です。

井上さん そう。グラミンバンクの基本思想は、ひとりひとりにアイデアがあって、そこから何かを生み出す力を持っている、という人間観が前提にある。誰もが創造性をもっていて変化を生み出すことができる、ということは、世の中の変え方も変わるということだから。

三好さん 本当にそうです。でも、実は僕がグラミンバンクで活動していたときって、マイクロクレジットが新たな社会問題を生み出していた時期だったんです。どんなNGOでもすぐに始められるモデルでもあって、その結果「たくさんの人に貸し付けること」がKPIになり、多重債務に陥る人が増えてしまった。悲しいことに自殺者が、という事例も出始めた、そんな時期に居合わせて。

美しい方程式だったものが残念な現実を生んでいて、村の人から小石を投げ付けられるような感じになっている。それがすごくショックだったんですよね。何を信じていたんだろうって。結局、僕は村を出ざるをえなくなったんです。

井上さん 苦しかったね。

三好さん その経験から、いいレシピがあったとしても料理人によって味が変わるみたいに、変化を生み出そうとする僕たちのあり方とか関係性が結果に反映されることに気づいて、より人間の内面性の方に興味が向いていったんです。

社会変革のレシピにはおまじないが必要

井上さん だいちゃんの話を聞いていて、介護保険のモデルとなる事業をつくった石川治江さんのお話を思い出しました。「仕組み化すると魂が抜けて、現場の人が苦しむんじゃないですか?」という問いに対して、彼女は明確に「違います、逆です」と答えたんだよね。「仕組みがちゃんとできていないからそうなってしまうのであって、仕組みが人を救うんです」と。

三好さん ふーむ。

井上さん 介護する家族が愛情をしっかり向けるためには、直接介護をしないほうがいい。だからプロによる介護を受けられる仕組みがあれば、家族は愛情を持ち続けることができる。みんなが無理をしない仕組みがあるからこそ、家族だけでなく職員も人間でいることができる、って。

ソーシャルイノベーションの分野では、その変化のためのやり方・レシピを、「セオリー・オブ・チェンジ」というけれど、そう書かれているからその通りにしよう、ではなく、石川さんの話のように、その背景にあるものも含めてデザインに入れないといけない。

三好さん 本当に。

井上さん 妻も以前、うまくいった社会起業の事例を他地域に展開する「スケールアウト」のコンサルティングをしていたんだけど、ロジカルな話ばかりしている自分が嫌になったんですよね。「からだが喜んでいない!」「こんなキャラじゃない!」って。

そこから身体性に興味を持ち始めて、「ソーシャル・プレゼンシング・シアター」という価値観を体感的に共有できるようなワークを始めたんです。やっぱり、自分自身の全体を受容することと、その延長として、チームやコミュニティで他者を受け入れあう部分がないとイノベーションは起こらないと思う。

三好さん レシピを手渡すときに、ちゃんと人間的な感覚や身体性が含まれてるか、って大事そうですね。「包丁を握る前に、ひと呼吸おくといいよ。にんじんがどこを切るべきか教えてくれるから」みたいな。

井上さん そうそう。「鍋にこしょうを入れるときは、おまじないをしましょう」みたいなことが書いてあるレシピ。そうでないと、本当の変化を起こせないからね。

三好さん 効率性のために削ぎ落とされてきた “余計なもの” がちゃんと含まれた、体感のあるレシピが求められているんですね。

井上さん 本を書くときも、ゆるみながら書くことが大事だなと思っていて。そうしたら編集のひとに「いのさんの原稿にはトイレ休憩がありますね」っていわれました(笑)

三好さん まさに、さきほどのおしっこがいのさんらしさなんですね(笑)

井上さん 今日もZoomでみなさんの表情や背景を眺めながら、それぞれの存在を感じているんだけど、ここから何かが生まれていく不思議な予感があるんですよね。

言語化しきれないモヤモヤをできるかぎり言葉にすることで意識化して、次につなげることもできるけれど、言語化しきれないものを体感として覚えておくことも大事なのかなって。新しく生まれるものはまだアジェンダにあがっていなくて、「よくわからないけれど何かあるぞ」という感覚しかない。それこそが意識化を待っている知のフロンティアというか。

すでに世界にはいろんなものが揃っていて、同時に、足りないものがあるから物事が動いていって、温度差があることで風が吹き、雲が流れ、雨が循環して、つねに動いて回っているなかで、わたしたちは生きている。その瞬間を切り出して分析しようとするよりも、こうして一緒に感じ合うことで、そこから新しい進化が出現してくるんだろうなあ、と。今日もそれを確かめることができました。

三好さん 世界にはいつだって、出現したがっている “進化” があるんですよね、きっと。その “進化” は一見理不尽なこともあるけれど、きちんと一人ひとりのいのちに叶ったものであるはず。そのことを信頼して、いまここを感じている “わたし” に一人ひとりがつながってみる。そんな “わたし” を持ち寄ってつなげて輪にすれば、きっと現れたがっている “進化” の輪郭に気づけるはずです。ソーシャルイノベーションって、その輪郭にみんなで三次元の形を与えてあげることなのかもしれませんよね。

“わたし” につながる余白のあるレシピ、そして余白のある生活を、みんなで創っていきたいなあ。今日は豊かな時間をありがとうございました!

(対談ここまで)


こんなにくつろいだ対談は初体験でした(笑) まさに「いまここに現れたがっているもの」に委ねることを、この対談自体が体現していたように思います。

次回は、今回も出てきた「身体知」というテーマによりスポットライトを当てて、身体性を専門にされてる方にお話を聴いてみたいと思っています!わたしをめぐる冒険は続きます。第三回もお楽しみに!(三好)