社会から切り離された「学校」の中で、「先生」が「教科書」に沿った授業をするーー。そういった学校教育の一般的なイメージとは異なる教育が今、現場では展開されています。
令和2年度から始まった学習指導要領では「社会に開かれた教育課程」が掲げられました。さまざまな経験を持つ地域のおとなたちの力を借りて、学校教育を社会と連携しながら実現していこうというのです。それは、子どもたちが多様な「おとな」と接点を持てる環境を、学校現場にどれだけつくることができるかという試みでもあります。
ただ、そんな流れの中心にいる教師のうち、民間企業等での社会人経験のある人は全体の約4%(「平成30年度公立学校教員採用選考試験の実施状況について」(文科省発表)より)に過ぎません。割合として見ると、まだまだ少ないと言わざるをえないでしょう。しかし、その一人ひとりにスポットを当てると、自分自身の社会人経験をいかして学校へ新たな風を吹き込んでいる姿が浮かび上がってきます。
今回は民間企業で働いた経験を持ち、現在は教師としてご活躍のお二人にお話をうかがいました。
1人目は教師16年目の神藤陽平さん。新卒で株式会社キーエンスに就職した後、科目等履修生として教員免許を取得し、教員採用試験にチャレンジして念願の教師となりました。
2人目は教師7年目の諸戸彩乃さん。大学で教員免許を取得したものの、新卒では教師の道を選びませんでした。広告制作会社や広告代理店での勤務を経て、東日本大震災を機に教育を志し、教員採用試験を受けて教師になりました。
キャリアチェンジして教師の道を選んだお二人は、社会人経験をどのようにいかしているのでしょうか。また、教師とはどんな仕事だと感じているのでしょうか。
教師になって16年目。現在は練馬区立南が丘中学校副校長。
大学3年生のとき、母校の附属中学でバスケットボール部を指導した経験から教育に興味を持つ。ただ、その時点では教職課程をとっていなかったため、教師の道は断念。新卒で株式会社キーエンスに就職した後、科目等履修生として教員免許を取得する道があることを知り、転職を決意。ところが、当時は就職氷河期で、東京都の中学社会科の採用人数1名に約400人が殺到するという時代だった。そこで、通信制高校に通う生徒の支援をするサポート校に就職し5年間経験を積む。その後、中学社会科の教員採用試験に合格。特別支援学級、八丈島の小規模校、練馬区立の大規模校など、さまざまな教育現場を経て現職。
教師になって7年目。現在は都内の区立中学校の社会科教員。
教育実習を終えた段階で、今の自分は生徒に好かれようとしているのではないかということに気づき、このまま教師になるのは子どもたちに失礼だと考え、進路を転換。コピーライターを志し、広告制作会社や広告代理店で経験を積む。2011年、東日本大震災の際に、大変な状況にあっても力強い子どもたちの姿に涙し、教育の道を再び模索する。その後、宮城県女川町で子どもたちの放課後の学習支援や小学校での授業サポートを経験した後、2013年に教員採用試験を受験して合格。都内の区立中学校に配属となり、社会科を担当。2020年より学年主任を務めている。
社会で鍛えられた“動じない強さ”
諸戸さん 私は社会人経験を積んできたことで、多少のことでは動じない強さがあるなと思っていて。
神藤さん 確かに、僕もそれはあります。保護者のみなさんとのやりとりの場面などで、とくに感じますね。
諸戸さん それから、人と関わったり外部の人とつながったりすることに抵抗感が全くないということもあります。
諸戸さん 私には学校を子どもたちが社会とよりつながれる場所にしたいという想いがあって、授業には、いろんな人に話しに来てもらっています。昨年の例でいうと、理化学研究所に研究室を持っていて世界的に活躍している物理学者の方とか、防災教育に力を入れている宮城県の教育委員会の方とか。
神藤さん それは子どもたちが普段なかなか出会うことのできないような方々ですね。
諸戸さん ほかにも、中学生には年齢が近い人の方が刺激になることもあるので、高校生や大学生を呼ぶこともあります。環境問題のプロジェクトに取り組んでいて、海外の大学に進学が決まっている高校生とか、半年休学してパレスチナに写真を撮りに行った大学生とか。
これまでに私自身がつながりのあった人だけではなく、テレビで観た介護福祉士さんの話に感動して、Facebookで連絡を取って、授業に来てもらったこともありました。
神藤さん すごいアイデアと行動力!
諸戸さん たぶんそれは、私に社会人経験があるからなんじゃないかなと思います。私は外部の人にコンタクトをとることに関して、ハードルが極めて低いんです。
以前、広告代理店で企業のCSRを担当する部署に常駐していたことも大きいかもしれません。そのときは、学校にワークショップをしに行く側にいたので、企業は自分たちの取り組みを受け入れてくれる学校を探しているということが、経験から分かっているんですよね。
生徒とのコミュニケーションは経験がものを言う
神藤さん 社会人経験がいろんな形で役に立つのはもちろん、その上で教師としての経験を積んできたからできるようになったこともあると僕は思っていて。
学校の教師になる前、サポート校(※)でさまざまな個性を持つ生徒と関わったこともありましたし、教師になってからは特別支援学級や、島の小さな学校、そして都内の大規模校と、いろんな現場を経験してきました。その中で共通して考えてきたのは、「生徒の心を動かす」ということです。
(※)通信制の高校に通っている生徒に、学習面や精神面での支援を行う学校。予備校のようなイメージで、レポートやテスト対策、スクーリングのサポートをする。
神藤さん 人としての在り方だとか、人と人との関わり方だとか、こういう働きかけが必要なんだとかっていうことを、すごく考えてきたんですね。
それは授業の中というよりは、生活指導とか教育相談の領域になるのですが、人と人との関わりをどうやってつくって、子どもたちのモチベーションを上げて動かしていくのか。それって、どれだけ子どもたちと関わる経験をしてきたのかがものを言うと思うんです。
諸戸さん 子どもってすごく人を見ていて、同じことでもこの人には叱られるなとか、この人だったら甘えられるかなとか、よく観察していますよね。それにどう対応していくかというスキルは、子どもとの関係性のキャリアというか、教師としての経験でしか培えないところだと思います。
私、教師になったばかりのころは、生徒に「ちゃんとさせなきゃ」という思いが空回りして、授業をイマイチ聞いてもらえないという状態だったんです。
他の先生に相談してみたものの、なかなか解決の糸口が見つからなくて、単純に自分の力が足りないのかなって思っていたとき、生徒から「先生はうちのクラスが嫌いなの?」って聞かれたんです。「なんで?」って聞いたら「先生、いつも怒っているから」って。
自分としては怒っているつもりはなかったんですけど、今振り返ってみると”待てない自分“がいたな、と。教師はある程度レールを引いておいて、生徒がそこに乗ってくるのを待つことが必要なんだなということに気づいてからは、授業もうまく回るようになりました。
教師になって7年目ですが、この仕事を長く続けていったら、もっと思うようなことができるかなとも感じています。
諸戸さん 実は、教師になるまで気づいていなかったんですけど、子どもたちは個人の成長はもちろんのこと、集団としても成長するんですよね。その瞬間を目の当たりにすると、鳥肌が立ちます。
神藤さん そこに立ち会えるのは、学校の教師ならではですね。
バスケットボール部の指導をしていると、仲間がいたから逃げ出さないで頑張れたとか、試合には出られなくても自分の役割を生み出して貢献したとか、集団の中にいるからこその成長の様子を見ることがたくさんあります。
そのためには、教師が空気づくりをしたり、意図的に仕掛けるというところもたくさんあるんですけど、子どもたちってお互いに影響を受け合いながら成長していく、本当にすごい力を持っていると思います。
外部から来た人間の「面倒くささ」が教育現場を変える
神藤さん 僕は今年、副校長という管理職の立場になったこともあって、生徒を育てるということを考えたときに、先生を育てるということも大事だと思うんですね。
経験の浅い先生の中には、誠心誠意で頑張っていても、方向がズレているために、生徒とのコミュニケーションが噛み合わなくなってしまう人もいる。そういう部分について、僕自身の経験をいかして伝えていければなって思うようになりました。
諸戸さん そうやって先生方に寄り添ってくださる管理職がいる現場はいいですね。
今まで、こうしたらもっと学校がよくなるんじゃないかと思ったことは、校長先生にどんどん提案してきたんです。それって、つまりは校長先生の仕事や心配事を増やしてきたということなわけで(笑)
それで、あるとき、学校の飲み会の席で校長先生に「私、面倒くさくてすみません」って言ったんです。その私の言葉に対して、校長先生は「確かに君は面倒くさいよね」っておっしゃったんですが、その言葉には続きがあって。
「でもね、君の面倒くささは、すごく必要なんだよね」って。
「どういうことですか?」って聞いたら、「君がいろいろと問いかけとか投げかけとか、あれしたいとかこれしたいって言ってくれると、僕は考えるでしょ。君に問われない限り僕は考えないわけで、その問いかけは必要な問いだから、君の面倒くささは、僕にとって必要な面倒くささなんだよ」っておっしゃったんです。
神藤さん ああ、すばらしい校長先生ですね。
諸戸さん はい。そのときに、私はよい職場にいるんだなと思ったんです。
諸戸さん ある意味ではそういう投げかけというのは、外部から来た人間だからできることで、受け入れてくださる上司がいるかどうかっていうのは、すごく重要だと思うんです。幸い、前任校でも今の学校でも私がやりたいって言ったことに対して、後押ししてくださる方とか、「面白いね、やってみようよ」って言ってくださる方に恵まれてきました。
教師が楽しく学ぶことで、教育が変わっていく
諸戸さん 私、以前から教員研修の在り方に疑問を持っていたんです。
現場ではアクティブラーニングってよく言われるんですけど、教師の研修は机に座って講師の方のお話を聞くっていう一方通行のものがほとんどで。先生たち自身が教わるって楽しいっていう経験をしないことには、学校の授業とか教育のあり方って変わらないだろうなと思ったんですね。
だから、まずは面白い研修をしてくれる人たちを呼ぼうと。その人たちを呼べるように校長先生を説得して、開催にこぎつけて、今年で3年目になります。
神藤さん それはどんな研修なんですか?
諸戸さん 電通の「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」に来ていただいて、グループ校全体でその研修を毎年一回受けています。
初年度は「視座の違い」というテーマで、目の前に置かれたバナナとか布とかブロックとかを作文でスケッチしようというものでした。
書き上がった作文を発表してもらうと、一人ひとり全く違うものができあがっているんです。同じものを見ているのに!
ここにある事象に対して、見えている状況をそのまま書く人もいれば、ある人は物語調に書いたり、またある人は自分のエピソードと結びつけて書いたり。この研修の体験から、先生方は授業のつくり方だったり、子どもに対する見方だったり、そういうものに応用できるぞという気づきを、それぞれ得るんですよね。
去年はプレゼンテーションについてやって、今年度で3回目になりますが、毎年企画を考えて違う内容をやっていて、好評です。
神藤さん 面白いですね! うちでもやってみたい。
ハードだけれど、それを上回るやりがいがある
諸戸さん 教師って、お給料が安定するからとか、公務員だからとか、そういう理由でなる仕事ではないんじゃないかなと思います。もし、今の仕事がつまらないからという動機で教師になろうとすると、正直、苦しい仕事かもしれません。
神藤さん 僕は会社を辞めて教師を目指そうとしたとき、親に大反対されました。せっかく入った会社を辞めるなんて、と。
でも、会社で営業をやっていたときと比べると、僕の中では教師になってからの方が圧倒的に自分の出せるエネルギーの量が多いですね。たしかに、ハードではありますが、生徒の一生懸命な姿から、ものすごいエネルギーをもらえる仕事でもあります。
先日、運動会をやったんです。コロナ禍でも運動会だけはやろうって校長先生が決断してくださって。
今年は子どもたちが力を全部出し切るような場面がなかったんですね。そんな状況下だったこともあって、子どもたちが一生懸命走る姿を見ているだけで、なんだか涙が出そうになりました。終わった後の子どもたちの満足した表情と、それを見ている先生方のうれしそうな様子を見ていたら、ジーンとくるものがあって。
神藤さん 子どもたちと接していると、何とかして応援したいという気持ちが湧いてくるんです。
諸戸さん 自分が培ってきたものをいかしたいとか、子どもたちと深く関わりたいとか、そういう熱い思いを持っていれば、大変さを上回るくらいの、やりがいを感じられると思います。
私は教師になって”生きている心地”がするし、今までの仕事の中で一番楽しい。
子どもたちと接することで、自分自身も新鮮な感覚をもって学び続けられるっていうところが、この仕事のいいところだなと思います。
教育現場に新しい刺激や視点を注ぎ込みたいという仲間が増えるといい
諸戸さん 知識の獲得自体は、オンラインで、どこにいてもできる時代になってきました。だから、教科の専門性だけ教え込む時代はおそらく終わりを迎えると私は考えています。これからは、視野を広げるとか、思考を深めていくとか、挫折しても這い上がれる精神力とか思考力とか、そういったものを、子どもたちに身につけてほしいなと思っていて。そういうわけで、”プロデューサー教師“を目指しているんです。
神藤さん その”プロデューサー教師”って、具体的にはどういうことですか?
諸戸さん 一人の教師が教えられることには限界がありますよね。私は専門教科が社会なので、社会科の内容とか、あとは自分が経験したこととか、文系的な視点とか、そういったものを教えることはできます。でも、それ以外の分野は教えられない。
だから、自分がすべて教えようとするんじゃなくて、それぞれの分野のプロフェッショナルを私がコーディネートして、社会とのつながりや学びの場をつくっていけるようになりたいなと思っています。
神藤さん なるほど。
神藤さん 諸戸さんのように豊かな社会人経験を持つ人のアイデアとか発想とか価値観が入ってくると、学校はどんどん面白くなりますね。
実際、今日お話を聞いていて、今までの自分になかった発想をたくさんもらって刺激を受けました。教師になるまでに回り道をしていればいるほど、引き出しがたくさんできて、面白いんじゃないかなと思います。
社会で学んできたことは必ず学校によい化学変化を与えてくれるはずなので、社会人経験をいかして子どもたちと関わりたいという人には、ぜひ教師の道へ一歩踏み出してほしいですね。
みなさんのなかには、教員免許は持っているものの、今はまったく教育とは関係のない仕事に就いているという人もいることでしょう。頑張って教職課程をとったのに教師にならなかった経緯には、あなただけのストーリーがあったのではないでしょうか。
大学卒業から年月を経た今の自分と、新卒の頃の自分とでは、社会人としての経験値が圧倒的に違うはずです。
今のあなただからこそ、できる教育がある。
今回の記事に登場していただいたお二人の話が、もしあなたの心に響いたのなら、改めて、教師の道に一歩踏み出してみてはいかがでしょう。
(撮影:廣川慶明)
– INFORMATION –
あらためて「教師」を目指すためのリカレント教育プログラムが始まっています
「学生時代に教職免許をとったけど、採用倍率が高くて教師の道を諦めていた」
「社会で働くうちに、子供を育てるうちに、教師という仕事に興味を持った」
こうした方々を応援するため、文科省では、全国の大学と連携し「教職に関するリカレント教育プログラム」を開講しています。
教員免許を取得されたことがある方で、お持ちの免許を更新、または、お持ちの免許を基礎に新たな免許を取得して学校現場で働いてみたいという方は是非、詳細をご覧ください。
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