映画を観る体験は、スクリーンの中の別世界を旅するかのようです。たとえば遠い外国へ、ときには過去や未来といった、さまざまな世界へ足を運べます。
ロシアの映画監督、セルゲイ・ロズニツァ(Sergei Loznitsa)による『群衆』と銘打たれたドキュメンタリー映画3選も、距離も時間も遠い世界へ、観る者を連れ出してくれるに違いないでしょう。
ただしその世界は、映画によく描かれるファンタジックな世界でも、ロマンチックな世界でも、宇宙空間でも異世界でもありません。『国葬』『粛清裁判』の2本は、スターリンが統治していたソビエト連邦に、『アウステルリッツ』は現代のドイツ、ザクセンハウゼン強制収容所に、観客を連れ出します。
予想の上をいくチョイスに、期待も不安も感じてしまうかもしれません。どんな世界が体験できるのかを知る前に、まず『国葬』と『粛清裁判』の背景をおさらいしておきましょう。
人びとの表情が鮮烈な印象を残す映像たち
舞台は、20世紀前半から半ばのソビエト連邦。当時、ヨシフ・スターリン(Joseph-Stalin)が最高指導者として社会主義国家の建設をめざしていました。
彼が、政治的に対立した人びとや、独裁的な体制を批判した人びとを次々に粛清した事実は、歴史の教科書でも習ったことがあるかもしれません。最も激しい粛清が行われた1937年・38年の2年間には134万人以上が有罪とされ、その半数以上が死刑判決、残りも刑務所や強制収容所へ送られたといいます。スターリンは広いソビエトを独裁的に支配し、国民は彼を崇拝したのです。
『国葬』と『粛清裁判』では、現代の民主主義国家に暮らす私たちとはまるで異なる、異常な世界を目の当たりにできます。これら2本の映画は、当時の模様を記録した映像を、監督であるロズニツァが使用して制作したアーカイヴァル映画です。
『国葬』で映し出されるのは、広いソビエト全土を巻き込んで執り行われるスターリンの国葬の模様です。
指導者、スターリンの死を悼む人、人、人。涙を流す人もいれば、茫然としているのか無感情なのか、全く表情を変えない人もいます。安置されたスターリンの遺体に花をたむけ、弔問に訪れる人びと。遠い地で同じように喪に服す人びと。絶対的な喪の感情は徹底しています。
スターリンという歴史上の人物の死と、その圧倒的な支配力・存在感が、詳しい知識がなくてもヒリヒリと肌で感じられるような、圧巻の映像が続きます。ナレーションによる説明がなくとも、目にしたことのない稀少な、本物の映像が持つ迫力だけで、観客を当時に引き込んでしまうのです。
『粛清裁判』もまた当時の映像を収めたアーカイヴァル映画です。映し出されるのは、1930年にクーデターを企てた容疑で逮捕された科学者たち8人の裁判の模様。この裁判は見せしめのためのもので、被告たちは無実の罪で捕らえられているだけ。
淡々と進む裁判。繰り返される証言。一見、ごく全うな裁判にも見えます。裁判シーンの合間には、死刑判決を求めて行進する群衆の映像が映し出され、国に逆らった人たちの死刑を求める。そんな人びとの姿に背筋が寒くなります。
裁判を傍聴する市民の表情は興味深げで、死刑判決が下りたときには大きな歓声も。スターリンの独裁的な支配のもと、心の底からスターリンを信じていたのか、疑いがあっても口に出せなかったのか。あくまで映像に残っているのは、見せしめの裁判をシナリオどおりに演出する人びとです。
『国葬』『粛清裁判』どちらの映像においても、人びとの表情はリアルで、その当時そこに生きていた人たちの息づかいが伝わるようです。歴史の教科書で学び、スターリンが国を治めて粛清して…と記憶していた知識の断片を凌駕する事実を突きつけられます。
歴史を深く知る人であれば、その知識と映像を照らし合わせる楽しみもあるでしょう。でも、たとえ知識がなくても、演技などのフィクションではない、人が生きていた存在感、歴史が持っている重みを感じ取れるはずです。
歴史物語を描いた映画はたくさんありますが、当時撮影された貴重な映像を使用したアーカイヴァル映画であることで、映像が持つ力、映像が記録する力を改めて感じられたのは貴重な経験でした。
映画が映し出す現実、そこから何を感じるか、読み取るか
もう1本の映画『アウステルリッツ』は、ドイツのザクセンハウゼン強制収容所の現在の模様を記録した、オブザベーショナル映画です。第二次世界大戦で、たくさんのユダヤ人たちがナチス・ドイツによって殺害された収容所の跡地を訪れる観光客の様子を、淡々と記録しています。
たくさんの観光客は笑い、写真を撮影し、ガイドの話に耳を傾け、次から次へと移動し、たくさんの人が犠牲となった強制収容所をめぐります。中には、処刑用の杭に吊るされたようなポーズで撮影に興じる人もいて、無邪気すぎる姿と過去で起きた事実とのギャップに心がざわざわしてしまいます。
けれども映画全体からは、強い批判精神は漂ってきません。あくまでダーク・ツーリズムの様子を観察しているだけです。
最近は、ダーク・ツーリズムをする人や興味のある人も多くなってきているようですが、さて、実際に足を運んだらどんな行動をとるのでしょう。もしその姿を撮影されていたら、どんな映画に仕上がるでしょうか。実際に足を運べる場所だけに、そんなことまで考えさせられました。
この3本の映画は、頭でいろいろと考えるよりも、その映像が持つ力そのものを感じ取るように鑑賞するのがふさわしいように思います。けれども、これら3本の映画が『群衆』と銘打たれて公開されている点については、考える意味があるかもしれません。
どの映画にも、一人ひとりの名前を失った群衆の姿があります。スターリンの死を悼むソビエト国民、見せしめの裁判を傍聴し、無実の人たちの死刑を求める人びと、悲劇の舞台で笑いさざめき観光客。現代社会をレンズを通して見てみれば、私たち一人ひとりも群衆の中のひとりにすぎません。
その名を失った群衆のひとりとなるとき、私はどう行動するのか、生きるのか。スターリンの死を悼むのか、死刑判決に歓声をあげるのか、悲劇の記憶の残る処刑場跡で記念写真を撮るのか。そんな風にわが身を振り返ってみるのも、これら3本の映画を観た後では、簡単に答えは口に出せません。
どう思うか、どう感じるか、何を考えるかは、映画を観てのお楽しみ。簡単には観られない貴重な映像で、当時の様子を目撃するレアな体験を、ぜひ映画館で味わうことをおすすめします。
– INFORMATION –
『国葬』、『粛清裁判』 ©︎ATOMS & VOID
『アウステルリッツ』 ©︎Imperativ Film
11月14日(土)〜12月11日(金)シアター・イメージフォーラムにて3作一挙公開!!
全国順次ロードショー