一人ひとりの暮らしから社会を変える仲間「greenz people」募集中!→

greenz people ロゴ

コロナ禍で浮かび上がったのは、ずっと宿題だった問題。今議論しないと、子どもをめぐる状況は悪化する。命と向き合い続ける「上町しぜんの国保育園」の保育者たちからのメッセージ

緊急事態宣言が全国的に解除されてから間もなく1ヶ月。あなたの周りの環境は、落ち着きを取り戻していますか? 日常に戻るにはまだまだ時間がかかりそう、という方も多いと思います。

大きな変化に直面していたのは、小さな子どもたちも同じ。登園自粛要請、休園、応急保育、縮小保育での再開…。この数ヶ月間、子どもたちの暮らしの場所である保育園は、まさに混乱の時期を送ってきました。保育者や保護者、子どものとなりで生きる人々の感情も大きく揺らいだことでしょう。

「人を動かすのは理屈じゃなくて感情。だから感情は大事なんだけど、過ぎ去っちゃうんです」

と語るのは青山誠さん。新宿区に次いで累計500人を超える陽性患者数を記録している(※)世田谷区の認可保育園「上町しぜんの国保育園の園長さんです。

※6月17日現在の累計感染者数(前日までの累計)は新宿区が542人で全市区町村1位、世田谷区は2位で506人となっています。

コロナ禍における保育者たちの感情や行動、その変化。それを記録することができるのは、「今」しかない。それが、今後の子どもの環境づくりを考えるヒントとなるはず。そんな想いで、青山さんにインタビューを申し込みました。

浮かび上がってきたのは、子どもを取り巻く環境におけるさまざまな課題。これまで水面下でくすぶっていた諸問題が、緊急事態を機に顕在化してきました。また一方で、保育現場ではうれしい気づきや変化もあったのだとか。

いつだって、「もしも」のときに問われるのは、「いつも」のあり方。まずは緊急事態宣言が発出された4月初旬にさかのぼり、時系列で保育者のみなさんの感情と行動をたどってみましょう。

青山誠(あおやま・まこと)

青山誠(あおやま・まこと)

社会福祉法人東香会「上町しぜんの国保育園」園長。保育、執筆、講演分野で活躍。子どもに関わる人の対話の場「サタデーナイト」主催。「わたしの保育~保育エッセイ・実践記録コンクール」大賞受賞。著書に『あなたも保育者になれる』(小学館)『子どもたちのミーティング』(共著・りんごの木)他。

「命を守る局面では、自分で判断しよう」
保護者と園が一緒に前を向くきっかけとなった
一通の手紙

「上町しぜんの国保育園」のある世田谷区で最初に動きがあったのは、緊急事態宣言が発出される直前の4月4日。「いつでも臨時休園できるよう備えるように」と、世田谷区から連絡がありました。保護者も大きな不安に襲われていたこの時期。青山さんがまず行ったのは、現在の状況について、園としての考えを伝えることでした。

A4用紙4枚にも渡る手紙のタイトルは、『コロナについて 〜「どうぞ家にいてください」or「どうぞ園に来てください」』だったそう。

どっちでもいいよ、って(笑) 怖いけど、仕事に行かなきゃいけない親もそりゃいるでしょう。「やむを得ずの判断ってどうしたってあるし、やむを得ずの判断をする自分を責めないで」。「俺らも覚悟を持って預かる」。「どんな判断でもいいけど、『区が言っているから』というのはやめよう」って伝えました。

というのも、行政からの手紙が全部責任転嫁だったんです。世田谷区は「東京都がこう言ってるから」、東京都は「国がこう言ってる」って書いていて。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。大事なのは命を守ることだから。自分で判断するしかないんだよ、っていう話を書きました。

手紙には、その他にも、「保育園は安全だから開いているわけではなく、閉められないから開いているだけ」であること、だからといって「来ないでほしいと言っているのではなく、園をフル活用してほしい」、登園してくれたら「命は命をもって守ります」という覚悟、そして「不安なときは一緒に揺れましょう」というメッセージも添えられていました。

一方で、集団感染を100%防げる場ではないこと、保育者の事情で体制を変更する可能性があることなど、園としての現状、そして限界も正直に伝えていました。

園側も嘘をつかないというのはすごく大事で。できることできないこと、わかることわからないこと、妥当性は高いけど確実ではないこと。それをはっきり伝えるのは園の責任だと思います。

この長い手紙を受け取った保護者のみなさんは「すごく納得してくれた」と青山さんは振り返ります。

みんな怖いし、みんなわかんない、それをまず認めよう、って。この手紙を出したことで、保護者と園が一緒に前を向くようになったんですよね。

上町しぜんの国保育園では、これまでもたびたび保護者の方々も参加するかたちのイベントを開催し、家族も含めた居場所をつくってきました。そのつながりが、今回の危機においてもモノを言ったことは言うまでもありません。

保育園は、本当に「子どもの最善の利益」のための場所?
複雑な感情から湧き上がった、保育者たちの“怒り”

4月10日、世田谷区からの通達は「登園自粛要請」に切り替わり、区から保護者向けの文書も公開されました。同じ日、となりの渋谷区では早々に臨時休園が決定。この状況に際し、青山さんは再び長い手紙を作成しました。保護者に行政からの文書をそのまま渡すのではなく、冷静に読み解いて「つっこみポイント」と「園としての判断」をつけるかたちでメッセージを伝えました。園の判断の軸として伝えられていたのは、

・「自粛要請」程度では仕事の調整は基本的に困難であることを園として踏まえる。
・どんな職業も「社会生活を維持する仕事」であると考え、すべての職業を登園の対象とする。
・在宅勤務、テレワークも大変なので、そういう家庭も後ろめたくなく登園できるようにする。

ということ。「自粛要請」という難しい局面に立たされた保護者のみなさんに対し、園としての包容力を示すとともに、やはり軸となるメッセージは「自分で判断しよう」ということ。ある意味厳しさを伴うものですが、保護者のみなさんからはあたたかな言葉をたくさん受け取ったそうです。

この頃の感情について、青山さんはこう振り返ります。

「なんでだろう?」って気持ちでいましたね。保育園は「子どもの最善の利益」のための場所って指針として定められていて(※)、それって「まずは命を守る」ってことなんですよ。この局面では、感染リスクから守ってあげるのが一番のはず。だけどそれに対しては何の法的根拠もない。学校は危ないから閉まってる。なのに、それよりちっちゃい子が保育園に来てるってなんなのよ? って。

※厚生労働省の「保育所保育指針」に「保育所の役割」として、以下のような記載があります。“保育所は、児童福祉法(昭和22年法律第164号)第39条の規定に基づき、保育を必要とする子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。”

この頃、保護者のみなさんからは「休園にならないんですか?」という問い合わせも届きました。休園にならないと職場とも調整できないという、働き方の問題点も浮かび上がってきたのです。

本来は、命を守る局面で、仕事に行ってる場合じゃないって話だと思うんです。それは親だけではなくて、社会全体の問題として。

本当に子どもの最善のためだったかな? 親の就労支援っていうほうが大きくなっていないかな? 働きながら子どもと暮らすってどういうことかな? っていうことを、考えていきたいなと思っていました。

現在は親の「就労支援」の役割も大きい保育園。季節によっては暗くなってから迎えに来る光景も、当たり前のように存在します。(写真: 矢野紀行)

時を同じくして、全国の保育者のみなさんもSNSなどを通して声をあげはじめていました。その内容は、主に“怒り”。保育者が命をかけて電車に乗って職場に通っているにもかかわらず医療従事者のように社会的に認知されておらず、慰労金の対象にもなっていない、といったことに対する不満の声が多かったそう。そういった声を、青山さんはTwitterで眺めていたと言います。

保育に関わる人はこの時期にそれぞれいろいろな感情を抱えながら現場に立っていたと思うんです。「怖い」、「もらっちゃったらどうしよう」、「うつしちゃったらどうしよう」、「でも子どもたちに会いたい」とか。「そういうことを考えながら保育している自分が嫌」とか。目の前の子どもたちだけに心を置けない状態って、保育者にとって一番苦しくて。

Twitterにあがっていたのは、そういった矛盾した感情を抱えながらの“怒り”だったと思います。匿名だし、ネガティブな印象だし、内容としては全然賛成ではなかった。でも、保育の現場の人たちがこの機会に声をあげていく、自分たちの感情を出す、ということには賛成。人を動かすのは理屈じゃなくて感情ですからね。

青山さんは、これまでも度々、Facebookで声をあげてきました。特に今回のコロナに際しての本質的な問いかけは、保育に携わる方々のみならず多くの方の賛同を得ています。これは今年3月の時点の投稿。「生命は生命でしか守れない」というメッセージに、共感が広がっていました。

「保育ができなくても、この状況を絶対おもしろくできる」
園の姿勢が導いた、うれしい変化。

「上町しぜんの国保育園」の現場でも、保育者の間に先の見えない不安が広がっていました。保育現場のことも子どものことも“見えてない”社会に対して、「ネガティブじゃないイメージで子どもの存在をアピールすることはできないか?」と話していた頃、区から休園の通達が届きます。

4月17日、青山さんはふたたび保護者に向けたお手紙を執筆。「困りました。昨日夕方の区からの休園指示もどうにも困りました」からはじめ、区からの文書を受けて園としての「休園時の応急保育(※)」のガイドラインを示しました。

(※)世田谷区の保育園では、保育の対象を「社会生活維持関係者」等の子どもに限定し、必要最小限度の保育を行うことを基本とする「応急保育」を実施していました。

休園指示を受け取った青山さんがまず感じたのは、「保育させてほしいな」ということだったそう。保育させてもらえさえすれば、表現できることっていっぱいある。でも保育できないと、何もできなくなってしまう…。

でも、さすが日常をおもしろくするプロである保育者のみなさん。ここで「じゃあどうする?」という思考に転換し、話し合いの末、翌週から「おもしろきこともなくをおもしろくプロジェクト」(ネーミングは、高杉晋作の名言に倣ったそう)をはじめることになりました。

今回みたいに、条件や環境が限られることってあると思うんですよ。でもそれって、仕事の出発点。与えられた環境設定が変えられただけで、仕事ができないってわけじゃないんじゃないか。やり方を変えていけば絶対おもしろくできる、と思ったんです。

保育者のみなさんからは、実に多様なアイデアが飛び出しました。

まず手始めとして実施したのが「ポップコーンおじさん」。園を親子の散歩の拠点にできるように、時間を決めて園の前でポップコーンを配りました。

「ポップコーンおじさん」の登場で、保育園が、ホッと一息できる親子の散歩の拠点になりました。

また、職員直筆の手紙に種を添えて園児に送ったり、YouTubeで料理やダンスの動画を配信したり。テレワークの保護者に好評だったのが、園舎を仕事場として解放したこと。

子どものために、子どものとなりにいる大人のために、保育ができなくても園ができることを提供する。そんな姿勢が表れたプロジェクトは、賛同した保護者も巻き込みながら、園と家庭をつなぎ続けました。

思考はシンプルで、「保育園に通えない今、子どもにとって何がいいのかな?」ってことだけ。自分たちのやりたいことではなくて、その向こうの人たちがどういう顔をして過ごしているかな、って想像して、俺らにできることを面白くやろう、って。

保護者から聞いたんですが、子どもが動画を見て「今、目があった」って言うらしいんです。保育者の目を見ているんですよね。普段のコミュニケーションのようにはできないけど、でも、「今なにかできないかな?」って考えていくことで、伝えられることもある。

やってることは本当にたいしたことじゃなかったけど、園が姿勢を見せると、保護者のみなさんも声をかけてくれたりサポートしてくれたりしましたね。

休園で自宅にいる子どもや保護者のみなさんから「手紙を渡したい」という声がががり、園の前には保護者作成のポストも設置されました。

プロジェクトは、約1ヶ月半の休園期間中、続きました。園の再開が見えてきた5月下旬には、オンラインで保護者の意見を聞く場も。子どもたちが寝静まった夜10時頃から、ビールを飲みながら、今後の働き方や暮らし方について対話をしたそうです。

業種によっていろいろで、「お店どうしよう」って言う人もいたし、「変わらざるを得ないから変わっていくことを考えてる」って人もいたし。保育園って子どもの話ばかりなので、コロナがなかったらこんなに親たちと飲みながら話をすることは無かった。「お金どう?」なんて話までできたのはすごく良かったですね。

プロジェクトからも、今までにないことが生まれました。ポップコーンに来てくれたお父さんたちとコーヒー飲みながら仕事の話ができたり、動画配信が得意な若い保育者に俺が逆に教えてもらって立場が逆転したり。

YouTubeでの動画配信は若い保育者主導で企画が進行し、次々とアイデアが生まれたのだとか。

振り返ってみると、コロナでいろいろな方が亡くなったし、今も健康に不安を抱えている人がいるけど、全部嫌なことばかりじゃなかったなって。たとえば親の働き方についてもこれまでさんざん話し合ってきたんですが、「休園にならないと職場と話ができない」って問題から、この期間に一気に「子どもたちの健康・安全のために、働き方を塩梅していこうよ」という空気に変わった。うれしいこともあったんです。

でもその価値をちゃんと自分たちでつかんでおかないと、もとに戻っちゃう。「あれは良かったよね」「幸せだったよね」くらいでいいんだけど、つかんでおいたほうがいいのかな、って思います。

上町しぜんの国保育園の保育者のみなさん。日常をおもしろくするパワーが、子どもたちと保護者の心をあたため続けました。

浮かび上がったのは、ずっと宿題だった問題。
このままでは、子どもを取り巻く事態が悪化する。

6月1日、園には子どもたちの声が戻ってきました。まずは縮小保育からゆっくりスタートした「上町しぜんの国保育園」。休園期間中のプロジェクトが功を奏したのか、子どもたちは久しぶりの保育園で遊んで発散することで、思った以上に早く日常に戻っていったのだとか。

こうやって今、コロナ前に戻りつつある光景に、多くの人はホッとしていることでしょう。青山さんも子どもたちの様子には目を細めながらも、何ごともなかったかのように元に戻ろうとする社会に対して強い危機感を抱いています。

結局コロナで出てきた問題って、もともとそこにあって、浮き上がってきた問題なんです。保育園が閉められないことも、保育園は社会保障の場だっていうことも、保育士の社会的な認知が進んでいないということも。

そういった、前から宿題みたいにあったものが、危機になってどーんと出てきた。だから逆に、今まで貯めてきた宿題を前にして、みんなでやいのやいの議論するチャンス。だけどここできちんと議論しないと、もしかしたら子どもたちにとっては悪化する事態が本当に目の前にあると感じています。

「子どもたちにとって悪化する事態」とは? 「認可園における問題ですが」と前置きした青山さん、行政と親が契約し、行政からの委託で運営する認可保育園の難しさを指摘します。

感染症対策の細かなところも、行政からおりてくるんですが、行政の人は行政のプロだけど保育のプロではない。だから実態に即していないことがいっぱいあるわけですよ。

たとえば水遊びやプールについても、厚労省と世田谷区では内容が違っている。行政側も混乱しているのだと思うけれど、一番簡単なのは全部禁止にすることですよね。そういうのって、子どもをどんどん締め付けていく。妥当性があればいいんだけど、事なかれ主義だからリスクを最大限に想定する対応なんです。

そうなったら、やっぱり子どものとなりにいる人が、ちゃんと主体的に、知識と情報をもとに判断して行動していかないと。子どもにとっては「感染症だから」って大命題を据えられて、「これはダメあれもダメ」って…。そこで子どもと対話すべきだと思うんです。無制限に自分の行動を制限するような大人なんて、誰も信じなくなると思いますよ。

こうした危機感から、青山さんは今、保育園団体や保育の研究者のみなさん、マスメディアに対して働きかけたり、保育について対話する場を主催するなど、声をあげることに力を注いでいます。

6月25日(木)には、「保育、コロナの前と今と後」をテーマに溝口義朗さん(東京都認証保育所「ウッディキッズ」園長)との対話イベントを開催。気になる方はFacebookのイベントページをチェックしてみてくださいね。

みんなが自分で「いる」ためには、
“ぐちゃぐちゃ”がいい。

青山さん自身は、「子どもの最善の利益」のための場である保育園は、どういう場でありたいと考えているのでしょうか。

ぐちゃぐちゃがいいと思う。コロナの局面では、休園というのも「子どもの最善の利益」のためのひとつの手だったと思う。だけど、たとえば「夕飯は家族団らんでちゃんと摂ってほしい。それが子どもの最善の利益です」って言ったとして、それはそうかもしれないけど、みんな忙しく働いていて「理想として言われても無理だよ」ってこともあるじゃないですか。

「だったら園で食べて行っちゃえば?」って去年から園ではじめたのが「いどばた」。月に1回、金曜日に園にちゃぶ台を並べてみんなで持ち寄りで夕飯を食べる、それだけなんだけど、親同士話せたり子どもも自由に遊べたりして、結果的に子どもにいいんだったらそれでいいじゃん、と思うんですよね。

「子ども、子ども」って言って、その理想を家庭に押し付けても、実際はそうはならないこともある。日本の保育園は、今の状態で言うと社会保障の部分を担っていると思うんですよね。だったら、家庭も園もなく、子どもも親もなく、ぐちゃぐちゃっと混沌としている場をつくったほうがいいと思っています。

子どもも大人もぐちゃぐちゃに混じり合って保育園で一緒に夕飯を食べる「いどばた」。現在は感染症対策のため休止中ですが、このような場づくりに表れる園の姿勢は、どんな状況になっても変わらず息づいています。

ぐちゃぐちゃ、つまりあらゆるものの境界線を無くしていくような場づくりは、行政に見られる「事なかれ主義」で「リスクを最大限に想定する」手法とは正反対のあり方です。“ぐちゃぐちゃ”だからこそ、誰も排除せずみんなが居心地よく「いる」ことができる場所になると、青山さんは語ります。

同質性が高い場だと、人って自分だけ違うことが気になるじゃないですか。ぐちゃぐちゃでいろいろな人がいたら、自分が自分であることがそんなに気にならない。

保育園って、長く「いる」場所なんですよね。朝7時15分から夜8時15分まで、13時間。もしかしたら働いている大人より長く、生まれたばかりの子どもが「いる」わけです。だから幼稚園みたいに「する」ことで同質性を高めちゃうと、たぶん人って「して」ばかりじゃいられない。「いる」を居心地良くするためには、ぐちゃぐちゃなほうが、自分らしくいられるんじゃないかな。「してもいいししなくてもいいよ」って。

今回の「おもしろきこともなきをおもしろくプロジェクト」も、まさにそういった場だったのでしょう。プロジェクトを通して、新たな可能性を感じたそう。

今回、保育園というコミュニティがもともと持っている力ってすごくあるんだな、って気づけました。この前は、美容師のお父さんが職員の髪を切ってくれたり、ケータリングやってるお母さんが園の前でやってくれたり。100家族もいたら、このコミュニティのなかで経済まわらないかなぁ、なんて。なんか、これからもいろいろなことができそうです。

コロナ禍によって、改めて浮かび上がった問題点も、新たに生まれた価値も。しっかりとつかんでおくために、青山さんは今後も、様々な手段で表現していくそうです。

ともに対話をしたい方、もちろん「保育」に携わっていない方でも構いません。ぜひ青山さんのFacebookをフォローして、対話の場に参加してみてください。みんなに「青くん」として親しまれているやわらかなお人柄がにじみ出た場づくりで、あなたのことを歓迎してくれますよ。

今回はオンラインでインタビューさせていただきました。画面越しにも感じられた青山さんのやわらかなあり方とぶれない姿勢。この記事を通して読者のみなさんにも届きますように。

あなたはコロナ前に戻りますか? それとも…?

私は、平然と戻りたくないです。だからこうして声をあげている人の言葉を聞くことで、その気づきを記録として残し、議論のきっかけにしたいと思い、筆を執りました。

あなたも、この期間に気づいたことや沸き起こった感情を、あなたなりの方法で表現してみませんか? ほんの小さなつぶやきでも大丈夫。誰かが応答し、対話が生まれ、それがこれからの社会をつくる力に変わっていく。そんな未来を、一緒に見に行きましょう。

できれば、今すぐに。青山さんのおっしゃる通り、今は「ピンチだけどチャンス」なのですから。