新型コロナウイルスとの戦いはまだまだ終りが見えませんが、わたしたちは自分にできることをやるしかありません。感染拡大が始まってからもう2ヶ月くらいはたったでしょうか。その間に環境も、みなさんの心境も変化してきていると思います。
その中で、わたしが一番思うのは、医療従事者に対する感謝と応援の思いが世界全体で高まっているということです。このウイルスと最前線で戦っている人たちを支えることしかわたしたちにはできない、だから自分が感染しないように、他人にうつさないようにしようと思えるのです。
それでわたしは家にこもってずっと映画を見ているわけですが、その中でこの医療がひとつのテーマになっている作品『わたしたちの宣戦布告』に出会いました。そして、その作品から今わたしたちが直面している「病気との戦い」の意味を学びました。
映画の本筋とは少しずれてはいるんですが、今こそ見て学ぶべきことだと思うので、記事を書いてみることにします。
実話を本人たちが演じる意味
パリのバーで出会ってすぐ恋に落ちたロメオとジュリエットの間に子どもができます。二人は生まれた息子アダムを大切に育てますが、18ヶ月のとき、アダムがなかなか歩かないことや突然大量に嘔吐することに疑問をいだいて行きつけのお医者さんのもとに。
お医者さんは非対称のアダムをみて急いで専門医に見せることを忠告します。翌日、仕事でマルセイユに行く予定があったジュリエットはアダムを連れて知人が紹介してくれたマルセイユの専門医のもとに。そこでアダムに脳腫瘍があることが判明するのです。
ここから二人と家族の病気との闘いが始まります。主演の二人が実体験をもとに脚本を書き監督もしたという力作で、当事者の心情をリアルに描いています。
アダムの病気が判明したあと、ロメオとジュリエットはよりよい治療を求め奔走するわけですが、彼らを支えるのがその家族と友人です。ロメオの母とその同性パートナー、ジュリエットの両親、そして二人の友人たち。それまでほとんど交流がなかった彼らですが、アダムのために結集しチームとなって、ことに当たります。みんながアダムのために自分ができることをして、それがロメオとジュリエットの大きな支えになるのです。
物語としては平凡ではありますが、困難を乗り越えようとするときには周りの人たちの支えがいかに大切かということを痛感させられます。
それだけだと感動的な家族の物語になりそうですが、この映画には(原題にも)「宣戦布告」という禍々しいタイトルが付けられています。このタイトルは、二人が病との戦いに臨もうというときにラジオから流れてきたイラク戦争の開始のニュースから取られていて、二人が病との闘いを「戦争」と表現することはありません。でも、ある種の戦争だと思って臨んでいることがわざわざこのニュースを挟んだことからも見て取れます。
病気との戦いで「戦略」が重要な理由
見る側もタイトルからして「戦争」のイメージが付きまとうので、そういう目で彼らの闘いを見ることになります。そうすると、彼らの「戦い方」が見えてきて、それは今わたしたちが巻き込まれているウイルスとの「戦争」にも通じるものがあるのです。
彼らの戦いの序盤、アダムの入院が決まったとき、ジュリエットはその夜にも個室に入れると言われていたのに、別の看護師に朝まで入れないと聞き、その看護師に食って掛かりますが、ロメオはそれをやめさせます。
ロメオはジュリエットを少し離れたところにつれていき「戦略が大事だ」と告げるのです。
病院には当然アダムと同じように重い病気にかかっている子どもたちがたくさんいます。その中ではアダムは特別扱いされません。ジュリエットは自分の子どもは病気なのだから特別扱いされるべきだというあたまで感情を爆発させてしまったわけですが、それでは立場を悪くするだけで、彼らが要求するべきは平等に扱ってもらうことにとどまるべきなのです。それがロメオの戦略です。
ロメオはこの長い戦いにおいて戦略上最も重要なのは最前線で戦う医療従事者を味方につけることだと考えています。二人は戦いの主体ではありますが、前線に立てるわけではなく、あくまで指揮官です。だから戦いに勝つためには最前線に立つ医療従事者を味方にし、兵力を増強しなければなりません、質の面でも量の面でも。
二人の戦略の眼目はより詳しい情報を仕入れ、優秀な医師を味方に引き入れ、なるべく早く攻撃を仕掛けることです。
ここで重要なのは医療従事者は味方だということです。病気によって自分自身や大切な人が苦しい思いをしていると、どうしても医療従事者に注文をつけたり文句を言いたくなります。でも、彼らは敵ではなく味方なのです。
さらに言えば、敵は病気だけで、他のすべては敵ではありません。大事なのは敵ではないすべての人や物をどうやって味方につけるか、それが病気との戦いにおいて重要なことなのです。
戦争においてもう一つ重要なのは兵站(へいたん)です。映画の中にロメオがクレジットカードを停止させられる場面がありますが、戦いを続けるためには資金も必要ですし、気力も体力も必要です。その兵站を担うのがここでは家族や友人です。
このように分析してしまうと味も素っ気もない物語のようですが、これはあくまで比喩で、重要なのは当たり前ですが彼らは皆人間だということです。この戦いは勘定によって結束した人間同士のつながりがあって初めて遂行でき勝利できるものなのです。
いまわたしたちは何と戦っているのか
わたしはこの映画を現在の状況になぞらえて考えてみました。このウイルスとの戦いとはどのようなものなのか。
そこで思ったのは、1つは個別の戦いと全体の戦いがあるということ。この映画の二人のように大切な人が病気にかかったとき、その人はその個別の戦いにおいて指揮官になり、医療従事者と家族・友人とともに戦っている現状がある。
と同時に、ウイルス対人間という全体の戦いもあります。この戦いにおいてはすべての人類が当事者にならざるを得ません。その中でわたしの役割は何なのか。最前線に立つ医療従事者でもなければ、戦略を立てる専門家でもありません。となると後方支援を担うしか無い。最前線の医療従事者たちが戦えるように環境を整えるためにできることをする。それしかありません。
そのために具体的に何をするのかは、映画からあまりにかけ離れてしまうのでここでは書きませんが、こうやっておすすめの映画について書くのも後方支援になるのではないかという思いはあります。後方支援にも戦略は必要ですから。
ひとつ言えるのは、敵は病気だけだということを決して忘れてはいけないということです。自粛要請を守らない人や買い占めをする”転売ヤー”に怒りの感情をぶつけたくなる気持ちはわかります。でも彼らも味方にしないとこの戦いには勝てません、彼らも勝たなければ人類全体が勝利することはできないのです。
味方を増やし、その味方のコンディションを良くすること、それが後方支援におけるいちばん重要な戦略です。その事を忘れないようにしながらわたしは家でできることをやります。
「自宅にいるだけでコロナを阻止できる」のは確かにそうですが、もう少しできることがあるんじゃないかと思った方は、ぜひこの映画を見て自分が担える役割はなにか考えてみてください。
– INFORMATION –
2011年/フランス/100分
監督・脚本・出演:バレリー・ドンゼッリ
脚本・出演:ジェレミー・エルカイム
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