greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

「意識高い系(笑)」は間違ってない。途中なだけ。自分の現在地を知り、レベル上げをする方法を考えてみた。#学習するコミュニティに夢を見て

こんにちは、信岡良亮です。連載「学習するコミュニティに夢を見て」、今回のテーマは「意識高い系(笑)」だった、学生時代の自分を慰めてあげたいというものです。

自分のことが嫌いだった15年前の自分に会いに行けるなら、猛烈に言ってやりたい。「君は間違ってないよ」と。「まだ途中なだけやで」と付け足しつつ。

今は優しいと言われる僕ですが、15年前は周りの人を「ばかだな」とか「何も考えてないな」と見下すような、いやなやつでした。優しくなりたいと願っても、何かができることでしか自分を信頼できなかった当時の僕にとって、「自分は相手よりも優れている」と思うことで自分自身を保っていたのだと思います。こういう人に優越を持って接するしかできなかった自分が嫌いという複雑な感覚を「優越感コンプレックス」と勝手に名付けてました。

「優越感コンプレックス」を抱いていた僕の考える優しさもまた、こじれていました。何でも助けられるような強い人が優しい人だと思っていたのです。でもそれってつまり、自分が救世主になるために困っている誰かが必要だということなんですよね。相手が自立していることが前提じゃないんです。アドラー心理学ではこれを、「メサイヤ(救世主)・コンプレックス」といいます。

この二つのコンプレックスは、縦の人間関係の中で生まれます。競争社会の中で常に他人と比べられてきた僕は、実際に何かができるようになっていくわけではないのに、頭の中でだけ常に他者よりも優っているように努力してしまっていて、意識高い系(笑)と揶揄されるようになったのです。

RPGのように冒険するにはレベル上げが必要

そもそも、都会には頭でっかちな人間が生まれやすい構造があるのかもしれません。実体験としてのトライアンドエラーがしにくい環境だから、知識ばかり増えて体が追い付かず、意識だけがどんどん高くなって実態が伴わなくなっていく…。


意識高い系(笑)って頭でっかちな人のことを指すのだと思います。「もっと社会がこうなったらいいのに」とやってみたいことばかりが膨らんで、実際にそれをやってみる手段が分からない。

意識高い(笑)と揶揄されると、それ自体がよくないことのように思えてしまいますが、未来を夢見ることは決して悪いことではありません。自分の意識を下げる必要はなくて、自分が考えてみたことをちゃんと実行してみたり、そもそものやり方を学べたら、今より自分を信じられるようになれるかもしれません。

意識高い系(笑)だった僕は、左下の「ただ今をうまく楽しめればいい派」にはなりたくなかったのですが、一方で右下の「社会順応力高い」バイトリーダーの人やバンドをしている友人などが大人びて見えて、憧れと同時に妬みもしていました。

放っておくと、左下の「ただ今をうまく楽しめればいい派」になりそうで、考えること自体はやめたくなかったのですが、始め方がわからないので、ただただ意識(と若干の知識)だけが、いつも肥大化していました。



右側の人材になるために、または思っていることと小さく始めれることのバランスをとるためには、自分が今どこにいるのかを把握することが大切です。自分の実行力をこんな風にレベル分けしてみたので、それを段階的にレベルアップしていけばいいのだと、最近になってようやくわかってきました。

僕がやったレベル上げでいくと、まずはやりたいことを明確にして、家族や友人に語ってみるところから始めます。「いいね」と賛同してくれる人が現れたら、今度は小さくホームパーティーやワークショップのような場を開いてみる。そうして次は友人が友人を呼ぶくらいの規模感で、場をつくってみる…こんな感じで少しずつ幅を広げていきます。

こうやってステップを刻むと、何だかできそうな気がしてきませんか?

このステップがレベル上げです。そのために必要になってくるのは、経験値。RPGでも経験値を貯めないとレベルは上がっていきませんよね。レベル1のことを1回やって経験値が1貯まるとしたら、レベル1を10回転させたら、経験値は10貯まります。レベル上げは、どれだけ数をこなし練習をするかが大事です。いきなり大きいことをやらなくていいんです。僕はいつも「ごっこ遊びから始めよう」と伝えています。

ナポリタンが教えてくれたこと

成長ステップをレベル上げのように行うことが分かったら、次は自分の成長スタイルを見つけることが大切です。例えばRPGで魔法使いと武闘家を育てようと思ったとき、装着する武器やアイテムはそれぞれ変わるはず。武闘家に魔法使いの杖を与えても仕方ないし、魔法を覚えさせるよりも身体を鍛えて戦闘力を上げた方がいいですよね。

それと同じで、自分の成長スタイルが分からないうちにレベル上げをしようとすると、向かいたい方向がわからず空回りしてしまうことに。だからまずは自分のスタイルを見つけましょう。「そんなことを言っても見つけ方がわからない」という声が聞こえてきそうですが、まずは自分に向いているものから始めればよいと思っています。

上の図のように、成長スタイルを5つに分類しました。
※診断ツールも開発中です(共同開発:株式会社HEART QUAKE)https://heart-quake.com/assessment/five_growthup

「自分の成長スタイルは編集・コーディネートだ」と思ったのなら、レベル1は好きなものを集めてみること。集めてみて心がときめかないときは、他のジャンルを集めてみることで経験値を貯めてみる。すると、「土偶だけはやたら集まるな」と気づくタイミングがあるかもしれません。

「みんなが好きなもの」を集めてるときって、本当に自分が好きなのか、みんなが好きだと言っているから自分も好きだと錯覚しているのかが分からないんですよ。そんなときは誰も好きだといっていないものから探してみることをおすすめします。

僕の友人にナポリタンが大好きで、「甘いケチャップ味ならこの店」「辛い味ならこの店」とめちゃくちゃ詳しい人がいるんですが、好きが高じたきっかけはファミリーレストランで食べたナポリタンが美味しかったからなんだそうです(笑)

これがワインや日本酒だったらあまり心が動かされなかったと思うんですよね。「日本酒好きの人ね」と周りにいる人の一人としてしか認識されない。けれど、ナポリタンが好きで追求してる人って中々周りにいないので、それだけでぐっと心を掴まれます。これも編集・コーディネートのテクニックなんですよ。

一緒に遊べる仲間を探せるといい

自分のやりたいことを始めるには、このように小さく楽しめる形に変えていくことが大切です。これが最初に必要なスキル。ただ、僕の周りの学生を見ていると、何かを始めることへのハードルが高い人が多い。そもそもハードルが高いのに一人で頑張らなければいけないのってしんどいです。だから、一緒に遊べる仲間を探せるといいですよね。

身の回りに遊べる仲間がいるか分からないなら、何かしたがっている、またはすでにしている人のもとに行くのが手っ取り早いです。そうやって環境をさらっと変えたほうが上手くいくこともあります。

僕はたまたま、大学時代に出会えたコミュニティが一緒に遊んでくれる仲間に出会える場所だったので、レベル2~3くらいまでできるようになった感覚があります。そこに出会えなかったら苦しかっただろうなあ。

自分のやりたいことを始めるにあたって、ロールモデルを見つけることも大切なエッセンスだと思っています。「この人のようになりたい」という思いは、あなたの背中を押してくれることでしょう。

けれどここで気を付けたいのが、中々会えないような大きいロールモデルを立てないこと。例えば「夢はスティーブ・ジョブズのような発明家になることです」と言っても、実際にスティーブ・ジョブズの隣にはいけないから、その差に目が向いてしまってしんどいんですよね。もう少し小さいロールモデル、例えば町の発明王には会えるかもしれない。世間からの評価が高い人ではなく、自分はこの人のようになりたいと思える「マイ師匠」を身近に見つけるのがいいと思います。

都会をはじめ日本全国いろいろな地域には面白い活動を行っている大人がたくさんいます。でも地域に入ると触れ合える大人の数がぐっと増える。メディアでもいいのですが、そうやって触れ合える機会を増やせると、マイ師匠に出会う確率もぐっと上がります。

別に一生の師匠じゃなくていいんですよ。3ヵ月でこの人からこれを盗んでやろう! ってカバン持ちをするのもありだと思います。一緒に遊べる仲間もそうですが、信頼できる人に多くの時間を割くことができると、自分なりのレベル上げがしやすくなっていくと思います。

僕もレベル1のときはしんどかったけど、頑張った先に見える景色がある。しんどいときって自分の性質を否定しがちですが、そうじゃなく、特技になるまで昇華できると自分を認めやすくなると思います。

僕がやっている「さとのば大学」では5つの成長スタイルとレベル10の考えを詰め込み、自分なりにレベル上げしやすいパッケージになっています。意識高い系(笑)で空回っていた昔の自分が目の前にいたら、ぜひおすすめしたい(笑)

でも、別にさとのば大学だけが正解ではありません。今はいろいろな学びの場もコミュニティも自由に行き来できる時代だから、いろいろなものを見たり聞いたり、身の回りで動いてる人に声をかけたりして、面白い大人にたくさん出会ってください。

「君は間違ってない。まだ途中なだけやで。」

人をくじけさせるのも人だけど、人を勇気付けるのも人なのだなと、つくづく。