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母を亡くした少女はそのことにどう向き合うか。映画『聴こえてる、ふりをしただけ』が投げかける大切な人を失うことの意味

志村けんさんの訃報には驚かされましたが、同時に強い悲しみに襲われました。すごくファンだったわけではないのですが、とにかく悲しかったのです。志村けんさんもそうですが、感染症は多くの人の命を奪います。そしてその人は誰かにとって大切な人なのです。今このときも大切な人を失って悲しみに暮れている人がどこかにいる、そんなことを思わされました。

今回紹介する映画は、母を亡くしてしまった少女の物語。大切な人が亡くなってしまったとき人はそれにどう向き合えばいいのか、その悲しみにそっと寄り添ってくれるような作品です。

「ずっとそばにいる」

物語は11歳のサチがお母さんを亡くしたところから始まります。サチはお父さんから受け取った形見の指輪を首にかけ学校へ。学校では友だちが心配しながら声をかけてくれます。まもなくして、軽い発達障害がある希(のぞみ)が転校生としてやってきました。一人ではおばけが怖くてトイレに行けないという希にサチが声をかけ二人は仲良くなります。

学校でも家でも普通に振る舞っているサチですが、周りの大人から「お母さんはずっとそばで見守ってくれている」と何度も言われ、おばけでもいいからお母さんに会いたいと思うように。おばけが出てくる方法を知っては試すもののお母さんはなかなか現れません。

そんな中、お父さんが仕事をやめて家にこもり、ずっとお母さんの遺骨の前で過ごすように。サチは「お父さんは大丈夫」と周りに隠すものの、お父さんの行動はどんどんエスカレートしていってしまうのです。

死んだ人はすぐいなくなるわけではない

この物語が描くのは「大切な人を失う」ということ。まわりの大人はサチに「お母さんはずっと見守ってる」といってお母さんがいなくなったわけではないと言い聞かせます。サチはこれをおばけとしてお母さんがい続けるのだと思い、なんとか会える方法を探すのです。

子どもらしい考え方といえばそうですが、ここには深い疑問が隠されています。死んだ人はどこに行ってしまうのか、死んだ人はいなくなってしまうのか、という。

大人は死んだ人がいなくなってしまうことを知っています。でも子どもはそれを受け入れるのが難しいだろうから子どもには「ずっとそばにいる」というのです。

でも、この言葉は単なる慰めではありません。死んだ人は死んだからといってすぐにいなくなるわけではないことは、実際に大切な人を失った経験がある人なら実感することではないでしょうか。それは決してスピリチュアルな意味ではなく。それがどういうことなのか、この映画はそれをサチの体験を通して伝えてくれます。

最初サチはお母さんはおばけや魂としてどこかにいると考えています。しかし映画の中盤、授業のシーンで「心も脳から生まれる」と聞いた希がそこから「おばけが死んだ人の心だけが残ったものなら、おばけはいないはず」という結論に達して「もうおばけは怖くない」と言い出したことで混乱します。「お母さんも本当はいないんじゃないか」と思ってしまうのです。

サチはそれをどうやって乗り越えるのか、ここからの描写が素晴らしく、ぜひ映画を見て感じてほしいのでここでは説明しません。

ただ言えるのは、希が学んだことは正しいけれど、それが死んだ人がすぐいなくなることを意味しないということです。

サチがお母さんを感じ続けるのはなぜか

希の考え方に欠けているのは、生きている人がいるかどうかも自分の脳次第だという視点です。すべてが脳から生まれるということは、自分の外の世界が存在しているかどうかも脳の問題、つまり認知の問題だということです。そこに誰かがいるという状態も脳によって生み出される感覚に過ぎないのです。その人が生きていようと死んでいようと。

さらに言えば、お母さんというのはひとりの人間ですが、認知の上ではお母さんの肉体だけがお母さんではありません。

この映画でいえば、形見の指輪はもちろん、象徴的に出てくるエプロンも庭の花もお母さんの一部としてサチに認知されていたものです。つまり、サチにとってお母さんは、肉体以外の場所にも偏在しているものだったのです。だからお母さんの肉体が存在しなくなったとしても、それ以外のお母さんの要素は存在し続けます。それでサチはお母さんを感じ続けることができるのです。

それはお父さんもそうで、存在を感じ続けるからこそその死を受け入れることができず、精神的にやられていってしまうのです。

ただ、その存在感は徐々に薄れていきます。庭の花々が枯れていくごとに、お母さんがきれいにしていた家にホコリが積もっていくほどに、エプロンからお母さんの匂いが失われていくとともに。

この徐々に存在が薄れていく時間の中で、それでも「ずっと見守ってくれている」と感じることができるようになれば、それがうまく大切な人の死を受け入れられたということなのではないでしょうか。

お父さんはそれがうまくできませんでした。サチはどうでしょうか。

私たちは必ずいつか大切な人を失います。そのときに先に進むために大切なことはなにか、それをこの作品は教えてくれているのだと私は感じました。

それが何なのかという結論は見た人それぞれが考えるべきことだと思いますが、私はシンプルに言うと「生かされている自分を大切にすること」なんじゃないかと思いました。大切な人というのは自分を生かしてくれる人、その人を失ってしまったとしても生き続けることが生かされてくれたことへの報いになるのではないかと思うのです。

みなさんもぜひ見て考えてみてください。

– INFORMATION –

『聴こえてる、ふりをしただけ』

2012年/日本/99分
監督・脚本:今泉かおり
撮影:岩永洋
出演:野中はな、郷田芽瑠、杉木隆幸

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