東日本大震災で育ての親である祖母を失い、新しい家族と東京で暮らす母親に引き取られた11歳の少年トモヤ。彼は地震と津波からPTSDを発症し、やがて母親とその家族からネグレクトと虐待を受けるようになりました。
そんな彼がようやくやすらぎを感じることができた場所が、ある児童養護施設。今は20歳になり、施設を出て自立しているトモヤさんの経験を描いたドキュメンタリー映画『ボクのこわれないコンパス』が現在製作されており、クラウドファンディングで完成のための資金を募っています。
父のルーツを探し、児童養護施設の問題に出会ったアメリカ人監督
その映画の監督をつとめるのはアメリカ人のMatt Miller(マット・ミラー、以下、マットさん)。彼は長崎の児童養護施設で育ったという父親のルーツを訪ねて日本を訪れ、そこから現在の日本の児童養護施設の現状を知り、ドキュメンタリー映画を制作することを思い立ちます。
マットさんは記者会見で、
2006年、僕は父の心の癒しを探しに来日しました。父の過去のリサーチをする過程で、日本の児童養護施設にいる子どもたちの現状について知ることとなり、僕自身何か行動に起こさなくてはいけないと思いました。その結果がこのドキュメンタリーです。
と話しました。
日本で米兵の父と日本人の母の間に生まれたマットさんの父は、父親の帰国後、継父からの虐待などもあり、児童養護施設に預けられたと言います。そこで物理的なサポートは受けられたものの、当時の日本社会の「混血」に対する差別や偏見にさらされ心に傷を負ってしまったのです。そして、10歳でアメリカ人の家族の養子となったあともそのトラウマに苦しんだと言います。そのような事情もあって、マットさんは日本を訪れ、父の心を癒やす何かが見つからないか探す旅を始めたのです。
その旅の中で児童養護施設で暮らす子どもたちの現状を知り、彼らのために行動しようと児童養護施設を訪ね歩いたマットさんは「今でも子どもたちの心の痛みが治療されていない」ことに気づいたと言います。マットさんの父と同様に、物理的なサポートは受けていても心のサポートは得られていなかったのです。
そこでマットさんは今の日本の子どもたちが抱える問題を解決することで父親の心を癒せるのではと考えたのではないでしょうか。マットさんの父も「ドキュメンタリーをつくることを喜んでくれている」そうです。
大自然が子どもたちの可能性を開く
そんなマットさんが出会ったのがNPO「みらいの森」でした。
「みらいの森」は、アウトドア体験を通して、児童養護施設に暮らす子どもたちが将来を自分の力で切り開くためのスキルや考え方を学べるプログラムを提供するNPO。子どもたちが自然の中で集団行動することで生きる力を身につけ、新しい自分の可能性を発見することを目指しています。マットさんはこのNPOのアンバサダーとして子どもたちを支援しながら映像を撮影するようになりました。
トモヤさんも2014年の夏、「みらいの森」のサマーキャンプに初めて参加します。映画では「カメラがトモヤさんや子どもたちの目となり、彼らが大自然の中で『生きる力』を取り戻していく道筋を、 詩的に映し出していく」といいます。
なぜ子どもたちは自然の中で「生きる力」を取り戻すことができたのでしょうか。映画はまだ完成しておらず、その映像を観ることもできていないので、想像にはなりますが、自分の経験と照らし合わせてみると、子どもたちにとって施設で暮らし学校に通うだけでは得られない「つながり」が重要だと考えられます。
山登りでも、海水浴でも、森林浴でも、自然の中で過ごすことで「力」をもらった経験を持つ人は多いのではないでしょうか。
私も年に一度シーカヤックに乗って海に出ることでそんな「力」をいつももらいます。「頭が空っぽになる」とよくいいますが、自分と仲間たちの力だけで自然と対峙した時、私たちは本当に日常を忘れ、いま目にしているものに反応することに夢中になるのです。そうやって脳がいつもと異なる働きをすることで、日常の澱が洗い流されるような感覚を私は覚えます。
「みらいの森」で子どもたちが感じるものがそれと同じとは思いませんが、彼らもこれまでの日常と違う体験をすることで、今までと全く違う体や心の動きをし、それが新しい自分の発見につながり、そこから成長していくのではないでしょうか。
さらに言えば、彼らはすぐに自立しなければなりません。18歳になると施設から出て自活しなければならないからです。
社会や外の世界との紐帯であるはずの家族から離れた子どもが、18歳までに独立した個人として世界とつながり直さなければいけない、それは簡単なことではないはずです。自然の中で仲間と行動することは、彼らが世界とのつながりを取り戻し自立する一助にもなるだろうと私は想像するのです。
この映画が描こうとしているのは、そうやって世界とつながり直す子どもたちの姿なのです。
映画から私たちが受け取るもの
そんな子どもたちの姿を見られるのも楽しみですが、私がこの映画がつくられなければいけないと考える最大の理由は、彼らの声が私たちに届いていないことです。
児童虐待の悲しいニュースが報じられるたびに、子どもたちのためになにかできないかと心を痛めている方も多いかと思いますが、虐待で心に傷を負った子どもたちがその後どのように回復していっているのかを私たちに教えてくれる映像や文章はなかなか目にしません。
児童養護施設に保護された子どもたちは果たして幸せに暮らしていけているのか、それを知るすべが私たちにはないのです。
その背景には、児童相談所の子どもたちに取材を行ったり映像を使ったりする場合には離れて暮らす親権者の許可が必要で、それはほとんど不可能だという事情があります。私たちは直接子どもたちの声を聞くことはできません。
だからこそ、この映画が必要なのです。
トモヤさんは18歳になり、親権者の許可が要らなくなってから取材を受け映画に登場しています。それでもその決断は簡単なものではなかったようで、「何年か悩んで、周りに広めたいという気持ちで取り組みました」と話しています。
そして、
養護施設の子どもたちってプライバシーがすごく守られていて、「自分の周りに問題が起きて(自分は今)養護施設にいる」ということは自分からは言えないので、そういう人のためにも、施設からは既に出た僕が、広められたらなと思います。
と自分が子どもたちの代弁者になることに自覚的に取り組んでいるのです。
また、家族による虐待やネグレクトについても、
話している時にフラッシュバックみたいになって辛いなという時もあったんですが、これが明るみに出ないと変わらないと思うので、これでみんなの見方が変わってくれるなら、それでいいやという気持ちで話しました。結構大変でした。
と話します。
厚生労働省の発表(児童養護施設入所児童等調査結果の概要、平成25年2月1日調査)では、児童養護施設にいる子どもたちの約60%が何らかの虐待を経験しているそうで、トモヤさんの経験は子どもたちの多くと共通するものなのです。もちろん、虐待を受けながら家庭にとどまっている子どももたくさんいます。そんな子どもたちが何を考えているのかを知り、彼らのために私たちが何をできるかを考えるために、トモヤさんの証言は非常に重要なものとなってきます。
子どもたちがどのような心の傷を抱えているのか、それを自ら話すことがどれだけ大変で、簡単には癒やされないのかについても多くの人に伝えようと努めてくれているのです。
映画は時に声なき声の代弁者となってくれます。社会を良くしていくためには、小さくて聞こえない声に耳を傾け、彼らのために社会全体で取り組むことが必要です。マット監督も予告編の中で「(トモヤは)このドキュメンタリーを通して声なき子どもたちの声を届けようとしているのです。声なき子どもたちに、はじめての『声』を贈りませんか」と私たちに語りかけています。
私たちが今できること、それは児童養護施設の子どもたちに映画を通して「声」を贈ることなのです。
最後にぜひ、10分間の予告編をご覧ください。
この映像には、東日本大震災の地震・津波の被害、そしてDVを連想させる映像や画像が含まれています。このため、映像をご覧になった時に精神的なストレスを感じられる方もいらっしゃる可能性があります。ご自身の判断にてご覧いただきますようお願いいたします。
– INFORMATION –
日本の児童養護施設に暮らす子ども達の心に向き合うドキュメンタリー。
A first-of-a-kind documentary about the journeys of children living in institutional care in Japan.
https://www.kickstarter.com/projects/thethingswecarry/the-invincible-compass?lang=ja