多様な生き方や働き方が選べるようになるにつれて、キャリアデザインやセルフブランディングといった言葉もよく耳にするようになりました。
なりたい自分になるために、どんな道筋を描くか、どう自分の価値を伝えていくか。それ自体はとても大事なことだと思いますが、「起業や独立をしたいなら○○をしなければいけない」といった言説ばかり目についたり、「何者かにならないといけない」というプレッシャーから自分を必要以上に良くみせようとする人に出会ったりすると、ちょっと息苦しさを感じることもあります。
そうした中、今回インタビューしたイラストレーター、シミキョウこと清水京子さんは、驚くべきゆるさを持つ方でした。自分を飾ったりとか、記事のためにいいこと言おうとか、そういう作為が一切感じられない……!
正直すぎて記事としてまとめにくいなぁと苦笑しつつ、シミキョウさんと話をしていて肩の力が抜けるのを感じました。「そうだよね、誰かの求める形に自分を当てはめなくてもいいよね」と、自分自身も実は力んでいたことに気づかされるというか……。
というわけで、30歳を過ぎてからイラストレーターとなったシミキョウさんの、ゆるいフリーランス人生をご紹介しましょう。
愛称は「シミキョウ」。
千葉県いすみ市に生まれ。専門学校進学を機に上京、2014年に家族と共にいすみへUターン。現在はフリーのイラストレーターとして、雑誌や書籍の挿絵、イラストマップやイベントチラシの制作を行っています。
自分がイラストレーターになれるなんて、想像もしていなかった
シミキョウさんはいすみ生まれいすみ育ち。高校卒業後は東京デザイナー学院に進学したといいます。その頃からイラストレーターを目指していたのでしょうか。
ううん、全然。高校出てすぐに働くイメージもなかったし、1度は東京で暮らしたいと思って担任に伝えたら、専門学校っていうものがあるよと教えてもらって、じゃあそれで、って。絵を描くのは好きだったけど、自分がイラストレーターになれるなんて想像もしていなくて、専門学校にはただ雰囲気を楽しみに遊びに行っていた感じかな。
就職活動も、それっぽい仕事したいなーとは思っていたけど、経験者採用が多くて、なんとなく版画を売る仕事に就いたの。
私が志望校の傾向を分析し対策を練って受験勉強に挑み、就職活動のために必死で自己PRを練っていたタイプだからでしょうか、この時点で「なんというゆるさ……」と驚いてしまいました。でも、版画を売る仕事って?
ほら、道端で声をかけてシルクスクリーンの絵を売る人、知らない? あれ。そんな仕事だと思わなかったし、1枚も売れなくて、すぐ辞めちゃった。それで、美術館の監視員とか、土産物のデザイナーとか、色々やってたの。お土産って言っても、もらうと困るようなやつ。中を覗くと大仏が描いてあるキーホルダーとか。あとはキャンドルサービスレディもやったし、広告会社で営業もしたし……。なんかね、ふらふらしてた。
一昔前は「どんな会社も3年は勤めなさい」と言われたものですが、シミキョウさんにそういった概念はなかったようですね。
でも、さすがにこれじゃまずいなと思って、DTPを学ぶ学校に行って。それでどうしたんだっけ……? あ、そうそう、旅行会社のツアーパンフレットとか、ファンクラブ通信とか、社内報つくる会社に入ったの。でも、週5勤務で残業も当たり前で、会社に行くときはいつも頭の中に中島みゆきの曲がかかっていて。疲れて辞めちゃった。
その後はまたスーパーのお惣菜製造などのアルバイトを転々としていましたが、余暇の時間を使って友人と本をつくり、デザインフェスタ(クリエイターが自由に作品を発表するアジア最大級のアートイベント)で販売する機会を得ました。シミキョウさんは海外旅行に行ったときのイラストエッセイを描いたそうです。
やっぱり紙や本が好きだなと実感して、絵本をつくるためのワークショップに通ったんです。そこで絵本を出せたわけではないんだけど、いろんな人に会う中で、「イラストレーターって名乗っちゃえば、なれるんだな」って気づいたんですよ。それまで、誰かから「あなたはイラストレーターです」って言われるのをどこかで待っていたんですよね。
イラストレーターと名乗るようになり、仕事はどのように増やしていったのでしょうか。
最初は月1本、3,000円位の案件が入るくらいで、アルバイトが収入源でした。
営業しなくちゃ、でもどうしたらいいのかな、まずは電話かなと思って、Eテレの歌の番組をつくっている会社に電話して。でも、「基本的に有名なイラストレーターさんに依頼しているから」と断られて、そうすると凹むじゃない? それでしばらく電話できなくて。『illustration』という雑誌に売り込みの手順が書かれていたから、それを参考にして作品をまとめたファイルを編集プロダクションに送ってね。返事が来なくても、毎年コツコツ年賀状と暑中見舞いを出しつづけてたの。電話がイヤだから、そういう地味な営業方法で。5年位経って連絡してくれたところが、2件くらいありましたよ。でも、基本は人の紹介かな。
これまで勤めた職場で出会った人が仕事を紹介してくれて、その仕事を丁寧に行うことで次の依頼が来て、また新たな仕事につながって。そんな風にして仕事が増えていき、現在はイラストレーター1本で食べています。ただ、「バイトを辞めたのは子どもを産んだからで、いまも旦那が会社員だから成り立ってるんですよ」と補足するシミキョウさん。本当に、正直というか、謙虚というか……。
でも、紹介される、依頼が来るということは、信頼されている証拠です。仕事を受ける上で、どんなことを大事にしているのか聞いてみました。
相手のイメージを形にしたいな、と思っているかな。ラフを提出するときは3案出すようにしてます。その中から選んでもらえるように。違っていたら修正が入るから、それに合わせて直して。段々とイメージが近づいていく過程は好きかな。あと、余裕を持って締切よりも前に送るようにしていますね。
クリエイターの中には、こだわりが強すぎて修正を依頼しづらかったり、毎回締切に遅れたりする人も少なくありません。シミキョウさんはまじめで変に尖ったところがないので、仕事を依頼する側は安心して声をかけられるんだろうな、と思いました。
問いをつくる授業「房総すごい人図鑑」のメンバーとして
シミキョウさんのご主人もいすみ出身です。2014年、子どもが幼稚園に入るタイミングで、シミキョウさん一家はいすみに帰ってきました。東京から1時間半ほどの距離にあるいすみ。仕事に変化はあったのでしょうか。
1件、毎月来ていた仕事がぱったり来なくなったことがありました。そこはバイク便が届かない範囲のクリエイターとは仕事しないと聞いたことがあります。でも、ずっとメールでやりとりしていたんだけどね。昔と違っていまはメールで何でも済んじゃうから、その1件のほかは特に困ったことはないかな。
あと、いすみに来てから、地元のお店や人から仕事を頼まれることが増えましたね。東京ではそういうのってなかったから、楽しいです。反応が直に見えるし。
仕事の合間を縫って、地域の活動もしています。そのひとつが「房総すごい人図鑑」のサポート。これはいすみの中学、高校で行われている授業で、生徒たちはいすみの大人にインタビューをしたり、哲学的な問いを考えたり、問いそのものをつくったりしています。主宰の磯木淳寛さんから声をかけられ、シミキョウさんも運営メンバーとなりました。実は、シミキョウさんも似たようなことをやりたいと考えていたそうです。
自分がイラストレーターになるの遅かったじゃない? イメージができていなかったんですよね。「なりたい」とか「なれるかな」とか思うこともしなかった。だから、中高生の頃から、仕事をイメージできる機会があるといいと思ったの。東京に出て面白い大人がたくさんいることに気づいたから、そういう人の話を聞ける場所になればいいなって。
授業におけるシミキョウさんの役割は、全体を見ながら生徒たちをサポートすること。やってみての感想は?
面白いですね。想像していたよりもすごくできる子たちで、照れずに話せているし、卒業したその先のこともイメージできているみたいで、自分が心配していたようなことはないのかもと思いました。
ただ、その中でも、「自分で考え、それを言葉にすること」に慣れておらず、自分の考えをアウトプットする用紙に何も書けないという生徒もいるといいます。
何で詰まっているのか聞いても「わかんない」で、「思ったことを書けばいいんだよ」と言っても「わかんない」と返ってくるから、なんか私もわかんなくなってきちゃって。
わかんなくなっちゃうんだ……と思わず笑ってしまいましたが、主宰の磯木さん曰く、「生徒に考えてもらうことを大事にしている授業だから、ひとつの答えに誘導したりしないシミキョウさんの姿勢は理想的」なのだとか。確かに、自分の正解を押し付けず生徒と一緒になって0から悩めるって、すごいことなのかもしれません。
実際に、「自分の中から何も言葉が出てこない」という様子だった生徒たちも、授業を重ねる内にちゃんと自分の考えを書けるようになるそうです。
現在の教育は、課程に沿って教師から生徒に必要な知識を教えることが基本となっています。それに対して、「房総すごい人図鑑」が大事にしているのは、生徒が自ら問いをつくり、それを地域の大人や自分自身に投げかけ主体的に学んでいくこと。自分の気持ちや考えを掘り下げることをしてこなかった子には難しい内容かもしれませんが、だからこそ大事な機会になっているのだろうと思いました。
授業は週に1回1時間から2時間、3校で実施しているので、運営メンバーは週3回授業を行っていることになります。無償にもかかわらず、シミキョウさんは皆勤に近く参加しているそう。「結構大変なのでは?」と思いましたが、楽しいから続けているといいます。
大人になってから授業を見る機会ってないじゃない? だからかな。もし私がこの授業を受けていたら、イラストレーターになるのがもっと早かったと思う。いろんな職業の大人と出会って、卒業した先のことをイメージできただろうから。
スープ屋をやるかもしれない(やらないかもしれない)
シミキョウさんがいすみに来てから始めた活動のもうひとつが畑仕事です。「実家が兼業農家なので、いつか両親に何かあったとき何もできないと困るから」とのこと。家の田畑をちゃんと継ぐつもりなのですね。
んー、どうかな? わかんない。でも、祖父の代から耕してきた土地だし、草ぼうぼうにはしたくないじゃない?
さらりとかわされてしまいましたが、「草ぼうぼうにはしたくない」という言葉に、やはり土地に対する愛着があるんじゃないかな、と感じました。いまは、起業を目指す人たちが集まり切磋琢磨する「いすみローカル起業部」に通い、食べきれない野菜を使ってスープ屋を始める計画を立てているといいます。
でも、お料理得意じゃないし、保健所の許可を取ったりする必要もあるから、どうしよっかなーって思ってるところ。お料理上手で加工所をつくろうとしている人がいるから、負担にならなければその人といい形で一緒にできないかなーって。
この記事は「いすみローカル起業プロジェクト」という連載の一環なのでスープ屋さんの話はしっかり聞かせてもらおうと思っていましたが、ここでもシミキョウ節が炸裂。本当に、なんて飾らない人なのでしょう……。
でも、起業するとなるとほかにはない強みや市場優位性を考えて、事業計画書を書いて……と真剣に取り組まなければいけない印象があります(実際、大きな初期投資がかかるものは慎重に計画を練ったほうがいいと思います)が、暮らしの延長にある小商いであれば、この位のスタンスでいいのかもしれませんね。昔はもっと、野菜がいっぱいとれたから加工して、冬はやることがないからものづくりをして……と、市場や社会ではなく自分の生活に合わせて仕事をつくることが普通だったはず。
そうそう、お父ちゃんお母ちゃんも、田んぼやって、休耕田で大豆つくって、味噌にして販売して、というのをやっていたから、そういうのをゆるーくやっていけたらなって。
「いすみローカル起業部」に入った理由は、「楽しそうー!」だったというシミキョウさん。ここ十数年ほどで移住者や新しいお店が増えたいまのいすみでの暮らしを、どう感じているのでしょうか。
私、昔から大人と喋るのが苦手で。大人っていうかお年寄りか。何を話していいかわからないんだよね。でも、いすみに帰るなら、地域のお年寄りを見守らないといけないんだろうなと思ってたの。そしたら、移住してきた人たちはお年寄りと話すのが楽しいって積極的に関わっていて、「楽しいんだ!?」ってびっくりして。そうか、責任感から無理にやろうとしなくても、好きな人や得意な人に任せればいいんだなって気づいたんです。
うーん、ここまで開けっぴろげに話してくれる人は中々いないので、本当に感心してしまいました。隙あらばいい感じの文脈に落とし込もうとする私の思惑を軽々と超えていく……。天衣無縫というか、行雲流水というか、虚心坦懐というか。きっと、この飾らず誠実で真面目な人柄から周囲に愛され、信頼され、仕事やプロジェクトのお誘いが舞い込むのでしょう。
こうしたシミキョウさんの性質は本人が元々持っていたものだと思いますが、いすみの土地柄にも影響されているのでは……というか、いすみにいるから、よりシミキョウさんらしさを抑えることなく発揮できているのでは、と感じました。
自然豊かで生活コストが低く、稼ぐために躍起にならなくていい。みんなが一直線に上を目指すのではなく、思い思いに好きなことで小商いをしている人がたくさんいる。田舎だけど文化的で、多様な人を受け入れる素地があるのがいすみという地域です。
都会で「何者かにならなければ」というプレッシャーを感じて、目標に向かって邁進してきたけれど、その過程で自分が何を好きでどんなときに心地いいと感じるのかわからなくなってしまった。もしそんな方がいたら、ぜひいすみへ。シミキョウさんのように自分の気持ちに正直に生きている人たちと一緒に過ごすうちに、本当に自分が好きだったこと、やりたかったことを思い出せるかもしれません。
(撮影:磯木淳寛)