千葉県の房総半島は、日本の酪農の発祥地とされ、現在も全国有数の酪農地域。そのなかにあるいすみ市は、市内にチーズ工房がいくつもある知る人ぞ知るチーズの名産地です。
もともと三重県のコンビニエンスストアで働いていた五十川充博(いかがわみつひろ)さんは、30歳の頃、趣味の自転車で日本一周の旅に出かけ、北海道で酪農に出会い、その後奥様と出会い、結婚。いすみ市へ移住しました。
便利で画一的なコンビニから、自然を相手にした酪農・自然派チーズづくりへ。まさに180度とも言える人生の転換にどんなきっかけがあったのか、伺ってきました。
三重県桑名市出身。コンビニエンスストア勤務を経て、自転車で日本全国の旅へ。旅の道中でいすみ市在住の奥様と出会い結婚、移住し、奥様の実家の家業である「チーズ工房IKAGAWA」を継ぐ。化学肥料を一切使わない牧草づくり、なるべく牛に負担をかけない飼育方法でジャージー牛を育て、その牛乳でチーズをつくっている。「この土地ならでは、ここでしかできないものをつくりたい。」 春に双子の男の子が産まれ、二女二男の父。
家族のように大切に育てられるジャージー牛たち
のどかな田園風景が広がるいすみ市・山田地区。小高い丘の中腹に「チーズ工房IKAGAWA」はあります。
「今週出産予定の牛がいるんです。もう産まれてもいい頃なんだけど。」
緊張した面持ちの五十川さん。牛の出産は酪農からチーズづくりを行う五十川さんにとって一大事です。
ちょうど食事中の牛たちを見に、工房から車で数分の牧場に連れて行って頂きました。12月とは思えないぽかぽかとした陽気の中、民家の間を走るとすぐに五十川さんの牧場が見えてきました。
3頭の乳牛、ココちゃん、ノノちゃん、キキちゃん、このほか、最近産まれた3頭を別の牧場で飼育し、計6頭の牛を飼っています。
国内の酪農の98%以上を占めているホルスタイン種に比べて、飼育数は10,000頭と希少なジャージー牛は、目鼻立ちがくっきりしていて小柄な体が特徴です。
今は3頭中2頭がお産に入っていて、搾乳ができるのは1頭のみ。早く生まれないかなぁと言いつつも、分娩促進剤などは極力使わず、牛たちの自然なリズムを大切に出産を待つのだそうです。
五十川さんのお義父さんが、2頭のジャージー牛を譲り受け、いすみで酪農をスタートさせたのは2007年。エサとなる牧草から自分たちでつくり、豊かな自然のもとで1年中放牧し、採れた牛乳からチーズをつくる工房を始めました。
今いる牛たちは最初の牛の子孫です。ここで生きた記憶が遺伝子に残り、代々受け継がれていくのではないかと考えてます。
搾乳は必ず1日2回、時間を決めて行います。一定のリズムで生活すると牛のストレスは減り体調良く保てるのだそうです。乳量を増やすため濃厚飼料(タンパク質の多い穀物でつくられるエサ)を与えるのが一般的とされている中で、ここの牛たちはこの土地で育った牧草のみを食べて生活しています。
化学肥料は使わない、自然に寄り添った牧草づくり
牧場の近くの畑に、年に2回(5月と9月)牧草の種を蒔き、刈り取り時期以外は全て一人で畑仕事をしています。
先代の頃から、化学肥料は一切使いません。
化学肥料を使うと、土の菌が育たないんです。菌が多いことが、その土地の豊かを表すと思っていて。自分の子供が生まれてからは、なおさらこの土地を豊かにして渡していきたいと思うようになりましたね。
牧草づくり、牛を飼うこと、チーズづくりは、すべて似ています。自然をよく観察し、変化に耳を傾けながら手を加えていく。手を動かすのは自分だけれど、あくまでも育てるのはここの土地や気候、日光といった自然。自分中心、自分都合で進めるとバランスを崩してうまくいかないように思うんです。全体がうまく循環するように、必要な分だけ手を加えていく。それが自分の仕事だと思っています。
濃厚飼料を牛に与えること。牧草づくりに化学肥料を使うこと。効率化のための人間都合の手段を五十川さんは選びません。その言葉や姿勢には、牛への愛情や、自然へ畏敬の気持ちが込められていることをひしひしと感じます。
人工的なものに囲まれたコンビニ勤務への違和感、
そして日本全国を巡る旅へ
五十川さんは、三重県桑名市の出身。高校卒業後、実家で経営していたコンビニを手伝い、忙しく働いていたそうです。しかし、20代半ばになって仕事に違和感を感じ始めます。
画一的な人工物のみが並ぶ店内、ひっきりなしに訪れる人。万引きなど人を疑う場面にも直面し、仕事とはこういうものだと思おうとしても、日に日に違和感は強くなります。ある時には、店内を心地よくしようと観葉植物を置こうとすると、本部からNGが出ます。「土は衛生的に良くない」、と。
「自分はこれからどんな暮らしをしていきたいのだろう。」 五十川さんは立ち止まって考えました。
「自然を相手にする仕事をしていきたい。田舎ではどんな仕事があるのだろう。」 と思いを巡らせます。
ふと頭に浮かんだのは、山の中にぽつんと建つ家の明かりの元へ、仕事を終えて帰っていく自分の姿でした。ちょうどその頃、全国で伝統工芸の後継者不足が叫ばれていることを知り、現場で働く人たちがどのような思いでいるのかを、この目で確かめたいと思うようになります。
当時から自転車が趣味だった五十川さん。「自転車に乗り、伝統工芸の現場を見ながら、日本一周の旅をしよう」 そう決心したのは、30歳を過ぎた頃でした。
興味は伝統工芸から酪農へ。
導かれていった日本一周自転車の旅。
三重を出発し、日本海から東北へと北上し、知り合いを訪ねて北海道へ。そこで広大な牧草地を目にし、あまりにも美しい景色に心が奪われます。それと同時に景色にただ感動しているだけの自分と、自然と向き合いながら必死に生計を立てようと奮闘する酪農家の姿に、歴然とした差を感じたといいます。
「この差は一体どこから来るんだろう」。
そこで自転車の旅を中断し、酪農家でアルバイトを始めることにしました。生き物相手、自然相手の仕事の厳しさを学び始め、1年ほど働いた後、北海道で酪農をやっていこうと思い始めた五十川さん。しかし、本格的に仕事を任される前に、「まだ途中になっている日本一周自転車の旅を最後までやり遂げたい」と、上司に2ヶ月の期限をもらい旅を再開します。
北海道で農産物の売り先に悩む酪農の現状を見ていた五十川さんは、旅の道中で牧草づくりから販売まですべて自前でやっているチーズ工房があることを知り、「チーズ工房IKAGAWA」を初めて訪ねます。どうやって工房を運営しているのか、先代のお話を聞き、いすみを後にしたのは2012年7月、わずか2時間の滞在だったそうです。
かかってきた1本の電話と運命の出会い
南へ南へと旅を進め、沖縄を訪れていた五十川さんでしたが、沖縄の空気があまり肌に合わなかったことと、ちょうどふたつの台風が発生してフェリーの欠航が見込まれたため、1週間の滞在予定を2日に短縮して、台風接近前にフェリーで本州に戻ることにしました。
そんな沖縄滞在中、先代から五十川さんに「もう1回おいでよ」と電話がかかってきます。
「わざわざ連絡をくれるなんてありがたいなぁ。この前聞けなかったことをもう少し詳しく聞けるかもな」 そんな軽い気持ちで行き先を再びいすみに定めます。二度目の訪問は2012年9月のことでした。
そこで運命の出会いが五十川さんを待っていました。チーズ工房のお嬢さん、ゆかさんが、九州での仕事を辞め、ご両親のもとへ戻ってきていたのです。
一目でゆかさんに惹かれた五十川さん。先代の草刈りなどの仕事を手伝い、寝食を共にした1週間の間に、ご両親から結婚の提案もあったと言いますが、何よりも惹かれあったふたりは、お互い今後のことを話し合い、結婚の気持ちが固まっていきました。
「移住を決めたのは、一言、妻がいたからです」 ときっぱり言い切る五十川さん。「ここで子育てをしていきたい」というゆかさんの思いと、「自然の中で仕事をしていきたい」五十川さんの思い。いすみで酪農を継ぐのはふたりにとって自然なことでした。1週間という短い滞在でしたが、お互いが今後の人生を決めるのには十分な時間でした。
その後、五十川さんは2012年10月に正式にいすみに移住、12月に結婚。
先代からの電話には、ゆかさんの旦那さんになってほしいという意図が初めからあったのでしょうか? と尋ねてみると「それはわからないですけどね」と五十川さん。
「でもあの電話がなければ、いすみにまた来ることはなかったと思います。そしたら今頃北海道で酪農してたのかなぁ」と笑います。
1本の電話によってつながっていった運命の糸。先代は、その後他界されてしまいましたが、幸せそうな今のご家族の姿を見て、天国できっと喜んでいらっしゃるだろうなと思わずにはいられません。
わかったと思うことは怖いこと。
常に観察し続けることの大切さ
結婚後すぐ、体調が芳しくなかった先代に替わり、酪農・牧草づくりを担うことになった五十川さん。後にチーズづくりもお義母さんから引き継ぎ、2016年に牛・牧草・チーズづくりの全てを引き継ぎました。
チーズづくりのこだわりは? と尋ねると、「こだわるほどわかってないんですよ」と笑います。
牛乳も乳酸菌も日々変わります。本当に美味しいものをつくり続けようと思ったら観察することが大切です。教科書通りにやってうまくいかない時に「正しいことをやっているのに」と思うのではなくて、現実に何が起きているかをきちんと理解して対応していくことが大事。だからチーズづくりがわかった、と思ってしまうことは怖いことだと思ってます。
現実に向き合い探求し続ける姿勢は、いすみで自然相手の仕事をしていくうちに身についていったそう。謙虚であり続けること、その大切さを教えてもらった気がしました。
人とのつながりに感謝して、思い描く地域の未来。
いすみは移住者も多く、つながりも強いと伺ったことがあります。実際はどうなのでしょう?
興味がある人には自分から声をかけています。牧草を一緒につくらないか、と誘ったり。
近所にはいろんなことを教えてくれて、職業は違えど尊敬できる仲間もいて。そんな人たちとつながりがもてるのはありがたいですね
地域の未来について、友人と語り合うこともよくあるのだそう。
たとえば何かうまくいかないことが起きた時、各自の理想をぶつけ合うのではなく、現実に対して知恵を出し合える体制だったらいいなと話しています。理想よりも現実の方が大事ですから。
普段は、米、チーズ、野菜、大工、漁師、それぞれが自分の仕事で生計を立てながら、何か地域で問題が起きた時には集まって、具体的に知恵を出し合って対応していく、というのがいいと思うんです。イメージとしてはオーケストラが近いかな。指揮者も演奏者も、各自が得意な分野を持ち寄って、みんなが集まって奏でる音楽が人を感動させる、みたいな。ここはそれができる地域だと思います。
住む人が知恵を出し合いながら、より良い未来をともにつくっていく。何だかお話を聞いていてとてもワクワクしました。
でも、果たして、いわゆる専門家でない人でも、その輪には入っていけるのでしょうか?
何もできない人なんていないじゃないですか。「自分はこれはできないけど、これならできる」と、関わりをつくっていければ、大丈夫だと思います。
ここでしかできないチーズを探求していく。
その姿はまさに職人。
五十川さんが今向き合っているのは「ここの牧草を食べ、ここで育った牛のお乳でつくった、ここでしかつくれないチーズづくり」。濃厚で風味豊かなチーズのおいしさの裏には、ものづくりへのこだわりと、たゆまぬ努力があるのだと感じました。
「山の中に建つ家の明かりのもとへ、仕事を終えて帰っていく自分」
それは五十川さんが、30歳の頃思い描いた理想の暮らしでした。違和感を感じて立ち止まり、自転車の旅に出て、出会いを大切に紡いでいった五十川さんはイメージしていた暮らしを手に入れました。
心の声に素直に耳を傾け行動に移していくことで、自分に合った場所や人との出会いが生まれ、人生は形づくられていくものなのだなと、確信にも似た気持ちで工房を後にしました。
あなたの中に今の生活への違和感はありますか? もしあるなら、一度思い切って立ち止まり、その声をじっくり聞いてみてはどうでしょう。その違和感、もしかしたら自分が進むべき道へのシグナルかもしれませんよ。
(Text: 熊坂友加里)
(Photo: 磯木淳寛)