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お母さん同士をつなげ、妊娠と出産をつなげる助産師。「ハッピーマンマ羽鳥助産院」羽鳥恵美さんに聞く助産師の役割とは

赤ちゃんが泣き止んでくれないけどどうしたらいいんだろう…
おっぱいがでないけどどうしよう…
なかなか育児に慣れなくて困る…

新たな生命の誕生として祝福される妊娠と出産。一方で、子育てへの不安や生活環境の変化から孤立して悩んでしまうお母さんも少なくないと聞きます。産後1年以内に発症する「産後うつ」には出産経験のあるお母さんの約半数が、「産後うつの一歩手前だったと思う」と回答しているそう。(NPO法人マドレボニータ調べ)

そんな不安や悩みを抱えたお母さんたちに寄り添い、産後ケアを中心に活動している助産師さんが千葉県いすみ市にいます。ハッピーマンマ羽鳥助産院の羽鳥恵美さんです。

羽鳥さんに助産師としてのお仕事、産後ケアのこと、そしてこれからの助産師の役割を伺いました。

場所を持たない助産院

羽鳥さんの屋号は「ハッピーマンマ羽鳥助産院」。しかし助産院としての場所は設けていません。

訪問型サービスと呼ばれる、自宅への出張を中心に活動しています。おっぱいが出ない、赤ちゃんの体重が増えないなどの相談に乗るほか、沐浴の指導も行っています。

2018年の4月からは、週に2回、いすみ市内で唯一分娩を取り扱う産院、もりかわ医院でのお仕事も始めました。ここではお産の介助の他、日帰り型(デイサービス)の産後ケアハウス『まるる』でカウンセリングや相談の対応をしています。

その他にもいすみ市で産まれた赤ちゃんの産後の新生児訪問や、マタニティクラスの講師も担当しています。

心と体に寄り添う産後ケア

羽鳥さんがメインの活動としているのは、「産後ケア」と呼ばれるもの。産後ケアとは、産後に変化するお母さんの心と身体をいたわり、子育てをサポートすることです。産後お母さんの心はどのように変化するのでしょうか。

例えば、今までご飯をつくるときにも順序立ててできていたのが、その途中で赤ちゃんが泣きはじめて、授乳やおむつ替えに翻弄されちゃって、自分が思ったように進めることができない。部屋が散らかっているのもそのままでいられないお母さんや、皿洗いが溜まったままだといやになるお母さんもいて。

それに赤ちゃんとずっと二人きりだと、何か心配なことがあっても共有できる人がいないんです。そうすると気分も塞いできてね。みんな、自分ひとりでどうにかしようって頑張ってるんですよね。

おっばいを何度もあげても赤ちゃんが泣き止んでくれない。おむつを替えても抱っこしても泣き止まない。落ち着いたからと寝かせたらまたスイッチが入ったように泣く。便秘なのかな、体調が悪いのかな、いろんな不安が常につきまといます。正直言って、お母さん自身が泣きたい状況。

そんなお母さんたちの相談に乗るという羽鳥さん。どんなアドバイスをするのでしょう。

一番は「大変だね」「頑張ってるね」「ここはできてるよ」って声をかけること。そしてお母さん自身が「私大変なんだ」って納得できること。

お母さん自身が育児に翻弄されて疲れていることにも気づかず、必死に日々を過ごしています。当然こんな状況だったらこの先やっていけるかどうか不安になりますよね。「お母さんだからできて当たり前」「頑張らなきゃ」「おっぱいで育てなきゃ」いろんな思いが、自分をがんじがらめにしてしまっているんです。

だからまずは今できていることを伝えると、何か指導しなくても、それだけで気持ちが落ち着いて、塞ぎ込んだ状態から抜け出せるんです。

「今できていることは充分なんだ」と自分で思えること。それが何より大切なのだそう。

煮詰まっちゃってると一つの角度でしか物事が見えてないことがあって。それを「ちょっとこっちから見てみて」と言ってみるんです。お母さんたちは自分で解決できるから、本当に私はヒントを伝えるだけなのかなって思います。

お母さんたちが集まれる場を開く

ひとりで抱え込んでしまいそうな悩みや不安を共有するために、羽鳥さんは毎月「はぴママ会」という産後のお母さんたちが集まれる場を開いています。

お母さんたち誰でも参加できる会で、最初は持ち寄りでご飯を食べようって声かけをして、ランチ会から始まりました。疲れてつくる余裕がないお母さんは持ってこなくてもいいし、バナナ1本でもいいよって。

この「はぴママ会」は羽鳥さんが移住してきた2016年からはじまりました。最初は参加費500円で、ランチを食べながら、赤ちゃんの体重を量ったり、授乳の相談を受けたりするようなかたちで開いていたのだそう。悩みや不安をお母さん同士で共有できるのはもちろん、医療機関で診察をすると数千円単位でお金がかかってしまうところ、ワンコインでみてもらえるのはとても助かると大好評です。

現在2年目になり、少し形態も変わってきました。

参加してたお母さんたちにだんだん余裕が出てきて、「こういうことを知りたい」「こんな人を講師に呼んでほしい」っていう意見をいろいろと挙げてくれるようになったんです。

例えば、抱っこやおんぶをさらしでどうやるんだろう、「おむつなし育児」ってどうやるんだろう、育児でもやもやした気持ちをどうしたらいいんだろう、とかね。今年はそれを拾って、講師の方を呼んで、ドネーションで会を開いています。

もちろんそのような勉強会に参加せず、ただ相談に来るだけでもオッケーだとか。羽鳥さんはとにかく孤立しがちなお母さんたちを、家から“引っ張り出そう”としていると言います。

私と一対一ではうまくいっても、横のつながりをうまくつくれない、つくる場がないというお母さんたちが、結構いたんです。だからこうしてお母さんたちがざっくばらんに話せる場がずっとほしかったんですよね。

このようにお母さん同士をつなぎ、市内でママサークルの活動があればお母さんたちに知らせるなど、橋渡しのような役割も担う羽鳥さん。助産師さん、と聞くとどうしてもお産の介助のイメージが大きいですが、その他にもこんなにも幅広い役割があることに驚きます。

そうですね。一番のメインはお産だと思います。でもお産だけを切り取ることってできないんですね。産前も産後もつながってるから。

例えば、「妊娠中から歩くと体力つくよ」ということや、「体を温めるといいよ、なぜならね」とか。助産師はお母さんの体が本来持っている力を発揮できるように指導していく存在であると思ってます。

学べば学ぶほど出会う、助産師の仕事の魅力

羽鳥さんは東京都葛飾区の出身。助産師を志す、根っことなるきっかけは中学生のときにありました。

通っていた中学校がちょっと荒れ気味だったんです。荒れている子や具合の悪い子が行くところっていつも保健室なんですよね。他の先生にはツンケンしちゃう子も、保健室にいる養護教諭の先生には普通に話せて。第二の母みたいな感じで、その雰囲気がすごく好きだったんです。

その頃から羽鳥さんは、養護教諭になりたいと思うようになりました。しかし、高校2年生のときにお父さんが亡くなり、3人兄妹の末っ子だった羽鳥さんは家計への負担も考えて、専門学校への進学を選択することに。専門学校では養護教諭の免許は取れないため、看護師を目指すことにしました。

最初は知らなかったんですが、実習に行くうちに助産師って仕事があることを知りました。その頃私はまだ数年前に体験したばかりの父の死を自分自身が受け入れ切れていなかったので、日常的に死に直面する看護師はできないかも、という思いもあって。じゃあ死ではなく誕生の方にシフトしようって考えたのが助産師を目指した最初のきっかけかな。

そうして助産師の仕事をいざ学んでみると、思いがけず仕事の方向性が自身の考え方に合っていたのだそう。

私の母は特に自然派というわけでもなかったんだけど、私が風邪をひいたときにいつもなぜか風邪薬ではなく高麗人参のシロップを出すんです。「これを飲めば治るから」って言われて、実際治っていたんですよね。できものができたらアロエを塗ればいい、とかね。

そんな母だったので、私自身も薬を使うことや、西洋医学の「出たところを叩く」みたいな考え方があんまり好きじゃなかった。だから助産師がわりと東洋医学を重視する考えで、はまったのかな。

体を冷やさないことや食べ物を大事にすること。お産が進まないときには鍼やお灸を取り入れたりすること。助産師の仕事には東洋医学や民間療法的な知識も多く、学べば学ぶほど魅力があったと言います。

生活する環境とお産は、切っても切り離せないもの

実習先だった山梨の病院に就職した後、結婚を機に東京へ帰郷。東京の病院に再就職をします。

山梨の病院は環境的に自然があること、それから出産する方の年齢がすごく若かったこともあって、医療処置を行わずに経膣分娩をする「自然分娩」で産まれることが多かったんですよ。一方で東京は不妊治療している方や高齢出産の方も多くて、私が働いていた自然分娩のみを取り扱うクリニックでは、妊娠から産後までの間3人に1人が転院や救急搬送になっていたんです。

それで、このコンクリートに囲まれたビル街で生きている人にとっては、自然分娩ってそぐわないんだろうなって思ったんです。「体力をつけるために歩いてね」って妊婦さんに言うんですけど、彼女たちは夏は暑いからデパートの階段を歩き回る。それってなんだか不自然ですよね。自然分娩といってもお産だけ切り取っている感じがして、これはなんだか違うなぁと思うようになっていたんです。

また、当時、お産があると夜中でも呼ばれて仕事に出ていたという羽鳥さん。お産に立ち会うことで達成感を感じ、仕事にやりがいを感じてはいたものの、心身ともにとても疲れていたそう。帰ってきたらすぐにベッドに倒れて、ご飯の時間になったらつくる時間も気力もないから、コンビニに行って買ったものを食べる、というような生活でした。

やっぱり自然の中で暮らしてみたい

そんな2013年当時、ふとしたきっかけからいすみ市で行われていた、料理教室と自然な生活を体験するスクールを見つけて参加します。月に1度の1泊2日のクラスが、半年続きました。

すっごく楽しかったの。私疲れて電車でそこまで行くんだけど、帰りはすっかり元気になっちゃって。充電できてたんですよね。だからやっぱり田舎で暮らしたいな、東京で疲れているよりは行っちゃおうと思って。

実際にいすみ市に移住したのは2016年4月。それまでの期間はスクールの開催場所で実施される田植えや収穫のイベントに顔を出しながら、どこに移住しようか考えていたそう。

ちなみに小学校の同級生(!)であるご主人は、まったく田舎暮らしに憧れのあるタイプではなかったとのこと。説得は大変ではなかったのでしょうか。

それが、いすみ市は海もあるし、サーフィンできるよって言ったら2つ返事でOKで(笑) 最初私もこっちで産後ケアの仕事を始めれば生活が成り立つと思ってたから、「養ってあげるよ」なんて言ってたんだけど(笑) 蓋を開けてみたらお客さんがそんなにすぐくるわけじゃないから、旦那も働いてます。でも、こっちに来てからもちろんサーフィンしてるし、生活も楽しんでますね。

サーフィンという、ご主人にもはまるポイントがあったおかげで、お互いの仕事や家庭のタイミングが合ったときに、移住してくることができました。

実際に住んでみて、いすみ市の人たちは、移住者に対してオープンで、新しいことを始めるときにとても身軽だと話します。羽鳥さんは、引っ越して来る前にいすみ市の保健センターに助産師として仕事ができないか問い合わせてみたことがあったそうですが、「ぜひ一緒に働きましょう!」と、その時の反応がとてもよかったのだとか。

よかったら働かせてくださいって電話したら、「いいですよ」って即答だったんですよ。ぜひぜひって感じで。私がどこの誰かもわからないのに(笑) 

田舎って閉鎖的なイメージがあったけど、いすみは誰でもウェルカムなんだよね。愛嬌のある人たちが多くて話しやすいし。とりあえずトライしてみようって人たちが多いから、住んでいて気持ちがいいです。

つながっていくことが「普通」であると言い続けること

厚生労働省では、産後うつや虐待予防の一貫として、助産師から母子のケア、授乳指導、育児指導を受けることができる「産後ケア事業」を推進しようと2017年8月にガイドラインを発表しています。(産前・産後サポート事業ガイドライン

導入は全国でも26%にとどまりますが、いすみ市では、産後4ヶ月までのお母さんを対象に助成金が出ているため、通常の5分の1程度の値段でサービスを利用することができます。羽鳥さんは、この「4ヶ月まで」という期間を、今後もう少し伸ばすことができないか市に相談したいと考えているそう。

出張相談は1回1,000円で、産後ケア施設は1日利用で1,800円(2019年1月現在)。こんな安いところ全国的にもあまりないのですごくいいと思います。ただ4ヶ月経ってサポートを受けられる期間が終了した人たちが、「今までコンスタントに相談できてよかったんだけど、これからどうしたらいいの」となっていて。

だから助産師として今後やるべきことは、市町村の保健師さんはじめ地域の方々を交えた長期的なサポートを考えていくことかなと思うんです。

毎年1,2月には次年度以降の動きが見えてくるという羽鳥さん。お話を伺った11月は年末感があり、まだ先のことは見えていない、と笑いながら話してくれました。去年と今年は停滞期のように感じていて、来年度ぐらいからは何か動き出したいなとも。

そんな羽鳥さんに聞く、これからの助産師の役割とは?

医療が介入しない「自然な妊娠やお産をしよう」という一時期の流行が落ち着いてきて、これから先はだんだん不妊治療や生殖補助医療による妊娠、麻酔や器械を使った分娩が増えていく傾向にあると思うんですよね。今後少子化や分娩ができる施設不足を背景にして、助産師の数も減っていくと思うので、自然分娩を取り扱う助産師の仕事すらもだんだんなくなっていくような気がしていて危機感を感じます。

だけど、自然に寄っていくことが、一番無理がないと思うから。妊娠中だけでも食べ物をなるべく農薬や化学肥料を使わないものや、遺伝子組み換えされていないものに変えてみたら、お母さんの体も自然のリズムに寄り添って、本来持っている力を発揮できるようになる。月が満ちたら産まれて、妊娠中も産後もお母さんが食べたものが赤ちゃんの栄養になる。

妊娠中・お産・産後、ずっとつながっていくことが普通なんだよっていうのを、誰かしらは伝えていかなきゃいけないと思うんですよね。それが助産師で、「古い」とか言われても、伝え続けて不自然な世の中に対抗していかないとね。

羽鳥さんのお話を聞いていて印象的だったのは、お産だけが切り取れるわけではなくて、すべてのものが「つながっている」ということ。産前とお産と産後、生活する環境と体、そしてお母さんが食べたものと赤ちゃんの栄養。そのどれも、ひとつだけを切り離すことはできないようです。

そして、循環が生まれることを「つながり」と呼ぶならば、産後についても、自分を認めること、家族に理解してもらうこと、お母さん同士が知り合うこと、そうした「つながり」によって解決できることが多くありそうだと感じました。