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今、被災地で圧倒的に不足しているのはリーダーの存在! 西日本豪雨の被害にあった愛媛県大洲市で復興支援を続ける書道家、堀之内哲也さんを取材しました。

6月・大阪府北部地震、7月・平成30年7月豪雨(以下、西日本豪雨)、9月・台風21号、北海道胆振東部地震、と立て続けに発生した2018年。大型災害が次々と日本列島を襲いました。

今回お伝えしたいのは、あまり報道されることがない、長期に渡って被災地に留まり、復興支援を行う人々です。期せずして起きる災害の直後に長期で被災地入りできる人たちは、多くの場合、会社員ではなく、支援団体の職員や自身で団体を立ち上げている個人、そして財団から要請を受けている人たちなど。そのような支援者が、被災地で大きな役割を担っていることは少なくありません。

そうした長期支援に携わる一人であり、西日本豪雨の被害を受けた愛媛県で支援活動を続ける、堀之内哲也さんを訪ねました。堀之内さんは7月中旬から愛媛県宇和島市や西予(せいよ)市で活動をはじめ、現在は大洲市を中心に個人で支援活動を続けていますが、本業は書道家。大阪を拠点に5人の子どもを育てる父親でもあります。

今回は、堀之内さんの活動を通じて、被災地の様子や今後の課題についてレポートしたいと思います。

水害対策のむずかしさ

2018年7月、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数200人を超える甚大な災害となった西日本豪雨。とくに被害が大きかったのは、広島県、岡山県、愛媛県で、全半壊(全壊または半壊)と一部破損の家屋は19,811棟、さらに床上浸水 6,265 棟、床下浸水 は14,390 棟に上りました(2018年11月6日、総務省消防庁発表)。

愛媛県では、西予市野村町の野村ダム、その下流にある鹿野川ダムが満水に近づいたため、流入量とほぼ同じ水量を放流する措置を取り、県内でもっとも大きな川である肱川(ひじかわ)が氾濫。河口に近い大洲市では、約3,000世帯の家屋が浸水しました。

鹿野川ダムから1km圏内に位置する肱川町山鳥坂。放流後わずか1時間で1階が浸水し、2階も胸の高さまで増水。「流されないようベランダに必死でつかまっていた」と住民は話します。

さらに下流の菅田町付近。家屋は川からは200m程離れた高い位置にありますが、1階はほとんど浸水したそう。カーブミラーが地面に落ちています。

西日本豪雨の発生から10日後、堀之内さんは、広島県や岡山県に比べて支援団体が少ないと感じていた愛媛県へ。まずは同県ですでに支援活動を展開していた、水害対策に詳しい災害支援団体「風組関東」や一般社団法人「OPEN JAPAN – オープンジャパン」に加わり、水害対策の知識や技術を習得しました。

宇和島市での活動を経て、支援団体の少ない大洲市に個人で入ることを決め、OPEN JAPANを通じて大洲市社会福祉協議会(以下、大洲市社協)に紹介してもらいます。被災地で活動をはじめるには、自治体や社会福祉協議会、支援団体との連携は不可欠です。

大洲市社協には連日、「ボランティアを派遣してほしい」という依頼が被災者から寄せられます。家はどんな状態か、どんな支援を必要としているのか、どんな対策が必要なのか、まずは社協の職員や、社協から依頼された堀之内さんが調査のために現地を訪問。被害状況と今後の家の修理の予定などを聞きながら、一般のボランティアの派遣や、場合によっては重機によるボランティア部隊などを調整します。

全半壊ではない場合でも浸水した家屋の傷みはわかりにくく、畳やフローリングの床板の一部を電動カッターなどで切り出し、点検口を開け、いざ床下の状況をチェックしてみると、泥水が貯まったまま、カビが生えていることも。そうした場合は床下に扇風機を入れたり、床板を剥がして乾燥させて消毒をしたりすることで、被害の拡大を防ぐことができます。

また、壁面も断熱材が水を含むと抜けにくいため、仕上げ材や合板を剥がし、泥をおとします。こうしたブラッシングや消毒などの作業は一般ボランティアを中心に行われています。

床板に番号をふり、一枚ずつバールなどで釘を抜き、外していきます。

浸水した断熱材をはがし、ハンマーなどで泥をおとします。その後、ブラッシングをし、消毒。

このような家屋の被害状況の見立ては、必ずしも社協の職員ができるわけではなく、また一般ボランティアでも難しいため、知識や経験をもった支援者のサポートが必要。堀之内さんは、修繕に必要な手工具や電動カッター、高圧洗浄機等を自家用車に搭載し、一般ボランティアではできない作業や、ボランティアが入る前の準備作業を中心に行っています。

(撮影:Funny!!平井慶祐)

堀之内さんに同行して現地調査に伺った家屋は、いずれも1階の大部分または2階まで浸水。土砂や泥を撤去し、傷んだ家具や電化製品を取り出してはいるものの、それからどうしていいのかわからず、水や湿気を含んだ天井、壁紙や床下を放置してしまい、カビが出ている家がほとんどでした。なかには、傷んだ床板が抜け、足を怪我してしまったおばあさんや、カビの臭いが充満したまま、被災した自宅で生活を続ける高齢のご夫婦も。

今回、大洲市社協の黒江雄一さんにも話を聞くことができました。過去に愛媛県社協が実施した「災害ボランティアセンター中核スタッフ養成研修」を修了し、熊本地震では嘉島町の社協に派遣された黒江さん。その経験から、大洲市では、発災からわずか3日後に災害ボランティアセンターを立ち上げることができました。

黒江さん 大洲市はかなり広範囲に被害を受けました。社協職員の中には、災害支援に派遣されたことがある人もいれば、それほど経験がない人もいます。そのため経験ある支援団体に色々教えてもらえて助かっています。今回であれば、JVOAD(特定非営利活動法人 全国災害支援ボランティアネットワーク)さんやオープンジャパンさんですが、しっかりとした実績があるので安心してお願いできますし、堀之内さんのような経験のある個人の方に手伝ってもらえることも本当にありがたいですね。社協として、できること、できないことを区別しながら、うまく連携できるようになってきたと思います。

“書道も復興も、自分にとっては一緒”

まるで大工のような姿で活躍する堀之内さんですが、本業は「書道家」。鹿児島県出身で、結婚後に京都に移り住み、現在は大阪で、妻と3~18歳までの子ども5人と暮らす大家族のお父さんでもあります。

書道家としてのデビューは、なんと路上。20代の頃、鹿児島市天文館通りで作品を並べて座り込み、「あなたをみて、インスピレーションで言葉を贈ります」と、お客様一人一人に心に浮かんだメッセージを書にしてプレゼントするというパフォーマンスをはじめ、いつしか人だかりができるように。現在は、イベントでのパフォーマンスや作品制作の依頼などを受けながら、全国各地を飛び回っています。

被災地という特殊な環境の中でも、多くの人に信頼される堀之内さん。それは路上時代の経験が活きているといいます。

堀之内さん 見ず知らずのお客さんと10万人以上接してるからね。こういう人にはこう接したらいい、という感覚は長けているかもしれない。被災したお宅を訪問するときは、最初はおばあちゃんちに帰ってきたような感じで入る、他人の家だと思わないように。決まったやり方はないし、一軒一軒違うから、話してどういうふうにしてほしいという意向に沿うように気をつけてるかな。

堀之内さんがはじめて災害復興に携わったのは2011年の東日本大震災でした。被害の大きさを目の当たりにし、みんなが動かなければ復興は実現しないと感じ、友人を伝って宮城県石巻市へ。現地で活動していた支援団体に合流して現場責任者となり、泥出しからトラックや重機の手配、連日訪れる約300人のボランティアの受入管理など、約8ヶ月間、支援活動に奔走しました。その後の2016年熊本地震では、日本財団のスタッフとして益城町の支援活動にも従事しています。

(撮影:Funny!!平井慶祐)宮城県石巻市での支援活動の様子

東北から熊本、愛媛まで、災害が起こるたび、現地に飛び込む堀之内さん。書の仕事で訪れたことがある土地もあったといいますが、堀之内さんが災害支援に取り組む理由は何なのでしょうか。

堀之内さん 一緒よ。喜ばれるから書をかくし、東北に行って泥かいてあげたら、書以上に喜んでもらえたから、字を書かずに泥かこうと思った。自分が楽しいことをやりたいのよ。その延長線上で結果的に周りのためにつながったら、さらに嬉しい。使命感はなくて、ただ楽しいからやってるだけ。

日本国内でさまざまな災害支援活動を続ける一方、堀之内さんは、カンボジアでの学校建設、植林や井戸掘りなどの国際協力にも取り組んでいます。カンボジアには、妻の理恵さんや18歳の長女ラムさんも一緒に行くことがあり、ご家族は堀之内さんの活動を全面的に応援しているそう。今年9月には、ラムさんが堀之内さんの作業を手伝いに2週間、大洲市にやってきました。

(撮影:Funny!!平井慶祐)娘のラムちゃんと、大洲市で。

しかし、支援活動中は本来の仕事との両立はできず、活動自体にも最低限の経費はかかります。その活動資金は、どうまかなっているのでしょうか。

被災地のため、自分のために。
支援活動の資金サポートを呼びかけ

これまで東北や熊本では、団体に所属していましたが、今回、愛媛県では個人での支援活動です。一度被災地に入ると、長期になることが予想できた堀之内さんは、はじめてFacebookで個人の銀行口座情報を公開。活動資金の寄付を友人知人に募りました。いわゆる、個人クラウドファンディングです。

彼の投稿には多くのコメントがつき、中には、「自分も行きたいけれど行けないから、てっちゃんに託すよ」というメッセージもありました。これまで堀之内さんの支援を受けた方々や、書や復興支援など彼の活動を応援する約120名の有志からすぐに寄付金が集まり、急いで大阪を出発。愛媛県での活動をスタートしました。預かった資金は、支援物資や道具の購入、宿泊交通費のほか、地元の子どもたちへの支援などにあて、すべて使途を公開する約束です。

堀之内さん 個人で支援活動を続けるのは限界がある。今回は、現地に行きたくても行けない悔しさを胸に刻んで、まず目の前の仕事を頑張ろう、としばらくは自分に言い聞かせて過ごした。それでも、どうしても各地の被災状況が気になって。そんな気持ちで作品を書いていても、納得いく作品が書けるわけもなく。支援に行きたくても行けない人、動きたくてもさまざまな事情で動けない人たちの気持ちってこんな感じだったんだな、とはじめて知ったよ。

資金サポートを呼びかける前の心境をそう振り返る堀之内さん。それから5ヶ月、今も友人知人のサポートを受けながら、大洲市で支援活動を続けています。ただ、やはり資金に余裕はなく、将来を見据えて今後は支援団体を自ら設立することも考えているそうです。

圧倒的に不足する被災地のリーダー

大洲市社協では現在、ボランティアの募集範囲を愛媛県内に限定し、事前登録型でボランティア受付を行い、ニーズに合わせてマッチングする体制に移行しています。仮設住宅に入居したり、家屋の応急処置を終えて自宅での生活が再開されるなど、生活環境は少しずつ変化し、現在は、ボランティアのニーズや内容も変わりつつあります。

一方で、多くの団体が発災から今もなお継続して募集しているのは、2週間以上の中長期ボランティアです。

堀之内さん リーダーが圧倒的に足りてない。現場のコーディネートやニーズ調査、マッチングをできる人が少ない。中長期で入れる人、災害支援の経験がある人がいてくれると、できることはいっぱいあるよ。できないけど、できるようになりたいという人を増やしていかないと。長期で現場に入ると、できない人もできるようになるし、やっぱり地元の方々との関係性も大事だからね。

多くの場合、自治体も災害を経験するのははじめてです。そこに阪神・淡路大震災や東日本大震災での支援活動経験者がいち早く現地入りし、行政と連携をとりながら、ときに現場の指揮をとり、被災地の人々を支えています。しかし、待ったなしの現場で休みなく動き続ける彼らがメディアの取材を受けることはまれなため、ほとんどその存在は知られていないように思います。

太平洋側の広範囲の地域が被害を受ける可能性がある、南海トラフ地震の切迫性が高まる今、もし本当に首都直下型地震が起きたとき、人口と建造物が密集していることから、東京はこれまでの被災地とはまったく異なる事態が起こる可能性も考えられます。そのとき、災害現場を一度でも経験し、リーダーシップをとることができる人材がいたとしたら。

被災地での活動は、体力や精神力はもちろん不可欠ですが、刻一刻と状況が変わる中、行政や団体、被災者と素早く連携し、信頼関係を築きながら、目の前の課題を解決していくことが求められます。マネジメント能力の高い人こそがやり遂げられる仕事です。行政に限らず、民間企業からも被災地に社員を中長期で派遣する制度があれば、いつか災害が起きたとき、“復興のプロフェッショナル”となる人材を育てることができるのではないでしょうか。

堀之内さん “しょどう家”でありたいんだよね。筆と言葉で日本を元気にする“書道家”、最初に動く人としての“初動家”、緒(いとぐち)に導ける人としての“緒導家”に。

(撮影:Funny!!平井慶祐)

日本各地の被災地には堀之内さんだけではなく、同じように長期に渡り、支援活動を続けている団体や個人の方がたくさんいます。限られた資金と人手で、愛媛県宇和島市では廃校に寝泊まりをしている団体もいると聞きます。

もはや災害大国となった日本の復興支援を志ある誰かに任せるのではなく、もっとみんなで支え合っていきませんか。被災地のリーダーとなる人材を一人でも増やし、地域で支え合う未来を実現するために。

堀之内哲也さん Facebook