鑑賞すること、描くこと、造ること。アートとのいろいろな関わり方の中で、この20年でとくに身近になった表現があります。写真です。「あ、いいな」と思ったらさっと携帯電話を取り出して写真を撮り、全世界に発信できるようになりました。
とはいえ、自分の表現を外に公開することは敷居が高いな…と思う方も多いのではないでしょうか。そんな思いを抱くみなさんにご紹介したいのが「ナムフォト」のワークショップ。「写真の力で、アイが巡るセカイをつくろう。」をテーマに各地で写真撮影やワークショップを開催し、参加した方々が表現をすることの喜びを感じられるような場づくりを行っています。
「ナムフォト」代表・楢侑子さんのワークショップを受けてみて、「表現をすることってこんなふうに私にもできるんだ。一部の、芸術を志したプロだけのものじゃないんだな」とそれまでよりもアートの敷居が下がったように感じました。私の中で、なぜこんなふうに表現の敷居が下がったのでしょう。
まずはワークショップの現場を疑似体験していただけたら幸いです。
自己紹介をし合わなくても人となりが分かる
今回のワークショップ「ほしい未来を仲間と一緒につくる写真レッスン」をご紹介します。
ワークショップ講師は「株式会社ナムフォト」代表取締役で写真家、greenz peopleでもある楢侑子(なら・ゆうこ)さん。受講生はgreenz peopleの5名。私もそのうちのひとりです。
多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科にて、写真、映画、演劇を専攻。在学中よりカメラマンの仕事をスタート。東京の夜の街を旅するように歩いて切り取った写真集「東京人夜」が第28回写真新世紀に入賞。
作品制作を続けながらも、メディアの企画編集・運営・ディレクションに携わる。2010年独立してからは、まちづくりや地域活性化のプロジェクトも手がけるように。32歳のときに乳がんが見つかり、手術。
2016年5月13日に株式会社ナムフォトを設立。写真表現+内観をとおして、ひとりひとりが「人生の主役として、まわりの人とよい関係を築きながら、笑顔で毎日を過ごせるようになること」をサポートしている。
今回のワークショップはgreenz people向けに特別に構成されたもので、「アイのポスト」、「人生棚卸しワーク」、そして「写真ワークショップ」の3本立てです。
まずは「アイのポスト」。ワークショップの10日ほど前から、オンライン上でレッスンスタート。参加者限定のフェイスブックメッセンジャーグループがつくられ、1日1枚、それぞれが写真と写真を説明するコメントをシェアしあいます。お互いの写真を眺めたり感じたりする日々を送りました。
そして、ワークショップ当日。実際に全員が顔を合わせるのはこの日が初めてです。
まずはこれまでの写真を振り返りつつ、ナムフォトオリジナルの「人生棚卸しシート」に答えていきます。通常バージョンは、過去・現在・未来を掘り下げる60個の質問で構成されていますが、今回は「今年の夏」に焦点を当てた内容に。「最近夢中になったこと」、「夏らしかった瞬間」、「誰かに喜ばれてうれしかったこと」などの問いが10個ほど並びます。
自分への問いかけがひと通り終わったところで、感じたこと・考えたことをシェアしていきます。
「最近、冒険したことは?」には、
「金曜日の夜、仕事終わりにさっと新幹線に飛び乗り福岡へ。行きたかったイベントに行きました」
「仕事がとても好きなので、仕事の時間を自分のために使うことは、普段は考えられないんです。でもその日は特別に身体の重さを感じて、思い切ってヨガへ。そのあとの身体の回復感が素晴らしくて、行って本当によかったです」
などなど、「あ〜分かる! それも勇気!」と思わず共感してしまうお話の数々がでてきました。
くわしく自己紹介をしあったわけではないのに、「アイのポスト」と「人生棚卸しワーク」のおかげでお互いの人となりがとてもよく分かり、親近感を感じるようになりました。
これらのワーク、「写真を撮る」こととは関係なさそうにも感じますが、楢さん曰く「自分を知ることが写真になる」そうです。
いまの思いを光にのせてうつすのが写真
いよいよ写真撮影のレクチャーと実習です。まず、最初に「写真には、何が写るか知っていますか?」との問いが。
写真に写るのは「いま」と「光」なんです。それは私にとってすごく希望を感じることで。さらに、ほんの一瞬のシャッター(光)の中に、“魂レベルの表現”がにじみ出てくるものなんですよ。
みなさんにもこういう独自のフィルタともいうべき感受性があるはずなんです。今回の「アイのポスト」でも、それぞれの個性が現れていますよね。たとえばInstagramなどのSNSでも実際のプリントでも、何枚か撮った写真を並べてみると透けて見える。それがまるごとその人らしさだから、そのままぎゅっと抱きしめてあげるといいのではないでしょうか。
写真レクチャーは、(1)魂レベルでの表現 (2)コミュニケーション (3)技術(物の見方・捉え方) (4)技術(カメラ操作)の順番で進んでいきました。
参加した方々からの質問にも丁寧に答えてくださいました。
Aさん 自然な笑顔を引き出すコツってありますか?
楢さん 目の前にいる人の素敵なところや魅力を探し出して、そのまま伝えるんです。
カメラを向けられると、緊張する人は多いし、その上カメラマンが心の中で「笑顔で写ってほしい」と思っていたら、相手に余計なプレッシャーを与えてしまいます。だから意識して何かプラスなところを探すんです。「今日一緒にいられてうれしいな」「まつ毛がとても長くてきれいだな」などなど。
無理にイメージするのではなくて、「自分が本当に思っている」というのがポイントです。電車の中など、ふだんから、どんな人でも、その人の美しさを見つける練習をしているといいですよ。
お話を聴けば聴くほど、写真は技術や機器の精度も関わってくるけれど、なによりも撮る人の思いを鮮明に写すものだと驚きます。
ガンでも”今すぐ”幸せになれる
ここまで楢さんのワークショップに参加していて私は、「自分独自のフィルターを抱きしめてあげる」、「感動や喜びが写真に映る」など、写真表現をするときに大事なことに気づきました。撮るときに何を思い、感じているかだったり、自分にしかない感性に自信をもつということだったりするのではないかということです。
技術向上も大事ではあるのですが、その前に根本として持っておくべきはまず、自分の感性や思いを大切にしてあげること。そう思うと、表現することがちょっぴり気楽になります。
楢さんはなぜ、このようなワークショップを開くようになったのでしょう。参加者のみなさんとともに、背景にある想いについてうかがいました。
写真を始めたのは、18歳のとき。楢さんは、中学生のときに蜷川幸雄さんの舞台を見て衝撃を受け、非日常の世界をつくりたいと多摩美術大学へ進学。大学での制作の日々の傍ら、アルバイト先のカラオケスナックで人間模様の豊かさを目の当たりにして、非日常の世界よりも、現実世界に興味を抱くように。さらに、人物写真の撮影を自分の中心に据えていきます。
しかしメディアに携わり、ライティングや編集も行うようになるにつれて、流行を生み出し消費を喚起するメディアのあり方はほんとうにいいのだろうかと疑問を抱きはじめます。
2010年フリーランスに転向して、東京から大阪に拠点を移し、まちのコミュニティを盛り上げる活動に熱心にとりくんでいました。
32歳のときに、大きな転機がやってきます。乳がんが見つかったのです。
その頃を振り返っての言葉です。
気づいたらネットサーフィンをしてしまう日々がつづき、ネガティブな情報を見つけては悩みの渦の中でおぼれていました。「将来、結婚できるのかな?」とか、「仕事は続けられるのかな?」「この治療法で、本当にいいのかな?」などともんもんと悩んでいたのですが、あるとき悩みというのは、”悩んでも解決しないこと”と”いま向き合って考える必要があること”に分かれるなと気づいたんです。
そこで治療法を選択するために、セカンドオピニオンを聞きに行こうと決め、病院に行く直前にフォトグラファー仲間に写真を撮ってもらいました。
「自分の死」を、今までで一番身近に感じたという楢さんですが、これを見て、さらに気づいたことがあったそうです。
エネルギーにあふれた笑い顔で、これはすぐ死ぬ感じじゃないなと。それをフェイスブックにアップロードしたら予想をしてなかった、たくさんの「いいね!」と「かわいいね」「幸せそう」などのコメントをいただいて。第三者から見ても、ちゃんと笑えてるんだな、と自信になりました。
また、その後インスタグラムでアカウントをつくり1日1枚写真をアップしていくようにしたんです。ハッシュタグで「#当たり前の日常に光をあてる」とつけて。
なにも特別なことがなくてネタに困るぐらいのときも、うれしいこと盛りだくさんでたくさんアップロードしたくなるときも、1枚。生きていることは当たり前じゃない。だから基本は1日1枚で、毎日を平等に、大切に扱おうと思いをこめたんです。
この取り組みと同時に、これまで築き上げてきたライターとしての問いかける力を、自分に向けたという楢さん。今まで歩いてきた人生の棚卸しをじっくり辛抱強く行ったそうです。そして気づいたことがありました。
ガンでも、”今すぐ”幸せになれる。
ガンかガンじゃないかと幸せかどうかは別の場所にあるもので、たとえばご飯がおいしいなとか、きれいな夕焼けだなとか、そういう人生の喜びをより多く感じられれば、人生はよくなってゆく気がして。
続けていくうちに、ガンじゃなくても、「写真」と「人生棚卸し」で大切なことに気づける人はいるのではないか。みんなに伝えたいと思うようになりました。
入院中も、写真をアップしていたのですが、手術をしたのが2月13日。翌日がちょうどバレンタインで、ふと窓の外に見つけた木の形がハートに見えたんです。それがすごく嬉しくて、写真を撮りました。
「写真を撮ること」って人それぞれの「ハート」を見つける作業だと思うんです。今ここに集中して素敵なものに気づくこと。そんな生きている瞬間が積み重なってある日一瞬の死が訪れて魂になり、また生に変わる。死んだあと、どうなるか、本当のところは分かりませんが、例えばそんなふうに人生観をもってみると、ふと、生きるのが楽になる気がします。
写真で、日常のなかにある愛を感じる瞬間を表現する。生きてきた道を振り返り、人生観を育む。自分のために行ってきた2つの取り組みから「ナムフォト」が生まれたのです。
“いまのわたし”をありのまま発信しつづけることが
本当の表現だと思う
この日のワークショップ後半に行われたトークセッションでは、「写真を撮る」、「表現する」ということについて、深く話が展開されていきました。
まずは、写真を撮る人の責任と、写真をあえて撮らないときについてのお話。
写真を撮るとは、英語でshootingというんです。ピストルと同じですよね。でも、あながち間違いじゃないと思う。
たとえば250分の1秒の瞬間だけを切り取って”これがあなたです”と言うのはピストルで撃つのと同じくらいの威力があるように思うんです。それくらい責任のあることだと肝に銘じておくと写真が変わりますよ。
そして、これだけ写真をすすめておきながら何ですが、撮らない時間も大事だなと思っていて、すごくいい時間だと感じたときは撮らなくなります。その場を120%楽しみたいから。
本当に豊かな時間ってなんでしょうか? 例えば今みたいに、コミュニケーションをとることを心の底から味わっているときかなと思います。
撮らない時間の大切さを説く楢さん。
表現というものを長年生業にしている楢さんでも、表現すること、発信することを怖いと感じることはしょっちゅうで、だからこそ無邪気に「さあ表現しようよ」と呼びかけるだけにしてしまうのは少し違うと感じるそう。
自分が丸裸になる怖さと隣り合わせだからこそ、表現は喜びなんだと思います。
怖さを感じているからこそ、「アイのポスト」では関係性が固定されていない人とクローズドなコミュニティをつくることで、表現の最初の一歩を踏み出しやすいように心がけました。
「アイのポスト」で、インスタの表現が本当に変わったのでやってよかったと思えました。上手く撮って賞賛されるのを目指す必要はなくて、自分がいいと思ったものを撮ればいいんだと気づいたんです。
参加者の方から寄せられた言葉です。
これからの表現やメディアの主役は、
どこかの凄い人から私たちに移っていく
将来を見据え、2018年1月、大阪から再び東京へ拠点を移して活動中の楢さん。
撮影を請け負ったり、ワークショップを開催したりする日々です。
今は実験的に行っている「アイのポスト」を起点に「(PVや「いいね!」数など)数字が大きい=良いこと」という図式から抜け出した新しいメディアができないかと、構想を練っているのだとか。
即時性はないけれど、人が幸せに生きるために必要な情報ってあると思います。何より「どんな反応があるか?」よりも、「伝えたい!」という思いが起点になるメディアをつくりたい。日々、企画書を更新中なんです。
「誰か、すごい写真家が撮った写真を、みんなが賞賛する時代は終わったように感じます。撮影のワークショップを開く度に、今日またここで何人かの写真家が誕生したなと思うんですよ」とうれしそうに語る楢さん。
誰かの表現の敷居が下がるときというのは、「この瞬間に感じたこと、解き放った表現は私にしかないオリジナルで貴重なものなのだ」ということを心で納得したときだと思うのです。
それは外に正しさを追い求めることを止め、“わたし”の内にあるものを探して解き放ってゆく旅のはじまりでもあると言えるのではないでしょうか。
楢さんの、人が自分らしい表現をするはじめの一歩を応援する取り組みの数々には愛と表現することへの喜びがあふれているように感じました。
私もやってみたいなとピンと来た方は、ナムフォトのワークショップに足を運んでみてください。10月以降も、ワークショップが目白押しです。
[アイキャッチ画像:Photo by 宮川舞子]
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