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微力は、無力じゃない。ようび「ツギテプロジェクト」が証明する、人の手による価値の創造が引き寄せる未来。

岡山県北部、周囲を山に囲まれた人口1,500人ほどの小さな村に、「ようび」という会社があります。

第一に彼らは、ものをつくる会社です。ヒノキ家具の制作や、建築設計も行っています。それだけを切り取れば、彼らは実直にものづくりに向かう、職人たちの会社です。ただし、ようびはものづくりの会社ではなく、あくまで、まず、ものをつくることから始めた会社なのです。

2016年1月。工房全焼という“困難”に向き合った彼らが絶望的な状況の中で選んだのは、また人の手から始めることでした。「ツギテプロジェクト」と名付けられた再興の道筋に浮かび上がってきた、ようびをようび足らしめる“何か”を、代表の大島正幸さん・奈緒子さんにお聞きします。

株式会社ようび
2009年、大島正幸により岡山県・西粟倉村にて「木工房ようび」として創業。それまで家具として使われる歴史のなかった、ヒノキを使った家具の製作に取り組む。2013年には、大島奈緒子が室長を務める「ようび建築設計室」も本格始動。「やがて風景になるものづくり」を理念として掲げ、森や木と向き合う活動に幅広く取り組む。
着々と土台を築いていた2016年1月、工房全焼という困難に見舞われた。再興に向けた取り組みを「ツギテプロジェクト」と名付け、社屋の再建のための作業には全国各地からのべ600人以上が参加し、「ツギテノミカタ」と呼ぶ新たなコミュニティも生まれている。

最悪の一日が、再興のための一日目になった。

代表の大島正幸さん(以下、大島さん)が「木工房ようび」の看板を掲げたのは2009年。スタートからおよそ7年が経った、2016年1月23日。まだ村が静かな寒さと暗闇の中に眠る午前4時過ぎに、ようびの工房における火災発生の第一報が入りました。地元の消防団が中心となって消火活動にあたり、鎮火が確認できたのは明け方のことです。

奈緒子さん ようびのメンバーも消防団員として消火活動に当たっていたので、ようびとして集まることができたのは、たしかすっかり明るくなった朝8時くらいでした。その時私は「どうしようかな。どうするんだろう」って、いろんなことを考えていましたね。

まだ煙も焦げ臭さも生々しく残る中で、ただそこに、自分たちの体だけは確かに残ったことを確認しあった、ようび。幸い負傷者はいませんでしたが、工房は全焼。無残にも全てが炭と化したその状況に、誰もが絶望的と思えただろうと想像します。
「再興」という、希望に向かう言葉を口にするのには、どのくらいの時間を要したのでしょうか。

奈緒子さん 大島は開口一番、「みんな怪我がなくてよかった。だから、またここでやり直そう」って言ったんです。まずはみんなで話し合いたかったという気持ちもありましたが、その時、私や他のメンバーには、不安しかありませんでした。だから、不安を言葉にする前に「ここに戻ってくる」というフラグを立てられて、「あ、わかりました」って。

あの時に「これからどうしよう」っていう話をすることに、価値はなかった。だから、すぐに再興というフラグを立ててくれてよかったなと思います。

鎮火した後、地元の方々が「とにかく食べろ」と朝ごはんを用意してくれました。正直その時は箸を持つのも、ものを飲み込むことさえも苦しかったけど、みんなが食べ終えるまで待って、その後は、いかにして片付けをするか、誰が何を分担してどうやって生産力を戻すか、ポツポツと言葉が出てきました。思えばもうその日から、再興は始まっていました。

大島さん 火事って、その日から片付けが始まるんです。不安だけのままだと「何年前にここに来たんだよな」とか「これ、まだ制作中だったな」とか、今じゃなくて過去を見ながら片付けが始まって、フラストレーションになってしまう。でもたとえ絶望的な状況であっても、何か信じられる未来があればそれは未来へ突き抜けるエネルギーに変わるんです。どっちの方向を向くかという違いだけです。

ようびのメンバーは、それぞれに見たい未来があって、一人ではその未来をつくれないから、ようびに来て一緒につくることを決めたわけです。その未来がなくならないように旗を振って示し続けるのは、僕の役割として大事なことだと思っています。

火事から1年後には、杉の木を5500本使って新社屋を建てること、その再建を「ツギテプロジェクト」と名付け、職人だけでなく多くの人の手を使って完成させることが発表されました。再興することさえ苦難を要する状況で、無謀とも言われかねない決断。さらなる試練を自ら手に取るような選択には、どのような経緯があったのでしょうか。

奈緒子さん いち早く効率的に建てるなら、鉄骨プレハブ。火事になってしまった手前、夢を見ていいんだろうかという不安もあったので、その方が工場らしく慎ましくていいのかもしれないと思ったこともありました。

でもおそらく、私たちが自分たちの工房をつくるのは、一生に一度。その上で鉄骨プレハブかと考えた時、「違うよね、木造だよね」という意見は大島も同じでした。今までずっと思いを持って木や森や風景の話をしてきたのに、鉄骨プレハブでつくってしまったら全部が嘘みたいになっちゃうよね、と。

木造でつくりたい、じゃあどんな木造にしようか、それができる方法を探っていったら、導かれるようにツギテプロジェクトにたどり着きました。

大島さん もとの工房は既存の建物を工夫しながら使っていたので、奈緒子とも「10年後ぐらいには自分たちで工房を建てられたらいいね」と話していました。ただその時は、全然そうなる兆しがあなかった。でも、火事になって差し迫って、自分の意志と魂を乗せて「再建しよう」と言葉を放ったら、世界が動き始めました。

僕は、「未来から引力を感じる」と表現しているんですけど、意志と魂を乗せて言葉を放つと、見たい未来に導かれるように、偶然の出来事がまるで必然のように起こり始めるんです。振り返ると、「あの人とあの時出会っていなかったら、こうはなっていない」みたいなことが、ものすごい短期間に凝縮して起き始める。この感覚は、ヒノキ家具をつくり始めた初期の頃にも感じました。

微力は、無力じゃない。

「再建しよう」という言葉を放った後、大島さん自身はどのように動き始めたのでしょうか。

大島さん 意志も思いもあって、言葉も放った。でもお金が全く足りなかった。

世の中には、「価値を伴わないと、実現できない」という絶対的なルールがあります。等価交換とも言えます。必要な価値が満たされて、初めてそれは実現できるんです。

だからまず、銀行にお金を借りに行きました。そこで銀行を説得するために、再興のプランを出すでしょう。「ここは自社で、ここはツギテノミカタ*(=ボランティア)でやります」って言ったら、「このボランティアの確保はできてるんですか?」と聞かれるわけです。当たり前ですよね。できるという前提がないと、銀行はお金を貸せませんから。

「今はまだ0人です」って素直に答えたら、「500人の想定であれば、できない可能性も500人分ありますよね」と言われたのを、よく覚えています。

(*)ツギテプロジェクトの参加者をツギテノミカタと呼んでいます。

不確定な500人のボランティアの想定は、500人分のリスクを生む。どうにかお金を借りたい状況の大島さんにとっては打ちのめされる一言ですが、貨幣価値を基準とする真っ当な指摘です。

奈緒子さん 建築における積算も、まさに貨幣価値を積み上げて考えるんです。この項目の単価はいくらでこれだけ使うとこの費用が必要だっていうのを、どれだけ正確に見極めるか。でも今回は、今まで通りでは立ち向かえないとわかっていたので、だったらようびらしくやろうと思いました。ようびがやるんだから、たぶん貨幣価値では数値化できない不確定要素を信じるんだって。

できると信じていたかと聞かれたら、できると信じないと、生きていけなかった。でもそれは、数字上で成り立っていたから信じられたわけではないんです。ただ、自分たちが見たい未来を一緒に見たいと思ってくれる人たちは、きっとたくさんいるということは、信じていましたね。

この時、奈緒子さんが慎重に口にした「信じる」という言葉。ここでの意味合いは、無いものに期待することや、意気込みや思いだけをよりどころにするということではありません。
まだ見えないけれど確かにそこにある価値を、認め続けるという行為でした。

大島さん 借りられる金額には上限があります。ここまでしか借りられない、それでもやっぱり足りないってわかった時に、打ちのめされました。見たい未来や思いはものすごく大きいのに、自分はなんて微力なんだろうかと。

銀行の方にも、「もう少しお金を貯めてからやりませんか?リスクも減るし、その方が大島さんも得をする」と言われました。でも、嫌だった。だって、「もう一回」は来ないから。意志と魂を乗せて放たれた言葉は、世界を動かし始めていました。見たい未来が自分たちを待っていてくれるのは、今しかないんです。

奈緒子さん 自分たちが得するようにとか、楽できるようにだったら、もっと上手くやる方法はあると思います。

でも、大島はいつもそれを選ばないんですよね。今取れる中で最善を取る努力はするけど、先にある有利なものに関して信頼しない。特に金銭的な面で楽になるものを頼りにしてそれに依存しようとすると、大事なものを失うような気がしてしまって。「今」動くことに大きな価値があるということは、ようびにいると自然に身につきます。

大島さん そうやって今できる最善を選んで動いていく中で、一緒に手を動かしてくれる仲間がいて、これが無力だとは思えなかった。

無力じゃなくて、微力。一つ一つは微力だけど、コツコツ積んでいったら、いつかそれは、足りない価値を補填する可能性に変わるはずだと思って。それから先は、やっぱり言葉を放つことでしたね。ようびの中に「微力は、無力じゃない」という意志が生まれてから、応援してくれる人がさらに集まって来るようになりました。

未来と敵の共感に、ツギテノミカタが集まった。

2017年1月に始動し、社屋が完成した2018年5月まで、1年半近く続いたツギテプロジェクト。その期間中には、連日全国各地から人々が集い、現場での作業にかかりました。

奈緒子さん これまで、あんな乱暴なワークショップを運営したことはありません(笑) 朝、ラジオ体操をやって安全確認だけしたら、あとは職人さんと同じように始まるんです。でも、体験をサービス化したような一回きりのワークショップではなかったからこそ、「自分がこの作業を進めないと、この建物は完成しない」と感じてくれた人が、集い続けてくれたのだと思います。

大島さん ツギテノミカタが「楽しい」っていうのは、半分本当で半分嘘です。外仕事で、ただ目の前の木を削り続ける、淡々とビスを打ち続ける。しかも、真夏の炎天下や真冬の風の中での作業です。報酬をもらえるわけでもありません。でもそこに何かの価値があるから、人は来てくれたんですね。

奈緒子さん プロジェクトを進めるにつれて、ようびのことをこれまで知らなかった人たちも来てくださるようになりました。中には、ようびのことも火事のことも全く知らずに来て、今何をつくっているのかもよくわからないまま作業してくださる人まで現れて。2回、3回とリピーターになる人も増えてきました。

こうなるともう、私たちは何の価値を交換できているのかわからなくなってきて。まだ言語化できないけど、貨幣価値ではない価値が、確かにそこにあるんだなと感じましたね。

参加する人にとって、ツギテプロジェクトに参加することとは、どのような行為だったのでしょうか。

大島さん ツギテプロジェクトは、一人ひとりの“願いを積む行為”でした。僕は、そこに二つの共感があったから人々が集い、共に手を動かしたんだと思っています。

一つは、見たい未来が共感されたこと。今は漠然としているけれど、進めていくうちに少しずつ現れてくるその片鱗に、「あ、こういうことだよね」と共感することができた。ようびの理念である「やがて風景になるものづくり」も同じことで、“やがて”なんて今は見えない。でも、なんかいいなと思える。それがとても大事なんです。

もう一つは、敵が共感されたこと。人間社会では、人が人を敵にしてしまって、嫉妬やいじめのような悲しいことが起こってしまう。でも、ようびの再興における敵は人ではなくて、火事という“困難”だったんです。だから、その困難に打ち負けず立ち上がるということに共感した人が集まってくれた。

奈緒子さん しんどい時や上手くいかない時、そこに人の思惑が絡んでいることも当然あります。でも人ではなく“困難”を敵にしていれば、人に応援してもらえます。そして、人は無敵になれる。

そう思い続けて、誰も恨まず誰も妬むまず、とにかく目の前の大量の木材と金物と寒さに向き合っていたら、こうやってちゃんと春が来ました。素晴らしい建物を完成させることができた。関わってくださったツギテノミカタのためにも謙遜する必要は絶対にないと思うし、それはようびの誇りです。

でも、「ようびだからできた」で終わらせられるほど容易くもないんです。ここに来た人はわかったと思いますが、ようびは普通の人たちの集まりですから。そこに、希望があると思います。

僕らは今、人由来の集落をつくっている。

ツギテノミカタは、ようびに共感する“味方”であると同時に、その集い自体が意志を持って動き始めているようにも感じられます。

大島さん 僕らはそれを、“集落化した”と表現しています。
集落というのは本来、家由来です。ある範囲に家が集合した状態が、集落。でもツギテプロジェクトでは、ツギテノミカタという人由来の集落ができました。

昔ながらの集落では、集落ごとに特殊な知恵が生み出されていました。例えば、この集落は雪がよく降るからこういう備蓄をしておいたほうがいい、家はこうやって建てた方がいいとか。そこで生き延びるための特殊な知恵が生まれるのが、集落のメリットです。

ツギテプロジェクトでも、この建物を完成させるために必要な知恵がたくさん生まれました。未来と敵の共感によって人が集い、その集いが育ってくるとそこから知恵が生まれ始める、これが集落化した状態です。

奈緒子さん ようびらしい空気だと感じたのは、建物が完成し今年5月に開催したレセプションに、全国から老若男女が200人も集まったこと。とにかくいろんな人が「この日を迎えられて嬉しい、楽しい」って思いながらそこにいました。あれはまさに、この集落におけるお祭りだったんだと思います。

火事から約1年後、ようびは「木工房ようび」から「ようび」へと進化し、ロゴのデザインも大きく変更しました。印象としては一新しましたが、ものづくりから始めた会社として、一貫してものづくりに取り組み続けることもまた、ようびの変わらない姿勢です。

奈緒子さん ものづくりは、コミュニケーション。

一緒にものづくりをする時って、びっくりするぐらい身体的・精神的・言語的なコミュニケーションが必要なんです。そしてコミュニケーションは、群れる動物である人間がその群れを維持するために必要なものです。ものづくりは人間にとって必要なコミュニケーション。だから、ものづくりはなくならない。

大島さん それは僕たちの、人生のテーマ。

人は、ものすごいエネルギーと可能性を持っています。人間が働いたらすごいことができる。高度成長期やバブル期は、時代がそれを提示していました。でも今は、できるだけ手を動かさずにお金という命綱をより多く手に入れられる方法を、みんな探してる。他人に対しても、物事の価値に対しても、疑いから始まる時代です。

そのような時代において、ツギテプロジェクトは貨幣以外の価値を創造することに成功したんだと思います。

一本一本組み立てられ建物となったツギテは、人の手で微力を積み上げることが価値を創造したことを証明しました。ヒノキ家具をつくり始めた時も、“困難”を迎えたあの日も、そして新社屋が建った今も。ようびはこの場所で、木と自分たちの手を使って、価値をつくり続けています。

大島さん これからようびは、複数の価値を認めて、創造していく会社になります。もちろん、貨幣価値を得るために家具をつくり、建築設計もします。もう一方で、人由来の集落をつくることができたように、貨幣以外の価値も生産していきます。その一つ目が今回のプロジェクトです。

夢なんかみてないで現実見ろよって、みんなそう言う。でも大丈夫、一つできたから。
みんな、チャレンジして大丈夫。だからその時は、ちゃんと未来に届くように、そこに意志と魂を乗せなきゃいけないってことです。
価値を伴わないと実現できない。それは、絶対的なルールですから。

ようび
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(Text: 諸岡若葉)

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