\12周年、タグラインをリニューアルします/

7月16日からgreenz.jpのタグラインは「ほしい未来は、つくろう。」から「いかしあうつながり」に変わりました。

詳しくは編集長鈴木菜央のコラムを読んでもらえると嬉しいです。

7月16日、greenz.jpのタグラインは「いかしあうつながり」に変わりました。

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未来づくりは、自宅の庭から始まった。仲間とともに、レモンで彩られたニュータウンづくりをめざす苅谷由佳さんの「泉北レモンの街ストーリー」

イギリスの「インクレディブル・エディブル・トッドモーデン」の取り組みは「食べられる景色」があるまちづくりの代表例です。「食事をする者は誰もが参加者」という方針で、学校や商業施設など街の空き地に野菜を植え、住民は自由に収穫することができます。

住民は食に関心を持つだけに留まらず、収穫した野菜で一緒に料理をしたり、ビジネスが始まったりと、地域コミュニティのつながりが変化するまでになりました。この「エディブルタウン」「エディブルガーデン」とも言われる取り組みが、大阪府堺市の南に位置する泉北ニュータウンでも広がっています。

2014年、堺市が泉北ニュータウンとその周辺の地域にあるヒト・モノ・コトの魅力を発掘し発信していこうと、「泉北ニュータウン魅力発信プロジェクト(2015年11月より「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」へ改称)」を立ち上げました。

その活動の中で、2015年に「泉北をレモンの街にしよう!」「レモンを泉北の特産品にしよう!」というメンバーの声に賛同した仲間たちが集まり、レモンの苗木を販売しまちに広めるプロジェクト「泉北レモンの街ストーリー」がスタート。

一本一本のレモンの木の成長とともに、そのレモンをとりまく家族や街の人たちのストーリーもつむいでほしいという想いから「ストーリー」という言葉も付けられています。

今回は、このプロジェクトのきっかけをつくった苅谷由佳さんにまつわる「ストーリー」を紹介しましょう。

苅谷由佳(かりや・ゆか)
泉北レモンの街ストーリー」発起人・リーダー。パソコン講師として働く傍ら、2015年夏、泉北をレモンのまちにしようと活動を開始。「泉北ニュータウンまちびらき50周年事業」では、「大阪府住宅供給公社」の支援を受けて同活動を展開。青い空と緑が豊富な泉北の緑道をランニングすることが趣味のひとつ。

植え替えても生き残った自宅のレモンの木

堺市生まれの苅谷さんが泉北ニュータウンで暮らし始めたのは、長女が高校生になった時。転勤が多い旦那さんに付いてまわるかたちで富山から始まり各地を転々としていましたが、「子どもをこれ以上転校させるのはかわいそうだ」と思い、旦那さんは単身赴任に。両親の家を譲り受けるかたちでお子さん3人と堺市に戻ってきました。

ただ、苅谷さん自身は、泉北ニュータウンの家でしっかり根ざして暮らしたことはなかったため、「愛着のある地元」というわけではありませんでした。

昭和一桁生まれの母は、空襲で実家が焼けて食べることもままならない暮らしをくぐり抜けてきました。自分の庭に何か食べ物を植えていれば、何があっても生きていくことはできると思ったんでしょうね。泉北の家は建物の面積をぐっと狭めて庭をかなり広くとって土地の半分以上を畑にしていました。

庭になるたくさんのレモン。泉北の気候はレモン栽培に向いている。

畑のような庭には、はっさくやみかん、梅もあって、小豆島生まれのお父さんは、いちじくやオリーブを植えたそうです。いろいろ植えた最後、空いたところに植えたのがレモンの木だったのだとか。

苅谷さんは家族で住むことになった際、リビングの分だけ家を広げることにしたのですが、増築に必要なスペースに丁度そのレモンの木が植わっていたのだそう。

普通なら植木や専門家に頼むんですけど、当時はなんの愛着もなかったので、建築会社の方にユンボ(パワーショベル)で掘って動かしてもらったんです。「植え替えてだめになってもいいですから」と。同じように植え替えた梅と山椒はだめになったんですけど、レモンだけはその年にも実がなったんです! 今となっては「よくぞ生きてくれた」ですよね。

振り返るとまるで運命のようにも思える出来事から、苅谷さんの「レモンの街ストーリー」は始まっていました。

獲れすぎる自宅のレモンが、仲間を呼び寄せた

生き残ったレモンの木は毎年たくさんの実をつけました。獲れすぎて有り余るレモンを何とかしたいと思った苅谷さんは、出かける際には必ず持てるだけ袋に入れて、人に会えば初対面の人にも配っていたそうです。そんな時、先述の「泉北ニュータウン魅力発信プロジェクト」が始まり、興味を持った苅谷さんは参加することに。

普段からニュータウンの緑道をランニングしていた苅谷さんは、「これだけ豊かな緑がある街なのだから、レモンを街の特産品にできるのではないか」「自宅だけじゃなく街のあちこちでレモンの実がなり、爽やかな香りがする街になれるのではないか」と思うようになっていました。

そして、ある日のプロジェクトミーティングで思いきって「レモン栽培を軸にした泉北の魅力づくり」というアイデアをプレゼンしたところ、その日12名の賛同者が集まり、後日あるメンバーから苅谷さんにメールが届いたのです。そこには、泉北の未来への想いが書かれていました。

プロジェクトの第1回メンバーミーティング(2015年8月)

心が動きました。思いを同じにした人が集まっていて、みんな得意分野を持っているし、それを最大限に活かすと、ちょっとした会社くらいのノウハウでできるんじゃないかって思ったんです。私はボランティア活動にしたくなくて、ちゃんとビジネスにしたくて、そこにも賛同してくれる人が多くて、「みんなでやろう!」と。

もともとは、何でも自分でやってしまいたいタイプだという苅谷さん。趣味のマラソンもダイビングも、出場したい大会や行きたい海があれば一人で出かけていくことも多いそう。7年間勤めた会社を辞め、パソコン講師として独立したのも、自由がきくという理由からでした。

私、場所と時間が固定されるのはいやなんですよ。店舗の主よりも出張形式で、自分の好きなように交渉して仕事をするのが性に合っているんです。

個人宅などに持ち帰り家族で植樹する方も

なるほど! 「泉北レモンの街ストーリー」は、いろんな人がそれぞれ自宅や空き地などに苗木を植えて育てる「一箇所に場所と時間が固定されて」いないプロジェクトだとも言えます。だからこそ、プロジェクト化しても続けることができているのでは? そんな質問を投げかけると、こんな答えが返ってきました。

基本は一本一本と一人ひとりの関係なんですよ。苗木の無償配布は考えていません。育てたい人が自分でお金を出して買って、責任をもって育ててもらいたいんです。苗木の成長と向き合う時間のなかで一人ひとりが街の未来を想い、その未来を叶えるためにどう過ごしていくかが大事だと思っています。

つまり「泉北レモンの街ストーリー」は、単なるレモン栽培による地産地消プロジェクトではなく、レモンを通じて自分が暮らすまちとの関わり方をとらえ直す試み。だから、そこに無数の「ストーリー」が生まれるのです。

2017年版の泉北レモンが植樹された場所をマッピングした地図

泉北レモンは、50年かけて描く暮らしづくりのストーリー

苅谷さんたちはこれまで、公園でのイベントや、レモンの苗木の育て方レクチャーなどを開催しながら、少しずつプロジェクトへの賛同者を増やしてきました。SNSで「苗木オーナー」のグループをつくり、育て方のアドバイスや、情報の共有も行っています。

そして現在、泉北の街で育てられている苗木のナンバーは500番以上にもなりました。そこから集められた無農薬レモンを使ったフロマージュ、マーマレード、シロップなどのオリジナル商品も誕生。収穫季節を待ちわびる人からの問合せがあるほどに広がっています。

しかし、苅谷さんはこう言います。

このプロジェクトは、すぐに結果が出ないものだと思うんです。毎年収穫はありますけれど、それで終わりじゃなく、20年、30年、50年とかけるストーリーなんです。自分で植えた苗木はある意味で家族の一人ですよね。一緒に長い期間をどう過ごすか。日常生活とともに自分もレモンも成長していって、この街で暮らしをどうつくっていくのか。つまり、自分で暮らしをつくっていく人を増やしているんです。

地元企業と協力して商品化し、泉北ニュータウンの新しい特産品に

団地や学校といった場所にも、植樹に協力してくれる土地が広がり、子どもから大人までがレモンの成長を楽しみにしています。自分で植えたレモンの木があることが、泉北ニュータウンとの関係を密にしたり、ほかの家の苗木の成育具合が気になったり、住民同士の交流とつながりを深めています。

茶山台団地の空地にレモンを植樹する子どもたち

たくさんの団地住民さんが苗木を見守りながら暮らしています

泉北ニュータウンは2017年に「まちびらき50周年」を迎えました。今、成長するレモンの苗木を通じて、さらに「未来のこと」を楽しみにし、思いをはせる住民さんが増えています。「誕生日や結婚の記念に植樹したい」という声もよく聞くようになりました。

ありがたいことに全国から注目していただいて、私がメディアの取材を受ける機会もたくさんあります。でも、本当にすごいのはこれだけの住民さんが、それぞれにレモンを育ててくださっているということ。泉北の街を思う住民さんがこれだけいることがすごいんですよ。

かつて苅谷さんが暮らした三重県の港街の駅は、電車を降りたその瞬間から潮の香りがしたそうです。そのように、五感を通じて記憶に残る新しい街のイメージを「苗木オーナー」のみなさんと育てていくのが苅谷さんの夢なのです。

もうニュータウンの「ベッドタウン」というイメージは終わりにしましょう。泉北は、住んでいる人が街をどうしていきたかという思いをもって、それを実現できるテーマを持った街です。私、本気でさらに50年、104歳まで生きて「泉北レモンの街」を見たいと思うようになりました。

ちなみに、苅谷さんの好きな映画は『風と共に去りぬ」や『愛と青春の旅立ち』なのだとか。どちらも、豊かな土地の風景を見せてくれ、その中に人の嘉藤や成長が織り交ぜられている作品。苅谷さんの目にはきっと、列車を降りた瞬間にその香りが漂うほど街中にレモンが広がった、未来の風景が映っていることでしょう。そして、その街でつむがれる人生も。

庭先から生まれる、未来を築く力

冒頭にご紹介したイギリスの「インクレディブル・エディブル・トッドモーデン」の取り組みを始めたパム・ワーハーストは、集会所で考えたこの地道な取り組みが、年収・年齢・文化の垣根を越えて人々を結びつけ、まちを違う目で見るようになったり、リソースの活用方法を考えたり、住民の関係を新しくするのだと語っています。そして、こんなことも。

パム・ワーハーストさん 自然の力を借りて地道な活動の力を認めてもらうことによって、私たち自身が自分の力を再認識したのです。私たち一人ひとりに優しい未来を築く力があると信じられるようになったのです。(TEDSalon London Spring 2012

同じことが、日本の泉北ニュータウンで始まったばかりの「泉北レモンの街ストーリー」でも起こっています。街との関係、街の人同士の関係をつなぎなおし、小さな協力から自分たちが持つ未来を築く力に目覚め始めているのです。

あなたの家の庭にも、住んでいる街を変える「ストーリー」が植わっているかも知れません。あるいは「菜園にできる空き地はないだろうか?」、そんな見方を意識して街を歩くだけでも、未来への発見があるかも知れませんよ。