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「私、なんにも知らなかったな」。林業家・中島大輔さんとともに、東京・青梅の森を歩いて知った林業の今と未来

家業を継ぐ。
それってどんな味わいがするものでしょうか。

東京都青梅市で林業を営む中島大輔さんは、子どもの頃から森で働く父親の背中を見て育ちました。将来は家業を継ごうと考えていたものの、親からは違う仕事に就けと言い渡されます。

なぜなら、中島家が生業としてきた林業・製材業は衰退産業。昭和30年の木材自給率は90%でしたが、今では30%と激減の一途を辿っている業界です。

現在、林業家のほとんどは兼業従事者で、主な収入源が林業である世帯は全体のたった0.3%ほど。この状況では、家業を継ぎたいと思うほうがちょっと珍しい。

いったんは父親の意向を受け入れ、新卒で建売住宅専門の建設会社に入社した中島さんでしたが、31歳のとき自ら家業を継ぐ選択を、しかも専従の林業家として生きることを選びました。
それは自分の心にもっとも素直に従った結果でした。

その5年後となる2017年冬。すっかり森の人となった中島さんに、地元・青梅の森の中を案内してもらいながら、林業が結ぶ森林と私たちのかけがえのない関係を教わってきました。

中島大輔(なかじま・だいすけ)
林業家 / 中島林業。
東京都青梅市生まれ。住宅現場監督を経験後、家業である森林経営(林業)を継ぐ。林業を通じて地域の活性化を目指す。現在は所有山林をベースに、自分たちで伐って自分たちで市場に出す自伐林業を展開中。普及活動の一環として、NPO法人青梅林業研究グループなどにも所属しながら、人と森をつなぐ活動を行なっている。

Scene1 常盤林道を抜けて中島さんの山へ

お弁当持参でお越しください。
天気も良さそうなので、山でお弁当いかがでしょう?

取材前のやり取りで、中島さんからこんなメッセージが届いたから、おむすびに卵焼き、漬物を持参して、ちょっとしたハイキング気分でやってきました。最初に案内されたのは、中島さんが地元の人と共同で所有する成木地区の山林。

今年ボランティアの人たちと一緒に、山のてっぺんに見晴らしのいい展望広場をつくったそう。
そこでランチがてらお話を聞くことに。

中島さん プチ登山になるけれど、たぶん楽勝で行けると思います。

森閑とする山道を中島さんのガイドで出発しました。快晴だったけれど、足元には陽があまり落ちず薄暗い。おかげで木々の隙間から差す木漏れ日がなんだか嬉しい。

中島さん 切った木をトラックに積んで、市場に持っていって売るのが林業の仕事です。でも木を山から降ろすには道が必要でしょう? だからいつも作業道づくりから始めるんですよ。

通称ユンボ、と呼ばれるパワーショベルで土を削り取って地ならしし、水はけ用のゴム板を土から顔を覗かせた状態で埋める。ユンボを動かすのは中島さんのお父さんの仕事。お父さんは御歳70歳。忙しい時は、地元の森林組合で勤めあげた先輩に手伝ってもらう。彼らも70代。ぴょんぴょん山に登って木を切るこの現場には、36歳の中島さん以外に若手はいません。

Scene2 間伐の現場で林業の現場を知る

軽やかに山道を進む中島さんと対照的に、慣れない私は少し歩くだけで息があがる。作業道の傾斜は約10度。スキーの初心者コースと同じくらいの急勾配です。

途中、私たちは真新しい切り株の横を通りがかりました。

中島さん 一週間前に伐採したんですけど、この木はジャイアンだったんです(笑)

年輪を数えてみると、樹齢が40〜50年ほどの木だと分かりました。周りの木と比べると、突出して太く育っていたように見えます。

中島さん ここは人工林なので、みんな同時期に植えられたんですよ。なかでもこの木は一気に伸びて陽の光を独り占めして育ちました。コイツを切ることによって森に光が射し込み、周りにいるのび太くんたちの生育がよくなるんですね。

人工林をつくるとき、はじめはたくさんの苗木を植えます。そして15~20年経ったところで、一部の木や枝を切って間引きます。間伐と呼ばれる作業で、混雑した森を整え樹木の生育を促すのが目的です。

本来なら十数年ごとに間伐をくり返し木の生長を見守るのですが、この森は、中島さんが手を入れるまで何十年と放置されてきたから、ジャイアンが野放しになっていたそう。

中島さん 木材はまっすぐ太く育つ木ほど高品質で、年輪が均一で傷がないほどいいんです。いい木が育つように、下刈り・徐伐・間伐・枝打ちといった作業をして、じっと見守るのも林業家の仕事です。

林業は、材木を育ててお金に換えるまでのサイクルが想像以上に長く、人でいうと3世代に渡ります。おじいちゃんが植え、子どもが育て、孫の代でやっと伐採できるようになるのです。

同じ一次産業である農業は年単位で収穫できるし、漁業も水揚げしたらそのまま売りに出せるのに、林業だけは植えた人がその木で収入を得られません。

中島さん 将来、孫がお金にすることを思っておじいちゃんが植えたのに、放置しておくなんてありえない。出して売らなきゃ。でも今は、1日かけて3人でトラックいっぱいに木を積んでも、せいぜい3〜4万円が相場です。ホームセンターに行くと細い木材の販売価格が千円くらい。

木が育つまでの歳月と伐採作業の手間を考えると価値が見合ってないんです。今の林業家は木を売るだけでは食べていけません。

中島さんは現在、東京都産業労働局が林業のサポートを目的に給付する補助金を利用しながら事業を成り立たせています。

なかには、山を丸ごと刈り取って木材を大量生産する方法もあります。事実、日本の林業は、森林所有者から委託された事業者が大規模伐採を行なう「皆伐」が主流です。しかしこの方法だと、場合によっては周辺の生態系バランスを崩すこともあるし、再植林しても木が育つまでに、数十年とかかります。

中島さん だから僕は、森林環境を守りながら木を育て、必要な木を選んで自ら伐採し、良質な木材を生産する「択伐」という方法を選びました。これなら長期間同じ場所で、収穫しながら林業を営める持続可能性が増えるんです。

Scene3 森の境界線に立ってルーツを振り返る

しばらく歩くと、道を挟んだ両側の様子がまるで違う場所に出ました。左側は整然と樹木が立ち並び、右側の木々は自由に枝を伸ばしています。

中島さん 左が人工林、右が自然林。
同じ山でも道を境に所有者が違うので、森の様子も変わるんですよね。

中島さんが家業を継いだあと、最初にした仕事が、中島家が所有する土地の境界線の確認だったそう。中島さんは、実際に山を歩き回り、その広大さに驚きました。

中島さん 調べたら、うわ、こんなにたくさん持っているの? と。このまま放置し続ければ、山が荒れて土砂崩れを起こすなど、地域に及ぼす影響が強いなと思いました。

中島家が持つ敷地の面積は、なんと東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせたのとほぼ同じ。実は中島家、江戸時代から代々林業を営む一族で、どうやら江戸中期頃から徳川幕府の建築材を管理していたようなのです。中島さん自身は12〜13代目くらいにはなるのでは?とのこと。

この事実が、家業を継ぐ気持ちにますます火をつけたと振り返ります。

中島さん 就職するなら地元の山につながる仕事をしたいなと思って、建設会社に就職したんですよ。建設現場だったら地元の木材がお客さんに届く場面も見られると思って。

だけど現場に行くと、地元の木材なんてどこにも見当たらないわけです。あった! 木だ! と思ってもそれは輸入材か、プラスチックに木目の写真が貼ってあるのとか。

そのうち、この木材を国産材に変えるにはどうしたらいいかを考えるようになりました。うちの山から切り出せないかと調べるうちに自分のルーツを知って。今、家業が途絶えた状態なんだな、どうにかして山を受け継いでいかないと、ご先祖様に祟って出てこられたらまずいなって(笑)

2011年の東日本大震災を機に、家業を継ぐと決めた中島さんはその1年後に退職を決意しました。

Scene4 山の頂上から日本の森林問題を見渡す

どのくらい山道を登ったでしょうか。展望広場に到着です。ここは標高850m。気づけば東京スカイツリーの高さを優に超えた所にいました。広場には、“やまびこ展望台”と書かれた立て札が掲げられ、丸太でつくったベンチが置かれています。

中島さん ここは、農林業機械メーカーのやまびこさんと一緒に、社会貢献活動の一環で整備した場所なんです。初日の出がきれいに見えるビューポイントなんですよ。

森の静寂と、見渡す限りの、山、山、山。

中島さん たとえば国産材の木製のイスを買うとしますよね。それって「素敵な森から切り出した木でつくられた製品」ってイメージだと思うんです。でも皆伐で生産されたとなると、イスの故郷である山に木は1本も残っていません。そういったケースが増えているのも現実です。

こういう話って、とお弁当を広げながら私に訊ねる中島さん。

ニュースとして聞くだけだと、ぜんぜんピンとこないものですけど、
山の自然を体感しながら聞いてみると、ふしぎと響いてきません?

中島さん 一方で今、民間が所有する放置林は、国や地方自治体の税金によって整備されています。間伐して土砂崩れに強い森をつくりましょう、というものです。けれども多くが森林保全を目的に実施されるので、木はその場に切り捨てられて終わり。木材利用まで至るのは少しだけ。日本にはそんな森がたくさんあります。

そういえば来る道すがら、地面に転がっている木の残骸をいくつも見かけました。それらの間伐材は、他の人が所有するエリアのものなので、勝手に手を出せないのだそう。

こんなにたくさんの資源が転がっていても、市場には出せずに朽ちていく。買うほうは生産現場の実態を知らないまま、仕入れ値の安い輸入材や国産の皆伐材を購入していることが多い。

その結果、日本にはげ山と放置林が増えて土壌崩壊を招いているそうです。はげ山はともかく、放置林がどうして土壌崩壊につながるのでしょうか?

中島さん 木が込み合って光が入らない放置林には雑草が生えず、土壌がゆるみます。そのため、大雨が降ると土の流出が起きるんです。

おむすびを頬張りながら、私なんにも知らなかったなと、しばらく山の向こうをじっと見つめました。

Scene5 林業家の仕事を目の当たりにする

お昼ごはんの後、急いで次の山へ。「せっかくなので、紹介したい仲間がいるんです」と中島さん。案内されたのは、民家の裏手にある小さな山。

山に入ると作業をしている人たちがいました。合流して中島さんもその輪に加わります。これから枯れ木を一本切るそうです。枯れ木は乾燥や腐敗で折れやすくなっているので、事故が起きる前に伐採します。

ほかの木を傷つけないように、作業者に危険がないように、倒す方向を検討しながら慎重にチェーンソーを当てていきます。

木がゆっくりと、倒れた!

中島さんたちはこの山で、大人も子どもも揃って林業体験ができる「山守塾」の開校を目指し準備を進めています。作業がひと段落したところで、みなさんからお話を聞くことにしました。

Scene5 焚き火を囲んで山のはたらきを体感する

神棒さん この間テレビで「別に俺は山なんかなくたって生きていける」って言っている人がいて。いや、それは違うなあ、ってちょっと思ってね。

山ってね、木だけが資源じゃないんですよ。空気もつくっているし、水もきれいにして川に流してくれる。海の水が蒸発して雲になって、山に来て雨が降る。それが地に沈み込んで何年か経って川へ出て、人の飲み水になっていくわけなんですよね。

神棒さんは、林業の仕事を始めて今年で10年目。前職はトラックの運転手でした。はじめは山のヤの字も知らなかったといいます。

神棒さん 僕たちは誰もが森林に生かされてるんだよね。当たり前に恩恵を受けて見えてないだけで。もっと知ってほしいですよね、豊かな山のはたらきを。

アウトドア用の薪ストーブを囲みながら、ああ本当にそうだ、今だって木はエネルギー源となって私たちを暖めてくれている、と思いました。でもこういった直接的な体験なしには、自然への想像力を働かせるのが難しいのも事実です。

中島さん 今は地元の人も山のことをよく知らないんですよ。逆に、都会の人のほうがわざわざ足を運んでくれています。山歩きやトレランで遊びにくる人、企業のCSR活動で訪れる人、山への関わり方はさまざまです。

でもせっかくきてくれても、山との付き合い方を教えられる人がいないんですよね。だから僕らがその役割を担っていけたらと思って、山守塾の活動を始めたところなんですよ。

今日集まった仲間は、その立ち上げメンバー。みなさん、地元で森林保全や環境教育を行う青梅林業研究グループ(以下、林研)に属する現役の林業従事者です。

中島さん さっき枯れ木を切ったでしょ? ああいうことを林業従事者と都会の人が一緒にできる場にしたいんですよ。山に興味のある人が自然との関わりを学んだり、林業のスキルを研鑽できる実践的な林業塾。そんな位置付けです。

Scene6 コーヒーを飲みながら木の価値を語る

神棒さんの隣で話に耳を傾けていた福田さんも山守塾のメンバーです。50歳を過ぎてからこの世界に入った福田さんは、震災後に自営していた金属加工の仕事が激減。知人から誘われて、森の仕事を始めました。

福田さん 自分はまさに木を切ってその場に捨ててくるのが仕事です。東京都環境局が手がける森林再生事業の一環で、手入れが遅れているスギ・ヒノキの人工林に入って間伐をしています。

仕事自体は面白いんですけど、やっぱり震災以降に始めたので社会的な価値を考えてしまう。せっかく木を切ったのに、捨てるのはもったいない。どうして使わないんだろう? って。

昔の人が木材にするつもりで植えたものを、環境面だけを考えて間引いて捨てている。
お金(税金)が入るから暮らしてはいけるんだけど、でも本末転倒だよね。

神棒さん 僕も転職してしばらくは、木を倒すだけが仕事だと思っていました。会社の業務範囲しか見えていなかったんですね。

だけど林研に参加してはじめて、森に携わってきた人たちがどんな眼差しで木と接しているかを知ったんです。

「この木は成木に暮らしてきたおじいさんたちが植えたんだよ。大事に思って切らなきゃよ」って。地元の先輩から教わるまで、森の木を誰かが植えてきたという認識が全然なかったんです、ほんとに。

中島さん 今は、森林保全の名目で木の切り捨てが当たり前になっています。これを変えるには、林業という仕事の価値が正当に評価されて、国産材を買う動きにまでつながらないと。

そのためには大人はもちろん、子どもたちへも伝える必要があると考えています。だからこの場所では自然の中で幼児教育を行なう森のようちえん活動もやる予定です。とにかくさまざまなアプローチを実践しながら、林業をとりまく状況を変えていきたいんです。

Scene7 森の中で豊かさが循環する未来を描く

中島さん 僕個人が見ている最終的なビジョンは、消費者が木製品を購入するときに、「自分が買ったものは、きちんと整備された日本の森から切った木でつくられている」とわかる世の中になること。

木製品は、林業、製材業、卸売業、加工業、小売業と多くの業者を経て、消費者の手元に届くんです。だから各業界に、手をつなげる取引先を見つけて、自分の山から消費者に木製品が届くトレーサビリティな流れを一緒につくりたい。

山守塾のほうは、2018年の春、子どもたちを案内して山を歩くことを計画しています。今はその整備で山に入っている状況です。今年中に、都会の大人たちを招いて一緒に木を切ることも実現させたいですね。

神棒さん 僕は、自分の山を持ちたいです。そして、畑に野菜を採りに行くみたいに、買い手と一緒に木を切ることがもっと身近になる未来を描きながら今ここにいます。「この木がほしい」と言われたら、だだんと倒す。食える食えないは別としても、そういうことができたら嬉しいだろうなぁ。

中島さん 本来の循環につながる大きな一歩だもんね。

(インタビューここまで)

山守塾はまだこれからのプロジェクトですが、林業体験を通じて山の魅力や林業の価値を体感する人が増えたら、消費のあり方も変わってくるのではないかと感じました。――というのも以前、別の取材で聞いた言葉が、不意によみがえってきたからです。

生産者と消費者の関係は、使う人がつくれる人になったときに変わる気がするんです。
自分の手でつくった体験があれば、つくり手の手間や気持ちを想像する余地が増えるから。

その製品がどうつくられるかを少しでも経験して知っていれば、安さだけを基準に買うことはできなくなるだろうし、自分の払った金額が誰をどのくらい笑顔にできるのかがわかっていれば、買い物がもっと豊かになる。

何かを犠牲にして提供される低価格で高品質な製品・サービスや、モノの成り立ちを知らずについ使い捨ててしまう私たちの消費行動が少しずつ変わっていく予感を、私はこの成木の山のなかで静かに感じました。

(撮影: おかじましえ)