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面白いことが山のようにある。だからお金がなくてもストレスがない!「おにぎり工房かっつぁん」坂本勝彦さんがローカル起業で得た豊かさ

「この米、なんとかなんないかなぁ」

千葉県いすみ市で「おにぎり工房かっつぁん」を営む坂本勝彦さんは、いすみ市のブランド米「いすみ米」のおいしさに気づいてからというもの、そればかり考えていたそうです。そして、長年勤めていた会社を退職したあと、2011年「おにぎり工房かっつぁん」を立ち上げました。売っているのは、もちろんいすみ米を使ったおにぎりです。

じつは坂本さん、起業当初は人口の多い千葉市内に店舗を構えました。いずれは東京進出も…というひそかな野望ももっていたそうです。

しかし現在、視線の先にあるのは、地域の外というよりも、むしろ中。さまざまな経験を経た結果、店舗をけっして人口の多いとは言えないいすみ市の自宅敷地内に移転させ、より地域に根付いた働き方・稼ぎ方を実践するようになりました。バリバリのビジネスマンからおにぎり屋への転身、そして、地に足のついた商売への転換…。いったい坂本さんにどんな心境の変化があったのでしょうか。

知る人ぞ知るお米「いすみ米」とは?

定番のほか、季節の具材は地元のものから。この日はカブの葉の塩漬けのおにぎりがありました。シンプルなのに、めちゃくちゃおいしい!

「いすみ米」はいすみ市、特に旧夷隅町エリアを中心に栽培されているブランド米のこと。雨が降るとコンバインが入らないほど粘土質だといういすみ特有の土と、農業堰によって貯められたきれいな水とでつくられていて、小粒で粘りが強く、もちもちした食感が特徴のコシヒカリです。ほとんどが地元で消費されてしまうため、流通はあまりしない「知る人ぞ知るお米」なのだそう。

坂本さんは、起業する数年前、お子さんの運動会で食べたおにぎりのあまりのおいしさに衝撃を受けました。

それまでもおいしいとは思ってたんだけど、そのときに改めて「なんだ、このおいしいおにぎりは!」と。炊きたてって、どんな米でもそれなりにおいしいけど、冷めたときにうまい米が本当にうまい米なんです。いすみ米はわざと冷まして食べたいぐらい、冷めたときが本当にうまくて。それで、この米をなんとかしたいなぁと思ったのが最初のきっかけでした。

運動会でのおにぎり事件以来、頭の片隅にずっといすみ米のことがあったという坂本さん。とはいえ、お米は全国各地においしいものがたくさんあって差別化が難しいため、米を売って生計を立てることはできないだろうと考えていました。しかし、そうした冷静な判断とは裏腹に、いすみ米を売って広めたいという思いは頭から離れなかったのだそうです。

もう、そんなにお金なくてもいいか、と起業

かっつぁんこと坂本勝彦さん

坂本さんがいすみ市(旧夷隅町)に移住したのは16年も前のこと。地べたで子育てがしたいと移住先を探し、田んぼに囲まれた今の土地を気に入って、直感で購入しました。当時はまだ都内の会社に勤めていたため、通勤時間は片道2時間半。月曜日に出社して会社に泊まり込み、金曜日に帰ってくるなんてこともしょっちゅうでした。

会社には移住後も10年ほど勤めましたが、家のローンを完済したあと、独立を考え始めます。

役員にもなっていたから、サラリーマンなのに責任ばかり重くてね。もうこれ以上はいいやと思った。それにローンを返し終わっちゃったら、このあたりで暮らすのってお金がたくさんなくてもなんとかなるんですよ。だからもう、そんなにお金なくてもいいか、と(笑)

さらにある出来事が、坂本さんの独立を後押しします。

その頃たまたまね、駅ナカにおにぎり屋ができ始めた時期だったの。コンビニでも売ってるのに、さらにおにぎり屋ができて売れるのかなーって見ていたら、結構人が入っている。それで「そうか、お米をお米のまま売ることを考えるからダメなんだ。おにぎりだ!」って。

おまけにいすみ米は、冷めてもおいしいうえ、粘りが強いことからぎゅっと握らなくてもまとまるという、まさにおにぎりのためのような米。おにぎり屋というのは、いすみ米を使って起業するにはうってつけだったのです。

それにいすみは、農家の高齢化と後継者不足で田んぼをやる人がどんどん少なくなっていたんだよね。この景色に惚れて移住してきたのに田んぼがなくなって、そこに太陽光パネルが設置されたりする。もっと米を使わないと、この風景が本当になくなってしまうと思った。だから極端な話、地域の米を全量買い取るぐらいの気持ちでやらないとダメだなと。

おにぎり屋という事業形態の可能性と、かねてから感じていたという、いすみの田園風景が失われていくことへの危機感。そこから坂本さんは、急速に独立に向かい始めました。

坂本さんの自宅前の風景。遠くにいすみ鉄道が走るのも見えるこの風景が気に入り、直感で移住を決めたそう(写真提供:磯木淳寛)

やると決めたら、どうやって生き残るかを考えるだけ

とはいえ初めての飲食業、それも単価が安く、ある意味でベーシックもベーシックなおにぎりという商品。勝算はあったのでしょうか。

おにぎり屋がいけるかいけないかなんてわからなかった。ただ、やると決めたら、どうやって生き残るかを一生懸命考えるだけ。たとえば、いすみでいすみ米のおにぎりですって言ったって誰も見向きもしないでしょ。だから最初はもっと人の多いところでやることにしました。

まず、いちばん近い人口集積地はどこだろうと考え、千葉市内の全商店街をくまなく調べて回りました。約50ヶ所の中から最終的に選んだのが、千葉都市モノレールの終着駅、千城台駅にある商店街。サラリーマン時代に培ったノウハウを活かし、綿密な事業計画を考えて、事前のリサーチもしっかり行なったのです。

最初に構えた千城台の店舗

細部までリサーチして選んだ場所だったこともあり、お店の経営は順調でした。地元の人だけでなく、遠方からも訪れてもらえるようにと、ホームページを作成。当時のローカルなお店としては珍しく、ブログやツイッターなどSNSを使った情報発信もマメに行ないました。その結果、サイトを見た人がわざわざ足を運んでくれたり、テレビやラジオ、雑誌などから取材依頼が舞い込んでくるようになったのだそう。

店舗形態も工夫しました。おにぎりをメインに販売しつつ、いすみ市の特産品の販売や観光案内を行なうアンテナショップとしても機能させたのです。さらには、いすみ鉄道と千葉都市モノレール、ふたつの鉄道会社からの協力も取り付けたというから、その行動力に驚きます。

そして、このふたつの鉄道会社とのつながりが、坂本さんにいくつかの転機をもたらすことになります。

はじめは、鉄道会社のイベント開催時に、出店をお願いされるようになったんです。そのうち噂を聞きつけた、わりと大きなマーケットの主催者から、うちにも出店してみないかと声がかかるようになりました。

いすみ市周辺は、マーケット系のイベントが多いことで知られています。はじめはそんなに大きなイベントに出てもおにぎりなんか売れるわけがないと、かなり疑心暗鬼でした。しかしいざ出店してみると「不思議なことに、売れたんです(笑)」と坂本さん。

「この間買ったおにぎり本当においしかったです。次はどこのイベントに出るんですか」って聞かれたら、こっちだって嬉しいじゃないですか。惰性で買ってる感じじゃないっていうのかな。こういうお客さんは大事にしたいなって自然と思いますよね。

マーケットに来るお客さんは、食への関心や意識が高い人が多いそう。その中で、自分のつくったおにぎりを選んでくれたり、おいしいと言ってリピートしてくれるお客さんとの交流は、坂本さんにとって大きな喜びになりました。

マーケットの出店風景(写真提供:磯木淳寛)

あとは、出店の仲間ができたことも大きかった。自分は16年前に移住してきたけど、商売始めるまで、ご近所さんしか知り合いがいなかったんですよ。それがマーケットに出るようになって、爆発的に知り合いが増えた。

そのつながりの中で、みんながうちのおにぎりをおいしいって言ってくれて、(口コミで)おにぎりの価値を上げていってくれる。こんなにありがたい話はないし、これはもう、この人たちに絶対に恩返しをしなきゃならないと思ったよね。

顔の見える関係の中で商売する手応えを、坂本さんはマーケットを通じて感じ始めていました。

具材はたっぷり多めに入れるのがかっつぁん流。極力、地産地消を心がけ、どうしても手に入らない食材も、おいしいものを厳選して取り寄せています

具材をたっぷり入れるために具入りおにぎりは丸型に。粘りのあるいすみ米は手のひらで転がすだけで、こんなふうにきれいな丸型にまとまります

拡大路線から、地域に根ざした商売へ

一方、千葉都市モノレールから、駅ナカの店舗に空きがあるから出店してみないかと言われ、アンテナショップ2号店を出すなど拡大路線も模索していました。そこでふと、坂本さんは立ち止まります。

店を増やすと、どうしてもひとりでやるのが難しくなってパートを雇うでしょう。そうしたらどれだけ売上を伸ばしても、伸ばした分はパートさんのお給料や経費でなくなっちゃう。それでおれ、なんのために一生懸命やってるんだろうって。

もうそんなにお金は稼がなくてもいいやと思って独立したはずが、売上をあげていかないと事業が成り立っていかない現状。さらに、思っていた以上の速さで、商店街には高齢化の波が押し寄せて、店舗の売り上げも落ち始めていました。

このままの方向で続けてたら、何のために独立して店を始めたのかわからなくなる。経費ばっかりかけて、売上を追い回しても仕方がない。

それよりも地域に根ざして、地元を中心に、たとえばマーケットにきてくれるお客さんや出店仲間を大事にしたほうがよっぽどいいやと思うようになりました。で、その頃にはいろいろなマーケットに出店するようになっていたので、自分が出ていくと思えば、店舗は別にいすみでもいいんじゃないかってね。

ここには、面白いことが山のようにある

自宅の敷地に建てた店舗

そうして2015年10月、いすみに移転したおにぎり工房かっつあんは再スタートを切りました。現在は、店舗販売に加え、道の駅やスーパーマーケットでの委託販売、イベント出店、千葉時代に飛び込み営業をして得た、飲食店へのいすみ米の卸販売などで経営を成り立たせています。

うちはよくメディアで取材されるので、ずいぶん儲かってると思われてるみたいなんだけど、実態は本当に大変で。今だってお米の卸販売があるからなんとか生きながらえてるようなものなんです。自分でもよく持ちこたえてるなって思いますよ。

そうした厳しい現状もありのままにお話してくださった坂本さんなのですが、どことなく楽しそうだし、やめるという選択肢についてはまったく視野になさそうです。どんなに大変でも、続けていこうと思う理由はなんなのでしょうか。

うーん、やっぱり面白いからだよね。それはね、おにぎりをつくることだけが面白いっていうわけじゃなくて、それに関わるすべてのことが面白いの。イベントも面白いし、関わる人たちもみんな面白い。あとは、応援してくれる人がいっぱいいるっていうことと、とにかくこの風景をなくしたくないっていうこと。

ここには、サラリーマンをやっていたら経験できなかっただろう、面白いことが山のようにある。だから貧乏でも、笑い話にできるし、おもしろ楽しく生きていけるんだよね。

店内にはイートインスペースもあり。つくりたてのおにぎりが味わえます。「地域通貨使用できます」という看板もありました

イベントや委託販売用にパッケージされたおにぎり(写真提供:磯木淳寛)

地域に根ざした商売へと方向転換してからはや2年。現在は、坂本さん自身が仲間とともに、お米が主役のイベント「ライスデー房総」を主催したり、10軒ほどの仲間と醤油づくりを手がけるなど、商売の枠を超えて、地域コミュニティへがっつりコミットしています。起業当初には、想像もできなかった未来なのではないでしょうか。

自分ももういい歳だからさ。今後は商売を一生懸命やるっていうよりは、もっと地域に貢献したいと思っていて。それこそ昔の物々交換じゃないけど、その延長ぐらいの、地域内でお金がぐるぐる回る経済圏ができるといいよなぁっていうのは、最近、本気で思うようになってきた。だから今、地域通貨をやったりだとか、醤油づくりで仲間を増やしたりだとかもしています。

あとはそれこそ移住や起業っていう分野で何か協力やサポートをしていきたいですね。そういうことって、やっていると自然と人が集まってくるでしょう。そうすれば自分の商売にだってちゃんと返ってきて、成り立っていくはずなんだよね。

仕事の価値は、どうしても金銭のみで判断されがちです。しかしやりがいや楽しみ、ゆとり、健康など、お金ではない価値も、本来はお金と同等に存在しています。笑い合い、助け合うことのできる仲間の存在は、そうした価値を見失わず、心地良い暮らしのバランスをとることにつながっていくのではないでしょうか。

今、ストレスがまったくないんだよね。サラリーマンやってたときは、しょっちゅうストレス性なんちゃらって診断されて、そのたびに病院行って薬もらってたんだけど、この商売始めてから、風邪も引かないし病気にもならなくなった。それはストレスがないからだって、本当にね、よくわかったよ(笑)。

横のつながりの中で育む商売は、たとえ大儲けができなくても、ストレスがなく面白い。坂本さんはさまざまな出会いの中でそれを実感し、本当の豊かさに気づいていきました。

これからは、お金じゃない価値をどれだけ得られるかが重要かつ大切な時代になっていくのかもしれません。そんな予感と、ローカルで起業することの面白さを、坂本さんの生き生きとした表情の中にはっきりと感じました。今後のいすみコミュニティの広がりも、楽しみです!

いすみへの愛が感じられるお店の看板

(写真:藤 啓介)