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大事なのは、年商だけじゃない。社員みんなの幸せと「復古創新」も! 「石見銀山生活文化研究所」松場忠さんに聞く、サステナブルな企業のつくり方。

持続可能性を意味する「サステナブル」。よく聞くキーワードの一つですが、まちや会社の持続可能性は、どのようにすれば高めることができるのでしょうか。

石見銀山生活文化研究所」は、サステナブルなあり方を体現している企業の一つです。世界遺産登録された石見銀山遺跡のお膝元、人口わずか400人の島根県大田市大森町に根を張りながら、アパレルの企画・製造・販売、飲食店経営、古民家再生など幅広く手掛け、年商20億円を売り上げています。

同社の広報担当の三浦類さんと植原正太郎が対談し、会社の概要や大森町というまちについて紹介した初回に続き、今回ご登場いただくのは、松場忠さん。サステナブルな企業をつくるヒントを、松場さんに語っていただきました。

松場忠さんと妻の奈緒子さん

松場忠(まつば・ただし)
1984年生まれ、佐賀県出身。文化服装学院シューズデザイン科を卒業後、靴メーカーで靴職人として働く。その後、結婚を機に、現在の会社(株)石見銀山生活文化研究所で働き始め、群言堂の飲食店事業を担当する。2012年に大森町に移住し、現在は営業マーケティング部の部長。4人の子どもに恵まれ、大森での暮らしを楽しんでいる。

“面白い”の先にある“心地よい未来”を共有できるプロダクト

今回の連載のきっかけにもなったグリーンズTシャツ。2016年12月22日、Facebookでグリーンズの小野の投稿に、松場さんが反応したことが始まりでした。

グリーンズ的なプロダクトがほしいという趣旨の小野さんの投稿を見て「キタコレ」って思いました(笑) すぐに「うちと一緒にTシャツをつくりませんか?」ってメッセージを送ったんです。

二人はこれまでに数回しか会ったことがありませんでしたが、同い年ということと、一緒に飲んで意気投合し、盛りあがったことがあったのだそう。

グリーンズは主にメディア事業を展開し、石見銀山研究所は主にアパレル。アウトプットこそ違いますが、松場さんは「ほしい未来は、つくろう」というグリーンズの思想に、共鳴するものがあったのだと言います。

そんなやりとりを経て、Tシャツをつくるプロジェクトは動き出しました。ただ、Tシャツとは言っても、石見銀山生活文化研究所が展開しているシリーズ「里山パレット」は、単なるTシャツではありません。染料となる草木を拾って、染めてつくるという手が込んだもの。これは2014年に新ブランド「Gungendo Laboratory」を立ち上げたときに生まれたシリーズです。

里山パレットが生まれたのは、鈴木良拓くんという、植物が大好きな人が入社してきたことがきっかけでした。創業者の大吉さんも、ちょうど地域資源を使ったものづくりをしたいと思っていたので、植物を使って「なんかできんのか」って。

里山パレットでは、地域資源を活かした持続可能なものづくりを目指して、剪定された梅の枝や、木から落ちてしまったブルーベリー、拾い集めたどんぐりなどを“里山から授かった資源”として活かし、自然由来の糊と少量の化学染料を加え、色の強度を補ったボタニカルダイという手法で洋服を染めることを実践しています。

もちろん普通のTシャツの方がコストは安いです。でも、里山パレットは “面白い”の先にある“心地よい未来”という、その未来観を共有することもできるのではないかと。うちにとっても、多くの世代の人に、地域資源を生かす暮らし方で世界はよくなるんだと、知ってもらうきっかけにもなる。

持続可能性を高める“しかけ”

そもそも「Gungendo Laboratory」を立ち上げたのも、松場さんでした。2014年のことです。当時、どんな風に会社のことを見ていたのでしょうか。

創業者の登美さんがデザインする服は人気でしたが、このままではターゲットが限定的なブランドになってしまいかねないと感じていました。当社の考え方に共感して、うちで働きたいとか、ファンだと言ってくれる若い人のための商品がないよね、もっと商品を供給できるはずだよね、というのが出発点です。

ミセスを対象とした商品は、現在も「登美」というブランドで展開している

松場さん自身も、会社の考え自体は好きでしたが、個人的に買える商品が少なかったのだそう。

つまり、若い人たちとの関わり方が少ないのではないかと。今後も今までのお客様が中心になるとしても、若い人たちに向けた商品を増やしていくことで、もっと広がっていく可能性があることに気付いたんです。折角いいものをつくって、会社としての考え方を気に入ってもらっても、接点となる商品がないと、なかなか関わっているという実感が持てません。それはもったいない。

そんな問題意識を持っていた松場さん。ブランド立ち上げには、過去の経験も活かされていました。

実はこれまでも、会社としてものづくりの新しい試みをしたことはあったんですが、1回だけで終わってしまうことも多くて。メッセージや想いが伝わらないことが多かったんです。だから今回は、あらかじめ“やり続ける立て付け”にしておかないと、持続可能性がないなと思いました。

そのために松場さんが考えたのが、新しいブランドとして発信するということです。ポテンシャルが未知数なところもありましたが、新しいブランドにすれば「今だけじゃないよ、意地でもやり続けるよ」という覚悟を持った立て付けになり、持続可能性も高まると考えたのです。会社の実験室という想いを込めて、「Gungendo Laboratory」という名前をつけました。

得意分野でチャレンジしないと始まらないし、殻を破れない。

松場さんがGungendo Laboratoryという“実験場所”をつくったのは、固定化してしまわないように、という考えもありました。立ち上げから4年が経った今、事業としてきちんと成長しているのだそう。多くの人に受け入れられ、サイトやオンラインショッピングのアクセス数が伸びるなど認知度が上がってきました。

良きものは残しながら、文脈にそった変化をもたらす

このように、現在、会社の持続可能性を高めようと奮闘している松場さんは、入社7年目。入社のきっかけは、創業者の松場大吉さん・登美さん夫妻の三女・奈緒子さんと結婚したことなのだそう。2012年には、それまで住んでいた東京を離れ、大森町へ移住しました。

奈緒子は学校の同級生で、当時は石見銀山生活文化研究所のことなんて全然知らなくて。付き合い始めてすぐに「うちはこんなのやってるの」と見せられた雑誌に載っていたのが、群言堂。古いものに興味があったので「面白そうなところだねー」と話したのを覚えています。

JR高尾駅の北口にある古い木造駅舎に同社が出店したことをきっかけに、2010年3月、入社した松場さん。その後も西荻窪で古民家をリノベーションした飲食店Re:gendo(りげんどう)の立ち上げに携わりました。

東京で飲食店の立ち上げを経験するうちにだんだんと会社全体のことに興味を持つようになったのだそう。もともと生まれ育ったまちが田舎だったので、大森町に移り住むことには抵抗はなかったと言います。

2012年に移住してからは、三浦類さんと一緒に広報をしたり、オンラインサイトやオフィシャルサイトを整えたりしてきました。それは、会社の理念について掘り下げて考えていく機会でもありました。

石見銀山生活文化研究所の理念の一つに「復古創新」があります。それは、土地に根ざし、捨てられていく古き良きものから学び、時代に合わせて生かすということ。ルーツさえおさえていれば、変化していってもいいんです。

それは、良きものは残しながら、ルーツや大義がどこにあるのかを見極め、文脈にそった変化をもたらすということです。松場さんは自分が会社で果たしてきたことと照らし合わせて、自分なりの解釈を加えます。

関わり方を増やす。関わり方を増やして、関係性のあるものを増やしていく、ということになるのかもしれません。

社員みんなに幸せになってもらいたい

地元にどっしりと根を張りつつ、日本全国に店舗という形で枝葉を広げている石見銀山生活文化研究所。松場さんのまなざしは、ファンや買い手だけではなく、会社で働く人たちにも向けられています。

2017年には、クレドという会社の志をまとめたものをつくりなおしました。働きがいや関わりがい、言い換えれば余白がある会社でありブランドなんだというメッセージを届けるのが目的です。今まで、石見銀山生活文化研究所のバックボーンとなる考え方は、もっぱら創業者の登美さん、大吉さんの話す言葉の中にありました。それらをクレドとして明文化することで、より良い組織になれるのではと考えたからです。

クレドの最初の言葉は「関わる」なんです。

クレドの1ページ目には「この地に関わる全ての人の幸せと誇りのために、私たちは復古創新というモノサシで、美しい循環を継続していきます」とある

「住む」ではなくて「関わる」。石見銀山生活文化研究所の運営する店舗の多くは島根県外にあり、社員の半分以上は、本社にいません。だからこそ、そこには関係性が必要になるのだと松場さんは考えます。

社員一人ひとりの自分ごとにするためにも、関係性をきちんとつくらないといけない。石見銀山に住む人だけ“リア充”になればいいのではなくて、やっぱり社員みんなに幸せになってもらいたい。そんな思いから、この地に“住む”人ではなく“関わる”人という表現になりました。

そしてゆくゆくは、“この地”と言う表現も、自分が置かれているそれぞれの地が“この地”となれば、自分たちの暮らしはもっとしあわせになると考えています。

“発信できる人”を育てたい

このように、新しいチャレンジを実らせてきた松場さん。とはいえ、ルーツを大切にしつつ、姿を変えていくというのは、そう簡単なことではなさそうです。従来のやり方を変えるときには、どうしても抵抗がうまれるもの。松場さんはどのように対処してきたのでしょう。

なるべく大義名分を言うことでしょうか。例えば、うちの理念は「復古創新」で、良きものやルーツは残しながら変化させていくということだと最初に宣言します。

実務側からすると、やらないといけないとわかっていても、面倒くさいとかコストがかかるとかいろいろありますよね。それでも、大義はそこにあるのか、理念はこうでしょう、と話をします。

そこに立ち返るためにもクレドが役に立つそうです。さらに、新たな道を切り開くときに、松場さん流の突破の方法もあるようです。

準備万端でなんでもできればそれに越したことはないのですが、なかなかそうもいきません。準備万端だと思っていても、全然そうじゃなかったりしたこともあります。

だからこそある程度の所まで見えたり、またやるべきだと思えたら、完全でなくても進めていった方が、形になっていくと思っています。いろんなひずみが出て、精神的ダメージもそれなりにありますが、やった後で怒られて修正していった方が、結果的に前に進むということはありますよね(笑)

Gungendo Laboratoryもそういう部分が多かった気がします。

そんな松場さんは現在、営業マーケティング部部長というポジションにいます。石見銀山生活文化研究所のサステナブルな未来を、どんな風に考えているのでしょうか。

“伝え手”を育てていきたいですね。三浦類くんのようにこの町の魅力を伝えることができる人だったり、世代を問わず、店頭や本社スタッフがいろんなところで会社の話や日本のものづくりの話をしてくれたら、一番共感が広がっていく。そういった伝え手を育成するためのクレドでもあります。

東京でのイベントに登壇して参加者と話す三浦類さん

同時に、松場さんは全国に散らばる社員一人ひとりこそが、持続可能性を担っていると考えています。

社員みんなが理念と志に共感して、そこに向かって一緒にいいものをつくっていけるような形がつくれるといいですね。

松場さんが今、つくっているのが大森町のサイトです。根底に流れる考え方は、会社の魅力を知ってもらおうと“関わり方”を増やして行ったときと同じです。

4人の子どもを大森町という共同体で育ててもらっています。そのため、この町に対する愛着もありますし、いい町なのに、その良さがきちんと伝わっていなくて、もったいないという思いもあります。長い目で見たときに、この町との関わり方、関係者を増やして、関係性を広げていきたいですね。

松場さんが、グリーンズTシャツや、新しいブランドの立ち上げなど、これまで多くのプロジェクトに取り組んでいたのは、石見銀山生活文化研究所との新しい関わり方を増やし、そして、新しく関わる人を増やすことが目的でした。そうすることで、結果的に会社は強くなり、持続可能性が高まる。これからもどんな風に新しい関わり方をつくっていくのか、とても楽しみです。

自分のプロジェクトや組織、どうやったら続けることができるのか、悩んでいる方も少なくないと思います。そんな方はまず、そのプロジェクトや組織との多様な関わり方を用意することから始めてみませんか。

次回以降もgreenz.jpでは、石見銀山生活文化研究所、そして大森町のプレーヤーを紹介していきます。どうぞお楽しみに!