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若者のリアルな「根のある暮らし」を地方から全国へ。人気フリーペーパー『三浦編集長』を手掛ける三浦類さんに聞く、これからの広報紙の可能性

発行部数2万部のフリーペーパー。それが、人口400人の地方の小さなまちに本社を置く企業の広報紙だと聞くと、驚きませんか?

『三浦編集長』。この一風変わった名前のフリーペーパーは、世界遺産登録された石見銀山遺跡のお膝元、島根県大田市大森町に根を張る「石見銀山生活文化研究所」のものです。企業の広報紙なのに、企業の名前が入っていないのはなぜ? 人気の理由は? などと次々に疑問がわいてきます。

「石見銀山生活文化研究所」のシリーズ第5回に登場するのは、その『三浦編集長』を手掛ける三浦類さん。『三浦編集長』が生まれた経緯や、大切にしていること、そして、三浦さんに大きな影響を与えた、創業者である松場大吉さん、登美さん夫妻も含めた大森での働き方、暮らし方を語っていただきました。

三浦類(みうら・るい)

愛知県名古屋市で生まれ育つ。幼少期をアメリカや南アフリカで過ごし、名古屋の中学・高校を卒業後、東京外国語大学で上京。同学在学中に行われた講演会で(株)石見銀山生活文化研究所のことを知り、夏休みにインターンに行ったことをきっかけに入社を決め島根県大田市大森町に移住。大森での暮らしを楽しみながら、広報誌「三浦編集長」の発行など広報業務を担当する。趣味はフラメンコギター。

暮らしのかけらを紙面にちりばめたい

『三浦編集長』の始まりは、2013年の暮れ。三浦さんは、石見銀山生活文化研究所の会長である松場大吉さんに呼び出され、あるタブロイド紙を渡されました。

会長が「大森に暮らしながら、町の暮らしを、こんなふうに新聞にして書いてみろ。タイトルは『三浦編集長』だ」って言うんです。思わず「へっ。自分の名前をつけるんですか」ってびっくりしました(笑)

実は三浦さんは高校時代から新聞記者に憧れ、就職活動では新聞社を受験した過去を持っていました。

会長の構想の中にもともと会社としてお客さまにメッセージを伝えるツールが必要だというのはあったと思うんですが、多分、物を書くのが好きな人間に何か書かせてあげようというのがあったのではないかと。それまでは正直、自分は鳴かず飛ばずというか、仕事ができないタイプで、社内での立ち位置も定まっていなかったんですが、舞台を用意してもらった感じでした。

「面白そうだな」とワクワクしたのもつかの間。考えてみたら、三浦さんはそれまでまったくメディアづくりに関わったことがありませんでした。

何もわからなくて、本当に何をしたらいいのかまったくわからなくて。上司に相談して考えながら、近くにあるデザイン会社の「D52」に持っていきました。でも、持って行くまでに相当時間をかけました。第1号は半年かけてつくった感じですね。

結果的に落ち着いたのは、B4版タブ二つ織りのシンプルなスタイル。このスタイルは創刊号からずっと変わっていません。創刊する上で、何を大切にしたのでしょうか。

本当に自分のことだけでいいのか迷いました。でも、自分の名前を冠した媒体。会長にも会社について触れなくていいのか確認したら「気にしなくていい。いかにリアルな若者の姿を伝えられるかだ」と言われました。だから、実際に暮らしているからわかる、暮らしのかけらを紙面にちりばめたいと思いました。

創刊号の表紙には、大森に自生している、まっすぐに伸びる大きな木の写真を使いました。そして創刊のご挨拶に始まり、当時暮らしていた社員寮の解説のほか、大森の寺の住職へのインタビューやコラムなどを掲載しました。3000部を刷り、全国にある30店舗でスタッフが配ったところ、予想以上に反響がありました。

『三浦編集長』の創刊号

メールや手紙で感想が来たんです。なるほど、こういう形で読んでくれたんだ、つくったものが見てもらえたんだ、と。伝わった実感を得ました。やはり、反応が来るまではわからなかったですね。

反響の大きさに5000部を増刷して、創刊号は計8000部に。次号からは初版5000部を刷るようになり、そのうち1万部に増え、現在は2万部になりました。自社の店頭のほか、つながりのある人やオンラインショップの購入者などにダイレクトメールで送っています。

三浦さんには、特に印象に残っている記事があるといいます。2015年の第6号で紹介した、ある社員のインタビューです。

うつ病を克服したスタッフのことを書いたのですが、その記事を読んでくれた人から「自分も前の仕事で消耗して心を病んでしまったが、また前向きにがんばれそうな気がした」とお手紙をもらって。感激して、お返事を書きました。

その後も変わらず年4回、発行を続けています。ウナギを釣った、ソバを打った、「梅祭り」に参加した、同い年の島根の友人と遊んだ、愛車を買い換えた…。そんな自分自身の話題に混じって、大森の住民に話を聞くこともあります。

ふわふわっとした話じゃなくて、リアルに経験したできごとや町でのくらしの話。ネタはいくらでもありますが、年4回だと、つくったと思ったらもうすぐ次です。結果的に自分の成長や変化も表れていて、育っていくメディアというか、読者の方々には子や孫を見るように成長を見守ってもらっている感じです。

このまちの環境で働けたら幸せだと思えた

『三浦編集長』を人気の媒体へと育てた三浦さんですが、もともとは名古屋で生まれ育ち、東京の大学でスペイン語を学んでいました。どうやって、縁もゆかりもない石見銀山生活文化研究所にたどりついたのでしょうか。

高校時代からジャーナリズムに興味があって、新聞記者を目指したんですが、どこにも受からず、今考えると「就活うつ」みたいな感じでしたね。へこんで、次どうしようって。朝も起きれない、ご飯も食べられない。1年休学して復学した6月、所属していたゼミの先生から「類くん、興味ありそうだから来てみたら」と声がかかったんで、講演会に行ったんです。

ゼミの先生が定期的に開いていた、社会起業家の講演会シリーズ。そこに来ていたのが、松場大吉さんでした。

経営者だから会社の話をすると思ったら、まちの話をするんです。大森がどんなに素晴らしいまちなのか。熱がこもっていて、まちを大事に思っているのがわかりました。人柄にも、大森というまちにも興味を持ちました。

普通なら「いい話を聞いた」で終わるところですが、三浦さんは違いました。「一度大森町に行ってみたいです」と手紙書いたのです。2010年7月のことでした。

ゼミの先生が、大森町はおもしろいし、実際に行ってみたらって。丁稚奉公をお願いしてみようということになりました。先生はぼくが進路を悩んでいるのも知っていたし、仕組まれたのかもしれませんね(笑)

初めて訪れた大森町。8月15日から1ヶ月、本社での勤務や本店のカフェ、古民家を宿として運営している他郷阿部家での手伝いなどを経験しました。

他郷阿部家の玄関の佇まい

まちの人が温泉や海に遊びに連れて行ってくれて、こんな近所づきあいがあるんだ、って驚きました。オープンで、閉鎖的な感じもなさそうで好印象でした。アパートには寝に帰るだけで、隣の人も知らないという都会での生活と違って、近所と関わりながら暮らしていく。地域に暮らすということが想像できました。

とはいえ、そのときはすぐに決断したわけではありませんでした。しばらくの間は、自分の人生についてじっくり考えてみたそうです。

やっぱり次になりたい職業はないし、気持ちの振れた方に行くのが間違いないなと。大森の暮らしの豊かさを、企業活動を通じて守り生かしていくという理念にも深く共感していたし、このまちの環境で暮らしながら働けたら幸せだと思えたんです。あらためて働きたいと、また手紙を書きました。実は、その手紙を登美さんが宝物としてとってくれていたことが最近わかったんです(笑)

しばらく返事がありませんでしたが、ちょうどこの年の秋に大森でゼミ合宿があり、そのときに大吉さん、登美さんとゆっくり話したそうです。

都会で働くのと同じような給料は払えないことなどを説明されて、本当にいいのか、確認されました。新聞記者という仕事に執着する選択肢もありましたが、暮らしとか生き方を考えたら、こっちの方向に行こうと。この縁を生かさずしてどうするんだっていうのもありました。本当にそう思って心が固まっていたので、それなら、ということで入社が決まりました。

「日本の生活文化を残していきたい」という思いへの共感が
会社を存続させる

三浦さんは2011年4月、正式に入社しました。大森にある古民家を改修した社員寮で暮らしながら、本店のカフェのスタッフや本社での販売促進課を経験。その後、登美さんの秘書も務めました。

プレッシャーもあったけど、どういうつながりの中で仕事しているのか、会社の全体像が見えたことが役に立っていますね。報告や連絡が遅れて登美さんからお叱りを受けることもありましたし、考え方をたたき込まれました。

当時は若いスタッフが少なく、並行して他郷阿部家を手伝っていたこともあって、ほぼ毎日のように大吉さん、登美さんと時間を過ごしていました。

週に何回も阿部家のお客さまを接待してお話を聞いて、それがないときは、大吉さんの家で飲んでいました。一人でご飯食べることがなかったですね。みっちりと濃い時間。気に掛けてもらって、考え方や現場の空気感を感じられました。大森町の父と母、というような感じがします。

1988年の創業当初は大森の本店だけでしたが、今では全国各地に31店舗、社員は160人。着実に広がっています。

どこかで本質を求めているというか、商売していても金だけじゃない、日本の生活文化を次世代に継承していきたいという想いがあり、ぶれずに貫いています。何度も危ないときがありましたが、なんとか乗り切れている。それはその想いへのお客さまの共感が、息をつないでくれているような気がします。

松場大吉さんと登美さん

三浦さんから経営者としての大吉さんはどう見えるのでしょうか。

すごいのは、当たり前のように昨日と全然違うこと言い出すところですかね。そのときいいと思ったことを取り入れて違う考えになれる。常に自分自身をアップデートすることができるんです。「えっ」と思うけど、強い部分。事業は継続が大事で、続けていくことが理想の実現につながる。そのためにも変化しないとつながらないと身に染みているんじゃないでしょうか。

地域との関係にも学ぶところが多いと言います。特に大森は人口400人の小さなまち。地域の人たちと密接に関わっています。

登美さんは昔、「鄙のひなまつり」という女性が主役になったイベントを企画しました。いまも大森では女性が元気で、まちのイベントにも積極的に参加します。まちがより好きになり、オープンになる気運をそのまつりがつくったんじゃないかと。登美さんは自分では言いませんが、見ていてそう思います。

この仕事を通してどんな社会の実現を目指すのか

現在は、広報担当として『三浦編集長』の発行のほか、マスメディアの取材対応や視察の案内などが主な仕事です。仕事の傍ら、暮らしを楽しむことも忘れていません。例えば、最近社内で流行っているのが、チーズづくり。

フランス人のチーズ職人のワークショップがきっかけだったんですが、そのおかげで、自分でチーズがつくれるようになって、社員でチーズをつくる素を共有しています。贅沢ですよね。一から何かをつくるのが本当に楽しくて。

日常の遊びも、都会で暮らしていた頃とは180度変わったとか。

おっちゃんたちが遊びに連れ出してくれて、キノコや山菜をとったり、うなぎの釣り方、イノシシのさばきかたを教えてもらったり。身の回りのことを自分で一からできるようになるのは楽しいですよね。充実感があります。仕事を失っても生きていけるというか、生きる力がついてきているのを感じます。大森に来て8年目。楽しいし、後悔はないですね。いい選択をしたなあ、と思います。

そんな大森での暮らしぶりを自由に綴ってきた『三浦編集長』も5年が経ちました。次の20号を節目に“新装開店”することも考えています。

実は最近はすごく悩んでいて。どこに向かっているのか、これを書いて伝えた先に何が待っているのか。あまり傲慢になってもいけませんが、自分のこの仕事を通してどんな社会の実現を目指すのか、突き詰めて、それを持った上で仕事をしたいですね。絶賛、悩み中です。

この7月、社内に新しく「根のある暮らし編集室」が立ち上がりました。三浦さんを含めて4人がメンバーです。

「根のある暮らし」という名前は、大事にしてきた考え方で、ずっと言ってきました。意味を説明するのは難しいですが、ハレとケで言うと、ケの日常を楽しんで暮らす。出掛けていくよりも家に帰ってからゆっくりとコーヒーを入れたり、野菜をこだわって育てたりという、日常の中にあるのが根のある暮らし。このまちで、僕たちらしく、自分のこだわりや好きなことがちりばめられた暮らしというイメージです。

「根のある暮らし編集室」は、どんなことが役割になるのでしょうか。

やはり、暮らしや生活文化について、まだうまく発信できていないという意識があります。『三浦編集長』は足がかりにはなりましたが、いま一度、大切な暮らし方や生活文化を実践しながら発信していこうと。企業文化としては育ってきたところもありますが、まだまだ「鄙舎(茅葺きの古民家)」も有効活用できていないし、もっとみんなで一緒に食事をつくったり、地に足の着いた実践をしていったり、文化をつくりたい。発信力と文化をつくりあげていくということが期待されているところです。重いし、悩みながらの手探りですが、ワクワクします。

次世代への文化の継承。創業30周年を迎え、これこそが課題だと感じていると三浦さんは言います。

実際、会社の経営方針も、文化51%、経済49%と掲げていて、そのバランス感覚が重要です。確かに大吉さんと登美さんが築き上げてきたものはありますが、世代交代して引き継いでいきたいですね。文化的側面については、特に若いスタッフが中心になってつくっていく必要性を感じています。スピーディーにできたらいいとも思いますが、定着していくためには時間をかけて育てていくのも大切。これまでも時間をかけてここまできました。焦らずに、地に足を着けてやっていきたいです。

あくまで自分自身の暮らしから出発し、地に足を着けて、ゆっくりと、でも着実に進んできた三浦さん。『三浦編集長』の次のステージである「根のある暮らし編集室」がどんな活動をしていくのか、楽しみです。

次回以降もgreenz.jpでは、石見銀山生活文化研究所や大森町のプレーヤーを紹介していきます。どうぞお楽しみに!