みなさんは「SUP(サップ)」というマリンスポーツをご存知ですか?
ボードの上に立って、パドルを漕ぐ「Stand Up Paddleboard(スタンド・アップ・パドルボード)」の略で、ここ数年、世界中の海で人気を集めています。
金子ケニーさんは、現在、29歳のプロSUP選手。2017年の全日本SUP選手権で優勝した日本チャンピオンです。海外のレースに果敢にチャレンジし、世界中を飛び回っています。
お会いすると、とっても爽やかで、ひと目で人の良さが伝わってきます。これからお届けするのは、自然への感謝や自然と共存する暮らしの大切さを「伝える」ことに使命感を持つ、ケニーさんと海の物語です。
1988年茅ケ崎市生まれ。父の仕事のため、8歳で南カリフォルニアへ移住。小学1年時からサッカーを始め、アンダー15アメリカ代表でプレイする。プロサッカー選手を目指して17歳の時に日本に帰国し、東京Verdy Youthでプレイするが、怪我による膝手術のためサッカー選手の夢をあきらめ、国際基督教大学に進学。大学2年時に父親の影響でアウトリガーカヌーを始める。2013年よりSUPを本格的に始める。2014年に全日本SUP選手権で優勝し、2015年から海外のレースを転戦。2016シーズン、The 2nd Hong Kong International SUP Championship で優勝。2017シーズンは参戦した国内レースをすべて優勝。世界選手権12位。現在、神奈川県三浦郡葉山町在住。
物心ついた頃から、いつも海がそばにあった
今日の朝も、海に入ってきたんですよ。
そう言って、サングラスを取って、ニカッと笑う。すると、真っ白な歯がのぞく。ケニーさんは、どこか日本人離れした空気を身にまとっています。茅ヶ崎に生まれ、南カリフォルニアのサーフィンで有名な町で育ちました。
小学校にも上がらない頃から、週末は、朝早くから父親に海へ連れて行かれ、サーフィンを何時間もやらされていました。おぼれそうになって怖いし、寒いし、なんにも楽しくない。泣きながらサーフィンをしていました(笑)
ケニーさんのお父さんは、「葉山オーシャンアウトリガーカヌークラブ」代表の金子デュークさん。島から島への海峡横断をライフワークにするパドラー(漕ぐ人)で、物心つく前から、海でスパルタ教育を受けていたと言います。
8歳のとき、デュークさんの仕事の都合で、神奈川県の茅ヶ崎から南カリフォルニアへ。引っ越した先は、サーフィンが盛んなまちでした。中学1年生頃になると、当たり前のように周りの友だちが次々とサーフィンを始めるので、久々にやってみようかな、と始めたら、どっぷりとはまった。中学、高校と、学校へ行く前にサーフィンをして、学校が終わったら、またサーフィン。そんな生活を続けていました。
一方で、サッカーにも全力で取り組み、アンダー15アメリカ代表でプレイするほどに才能を開花させます。高校2年生の時に、日本のプロチームから声がかかり、帰国。ところが、高3で膝の靭帯を切るけがを負ってしまい、手術することに。進路を決める時期でもありました。どうしようか悩んだ末、プロの道はあきらめ、都内の大学への進学を決めます。
漕ぐたびに、人間本来の力を感じられる
大学に入り、久しぶりに、茅ヶ崎の海でサーフィンをすると、どこへ行っても、人混みから逃れられない。自然と向き合える場所がありませんでした。そのことをデュークさんに話すと、じゃあ、アウトリガー・カヌーで沖に出てみよう、と誘われます。
アウトリガー・カヌーは、ハワイやタヒチなど、古代のポリネシアの人々が、人力で海を渡り、島々を発見し、新天地を見つけるためにつくられたもの。有名なレースには、モロカイ島からオアフ島まで、非常に海が荒れることで有名なカイウィ海峡を越えて52kmを進むパドルレースなどがあります。
父親がカヌーをしているのは、知っていました。でも、ただ漕ぐことの何が楽しいのかと思っていたんですよね。それが沖に行くと、人もいないし、自然しかない。沖に行った時、ちょうど風が吹いて、海にうねりがあった。風上から風下に向かって漕ぐと、うねりに乗って、海を渡ることができる。なんて楽しいんだろう! そう思って、パドルスポーツにどっぷりはまりました。
ケニーさんは、自らの肩書きを “オーシャンパドラー” と名づけています。
海を漕ぐ。SUPも、カヌーも関係なく、その楽しさをいろんな人に知ってもらいたいです。今の時代、エンジン付きの乗り物に乗れば、どこまでも行ける。けれど、海の上ならエンジンに頼らなくても、手漕ぎでどこまでもいける。漕ぐたびに、人間本来の力を感じられます。このことを父から学びました。
元々、サッカーでワールドカップに出たい、という夢を持っていたケニーさん。やるからには世界大会に出よう、と練習を始め、カヌーの世界大会に出始めました。すると、今度はSUPの人気が出てきて、いつの間にかプロスポーツに。業界的にも大きくなり、プロスポーツではないカヌーの仲間たちは、SUPのプロとして活躍するようになっていました。そんな流れの中、2013年、全日本SUP選手権に参戦し、見事、優勝しました。
パドル競技中、考えることは、海が荒れているときこそ、頑張って漕ぐよりも、どれだけ波を味方につけるか。波のない水の上で世界一速く漕げる人よりも、世界一漕ぐのが遅い人が、うねりにのっている時のほうが速く進む。自然と一体になった瞬間が、最高に気持ちいいですね。
ケニーさんは、いつも風を感じて暮らしています。例えば、こんな風に。
冬に、葉山で沖から岸に向かって、風が吹くことは、あまりないかな。沖に向かって吹いている風が強いか、西の富士山から吹いてくる風が強いかのどちらか。夏は逆に、朝は穏やかで気温が上昇するとともに、沖から陸に向かって風が吹く。都内に向かって風が吹いているんです。
都会で生活をしていると、風がどちらから吹いているかを気にする人は、ごくわずかなのかもしれません。けれど、海に入り、カヌーやSUPをしていると、風の変化にすぐに気がつきます。もちろん、海の変化にも。
地球温暖化は、実際どうなの? と思っている人は多いですよね。でも、水温がここ5年ほど、リアルに温かい。子どもの頃は、冬に海に入る時、たとえば、ウェットスーツのミリ数が最低でも5mmは必要で、グローブ、ブーツもはかないと入れなかったのに、今なら、薄いウェットスーツでも十分。それは、世界中どの海へ行っても同じです。
海と自然のコンディションが整って、初めて競技ができる
ケニーさんは、普段から感謝の気持ちを込めて、海に出ます。海と自然のコンディションが整ってこそ、初めて競技ができる、と。
そのことをすごく感じたのは、東日本大震災の時です。福島の原発がある辺りは、サーフポイントが多く、いい波が立つんです。原発は海に近いところが多いので、同じようなことがまた起きてしまったら、僕たちだけではなく、子どもたちやその先の世代まで、いろんな人が海を楽しめなくなるかもしれない。そこに、すごく危機感を覚えますね。
僕にできるのは、海で起きていることをいろんな人に知ってもらうことだと思うんです。マリンスポーツが好きな人は、たとえ環境問題に関心が薄くても、海の環境には敏感だから、伝わりやすい。だからこそ、海に行く人を増やすことがカギになるのではないかと思っています。
まずはSUPやカヌーなどの楽しさを知ってもらう。海に来てもらえば、今、海で起きていることは自ずと感じてもらえるはずです。そういう路線で知ってもらうのが一番の近道だと思っています。
毎朝、電車に乗って、オフィスビルで働き、夜になって家へ帰る。その日、外で雨が降っていたのか、雪が降っていたのかさえも、わからない。そんな経験はありませんか?
残念ですけれど、自然に触れずに生活している人に、西風が吹かなくなってるんだよ、といってもピンと来ないと思うんです。別にそんなの関係なくない? と。今は便利すぎて、暮らしと自然がかけ離れすぎていると思います。本当に。
また、ケニーさんが、もうひとつデュークさんから学んだ大きなこと。それは、自然との調和と共存です。自然に勝つことは絶対できない。東日本大震災で、わたしたちはそのことを学びました。
春にデンマークへ行ったんですけれど、デンマークは自然エネルギーの割合が高いんですよね。政府が2050年までに、自然エネルギー100%を目指していて、風力発電の風車がめちゃくちゃ多いです。ロラン島では、完全に自然エネルギーだけでまかなっている。原発に頼らなくても、自然エネルギーだけでも足りるんだな、と感じました。
ケニーさんは、現在、葉山を拠点に暮らしています。日本にいるときは、毎日、およそ10kgのボードを抱えて、自宅から徒歩5分ほどのビーチへ向かいます。
海がきれいな離島に引っ越すという手もあるんですけれども、ここにいるからこそ、伝えられることも多いと思っています。東京も、湘南も近い。都会の人にとって、やっぱり身近じゃないですか。羽田まで車で1時間もかからないし、海もきれい。だから、今は葉山です。
「伝える」。そのことに、ケニーさんは使命感を持って、活動されています。
葉山では、自身が主催するカヌーやSUPの大会も開催しています。レースの前には、集まった人たちに呼びかけて、ビーチクリーンもする。そこで、海の環境のこと、自然エネルギーのことについても話し、想いを伝えています。
海は、自分が常にお世話になっている大切なフィールドです。
だからこそ、恩返しできたらいいな。そう思っています。
みなさんは、最後にいつ海へ行きましたか?
海辺を歩きながら、どこから風が吹いているのかな。そんな風に考えるだけでも、ひょっとしたら海や自然のことを考える一歩になるのかもしれません。
(写真: 濱津和貴)