いま、一部の人たちの間で「小屋」がブームになっているといいます。greenz.jpでも小屋の記事は人気を集め、さまざまな雑誌で小屋特集やMOOK出版が盛んです。
でも実際に周りで小屋に住んでいる人ってどれぐらいいるのでしょう? 私は過去に小屋の取材を何度もしていて「いいな」とは思いますが、「おじさんが趣味でログハウスを建てたいと思うのと変わらない憧れのようではないか」と感じているのも事実です。
”小屋ブーム”といわれるものの正体とは一体何なのか、先日SHIBAURA HOUSEで行われたgreen drinks Tokyo「小屋の現在地と未来」に参加して、探ってきました。
今の小屋ムーブメント(ブームから言い換えてみました)は大きく二つの流れに分けることができると思います。
一つはセカンドハウスや二拠点生活をおくるため、あるいは趣味のためのスペースといった、サブの家としての小屋。もう一つは都会の生活を離れ田舎で小さな暮らしをするための小屋です。
イベントでは、第一部で主にセカンドハウスとしての小屋について、第二部で暮らしの場としての小屋について、当事者から話を聞くことができました。
暮らしの拡張ツールとしての「小屋」は新しい消費のカタチにすぎないのか?
第一部のホストを務めたSuMiKaの佐藤純一さんはこう言います。
佐藤さん 小屋は暮らしを拡張するツールなんです。「暮らしに取り入れたら楽しい」というものを小屋というツールを使って実現する。たとえば自分は釣りが趣味なので、川の近くに小屋がほしいと思う。小屋というハードを手に入れるのが目的なのではなく、釣りをする週末を手に入れるためのツールなのです。
これは、家があってそれにプラス小屋を持つことで暮らしが豊かになるということですね。ただ、同時にこうも言います。
佐藤さん 小屋に関わっていて気づくのは、自分たちが暮らす上で何が豊かなのかということです。都市で生活するのも便利だし、それはそれで素敵だけど、小屋で求められているものというのは「創造的に、共生しながら、小さく暮らす」ことなんです。小さいからこそいろんな工夫もするし、周りと共生していくことも必要になる。そこから素敵なことが生まれてくるんだというのがやってて思う気づきなんです。
小屋には小さいがゆえの不便さがあり、それを補うためには自分で工夫をすることと、同時に助け合うこと(あるいは助けてもらうこと)も必要になる。つまり、小屋がぽーんとあるだけでは駄目で、そのコミュニティがなければ小屋によって暮らしを豊かにすることは難しい、ということなのかもしれません。
では実際に小屋を販売する現場ではどのような状況なのでしょうか? 「無印良品の小屋」を最近売り出した良品計画の高橋哲さんと、その無印の小屋が置かれて販売されているシラハマ校舎の多田朋和さんの話から考えます。
「無印良品の小屋」は、施工も含めて300万円で発売されています。千葉県南房総市白浜町のシラハマ校舎では21区画で販売し、現在までに10軒の小屋が建っているそうです。
高橋さんはこう言います。
高橋さん コンセプトは「はじまりの小屋」というもので、「気に入った場所で暮らす」ことを最大限大事にしたいと思っています。自分の好きな場所に置けば、その土地の一部としてもうひとつの暮らしができるという考えです。同時に水回りなしのシンプルなデザインであることで、そこから人と人とのつながりが生まれることも期待しています。
やはり小屋に必要なのは人とのつながり。スペースのデザインを行った多田さんはどう考えているのでしょうか。
多田さん シラハマ校舎自体がオフィス、レストラン、宿泊施設でコミュニティをつくるものです。そこに小屋暮らしのベースともなるシェアキッチンなどの施設を併設しています。シェアキッチンはシェアレストランと混在しているので、小屋で暮らす人たちだけでなく、ここに集まるあらゆる人の間にコミュニケーションが生まれると思います。
このシラハマ校舎内に無印良品の小屋を買った人は30代から50代がメイン。農的暮らしをしたり、都会でのストレスを解消したりしたい、というような人たちなんだそう。小屋で暮らすというよりは余暇の場所だということだと思います。
ただそうなると、余裕のある人々の新たな消費のカタチに過ぎないような気もしてしまいます。現代社会に疲れたからスローライフに癒やしを求める的な…
まあ、それでも、「小屋」の日常から離れた異空間という良さは実感できるでしょうし、内装はDIYできるということなので、”コヤニスト”への入口にはなるはずです。そこから小屋にどのような意味を見出していくかはその人次第ということになるのでしょう。
小屋で暮らすことへの入口として面白そうな「無印良品の小屋」に対して、「自分で小屋をつくりたい!」という人にとっての入口として面白いのがYADOKARI小屋部です。
小屋をつくると見えてくるコミュニティの意味
YADOKARI小屋部はYADOKARIのファンコミュニティから誕生した小屋づくり集団で、色々な小屋をみんなでつくるという活動を3年ほど続け、約40の小屋をつくってきたそう。小屋部の活動で心がけていることとは何か、部長の唐品知浩さんはこう言います。
唐品さん 僕らがこだわってるのは、オーナーさんと一緒につくること。住宅のように完成されたモノを引き渡すのではなく、オーナーが手を加えるということです。釘一本でも打ってもらったら愛着が湧く、それが小屋の面白さだと思ってるので、僕らは完成品を引き渡すということはしません。
つくる人たちもボランティアで集まって、みんなが少しでも自分の手で何かをすることでコミュニティが生まれます。それに、私たちは屋外で活動しているので、やっていると地元の人が遠巻きに見ていて、そのうち参加しだすんですよ。そうすると地元で友だちもできるし、オーナーさんも近所の人と今までにないコミュニケーションを取ることができるんです。だから小屋はコミュニケーションを生み出すツールだと思ってます。
「小屋をつくるコミュニティ」が、今度は「小屋で暮らす人たちの新しいコミュニティ」を生む。それが唐品さんが現場で実感していることなのです。コミュニティの重要性が最近盛んに言われていますが、社会生活を送るなかでどのようなコミュニティを求めるかは人それぞれ。小屋との関わり方もその人がどのようなコミュニティを求めるかによるのかもしれません。
小屋部がつくってきたのは小さな小屋ですが、実際に自分が住む小屋をつくってしまったのが、DIY雑誌「ドゥーパ!」編集長の豊田大作さんです。
豊田さんは、「三重県にあるお母さんの生まれ育った土地に自分で家を建てて暮らす」という目標のために小屋づくりを始めたといいます。「ドゥーパ!」の雑誌の企画として約15の小屋を建て、自分の家の庭にも小屋を建て、目標に向かって着実に進んできたそう。物置程度のものではない、実際に人が生活する小屋を自分で建てることなど本当に簡単にできるのでしょうか?
豊田さん 最初の小屋づくりは、プロが建てるのに参加して柱を立てたり釘を打ったりしただけだったんですが、それを見ていて意外と簡単だなと思いましたね。それから雑誌の企画や自分でも建ててみて、これならできると思ったんです。
今年、広さ3.6メートル×3.6メートルで、高さも3メートル以上のウッドデッキもついた小屋がすでにでき、いまは炊事棟をつくっているんだとか。そしてまずは二拠点生活を送るための準備を進めているとのこと。コミュニティづくりはこれからなのかもしれません。
「自分が住む場所をつくる」というのはDIYの究極の形だと思いますが、小屋ならそれを意外と簡単に実現できてしまうんですね。
唐品さんや豊田さんの話を聞いて思ったのは、そのDIYという要素こそが小屋の最大の魅力なのかもしれないということです。
というのも、自分(たち)で小屋をつくることによって「暮らしをつくっている」という実感を得ることができるのは、小屋が「自分らしい暮らし」をつくる場である、ということだからです。「自分らしさ」というもの自体は何であるか見えづらいものかもしれませんが、自分でつくった自分の好きなものが「自分らしいもの」であるというのはわかりやすいと思います。
そのようなものによって暮らしを築いていけば、それは「自分らしい暮らし」に近づいていくことである、そう思えるから、小屋をDIYすることが多くの人に魅力的なものに見えるのではないかと思うのです。
それは、実際に小屋に住んでいる人たちの暮らしを覗いてみるともっとわかってくるはずです。
小さな小屋での暮らしが大きなつながりを生む
SuMiKaマガジン副編集長でgreenz.jpライター/エディターでもある増村江利子さんは、長野県のトレイラーハウスで暮らしています。それまでは東京でごく普通に生活していたものが、小屋で暮らすようになってその暮らしは大きく変わったといいます。
増村さん 東京で暮らしていた頃から自分で手を動かしてみたいと思っていたんですが、小屋で暮らすようになってなんでも自分でつくるようになりました。商品を買うのではなくて自分でつくってみる。これで十分、ていうのを見つけると楽しくなっちゃうんです。
そして、同時に持っているものをどんどん減らしていきました。
増村さん 小屋は十分な広さがないので必要に迫られてということもあるんですけど、小さくする作業がすごく楽しくなりました。もともとミニマリストではありますが、加速した感じですね。電化製品も洗濯機とウォシュレットしかないですし、下着も2枚しかないんです。下着を2枚にすると毎日洗濯することになるので洋服が全て2枚ですみます。暇さえあればそうやって暮らしを小さくすることばかり考えてるんです。
増村さんはその作業を「楽しみながら消費社会から距離を置くこと」だと言います。そしてそのためにはやはり、コミュニティが必要だとも。
増村さん やはり小屋は持っている機能が小さいので、自分の家族と周囲の2〜3軒の、ご近所さんの幸せをみんなで一緒につくっていくという考え方が必要になります。誰かのために自分がアクションすればそれ以上に返ってくる、そういう社会が田舎にはあるんです。
小屋で暮らす場所として田舎が選ばれる理由はここにあるのかもしれません。都会には小屋を立てる土地がないというのももちろんありますが、支え合うコミュニティが残っているのが田舎なのです。
最後に、千葉県のいすみ市でトレイラーハウスに暮らすgreenz.jp編集長の鈴木菜央が小屋暮らしからコミュニティをつくっていくことについて話しました。
菜央 小さな暮らしをすることを求めてトレイラーハウスで暮らし始めたんですけど、その暮らしの中で他にも小屋がほしくなって、今は鶏小屋なども含めて6つ小屋があります。
ウッドデッキもみんなでつくったんですけど、その時に手伝ってくれた人が釘を打ってにっこりするんですね。その時に、その人は自分に何かをつくる力があるということを実感したんだと気づいて、そう思えるってどれだけ素晴らしいことなんだろうと思ったんです。だから、小屋をつくったり仲間と出会うことで自分の人生が豊かになってるという実感があるんです。
「小屋と関わることで人生が豊かになる、だからからこそ小屋づくりを外へと広げていくことで、関わる人たちみんなの人生が豊かになっていくのではないか」。その思いが地域の関わりへとつながっていきます。
菜央 小さく暮らすってことを始めてから、外の人と関わりを増やしていくことに楽しみを見出して、地域通貨も始めて、シェアハウスもつくって。これからはいすみで起業することを応援していきたいと思っています。
この全てが小屋と関わっているわけではもちろんありませんが、小屋を起点にさまざまなことが地域で起き、幸せなコミュニティができていく、そんなことが実際に起きようとしているのです。
「小屋」というのはもの、しかもその名の通り「小さな」ものに過ぎません。でも、そこに人が関わることでその価値はどんどん広がっていくし、広げていかなければ小屋自体の価値も小さなものにとどまってしまう。小屋と深く関わる人たちの話を聞きながらそんなことを思いました。
小屋を求めるということは、暮らしを自分でつくっていくことを求めるということで、それは必然的にコミュニティを求めることにもなる、というのが今回のイベントで私が一番感じたことでした。つまり小屋への憧れというのは、自分らしくないものが暮らしに入り込んでしまっていることへの抵抗や違和感の表れなのだろうということです。
正直なところ、私自身は多少の憧れは感じるものの、自分らしい暮らしのツールとして小屋を強く求める思いはまだ湧いてきませんでした。自分らしい暮らしをどうつくるかは人それぞれでその方法も様々。小屋はそのための強力なツールになるものの、もちろんそれだけが答えでは無いのです。
むしろはじめに小屋ありきで考えてしまうことによって、本来の目的であるはずの「自分らしい暮らし」を見失ってしまうこともあるかもしれないとも思います。「自分らしい暮らし」を追い求めていく中で、どこかのタイミングで私も小屋に出合うことがあるのかもしれません。
小屋というのが「自分らしい暮らし」を築くための強力なツールの一つであり、それを手に入れることはそんなに難しいことではないということを知ることができた今回のイベント。小屋が一部の人のブームにとどまらずムーブメントとして広がっていくためにも、小屋が持つそのような価値を多くの人に知ってもらい、関わってもらうことが大事なことなのかもしれませんね。