茨城県北西部に位置する大子町。滝や温泉などの自然のほかに、りんごやしゃもなどの産地としても有名です。そんな大子町の特産品のひとつに、漆があります。
実は茨城県は、岩手県についで全国第2位の漆産出県。さらに茨城県のほとんどの漆は大子町で産出しているといわれています。温暖な気候と水はけのよい岩盤質の土壌であることから漆の木が育つのに適した環境で、日本一とも評される質の良い漆が採集されています。
この地で、ものづくりを通して大子漆の魅力を伝えようとしているのが、木漆工芸作家の辻徹さん。辻さんは漆器をつくるだけではなく、なんと漆の木を育て、樹液を採集するところから手がけているといいます。
現在、地域の起業家人材を発掘育成する事業を進めている大子町(https://greenz.jp/2017/10/27/daigo/)。地域の資源を活かした起業や、ものづくりで生計を立てていくことへのヒントが、辻さんのストーリーにはありそうです。
東京から特急とJRを乗り継いで約3時間。辻さんを訪ねて、大子町に向かいました。
器而庵オーナー/有限会社ウエア・ウッド・ワーク代表。
1963年北海道札幌市出身。東京芸術大学大学院漆芸専攻修了。卒業後木漆工芸作家として活動。1990年美和村工芸ふれあいセンター指導員を経て、1996年に有限会社ウエア・ウッド・ワークを設立。2010年に大子漆を使ったブランド「八溝塗」を立ち上げ、大子町に古い見世蔵を改装した漆器販売店「器而庵」を開業させる。
「器而庵」と「八溝塗」のご紹介
まずは辻さんのお店「器而庵(きじあん)」をご紹介しましょう。
JR常陸大子駅前の商店街を進むと現れる重厚な建物、こちらが器而庵です。明治29年に建てられた老舗呉服店の見世蔵を利用した店舗は、国の登録有形文化財にも指定されています。
器而庵に置かれている製品は、すべて「八溝塗(やみぞぬり)」のもの。
「八溝塗」という言葉に耳慣れない方がいるかと思いますが、それもそのはず。実は辻さんが2010年に考案した漆器の名前なのです。漆の産地ではあるけれど、漆器の産地ではなかった大子の産地化を進めるためにブランディングに取り組んでいます。
辻さん 「八溝山」という茨城で一番高い山にあやかって、「八溝塗」という名前にしました。例えば「大子塗」とか地域の名前をつけてもよかったんだけど、地域をあまり限定しないほうがいいかなって。この一帯である程度同じことをやっていたら同じ名前を名乗ることができるように、山の名前にしたんです。
八溝塗の特徴は、凹凸のある素朴な仕上げであること。「高級品」と敬遠されがちな漆器を普段使いにしてほしいという思いから、小さな傷が目立ちにくく、扱いやすいつくりになっています。
「八溝塗」の漆器を気軽に手にとってもらえる場所として2010年8月にオープンしたのが器而庵です。お店の名前には、器だけで勝負しようという思いがあるのだとか。
辻さん 器而庵としては、基本的なお椀とお膳と、あとお箸ぐらいしかつくっていないんです。それ以上の開発は抑えて、あえてそれだけで勝負しています。
輪島塗や会津塗って、歴史の大前提がきちんとあって、それから新しいことにチャレンジしている。そのチャレンジを、まだブランドとして認識されていない段階で色々やってしまうと何が「八溝塗」なのかわけがわからなくなってしまうと思って。
こうして漆器の産地化に向けて、ブランディングを進める辻さん。では、漆器ブランド・八溝塗や、販売店舗・器而庵を始める背景には、どんなストーリーがあったのでしょう。
その秘密を探るために、大子町のお隣、常陸大宮市にある辻さんの工房を訪れました。
漆掻きから、仕上げの塗りまで。
分業制にしない一貫したものづくり
辻さんの工房に到着すると、入り口に積まれた様々な種類と大きさの木材に目がいきました。
中に一歩足を踏み入れると、左手には木工の加工をする機械、そして右手にはお椀型に成形された木地が。その奥には漆塗りをする部屋があるようです。
一般的に漆器の世界は分業制。漆を採集する「漆掻き」は漆掻きの職人、木工を成形する「木地づくり」は下地加工の職人がそれぞれ別々に担当するのだそう。
ところが辻さんの工房では、漆掻きから、樹液の精製、下地加工、そして漆塗りまでを一貫して手がけています。
大学で漆芸を学んだ辻さん。大子が漆の産地であることはもちろん知っていたものの、ここへやってきたのは、実は偶然でした。森林資源を使って工芸品をつくる工房の木工指導員としてやってきたのがきっかけです。
指導員として教える傍ら、自身でも作家としてものづくりをするうちに独立。有限会社ウエア・ウッド・ワークを立ち上げます。
現在のような、一貫した制作スタイルへと変わったのは、ある大きなきっかけがありました。
辻さん それまでは漆掻きの職人さんから漆を分けてもらっていたんですが、2008年に漆掻き職人の方が病気で引退することになったんです。最初は「じゃあ別の方にお願いしよう」と軽い気持ちでいたのですが、そこでどうやら漆掻き職人は70代後半の方が二人しかいないことがわかりました。
このままでは漆産業の今後が危ないのではないかと思って、そのときにいたスタッフと二人で、漆掻きを教えてもらったのがはじまりですね。
全国各地で起こっている、伝統産業における高齢化と後継者不足の問題。それを肌身で感じた瞬間でした。
それから9年、毎年6〜10月の期間は辻さんや工房で働く若手スタッフが山に入り、漆の木から樹液を採集しています。
またそれだけではなく、漆の木を植え、育てることもしています。
通常、漆から樹液を採集する期間はひと夏の間。その年に漆を掻かれた木は、掻き終わると同時に伐採されます。一方で、質量ともに十分な漆を採集できるような木になるには、最低でも10年ほどの年月が必要なのだそう。つまり、どんどん育てていかないと、漆が取れなくなってしまうのです。
辻さん 現在育てている面積は8800平米、約700本の木を管理しています。今後は、寺社仏閣の修復修繕に国産の漆を使おうという文化庁の支援もあり、2ヘクタール(東京ドームの半分ほど)まで大幅に増える予定です。
木は一箇所に固まっているわけではなく、大子町から常陸大宮のあたりに点在しています。実際に車でご案内していただくと、道路の脇など数カ所の敷地に、漆の木を見ることができました。
「本当は山奥である程度広い面積をやるほうが楽は楽なのだけど」と話す辻さん。こんな思いがあるそうです。
辻さん 漆って本来、里山に近い木なんですね。そういうことを知ってもらいたいから、なるべく人の目に触れるところに植えて、少しでも周りの人に理解を求めるようにしています。
今でこそ岩手県に次いで二番目となりましたが、茨城県はかつて日本一の漆の産地でした。大子町のある奥久慈地域では、昭和38年から40年の頃には、民家の横にも漆の木がたくさん生えていたのだそう。ところが今まで漆器だったものがプラスチック製品へと代わり、漆の需要が減るとともに、木の伐採が進みました。
昭和40年以降に生まれた世代にとっては、漆自体があまり馴染みのないものになりつつあります。
「大子町の資源である大子漆のことを、地域の人や若い世代に知ってほしい」。その思いが八溝塗を立ち上げ、発信源として漆器のお店「器而庵」をオープンする原動力になりました。
辻さん せっかく自分でとった漆だけど、自分の作品づくりに使う量はたかがしれているから、余ったものは外へ出荷することになる。
でも大子漆のことを地元の人たちにもっと知ってもらうには、漆をつかって器をつくって販売して、手にとってもらったほうがいいと思ったんです。
制作プロセスに一貫して取り組むことで、通常の国産漆を使った漆器よりも、だいぶ価格を抑えることができているそう。それ以外にもこんなメリットがあります。
辻さん 漆掻きの現場って本当に過酷なんです。夏の朝早くから山に入って、ひとりで一日中木と向き合っていないといけない。でもそうした過酷な現場を体験しているからこそ、一滴の漆を大事にして制作することができるということがあります。
さらには、伐採されてしまった漆の木は山に放置されてしまうので、なんとかしてあげたいなと思って。そこから漆の木を使った新しい作品も生まれていますね。
漆の木は柔らかいため、これまであまり木工品には使われていませんでした。でも辻さんの工房では、樹液がなくなったあとの木も、割板皿や花入れに加工され、新しい命を得ています。
八溝塗の技術を受け継ぐ、若手スタッフ
一貫した制作プロセスにこだわり、大子漆の魅力を発信するためにブランディングや店舗のオープンなど新しいことに取り組む辻さん。
そんな辻さんの工房では、ものづくりに取り組む意欲のある若いスタッフの受け入れもおこなっています。現在スタッフとして働くふたりは、もともと美術制作の経験はあるけれど、漆を扱うのはほとんど始めてだったといいます。
「学校の先生をしていたけれど、やはり自分が本当にやりたいことはものづくりだと思ってこちらにやってきた」と話すのは、工房で働いて半年になる男性スタッフの方。ひとりで制作を続けるのではなく、辻さんのもとで経験を積む道を選びます。
男性スタッフさん 辻さんの話を聞いたときに、本気でものづくりに真摯に向き合っているなということを感じて。そういう人のもとで自分もやってみたら、得るものがあるんじゃないかと思いました。実際辻さんの、素材にも制作プロセスにも妥協のない姿勢には、僕自身影響を受けています。
現在は主に漆掻きと下地加工に取り組んでいます。「漆掻きを途絶えさせないよう、漆を育ててそれを採集してというのは今後も続けていきたい」とのこと。
工房で働いて1年半になる女性スタッフの方は、1年間下地加工をして、現在は漆塗りを担当しています。
女性スタッフさん ひとつひとつ、個体差が出ないように均一に塗るというのが難しいですね。自分の作品だったらそれは味になるんですけど、販売するものなので、ムラが出ないように気をつけています。まずは漆をきちんと塗れるようになれることを目標に。やがては職人になれたらいいですね。
ものづくりで生きていくために必要なことって?
辻さんのものづくりやそれに取り組む姿勢は多くの人を惹きつけています。
でも、ものづくりで生きていくことに憧れはあっても、それだけで生計を立てていくことは大変そう。実際、美術系の学校を卒業しても、制作だけで生計を立てていける人はほんの一握りだといいます。
「どうしたら辻さんみたいになれるんでしょう?」率直に聞いてみました。
辻さん 僕は人に使われるのが嫌なので、いわゆる会社勤めはしたくなかったんです(笑) そのための努力を惜しまなかったというのはあるかな。
あとは、依頼された仕事は絶対に断らないようにしていましたね。それがたとえ、自分の制作の方向性と少し違っていたとしても。その中でできる人とのつながりが大事だと思っていました。だからネットワークをきちんとつくっておいて、次に繋げることは大切かもしれませんね。
それからもちろん、技術を磨きつづけるためにいろんなところにアンテナを伸ばしておくというのも大事です。美術館に行ったり、骨董屋に行ったり。そうやって学んだことが自分の作品づくりに生かされていると思うことがあります。
「信念をつらぬく」「つながりを大切にする」「感性を磨く」。そうしたことは、ものづくりに限らず、自分の身ひとつで生活を成り立たせていこうとするときに参考になりそうです。
私が辻さんと話していて感じたのは、辻さんの活動は届いてほしい対象が明確で、さらに対象に届くまでのプロセスが丁寧にデザインされているということ。
例えば、地域の人に漆について知ってもらうために漆の木を民家の近くに植える。漆に親しんでもらうために、手にとってもらいやすい価格と質感の日常遣いができる漆器をつくるなど。無理なく、理にかなったやり方で取り組まれていました。
「八溝塗」のブランディングについても、大学の協力を得て外側からの声を取り入れ、検証と改良を重ねたとのこと。ただのがむしゃらではない、そうしたプロセスこそ辻さんのものづくりが伝えたい人に届く由縁なのではないかと感じました。
百年つづく産地を目指して
そんな辻さんにこれからについて伺うと、見据えていたのは百年先でした。
辻さん 県の伝統工芸品には指定された八溝塗ですが、国の伝統工芸品に指定されるには、一箇所で百年以上続けている必要があるんですよ。
今7年目で、本当にまだ始めたばかりだけど、これが百年続いて、産地として認識してもらえたら、というのがひとつの目標ですね。
百年って大きな単位だけど、10年間木を育てて漆を掻く、というのを10回続けたら百年になる。僕はその頃にはもういないけれど、そうやって少しずつつないでいければいいかな、と思っています。
そのために「まずは大子漆がもっと認知されることから」と話す辻さん。現在「八溝塗」を冠しているのは辻さんの工房のみですが、漆や漆器に携わる人が増えて、同じように名乗る人が現れ、産地化することができたらと考えています。百年続く産地に向かって、挑戦はまだ始まったばかりです。
ものづくりに取り組みたい方、地域で何か仕事をしてみたい方は、大子町を訪ねてみませんか。辻さんが挑む百年の、その一歩に加わることができるかもしれません。
(撮影: 赤坂久美)
※辻さんの「辻」の字は、一点しんにょうです。
– INFORMATION –
大子町では、辻さんのようにものづくりで起業する人、地域資源を活用した小商いを始める人を応援しています。まずはイベントに参加しませんか? 詳しくは下記リンクをご参照ください。
・ 11/11 green drinks 水戸(http://peatix.com/event/312146)
・ 11/20 green drinks 東京(http://peatix.com/event/311227)