里山に住んでいる私は、地元のおじいちゃんおばあちゃんに、昔は山道を歩いて学校に通っていた、帰りが遅くなると提灯を灯して帰った、なんて話を聞くことがあります。
いつか、尋ねたことがありました。「猪や熊に遭遇したりはしないんですか?」。すると、笑ってこう返されたのです。「そんなもん、昔はちっとも出なかったよぅ」。
日本で畑が荒らされたり、家畜がやられるなどの鳥獣害が深刻になったのは、じつはここ30年程のこと。人間が、山や畑の管理をしきれなくなり、山と集落の境目が曖昧になった結果、野生動物は安易に食料調達ができる人里に降りてくるようになりました。
農家さんにとっては生活に関わる深刻な問題。ときには人間に危害が及ぶこともあり、全国的に、対策が急務とされています。
そんな中、鳥獣害対策の先駆的な取り組みを行なっていることで知られるのが、島根県美郷町の「おおち山くじら生産者組合」です。美郷町では中山間地の課題であるはずの猪の増加を逆手にとり、地域資源として活用する仕組みを10年以上前から構築してきました。
「組合の仕事に、ここにしかない価値とやり甲斐を見出している」と話すのは、美郷町に移住し、組合の運営を手がける森田朱音さんと嵇(じ)亮さん。おおち山くじら生産者組合の今とこれからを、そんなふたりの視点から伺いました。
おおち山くじら生産者組合って?
島根県邑智(おおち)郡美郷町は、島根県の中央部、広島県との県境に位置する中山間地のまちです。人口は約5,000人。雄大な江の川とその支流の浸食によって形成された急峻な地形で、まちの総面積の90%を山林が占めています。
美郷町では1990年ごろから、猪による農作物被害に悩み始めました。そこで狩猟免許を取得した農家を中心に駆除班を結成。駆除捕獲した猪を食肉利用できないかと研究を始め、2004年「おおち山くじら生産者組合」が設立されました。
もともと、急峻な地形のおかげで運動量が豊富、かつ猪が好んで食べる植物が多く生えているため、雑味がなく、肉質がいいと言われてきた美郷町の猪。冬の狩猟期には、東京の一流ホテルのレストランでも御用達になっているほど、おいしい猪肉なのだそう。
組合では、ジビエシーズンと言われる秋冬に捕獲される猪だけでなく、農作物被害が起こる春夏の駆除期の猪も、食肉として利用しています。都市部の飲食店などを中心に出荷され、今では年間400頭、町内で駆除捕獲される猪の約8割を、おおち山くじら生産者組合で取り扱っています。
組合の事業の柱は捕獲した猪の食肉製造です。そして、食すことのできない猪皮は、レザーとして活用。それでも利用できない部位はペットフードやセメント原料として活用しています。命をいただくのだから使える部分は極力使う、という理念は今に至るまで一貫しており、常に新たな活用方法を模索し続けています。
生体搬送に見る、地域の一丸さ
こうした組合の取り組みには、他地域にはない、いくつかの特色があります。
その最大の特徴が「生体搬送」を実現していることです。生体搬送とは、猪を箱罠や囲い罠で捕獲したあと、生きたまま食肉処理場まで運ぶこと。ただでさえ罠にかかり興奮状態にある猪を、搬送用の檻に1頭1頭移し、軽トラに乗せ、処理場まで運ぶ…。少し想像しただけでもその大変さは想像がつきます。繁忙期には、休む間もなく朝から晩まで、搬送が続くこともあるそうです。
しかし生体搬送には、食肉処理をするうえで多くのメリットがあります。たとえば、興奮状態の猪が落ち着くまで待つことで、余計な血の気を抑えられること。その場で処理を始めてしまうと一連の作業をすぐにやらなければいけませんが、そうでなければ慌てる必要がなくなり、処理を翌日に回すといったこともできます。
そしてもちろん、処理場ですべてを行なったほうが鮮度が保て、衛生的にも安心安全。ジビエ肉には、臭みが強いという印象を持つ人も多いかもしれませんが、こうした丁寧かつ迅速な解体処理を行なえば、臭みのない、おいしい食肉の製造につなげることができるのです。
一方で、やはり搬送の手間は大変ですし、生きたままの捕獲には猟師さんの理解と協力は必要不可欠。一朝一夕で真似できるものではなく、生体搬送をこれだけの規模で実現できているのは、美郷町以外にはまだないそうです。
もうひとつの特徴が、まさにこのこと。
つまり、地域が一丸となって組合の取り組みに協力しているのです。美郷町には狩猟免許をもっている住民が100人以上もいるのだそう。人口比で見ると、これは異例ともいえる多さだそうです。
また、猪皮を使った商品は、婦人会のみなさんが毎週1回、集会所に集まって製作。ペンケースやキーホルダー、ブックカバーなど、どれもデザイン性がよく、つくりもしっかりしていることから、お土産品として人気を博しています。
森田さん せっかく行政などが処理施設をつくっても、猟師さんは、面倒くさいからというのでそのまま山に捨ててしまったり、自分たちで直接売買して、こうした取り組みとは決別してしまうケースも多いんです。でも美郷町では、地元の人たちがちゃんと猪を施設に入れてくれる。みんなが一丸となって協力してくれるというのは、本当にすごくありがたいし、恵まれた環境だと思います。
目の前に現れた課題に、ただ必死に取り組んできた
そしてもうひとつ。森田さんや嵇さんのような若いスタッフを、他地域から積極的に入れていることも特徴といえるかもしれません。
森田さんは約3年前、組合の事業を担当する地域おこし協力隊として赴任しました。東京で働いていた時に狩猟免許を取得するなど、もともとジビエ産業に興味があった森田さん。
期間限定で島根県海士町で働き、次のステージを模索している際、個人的につながりのあった株式会社クイージの石崎社長から、美郷町で組合の仕事をやってくれる若い人を探しているという話を聞きました。
森田さん 組合は、それまでずっと地元のおっちゃんたちがやっていました。でも解体処理できる人もどんどん高齢化していくし、取り組みの幅を広げていくためにも、外から若い人を入れていかないといけないよねっていう話があったらしくて。それに乗っかってくれる人誰かいないかなっていう話を聞いて、乗っかったんです(笑)
株式会社クイージは、野生鳥獣肉を使った商品の製造や販売、経営コンサルティングなどを手掛けている会社です。組合とは2014年に製造体制の安定化と販路の拡大を目指して業務提携を結び、2015年には、美郷町と「地域活性化包括連携に関する協定」も締結しました。その一環として、美郷町内に支店をおき、若いスタッフの導入も検討されたのです。
当初は組合が直接雇用するという話もあったそうですが、なにせ初めてのこと。まずは助走期間として3年間、協力隊制度を利用させてもらい、スタートを切ることになりました。
当初、雇用されたのは森田さん含め3名のスタッフ。これまでの業務の継続と改善を地道に行なう一方で、新たに進めたのが6次産業化です。カレーのチェーン店「CoCo壱番屋」の島根県内の店舗限定で、おおち山くじらブランドの猪肉を使ったカレーを提供したり、ソーセージや缶詰などの商品化を手がけたり。
昨年から始めた缶詰は、レシピ開発を共同で行なったアクタスの店舗やオンラインショップ、地元の道の駅や東京のにほんばし島根館などで購入できるほか、鳥獣害対策の視察にやってくる方々のお土産品としても大人気となっています。
6次産業化が新たな売り上げに結びつくことはもちろんですが、これまで在庫として余りがちだった部位を活用できたり、生肉と違って各地に持っていっての販売もできるため、組合のPRもしやすくなりました。また、地域に雇用を生むことにもつながっています。
持ち帰りやすいお土産がつくれないだろうか、精肉として使いづらい部位を活用できないだろうか。「そういう目の前に現れた課題に、ただ必死に取り組んできただけ」と森田さんは話します。そうした中に、処理スタッフの増員という課題もありました。
つらい時もあるけど、それ以上に充実している
1年半ほど前、組合スタッフのブログをたまたま見て、処理スタッフを募集していることを知った嵇さん。
前職をやめ、しばらくのんびりするつもりだったという嵇さんは、大学では生物学を専攻し、解剖などの知識もあったことからこの募集に興味を持ち、メールを送りました。そこからとんとん拍子に話がまとまり、株式会社クイージ美郷支店の社員として、昨年7月に美郷町にやってきました。
猪の解体処理という珍しい職種ゆえ、募集をかけてもそれほど反応がない中、嵇さんは興味を持って問い合わせをしてくれた「レアな人物」だったそう。
処理スタッフとしての経験がまだ1年ほどの嵇さんは、ようやく仕事をひととおり覚えたばかり。現在も試練の連続だそうですが、それでも「体がつらいとか、頭がつらいってときはあるけど、ここでの仕事は面白いし充実している」と話します。
嵇さん 組合の業務は東京のクイージのスタッフを含めても4人ぐらいの規模でやっていて、何をやるにも自分たちでいろいろ決めていかないといけません。でも、決めたことはどんどん採用されて、実際にそのとおりになっていく。うまくいったりいかなかったりはあるけど、それがすごくやりがいがあるし、楽しいんです。
自分がやらなければ何も進まない。だけど、やろうとすればそれはどんどん形になる。その実感と手応えが、仕事のプロセスそのものを、彼らの自分ごとに昇華しているのでした。嵇さんの仕事は基本的には猪の解体処理なのですが、最近はつい気になった在庫管理や生産体制の管理についても改善に乗り出しているそう。
ここには、ちゃんと私たちの役割がある
じつは筆者と森田さんは、2013年に島根県海士町のまちづくり会社「株式会社巡の環」が実施した地域コーディネーター養成講座「めぐりカレッジ」中級コースの二期生同士。その関係もあり、じつは彼女が移住してまもない頃に、美郷町を訪れたことがあります。
そのとき、彼女は「ここでずっと暮らしたい」「自分の食い扶持を自分で見つけて、この仕事を続けたい」ということをきっぱりと話していました。
森田さんのように、やりたい仕事があって移住してきたミッションタイプの移住者の場合、じつはここまできっぱりと「ずっと暮らしたい」と言い切る人はあまり多くありません。なので当時、その言葉がとても印象に残っていました。今もその気持ちは変わらないのか、聞いてみました。
森田さん うん。変わらないですね。おおち山くじらの取り組みって、全国的にも最先端をいっていると思うんです。だから、ジビエ産業に関わりたい人間からすると、ここにいればいちばんに情報が入ってくるし、トライアル的な動きもいろいろできる。
あと、とにかく私はちゃんと収益を上げて、その収益で事業を回していきたかったので、補助金をほとんどもらわずにやっていることにもすごく魅力を感じています。そういういろいろな価値がここにはあるんです。
森田さん それともうひとつ。守ってもらえているっていう感じが常にある。それが本当にありがたいなって思う。
なんて言えばいいんだろう? 地域の人たちに大事にされているっていう安心感があります。山くじらの取り組みをやっているから特にそうなんじゃないかな。役場の方や地元の人がコツコツつなげてきた今までの仕組みやみんなの思いも含めて、ちゃんと私たちも一緒にやる仲間として入れ込んでもらえているって感じるんですよね。
それは、森田さんだけでなく、嵇さんも同じように思っているそう。
嵇さん 確かに、すごく必要とされてるって感じます。僕なんて、まだ美郷にきて1年の、要はよそ者です。まちの人から見たらひよっこみたいな存在だと思うんだけど、でも山くじらの事業のコアな部分をさっと任せてくれました。しかも任せるだけじゃなくて、僕が足りない部分とかしんどい部分のサポートもすごくしてくれるんです。そういうまちの許容力というか。
美郷にくるまでは、田舎って、いろいろ積み重ねて徐々に信頼してもらわないといけないものだと思っていたんです。でも美郷では、いつのまにか大事にしてもらっているんですよね。
森田さん ここには、ちゃんと私たちの役割がある。信頼して役割を投げられたら、そこから逃げたくないし、やるしかなくなるんですよ。
「自分の食い扶持を自分で稼ぐ」新会社設立へ
森田さんは今年5月で地域おこし協力隊としての3年の任期を終えました。現在は事業を継続していくための新会社設立に向けて、クイージとともに準備を進めています。いよいよ本当の本当に「自分の食い扶持を自分で稼ぐ」ことが始まります。「この事業をずっと続けていくのが、なによりの当面の目標」と言いつつ、具体的な今後の計画についても話してくれました。
森田さん 今は邑智郡の他の自治体と協定を結んで、近隣のまちからも猪が入ってくるように話を進めています。もう少し広い意味でのおおち山くじらブランドをつくっていきたいですね。
あと、飲食店に直接肉を卸すだけじゃなくて、もっと一般の人にも買ってもらえるような仕組みをつくっていこうとしています。缶詰もその一環ですけど、オンラインストアでスライスの猪鍋のセットやバーベキューのセットも売り始めました。
嵇さん 僕はとにかく人手が足りないので、まずは後輩を育てないと。…育てられるのかな、僕に(笑) わからないけど、やるしかないので頑張ります。
地域ならではの課題を、地域の特色としてプラスに転換したおおち山くじら生産者組合の取り組み。命をいただくとはどういうことか、命を相手に地域で仕事をつくるとはどういうことか。その最前線の現場には、立場を越えて手と手を取り合う一丸さと、明るく前向きな風通しの良さがありました。
それはきっと、厳しい山間部で生き抜くために自然と身についた姿勢のようなものなのかもしれません。目の前に出てきた課題にその都度向き合い、ポジティブに解決していこうという“切り拓く”精神が美郷町にはある。
だからこそ、この取り組みは地道で、力強く、たくましい。そう感じるのだと、思いました。
この先もますます、鳥獣害対策の重要性は増していくでしょう。その先頭を走り、野生動物と人間との共存を模索する「おおち山くじら生産者組合」がどう歩みを進めていくのか。今後の展開も楽しみです!
– INFORMATION –
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本物の肉を楽しみたい方へ。野生の子イノシシで作る無添加『原木骨付きハム』作り!
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