旅先の土地がすごく好きになるかどうかは、出会った人による。旅人と魅力的なまちの人をつなぎ、良い流れを巻き起こす場所をつくりたいですね。
そう語るのは、2017年3月に、神奈川県小田原市の「宮小路」と呼ばれる、ちょっぴり怪しげなネオンが光る旧歓楽街にゲストハウス「Good Trip Hostel & Bar」をオープンした、中村力弥さん。
元カメラマンで、通称“リッキーさん”。本人は口下手と言いますが、発する言葉から優しさがにじみ出ていて、初対面の時から、もう何度も会ったことがあるような気にさせてくれる人柄です。
それにしても、小田原でゲストハウス? と驚かれる方もいるかもしれません。現在の小田原観光と言えば、パッと思いつくのは小田原城で、多くの観光客は箱根への乗り換えのために通過するだけで、去って行きます。
けれど、どのまちにも必ずディープでおもしろい場所は隠れているものです。
小田原は、江戸時代以降、東海道五十三次屈指の宿場町として栄えたまち。
東海道と甲州道が交差する一角にある宮小路エリアは、当時から料亭や銘店、飲食店などが軒を連ねる華やかな歓楽街で、ここで生まれ育った山居是文さんによると、バブルの頃までは空き店舗も無く、非常に賑やかだったのだとか。時代とともに、老舗のいくつかは姿を消してしまったものの、今も個性的な夜のお店が息づいています。
そんな宮小路で、旅人と魅力的な地元の人を結び、新しいカタチの観光を切り開こうとするリッキーさんに、その想いを語ってもらいました。
1984年小田原市国府津生まれ。東京で3年間のカメラのスタジオ勤務を経て独立。フリーランスのカメラマンとして仕事をしながら、1~3ヶ月ほどのまとまった休みを取り、ひとり旅へ。2009年に奄美大島に皆既日食を見に行ったことを皮切りに、北から南まで国内中をバイクで走らせて旅をし、東南アジアやオーストラリアなど海外へのひとり旅経験も。2014年に長野県長野市のゲストハウス「1166バックパッカーズ」で半年間ヘルパーを経験し、札幌市のゲストハウス「TIME PEACE APARTMENT」で、約1年半マネージャーを務める。2017年3月「Good Trip Hostel & Bar」をオープン。
バイクに乗って、あてのない旅へ
小田原駅東口から歩いて、15分ほど。「Good Trip Hostel & Bar」は、「宮小路」という地名の由来になった松原神社のすぐ近くにあります。取材時間に合わせ、軒先で待っていてくれたリッキーさんを見つけ、かけ寄ると、ほんわかとした優しい笑顔で、ゲストハウス1階のレトロなバーへと案内してくれました。
8年前、奄美大島へ初めてひとり旅をした時に出会った友達に、このバーカウンターも、真ん中のテーブルもつくってもらったんですよ。当時、彼は全国を周る旅人だったんですけど、今は鉄家具職人になって。旅で出会った後も、ずっとつながっているんです。
バーカウンターにつき、よくスナックで使われているような椅子に腰かけると、嬉しそうにそんなことを語ってくれました。
リッキーさんが初めてひとり旅をしたのは、ちょっと遅咲きの24歳の時。奄美大島で、皆既日食が見られると知り、400ccの中型バイクの免許を取り、旅に出ました。
最初はひとり旅が不安だったんです。孤独でストイックな旅をイメージしていて、テントや寝袋も持っていきました。
でも、ゲストハウスという宿泊施設があるみたいだから、よくわからないけど、泊まってみようかなと思って泊まったら、そこのおじちゃんとおばちゃんがすごく優しくて。1日目から友達もできて、一緒に川へ魚を獲りに行ったりして、めっちゃ楽しいじゃん!って。それがはじまりでした。
それからは、すっかり旅が好きになり、フリーランスのカメラマンとしてお金を貯めては、旅先で出会った人の「ここが良かったよ」という情報を頼りに、次の旅先へ。国内だけでなく、東南アジアやオーストラリアなどへも訪れました。
あてのない旅が好きなんです。初めての旅以来、何が起きるかわからないことが楽しくて。その日に宿を探し、そこで情報を仕入れて、次の日に出かけていく感じですね。
カメラマンからゲストハウスオーナーへ
ゲストハウスを開こうと思ったきっかけは、何だったのでしょう?
とくに大きなきっかけはないのですが、旅を経験する中で、だんだんと気持ちが高まっていった感じです。
カメラの仕事は楽しいし、好きでした。でも、何かが違った。おもにカタログの撮影をしていたんですが、直接、喜んでくれる人の笑顔を見られなかったんですよね。もちろん、クライアントは喜んでくれるんですけれど。
リッキーさんがカメラマンをめざした背景には、こんなエピソードがあります。
小学生の時に、担任の先生がすごいカメラが好きで、みんなの写真を撮ってくれて、その写真をいつもくれていたんですよ。それが嬉しくて。自分も写真を撮って、誰かを喜ばせることができたらいいな、と思ったんです。
けれど、カメラマンになったリッキーさんが撮る対象は、人ではなくいつも物でした。
何でですかねー。人にカメラを向けられなかった。見つめられなかったんです。人の目の前に立って、シャッターを切るにはパワーがいる。だから、僕にはじっとしている物の方が向いていました。暗いスタジオの中で、いいね、みたいな(笑)
旅をしている時も、写真はほとんど撮らなかったというリッキーさん。じっと見つめて人を撮るには、シャイで、優しすぎたのかもしれません。
大きなきっかけこそなかったものの、「絶対、やるぞ」と決めたのは、2014年の春でした。2012年に旅先で訪れた、札幌のゲストハウス「TIME PEACE APARTMENT」のオーナーに、いつかゲストハウスを開きたいと夢を語っていた時、長野県長野市の「1166バックパッカーズ」がいいよ、と教えてもらいます。
行ってみると、本当に良いところで、2014年に宿のヘルパーの募集を見つけ、期間限定で働くことにしたのです。「1166バックパッカーズ」と言えば、国内外問わず、若いバックパッカーの間では、かなりの有名宿。どんなことを吸収してきたのでしょうか?
ホスピタリティがさりげないんです。あるのかないのかわからないほどにさらっとしている。それが施設内にも表れていて、快適に過ごせるように細やかな気づかいがちりばめられていました。
旅の情報が入手しやすいように、マップを制作して、営業時間や電話番号まで載せていたり。かゆくなる前にかいておく、そんな感じでした。
そのホスピタリティをしっかりと受け継いでいるリッキーさんは、取材中もとてもさりげなくお茶を足してくれたり、おやつを出してくれたりします。けれど、ここにたどり着くまで、オーナーの飯室織絵さんには、ずいぶん厳しいことも言われたそうです。
いろんな面で、僕は全然ダメだったんです。そもそも、社会人としてのマナーがなってない、と。そこからやり直した方がいいと指摘され、ビジネス書を何冊も読みました。
ヘルパーとして働く前に、僕がゲストハウスを開業したい、と言っていたので、できる限りのことを伝えたい、とかなり親身になって、教えていただきました。
まったく異業種への転職。思うようにはいきません。期限だった約6ヶ月間はまたたく間に過ぎ、さぁ、これからどうしようかと考えていると、札幌の「TIME PEACE APARTMENT」のオーナーから連絡が入り、「マネージャーが辞めることになったので、宿の運営をしてみないか?」とのお誘いを受けます。
正直、僕でいいのかな? という感じでした。でも、オーナーである平野仁さんから「リッキーなら大丈夫だから」と背中を押してもらって、挑戦してみることにしました。
数え切れないほどの友達に手伝ってもらい、
ゲストハウスオープンへ
札幌で1年半ほど宿を運営し、2016年にリッキーさんは生まれ育ったまち・小田原へ戻ってきました。さまざまな道を模索した結果、やはり地元で自分の店を開くことに決めたのです。
とは言え、イチからゲストハウスを開くなんて、初めてのこと。何か役立つものはないかと、情報をチェックしていると、地域情報誌『タウンニュース』で小田原市の行政や商工会議所などが開く「おだわら起業スクール」を見つけ、「行っておくと、いいことあるかも」と受講することに。そこで、創業のための知識や会計の仕組みなど、基礎的なことを学びます。
さらに、札幌に旅立つ前に一度会って、すぐに仲良くなったという「旧三福」の山居是文さんに、実践編の「第3新創業塾」もあるよ、と教えてもらい、受講してみることに。そこでは、クラウドファンディングに成功した人の体験談や、自分のお店のブランド力を上げる講座など、とても実践に役立つ話が聞けたと言います。
卒業の前には事業計画の提出もあり、観光庁のホームページで、小田原の観光需要や外国人割合の増加率、年間宿泊者数、1日あたりの宿泊可能人数と稼働率などをチェック。
宿が足りないことがわかったので、これはイケるなと思い、最終的な決断ができました。塾に参加したことで、主催者の商工会や銀行の方とも知り合うことができ、一番のネックだった融資の話もスムーズだったので、宿を開くことに対する不安はありませんでした。
こうして小田原の創業支援の仕組みを利用しながら起業の準備を整えると同時に、物件探しも進めていました。自分の足で歩き、ここぞと思った物件を見つけ、「旧三福不動産」を開業していた山居さんに相談。家主との交渉に入ってもらったものの、長期に渡るなど苦戦し、その代わりに紹介してもらったのが、現在の築約35年、元レストランの物件でした。
宿としてはかなり改装する必要があったものの、レトロな雰囲気が良く、バーを開きたいと考えていたので、水まわりやキッチンがしっかりしていることもありがたかった。ただ、物件のある宮小路エリアには、一抹の不安も感じていたそう。
宮小路といえば、小さい頃はあまり近寄っちゃいけないと言われていたエリアで、最初はここでいいのかな、という不安は少しありました。でも、結果オーライでした。
というのも、思っていた以上に宮小路がおもしろい場所だったのです。
個性的な飲み屋さんが多いんですよ。そういうお店は、ちゃんと生き残ってる。お店の人に魅力があって、人間味があるって言うのかな?
小田原の人の特徴だと思うんですけど、見ず知らずの人よりも、「誰かの友達」とか「誰かの紹介」と言うと、一気に距離が縮まるんです。ほんとに。宿に泊まりに来てくれたお客さんにも僕の知ってるお店を紹介すると、みんな良かった~と言って、喜んで帰って来てくれます。
とくに、リッキーさんのお気に入りはゲストハウスから徒歩1分にある居酒屋「なおえ」。リッキーさんのお母さんよりも年上と思われる女性店主は金髪で、とにかくハデハデ。よくピカソの絵みたいなエプロンを着ている。そんななおえさんのことが大好きなのだと言います。
口は悪いんですけど、すごく可愛がってくれて。僕の宿でもバーは開いているけれど、ドリンクのみにしていて、食事は外で食べてもらう。魅力的なまちの人をもっと知ってもらいたいんです。
宮小路で宿をやれば、泊まる人は必然的に、小田原の奥まったところを見てもらえる。続けることで認知度が上がり、人気のエリアになってくれたら。そんな想いもあると言います。
そして、このゲストハウスのオープンを語る上で外せない存在が、リッキーさんが旅先で出会った数え切れないほどの友達。
物件を自分の手でリノベーションしようと決め、Facebookで告知すると、多くの友達から「手伝えるけど、行ってもいい?」と連絡があり、その中の2人は、4ヶ月間も住み込みで手伝ってくれたそうです。
最初は、1人でもできるかな? なんて思っていたのですが、無謀でした。手伝ってくれると言ってもらえたので、じゃあ良かったら、なんていう感じだったのですが、ひとりでは絶対無理で、彼らがいなかったら、完成しませんでした。
この日、泊まっていた20代頃のお客さんも、リッキーさんが札幌で働いていた時に出会い、宿のオープンを知り、はるばる韓国から遊びに来ていました。
旅をして、まだ見ぬ友達に会いに行く
最後に、リッキーさんにとって「旅」とは? そんなちょっと大きなことを聞いてみました。
友達に会いにいくような感覚です。ただ、その友達はまだ会ったことのない人で、これから探しに行くような感じかな?
リッキーさんのほしい未来は、毎日笑って過ごせること。それを実現するためには、“友達”が大きな大きな存在なのでしょう。
それから、インタビューのなかで印象的だったことをひとつ。それは、私が「ゲストハウスに泊まっても、長く続く友達ができたことがないなぁ」とぽろりとこぼした時のこと。ずっとやわらかなものの言い方で話していたリッキーさんが、きっぱりとこう言いました。
僕がいれば、大丈夫。みんなをつなげるのが得意なんで。
「Good Trip Hostel & Bar」には、オープン以来、世界から、全国から、近隣のまちから様々な旅人がやって来ています。人と人をつなぐことが得意なリッキーさんが、さりげなく旅人同士をつなげ、彼らに魅力的な地元の人を紹介する。そうすることで、旅人にとって、まちやまちの人がぐっと身近になり、また訪れたいまちになる。
これまでの観光と言えば、いわゆる観光スポットを訪れ、それでおしまいでした。けれど、町で暮らす人と仲良くなれば、自然とまた会いたいという気持ちが芽生え、また遊びに来てくれるかもしれない。もっと言えば、ひょっとしたら、住んでみたいと思ってくれるかもしれない。そう思ってくれる人をひとりでも多く増やすこと。これこそが、これからの新しい観光のカタチなのかもしれません。
「Good Trip Hostel & Bar」を拠点に、小田原に暮らすように旅をしてみませんか?
上浦未来(かみうら・みく)
フリーライター。1984年愛知県瀬戸市生まれ。神奈川県の大磯町で開かれている「大磯市」の取材をきっかけに、2015年に東京の根津から大磯へ。旅もの、体験ルポ、人物インタビューなど、雑誌からウェブ媒体まで幅広く記事を書いています。
(Photo by Photo Office Wacca: Kouki Otsuka)