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「電力界のサードウェーブコーヒーの立ち位置を狙っています」。たったひとりで電力会社をつくり、利益の半分でソーシャルアクションを行う「株式会社HappyEnergy」

6年前に起こった東日本大震災。未曾有の自然災害は、日本という国と自治体、そしてぼくたち個人に厳しい試練を与えました。でも、それは同時に、今まで、平和というぬるま湯に浸かっていたことで見えていなかった様々な問題を可視化させたことでもありました。「日本が変わるきっかけを与えてくれた」とポジティブにとらえることで前に進む。そんな考え方も必要なのかもしれません。

特に原発の問題には、我々が生きるために必要な電気をどうするかという、とても大事な問題を突きつけられました。そのような状況のなかで始まった電力自由化。国民の選択肢が広がるのはとてもいいことだと思います。

株式会社HappyEnergy」は、そんな電力自由化にともなってできた、ちょっと変わった電力会社です。主に東京電力の管轄地域をターゲットとした電力会社なのですが、3つの特長があります。

ひとつ目は、東電よりも3%安い値段で電力を供給すること。ふたつ目は、できるだけオーガニックな、再生可能エネルギーを使った電力にすること。具体的には太陽光発電や水力発電のことです。今は約20%ほどですが、今後、取材活動などを通して、よりその割合を広げていく予定です。みっつ目は、ソーシャルアクション(社会貢献活動)をなんと利益の半分を使ってやっていくということ。

具体的には、子ども(コミュニティ)食堂や、シングル女性のためのキャリア講座、子ども向けのYouTube講座などなど。都会の中でコミュニティを再生することによって少しでも社会に役立つことができればと模索しながら日々企画中なのだそうです。

電気を通じて社会貢献を目指すHappyEnergyのロゴデザイン。

はじめまして。ライターの神田と申します。去年の4月から電力自由化がはじまりました。今回取材させていただいた「HappyEnergy」の西本良行さんは実はぼくの高校の先輩なのですが、たまたま話す機会があり、とっても面白い取り組みをされていると知り、ゆっくり話を聞かせてもらう機会を設けていただきました。

(右)が西本良行さん。

西本さんはこれまで、よしもとクリエイティブ・エージェンシーで、お笑い芸人を使った地域起こしプロジェクトなどに携わってきており、震災後にその経験を活かして地方で何かできないかと会社を辞め、ひとり行動に移した人です。

西本さん よしもとでは、吉本の中で余っている芸人さんを使ってどう商売するか、を考えてやっていた。でも、震災で原発が爆発し、ぼくの住んでいた埼玉の狭山市でも流通が混乱して物を買いに行っても何もない。ガソリンを入れるにも、ガソリンスタンド自体が閉まっている。これはなんという脆い社会の上に乗っかっているんだと思ったんですね。お金を持っていても物が買えないってこういうことなんだと、体験しちゃったんです。

計画停電について当時を振り返る。

狭山市は計画停電がひどかった地域。当時、子どもが3歳で、妻のおなかにもうひとり子どもがいた西本さん。「自分が吉本でしがない稼ぎを持っていたところで、地震1発で何もサバイブできない。これはまずい…」と思い始めます。

埼玉県の狭山市を走るのは西武電車。当時はその電車が、計画停電のため途中までしか動かず、通勤もできませんでした。隣の町内会には明かりが点いていましたが、西本さんの住む町内会はいつも6時から計画停電。「調べると毎日私の地域が計画停電対象区域だった」といいます。

西本さん すっかり今の世の中に違和感を感じてしまって、よしもとを辞め、京都のある過疎地域にひとり移住して有機栽培の米づくりの挑戦をはじめました。当時は、震災のゴタゴタを体験しちゃってるもんだから‟革命を起こさないといけない!”というぐらいの凄い熱量だったわけです。ところが当時の西日本は、それほど震災の影響も受けておらずのんびりしたもので、「村のルールに従え」とくる。

熱量が上がっている西本さんがはっきりとモノを言い返すと、煙たがられる。やがて、‟暑苦しい奴、うるさい奴が来た”と集合体からどんどん浮いていき、1年半経つと最後にはたんぼも畑も貸してもらえなくなるという事態に。

京都で挫折して東京に戻った西本さん。次に何をやろうかと考えます。しかし、田舎から情報を発信していくこと、東京ではないところからコンテンツをつくっていくということに対しての欲求はまだまだ残っていたことに自分自身気づいたそう。

そんなときに、「田舎のエジソンを探しています」というキャッチコピーで求人をおこなっていた、ある会社に出会ったそうです。それが鹿児島県日置市にある田舎の小さなプロパンガス会社「太陽ガス」でした。

日置市は人口約5万人、高齢化率45%ほどの典型的な日本の田舎の町。「太陽ガス」は、そんな環境で「会社としてどのように生き残るのか?」と、「耕作放棄地の持ち主から‟うちの土地を何かに使えないか?”と毎日のように相談されること」の両方を解決するアプローチとして、耕作放棄地で再生可能エルギーの発電所をつくってその利益で地域を再生していこうと計画していました。

「田舎に移住して自給自足することは思いのほか大変だった」。

   
   
西本さんは以前から考えていた地方発信の取り組みを実現させようと「技術者でも開発者でもない立場からプロジェクトをマネジメントしたり、コンテンツをつくるということはできるから、一緒にやりませんか?」と自分自身を売り込みに行きました。こうして、東京にいながらにして「太陽ガス」の地域再生のプロジェクトに関わっていくということになったのが、HappyEnergy事業のそもそもの始まりだったのです。

西本さん プロジェクトに少しづつ関わるうちにいくつかの問題が見えてきました。当時、電力自由化が近づいてきている割には、世間が盛り上がってなかった。そして、同じようなマインドで電力会社をつくる人たちは他の地域にも出てきているのに情報が少ない。それでこの問題を解決するために自分達で情報発信しよう!ということで私が発起人となり東京の友人の協力を得て、ウェブマガジンを立ち上げたんです。

ウェブマガジンの立ち上げについて熱く語る西本さん。(右)


  
同じような危機感・志を持つ人たちとさらにつながる意味も含めて。それがウェブマガジンの「HappyEnergy」でした。最初は全国の市民発電プロジェクトの宣伝や、情報配信、コミュニケーションツールとしてスタート。ソーシャル的意味合いは全然なく、再生可能エネルギーがみんなに普及していけばいいと思っていたんだそうです。

取材先の人たちはみんな社会的な意義も持ち、けっして儲かってはいなかったけど、自分の意思でやっている人たちばかりだったそう。ただ、西本さんが取材をしてみてわかったのは、人とコミュニケーションを取るのが苦手な人や猪突猛進してしまう人が多いということ。「このままでは、再生可能エネルギーをやっている人は特別だと思われたままになってしまう」という危機感を覚えたといいます。

そんなときに、西本さんは貧困状態にある子どもをサポートするひとつの方法として無料で食事を提供する「子供食堂」という取組みがあることを知ります。「1人でできる社会貢献活動としてこれはいい」と西本さんは思いました。

西本さんの「子供食堂」は、もちろん食材などは西本さん自身が自腹で購入。子どもたちに食事をふるまいながら、再生可能エネルギーをやっている人と現役子育て世代とが交流する場とし、公民館や知り合いの会社のスペースでカレーをつくって、芸人さんたちの寄席も見てもらえるスタイルで毎月一回東京・埼玉で開催し始めます。そんなふうにして、ソーシャルアクションははじまったのです。

ソーシャルアクションで大人気の子供食堂の様子。

西本さん それから、シングルマザーと子育てママ向けのお金の勉強会も開くようになり、子供食堂と両方で毎月大体4つから、多いときで5つくらいのソーシャルアクションをやりだしたんです。再生可能エネルギーの発電で世の中を良くしようとする人も孤立しているし、子育てしている人も孤立している。そういう人たちを少しでもつなげていきたかったんです。

東京はほっておいてくれる都市ですが、そのかわり仲良くなりたくてもそのきっかけがなかなか生まれにくく、孤立しやすい都市でもあります。それはコインの表裏ともいえる現象です。

西本さん こうしたアクションで、電力事情に興味のない子どもの両親とエコな人たちとの出会いをつくることができる。この場をキッカケに税金のようになにも考えずに支払っている電気代の支払い先を値段もほとんど一緒のHappyEnergyでんきに変えるだけでちょっとずつ世の中が暮らしやすくなれば最高ですね。

「周りにいる人たちを食堂でつなげれば、それほど手間がかからず思いやりをつなげていく社会が実現できるのでは?その考えが、独立してHappyEnergyを法人化させることにつながっていったんです」と西本さん。
 

ソーシャルアクションで人気のイベントのひとつ、散髪。

その後、ソーシャルアクションの参加人数は徐々に増え、西本さんは太陽ガスの代理店として2016年11月11日にいよいよソーシャルアクションに力を入れた電力会社としてHappyEnergyを法人化。電気の販売を開始します。
たったひとりで地道な営業活動とウェブマーケティングをおこない、ゆっくりながらも確実に利用者を増やしています。

ソーシャルアクションから、電力事業まで、西本さんのこだわりはひとりでやること。

西本さん 敬愛する北山耕平さんの「世の中をよくするためには一人でできることから始めなさい」という言葉に触発されて。ひとりでできる範囲からはじめたほうがかっこいい。考えれば考えるほど深い言葉だと思います。

大阪のカフェ、アマントで行われたソーシャルアクションの立て看板。

   

HappyEnergyは現在、まだ投資段階で、必ずしも利益が出ていないので、西本さんは他の仕事をしながらの生活をしています。でも、西本さんは電気のことだけでなく、その先の社会のことも考えています。「安くて便利な大手の企業がやっていることに乗っかれば便利だけれど、それに乗った結果、どういう街ができるのか。国や行政に頼らずつながりで生きていくことが理想の社会をつくる第一歩」と語ります。 

西本さん 芸人さんやミュージシャンなどの表現で生きている人たちだけでなく、自分の意見を主張することさえも難しい社会になってきていて、どこか暮らしにくい。みんな長いものに巻かれろ的にサラリーマン化していることの気持ち悪さがあるというか。そういう人たちを含めマイノリティーな存在が救われる社会になればいいなと。

前職からの人間関係を活かして、ボランティアで毎回芸人が食堂に来場し月替わりでこども寄席を開催。(今回は、おしどりのマコとケンが来場。)

ソーシャルアクションがまちを元気にし、結果的に多様性のあるまちをつくり、人間づくりに貢献することができる。そんな思いで、西本さんは今日も新しいソーシャルアクションの企画を考えています。また、HappyEnergyは、さきほども述べたように、利益の50%をソーシャルアクション(社会貢献活動)に使うことにしています。

西本さん 50%は、結果的にわかったことですが、HappyEnergyが会社を続けていく上でソーシャルアクションにかけられる最大限の支出です。でも、それはマンパワーが少ない仕組みだからこそできることだとも思っています。実際に動いているのはぼく1人ですから。電力界のサードウェーブコーヒーの立ち位置を狙っています。

サードウェーブコーヒーのような立ち位置を狙っているとは具体的にはどういうことなんでしょうか。
また、その結果、どんな社会が待っているのでしょうか。

西本さん そんなに大きなものではなくて、気軽に出会えるような兄ちゃんがやっているというところです。この世の中のヒエラルキーというものを、もうちょっとフラットにできたらなというのがぼくの目指すべき目標です。具体的には、個人商店や、中小企業が、栄えて、多様性のある街が活気にあふれるような状況にしたい。HappyEnergyの利用者の数がそのためのひとつの指針になると思っています。

最後に外に出てカメラを。決意が現れた表情。

東日本大震災からもう6年が経ちました。こんな大災害でも、人々は容赦なく忘れていきます。我々ができることは英米文学者の吉田健一が書いた「戰争に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」という言葉を実践すること。戦争ではないですが、ぼくたち国民が、毎日の生活のなかで、自分が美しいと思ったものを選択していくこと。それは十分政治的で、より良い世の中をつくっていくことでもあります。

震災がもたらした悲しい出来事を覚えていること。毎年震災にまつわる行事に参加すること。それらを続けていくこと。それが美しい生活というものではないでしょうか。それは電気の選択においても十分に適応されるものだと思います。

(Text: 神田桂一)
(Photo: tonegawa haruka)

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