上の写真に写るのはこの物語の主役、東京都羽村市のマミーショッピングセンター商店会(通称「マミー商店街」)です。計23軒の貸店舗中12軒は空き物件で、シャッターが降りたまま。西友、いなげや、アルプスと、近隣には大型スーパーが集まり、はたから見ればかなりの劣勢。
しかしマミー商店街は、2016年10月に2日で800人を集客したほどのイベント企画力を持ち、第8回東京都商店街グランプリで、100店舗や200店舗は当たり前という並みいる大規模商店街と肩を並べ、優秀賞と奨励賞をダブル受賞。東京都から「他の小規模商店会の模範となりうる」というお墨付きも得ました。
では、この小さな商店街が集客できる裏側には、どんな作戦が隠れているのでしょう?
内情を探るべく、マミー商店街の商店会会長・中村秀敏さん(マミー商店街の精肉店「とりいち」店主)を直撃しました!
商店会長/有限会社 鳥市商店店主。「いつでもどこでもモノが買える時代になったからこそ、買い物の楽しさと大切さを感じてほしい、と思っています。商店街のおじさんたちと話すと、商品の価値を知ることができる。ここだけのお得な話もできる。大切なお金を大切なモノと交換する場として、商店街が持つ役割は大きい。初めてのおこづかいを握りしめた子どもも、ワクワクしながら安心して買い物ができる商店街でいたいと思います」。ふらい工房「とりいち」ホームページ https://www.tori-1.jp/
イベントを打ち上げ花火にしない心得
マミー商店街の特徴は、なんといってもイベントの企画数です!
2002年に初めて企画した夏祭りを皮切りに、8月と12月を除く毎月第3日曜開催の「日曜の市」は、2004年に始めた朝市から数えて13年で120回以上実施。そのほか、商店街の夜をイルミネーション空間に変えるマミー宵の市や仮装した子どもたちであふれるマミーハロウィーンフェスタなども企画してきました。
そんなマミー商店街に注目した明星大学から声がかかり、羽村市や青梅信用金庫などと協力して、職業体験教室も企画。2016年には実際に空き店舗を利用して、大学生による駄菓子屋を、3ヶ月間、営業しました。
それら産学官金が協力した取り組みが評価され、先述の第8回東京都商店街グランプリで優秀賞と奨励賞をダブル受賞。マミー商店街は高く評価されました。
またマミー商店街では、通常営業の売上を高めるため、PR活動にも力を入れています。
中小企業診断士の協力を得て商圏を特定し、チラシの配布計画を策定。JR青梅線「羽村駅」から徒歩17分も離れているため、駅周辺となる西側は避けて、商店街より東側に6000枚を配布しました。個人店主たちが一致団結して、みんなでPRに励み、商店街を盛り上げています。
イベントって打ち上げ花火なの。そのあとの売上につながるかっていえば、つながらない。でも、発信し続けることで商店街の存在を知ってもらえる。それはのちのち、必ず、目にはわからなくても、何かの時に新しいお客さんが来てくれるきっかけになる。
イベントのみの費用対効果ではマイナス。でもそれをどう考えるか。大事なのは、考え方だけなんだ。
中村さんが「考え方」を強調するのは、今のようにマミー商店街が企画力を持つまでに、長い悪戦苦闘の年月を経てきたからです。
なかなか成果が出ないマミー暗黒期
マミー商店街の悪戦苦闘は商店街が開業した年にさかのぼります。1972年に羽村団地が建った2年後、近隣住民の暮らしを支えるためマミー商店街は誕生しました。開業当初、青果店や精肉店をはじめ、なんでもそろうマミー商店街は多くの人でにぎわいました。
それがその後10年で近隣に大型スーパーが増え、卸値に近い価格で商品を販売するスーパーとの価格競争になり、どんどん客足が減っていきます。商店街の開業当時には20店舗入っていましたが、最も少ない時で10店舗を切るほどになりました。
どうにかしないと、食えなくなる……。
営業を続けている店主たちは危機感を覚えて、2004年にはじめてのイベントとして夏祭りを企画しました。その夏祭りは成功し、商店会の会合で「来年も続けよう!」という声があがりました。しかし、そのとき店主同士の意識のズレが明るみに出たのです。
「いいよ、やんなくて」
「俺はやらないよ」
夏祭りに反対する商店主が現れ、それでもやったほうがいいと考えた商店主だけで翌年の夏祭りをやることに。でもやっぱり、商店街全体で発信できないと、人は集まりません。
2004年からの4年間、マミー商店街の商店会会長は持ち回りでした。ある人が会長のときは何もしない。ある人が会長になれば少し何かする。今のように一致団結して商店街を盛り上げるマミー商店街の姿はまったくなかったのです。
そんなマミー商店街が一丸となったきっかけは、2007年にはじめた朝市でした。
夏祭りがうまくいかず、「もうイベントはやめちゃおうか」と話す中、「よそで朝市をやっているから、うちでもやってみよう」という意見が出て、さっそく企画。初開催の朝市は、朝9時から開始して30分で全店完売するほどの大盛況でした。
それを1年続けた結果、夏祭りに反対した商店主たちに変化が現れます。
「一緒にやってみない?」って声をかけたら乗ってきてくれた。きっと誘われるのを待っていたのかもしれないね。
目に見えた成果が人を変える。だからそれまでは、あきらめないで自分たちの力でふんばる。危機を打破したいと思ってイベントを続けてきた商店主たちの根気強さが、商店会をひとつにまとめたのです。
一致団結したマミー商店街に、もう怖いものはない! ……と思いきや、新たな課題があらわれます。
新しい課題を解決した発想転換
マミー商店街の新たな課題とは、意外にも、商店街がひとつにまとまるきっかけになった朝市をはじめた結果、生まれてきてしまったものでした。
朝市は、開催できても朝からせいぜい10時半まで。終わればパタッとお客さんはいなくなる。朝市の売上自体は良かったけど、それ以外の売上は閑散としたもので、大した成果にならなかったんだよ。
朝市が終わると、各店舗はそれぞれで通常営業します。午後に向けて自分のお店の開店準備をするため、1日に2回も準備に時間を取られてしまい、結果、1日の売上としては期待した伸びが得られませんでした。
しかし、そこはマミー商店街。他の商店会とは違いました。「やっぱり朝市もダメじゃん」とやめてしまうことはなく、発想の転換を試みたのです。
朝市は朝しかできないから、じゃあ日曜市にしようよって話し合いました。日曜市なら1日中やっていられる。午後から自分のお店の開店準備をしなきゃいけない朝市に比べて、準備も楽だし、これはいいねと。すると、売上まで上がった。
1日中開催している日曜市は、お客さんにとって「いつ行ってもいい」という安心感を生みました。急いで早朝買いに来なくてもいいぶん、来てくれる人が増えたのだそう。「今日は日曜市の日だね」という認知も広がりました。
そのおかげで、1日の売上が1.5倍になりました!
1日中やっているとイベントらしさはないじゃないですか。でもそれが目に見えた売上につながって、良い意味で誤算でした。
マミー商店街の「日曜の市」は、今ではこの商店街の顔のひとつ。120回以上を数えるほど継続できるイベントになりました。
とにかく発信し続けること。これをやめたら商店街は終わり。
マミー商店街はイベントをただのお祭り騒ぎで終わらせず、商店街に日常的に来てもらうためのしかけに育てました。育てられたのは、諦めなかった商店主たちの考え方と、まずはやってみて、結果を見てからまた考えるという行動姿勢のたまものです。
そんな、ひとときの盛り上がりに流されないで日常の商売を大事にする考え方は、路面店での仕事のあり方にも現れているようです。
商店街は買い物の学び場
マミー商店街の商店主たちが毎日どんなふうに働いているのか。代表して、商店会会長の中村さんが自身のお店「とりいち」を例に教えてくれました。
とりいちは中村さんの父・鉄雄(てつお)さんが開業した鶏肉の卸売り店。新宿区で営んでいましたが、マミー商店街の完成1ヵ月後に羽村市へ移ってきました。
中村さんは、学生時代からアルバイトスタッフとして、とりいちで働き、羽村市への移転時期に結婚。マミー商店街でも3年間は鉄雄さんと一緒にとりいちで働いたそうです。
昔の人は「見て覚えろ」なんで。一言、「仕事は盗むもんだ」ってことは教わって、あとは父の姿を見て覚えた。でも、それがあったおかげで今があるね。
鉄雄さんから店を継いだあと、中村さんはとりいちで本格的に鶏肉以外の肉も扱うようになります。同じ肉とはいえ、豚肉や牛肉を扱ってこなかった中村さんは鶏肉以外のさばき方を詳しく知りませんでした。
当時はインターネットもないからね。調べようがないわけよ。肉の筋がどこについてるか、適当にやってみて、ある程度、頭に入ったらあとは問屋さんに聞いて覚えた。
「ちょっと教えてくれる?」って。「わからないから見せて!」って。「俺がやってたのと似てるな」とか「こういう風にやるのか」とか、見て覚えた。
仕入先から豚肉や牛肉の扱い方を教えてもらい、とりいちの品揃えを広げていった中村さんは、店先で教え教わる関係を大事にしています。とりいちの店頭で向き合うお客さんにとっては、中村さんが教える役です。
例えば、余った唐揚げなら、「翌日ならケチャップと酢で味付けして野菜と合わせれば酢豚みたいになって美味しいよ」と教えてあげるのだそう。お客さんはとっても喜んでくれます!
中村さんは、お店を介したコミュニケーションこそ、商店街の(そして路面店の)大事な仕事だと感じています。
本来の買い物って、「これください」ってお金を出して、「はいどうぞ」って品物を渡し、「ありがとうございます!」ってやりとりがある。
そういうやりとりを体験して、はじめて買い物がどんなことなのかわかるんだよね。特に子どもにとっては、そういう経験が大事だよ。
買い物を通じて、日常的に接し合う中から学び取ってもらえることは、商品の知識だけではありません。働く姿もそのひとつ。そんな商店街での買い物を体験した子なら、「万引きだってしようとは思わなくなるもんだ」と中村さんは考えています。
そうそう、中村さんは特に子どもへの思い入れを強く持っています。その結果、2日間で800人を集客するイベントを開催することにもつながりました。
800人が集まった子どもが主役のイベント
マミー商店街の近くには松林小学校、羽村第二中学校、羽村高校など、公立校がたくさんあります。例えばとりいちには、部活後に中学のバレーボール部の先生が部員の人数分コロッケを買い、子どもたちがそれを食べに寄る、といった子どもたちとの交流があります。
そんなマミー商店街で、子どもたち向けの新しいイベントを開催したのが2016年10月。そのイベントは、結果的に2日間で800人を動員することになった、子どもたちによる演奏会です。
近隣の公立校に声をかけて、吹奏楽部や管楽バンドが出演。地域住民と一緒に、とても盛り上がりました。
商店街にとっても予想外の反響で、嬉しい悲鳴になったこの演奏会にも、イベントをお祭り騒ぎで終わらせないような工夫をしていきたいそうです。
地域に長く伝わるお祭りのひとつのように演奏会を続けていって、子どもの演奏会の会場としても商店街を使っていってもらおうと考えてます。
日頃の買い物から、月に1度の日曜市や毎年恒例の催し物まで、マミー商店街ではいろんなスケールで「日常」をとらえて、商店街の営みを育てています。
そんなマミー商店街が目指す、これからの商店街は?
ともに地域を盛り上げる、広場のような商店街です。今までも、これからも、子どもにも老人にも優しい商店街として続けていきます。
お年寄りにとって、「日常的な買い物の場=商店街」を残しながら、子どもにとって、「買い物を教えてもらう場=商店街」を機能させていく。そんな地域にとって必要とされる商店街を、これからもマミー商店街はつくっていきます!
(写真:袴田和彦)
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