木質バイオマス普及活動のリーダー。
あるいは、ペレットに“恋”をした男。
長谷川順一さんは、そんなふうに形容されることの多い方です。岩手県陸前高田市に生まれ育ち、家業である建設業を継ぎ、津波で社屋を失った東日本大震災後、再生可能な木質バイオマスを陸前高田から全国に広めたいと、エネルギー事業を開始。2014年には、地元産木質バイオマスによる熱エネルギーを活かした宿泊・滞在施設「箱根山テラス」もオープンさせました。
ユニークなキャラクターも手伝って、今や全国から木質バイオマスに関するイベントや講演に引っ張りだこの多忙な毎日を送っています。
そんな長谷川さんを訪ねて「箱根山テラス」に足を運んだのは、昨年12月のこと。木質バイオマスについてガッツリ勉強させていただこう。そんな心持ちでインタビューに臨んだ私を前に、長谷川さんの口から最初に飛び出したのは、
「ペレットとかバイオマスなんて、極論どうでもいいんですよ」
という言葉でした。
「どうでもいい」。もちろんこれは、愛情の裏返しの表現だったりもするのですが、この言葉の背景には、長谷川さんの未来への強い願いがこめられていました。その本当の意図を探るべく、まずは「箱根山テラス」の散策から、はじめてみましょう。
“木と人をいかす”宿泊・滞在施設「箱根山テラス」
陸前高田市の海辺に広がる中心街から、少し内陸へ。細く急な坂道を車で5分ほど登ると、突然、洗練された雰囲気の建物が目に飛び込んできます。
ここが、「箱根山テラス」。和洋あわせて全14室からなる小さな宿泊施設ですが、正面に広田湾を見渡す広大なテラスとカフェ&バー、ワークショップルームなど、人々の“居場所”としての機能も充実。訪れる人々の多様なニーズに応えてくれる陸前高田の新しい拠点です。
箱根山テラス最大の魅力は、何と言っても、その居心地の良さ。センター棟には、十数名で囲める大きなテーブルひとつからなるカフェがあり、テラス側には絶景を望む特等席も用意されています。仲間とひとつのテーブルを囲むも良し、ひとりで海を見ながらぼーっと過ごすのも良し。仕事を持ち込んでも捗りそう。懐の広さを感じる空間設計です。
そしてそのセンター棟の中心に佇み、さらなる心地良さを演出してくれているのが、この時期大活躍のペレットストーブです。
「カランコロン」。時折聞こえてくるのは、ペレットが燃焼ポットに落ちる音。火を眺めるというビジュアル的なぬくもりに加え、温風ではなく輻射熱と遠赤外線によってあたためられた空気に部屋中が包まれ、身も心もホカホカになっていくのを感じます。
このペレットストーブの燃料は、地元の森林の間伐材や樹皮を、地元の工場で加工した、純地元産木質ペレット。今後はペレットボイラーも導入し、訪れる人々の疲れを癒やす絶景大浴場をつくる計画もあるのだとか。豊かな森林に囲まれた陸前高田の地域性を活かし、電気に頼らない熱エネルギー供給の実現を目指しています。
とはいえ、「この場所は、何を押し付けるわけでもない」と、長谷川さん。
私はエネルギーのことをやっているし、自然に負荷をかけない生活をするべきだという価値観がある。けれども、お泊りや休みに来てくれるお客さんに「こうじゃなきゃダメだよ」と言う気は一切ないんです。それはこっちの都合であって、お客さまの都合じゃないので。
いかにストレスなくお客さまに過ごしてもらえるか、を最優先に考えています。
2014年秋のオープンから3年目に入った「箱根山テラス」。今では、特に広報宣伝活動をせずとも全国から人が訪れるようになりました。
「あの経験をして、何が残せるのか?」
冒頭でも触れた通り、長谷川さんはもともとこのまちで、建設業を営んでいた方。なぜバイオマスエネルギー普及に取り組み、それを活かした宿泊施設をオープンさせたのでしょうか。その想いの源は、やはり東日本大震災にありました。
震災を経験して、エネルギーをはじめ、さまざまな問題に直面しました。私自身も会社を津波に流されて。何から手をつけていいか分からない複雑な思いの中で、「俺はあれを経験して何が残せるのか?」ってバカ真面目に考えたんですよね。
悩んだ末に、いかに物事をローカルにできるか、いかに自然に寄り添えるか、というところが自分の中にキーワードとして上がってきました。自然の中では人間はすごくちっぽけな存在なので、“自然に寄り添う”なんておこがましいですが。
「それともうひとつ」と、長谷川さんは続けます。
このまち(陸前高田)がなくなるかもしれない、という危機感ですよね。津波でまちがなくなって、若い人からもお歳を召されている方からも、「ここは住める環境じゃない」と思われて、どんどん人がいなくなるんじゃないかって。
ひとつのきっかけとして、「人の居場所」と「働き場所」は意識的につくっていかないと、このまちの未来はないよな、っていうのがあったんですね。
東日本大震災により、市内で商工業を営む事業者およそ699社のうち86.4%にあたる604社が全壊流出し、営業活動ができない状況に陥ったという陸前高田のまち。
自然と寄り添うこと、人の居場所と働き場所をつくること。津波に飲み込まれたまちの情景を目の当たりにした長谷川さんの切実なる想いをかたちにしたのが、地域の豊かな森林資源を活かした木質バイオマス、なかでも木質ペレットを使った熱エネルギーの普及活動でした。
隣の住田町は“林業日本一”を掲げているまち。陸前高田も含め、木質資源には恵まれています。でも木質バイオマス発電は技術面や規模感を含め時期尚早だと判断し、まずは熱エネルギーでいこうと決めました。
こうして震災から約1年後、長谷川さんは、地元のお祭りや復興祭に出店するなど、ペレットストーブを軸に木質バイオマスによる熱エネルギーの地道な普及活動をはじめました。
そんなときに耳にしたのが、宿泊施設をつくる計画。もともと自然の中の保育園“森の学校”をつくりたいという想いから、高台に土地を取得していた長谷川さん。事業者の方に「どこかいい場所知らない?」と聞かれ、“口が滑って”「ありますよ」と答えてしまったのだとか。
結局、無償で土地を貸し、長谷川さんの会社「長谷川建設」が施工を担当することになり、計画がスタート。でもその2年後、建物の基礎が打ち終わった段階で、事業の継続が難しい状況に陥ってしまいました。
自分の会社でビルディング(施工)までしてるし、「じゃあ、俺やる」って言っちゃったんですよね。でも、サービス業の経験も無ければ、ノウハウも何もないわけですよ。(施設を)使う側だったら自信あるけど、運営側はイメージもわかないっていうね(笑)
それでもやろうと決めたのは、地元の人たちへの想いがあったから。
ダンプカーだなんだって、陸前高田の人たちは、まちの復興途中の姿しか見ていないんですよ。精神的に病んでしまう人も少なからずいて。
でもここ(箱根山テラス)は被災地感がない。「ひと呼吸、深呼吸できるな」と、心を整えるような場所として使ってもらえるとうれしいな、と思ったんですよね。
そしてハード面でも、長谷川さんは、既に計画されていた灯油ボイラー、エアコン、灯油ストーブといった熱エネルギーを、なんとかバイオマスに変えるべく、奔走したと言います。時間やコストの兼ね合いでボイラーは叶いませんでしたが、センター棟にシンボル的なペレットストーブを導入することができました。
将来構想としては、バイオマスボイラーに切り替えたい。今ある灯油ボイラーも捨てるのではなくバックアップとして残しつつ、やっていこうと思っています。
ここのお湯をバイオマスボイラーに切り替えるのは、実は今すぐにでもできることなんです。でも、ただ切り替えてもつまんないじゃないですか(笑) 今、水面下で進んでいる大浴場をつくる計画まで含めて、一緒にやるときにお金を投資しようと思っているんです。
初めての宿泊施設の運営ながら、長谷川さんは、“人”と“自然”という軸を大切に、この場所をあたため、育ててきました。Facebookで偶然目にした人、イベント目当ての人、長谷川さんを通して知った人…。
「箱根山テラス」を訪れるきっかけはさまざまですが、ここで同じときを過ごした人々は、その後もつながりあい、ゆるくて心地よいコミュニティができあがりつつあるようです。
実は、地元の人の利用は思いのほか少ない(苦笑) それでも使ってくれる人は「ここじゃないとダメだよね」と言ってくれている。ありがたいですよね。
今は全国から人が来てくれて、ここを起点に出会う人たちの間で、私の話を聞いてみようとか、他の地域の話を聞いてみよう、というふうに、つながりができてきているような気がして。
ここでバイオマスを学んでください、とか、陸前高田を知ってください、と押し付ける気はさらさらないのですが、この場所が、そういう人々のハブみたいになっていくといいな、と思っています。
「箱根山テラス」の利用者の多くが初めて陸前高田を訪れる方々で、まちを知ってもらう機会にもなっているといいます。長谷川さんが当初思い描いていたのとは違う形であれ、この場所が人々とエネルギーの循環を生み出していることは、間違いないようです。
まちが健康であるために、ペレットで“血液”をつくる
さて、お話の中で度々登場する「ペレット」という存在。みなさんはご存知でしょうか?
ペレットのなかでも箱根山テラスで使われている「木質ペレット」は、乾燥した木材を細粉し、圧力をかけて直径6~10mm、長さ10~25mmの円筒形に圧縮成型した木質燃料で、主にストーブやボイラーの燃料として利用されているものです。
長谷川さんは薪やチップといった木質燃料のなかでも、なぜペレットに心惹かれたのでしょうか。ここからは“ペレットに恋した”ストーリーを探っていきます。
実は最初はペレット否定派だったんですよ。もう、完全否定(笑)
例えば、薪は切って乾燥させればいいし、チップもクラッシャーでくだけばいい。でもペレットだけは、粉砕破砕させて、ペレタイザーに入れて…と、いくつもの工程を経てつくられます。
“エネルギーのためにエネルギーを使っている”というのが矛盾だと思ったんですよね。
これは、ペレットという選択肢において、よく語られる論点のひとつ。長谷川さんは震災後、バイオマスエネルギーに取り組むさまざまな現場を見に行きましたが、半年ほどその考えは変わらなかったそうです。
そんな長谷川さんの気持ちにさざ波を立てたのは、あるペレットストーブのショールームで女性スタッフがポロッと発したひとこと。
ペレットストーブって、楽なのよね。
この言葉を聞いて、「ペレットは見ていたけど、ペレットストーブは見ていなかった」と、はっとしたという長谷川さん。
それを機にペレットストーブについて調べ尽くし、人の話を聞き、語り合う中で、「薪ストーブは手間がかかる嗜好品で、普及が難しい。でもペレットストーブは、使い勝手でも燃料費でも灯油ストーブやガスストーブに引けを取らず、勝負できる。ライフスタイルを変えるきっかけになる」という確信を得ました。
その確信を原動力に、2013年には任意団体「エネシフ気仙」を立ち上げ、2015年には岡山県西粟倉村でバイオマスエネルギー普及に取り組む井筒耕平さんとの出会いから、持続可能なエネルギーのあり方をみんなで考える「WoodLuck」プロジェクトをスタート。新潟県新潟市、徳島県神山町、東京など全国各地で2泊3日のイベントを開催するなど、継続的に活動を展開してきました。
持続可能であること。将来世代に負の遺産を残さないこと。陸前高田らしい方法で進めること。普及活動を始めるにあたり掲げたルールのなかには “ライフスタイルを必ず変える覚悟”という強い意志も示されていました。
僕が思い描いているのは、日本の森を裸にしてしまうような大規模発電ではなく、生活に密着した身近なエネルギーシフト。まちを人間に例えると、私は“血液”をつくろうと思っているんです。
それは一言で言うと、「みんなが普通に木質バイオマスエネルギーを利用する姿」。それがいずれまちが一番健康になる秘訣だと思っているんですよね。
ペレットストーブは本当に手軽なので、そのきっかけづくりに最適だと思っています。
現在、長谷川さんは陸前高田のまちに温浴交流施設をつくることを計画しています。メインのボイラーは薪ボイラー、暖房はペレットストーブを使い、陸前高田市を“木質バイオマス利用のまち”と象徴する施設になる予定なのだとか。人の集まる市街地に、しかも温浴施設という発想は、エネルギーそのものよりも“人”を見つめている長谷川さんらしいところです。
僕は、エネルギーより、むしろ経済を見ていて。それは商売として成功しようということではなく、雇用だとか人という意味合いが強いです。
この施設で雇用を生み出し、さらにはまちの人々が世代を越えて交流できるコミュニティをつくりたい。将来世代に残すものをつくっていきたいです。
「箱根山テラス」や温浴施設という、人々の暮らしに近い場所で、まずは木質バイオマスを肌で感じてもらうことから。これからも、長谷川さんの“木と人をいかす”挑戦は続いていきます。
「どうでもいい」けど、大事。だから続けていく。
長谷川さんはこれから、どこに向かって歩んでいくのでしょうか。陸前高田に骨を埋めるつもりかと思いきや、「このまちに固執する気はない」と断言。ペレットやバイオマスについても、「極論どうでもいい」。じゃあ、長谷川さんがこの先も大事にしていきたいものとは?
どうでもいい。でも、すげぇ大事にしてる。ツンデレな感じで(笑)
何て言うんでしょうね。「どうでもいい」と言うか、自分たちのやる活動が結果として持続可能であったり、結果としてこの土地のなかで根付いていったりするものであればいい、って思っています。
僕の中で大事なのは、やっぱり人の縁、あとは人の可能性なのかな。人に感謝されたいと思ったこともカッコつけようと思ったこともない。でもなんかずっと、人に優しくありたいというのが自分の中にあって。優しくあるために、絶対強くありたいと思って生きています。
数年前にね、「この国は結局、あれ(東日本大震災)から何が変わったのか?」って問いが浮かんだことがあって。けどそれって、人に変わることを期待しているというか、自分ではなく人に矢を向けているってことでしょう。そういう弱い自分がいることに気づいて、その度に、自分のスタンスを仕切り直すというかね。
じゃあ何をするか、というと、こういう活動をいかに継続的に続けていけるか、という模索を色んな角度でやっていくこと。「箱根山テラス」も、ずっとやっていけるということが、さっき言った“血液”をつくることにつながるのかな、と思います。
それがどう支持されて…、支持されずに朽ち果てていくかもしれないけど、まあそこはね、がんばりたいな、って思ってるんですけどね。…がんばれるかな。がんばるの得意じゃないから(笑)
インタビューの最後には、このまちに美術館をつくり、箱根山を“アートの森”にしたいという構想も聞かせてくれました。それは、ご自宅の隣に障害者の方が住んでおり、彼らの表現に大きな可能性を感じていること、陸前高田のまちの方針にも一致していること、また、ずっと昔からアートの可能性を信じているからだ、とも。
まったく畑違いのお話のように聞こえるかもしれませんが、約1時間半のインタビューを通して長谷川さんという人の在り方を感じた私は、このお話を、自然に受け取ることができました。あぁ、この人なら、やるのかもしれないな、と。
自分自身のやってきたことや考えてきたことに固執せず、失敗を恐れず、人との縁の中で自分に降り掛かったこと、心惹かれたことは、徹底的に学び調べ、自分でやってみる。そして自分が差し出せるものは、惜しみなく与えていく。
今、長谷川さんは、全国から舞い込むさまざまな依頼の中でも、学生や子ども向けの講演依頼はすべて最優先で受けているのだと言います。それはきっと、長谷川さん流の、未来へ向けた優しいパス。「人に期待するのではなく、自分でやってみよう」若い世代へのそんなメッセージが込められているのだと思います。
一人ひとりが自分のほしい未来に向けて行動していけば、その先には、永遠に続く優しさに包まれた社会が育まれている。そして、そこには再生可能なエネルギーが当たり前のように存在する。私には、そんな気がしてなりません。
どんなかたちだっていい。失敗してもいい。あなたも自分のほしい未来にむけて、動き出してみませんか? きっかけがほしいあなたは、ぜひ箱根山テラスに足を運び、この方が生み出した場を感じてみてください。