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便利さや幸せは、誰かに与えられるものじゃない! 地域のエネルギーを地域でつくり地域で使う会津電力・佐藤彌右衛門さんインタビュー

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大和川酒造の前で(写真:服部希代野)

わたしたちエネルギー」は、これまで“他人ごと”だった「再生可能エネルギー」を、みんなの“じぶんごと”にするプロジェクト。経済産業省資源エネルギー庁GREEN POWER プロジェクトの一環で進めています。エネルギーを減らしたりつくったりすることで生まれる幸せが広がって、「再生可能エネルギー」がみんなの“文化”になることを目指しています。

深夜でも煌々と灯る高層ビルを見上げていると、首が痛くなっているのも忘れて「綺麗だなぁ」と思うことがあります。ましてや高層階のレストランから望む夜景はきっとこのビルを見上げた輝き以上に素敵なはず。

仕事では地方取材にいくこともあり、今見ている光景が都市部に限られた景色だということを実感する機会も多いです。こういう東京が好きなんだと思うこともしばしば。

そんな東京の夜景は一体どうやって電力をまかなっているのでしょう? 身近に発電所を見たことがないわたしは、送電されているのだと思い、地方で発電事業に取り組む方への取材をしてきました。

今回お話しを聞いたのは、会津電力株式会社代表の佐藤彌右衛門さんです。
 
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佐藤さん(写真:服部希代野)

会津電力は地域で地域のエネルギーをつくる会社

東京都出身・在住のわたしにとっては馴染みの薄いことでしたが、福島県には縦にわかれる3つの地区があるそうです。太平洋海岸沿いの「浜通り」、県中央の「中通り」、そして最も内陸部に位置する「会津地方」。

その会津地方で福島県全域の電力を再生可能エネルギーでまかなうため、地域経済と地域文化の自立を目指した活動と事業を行っているのが会津電力株式会社です。

2011年3月11日の東日本大震災の後に起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故を境に、会津地方の一部の市民は地域の将来を話し合い、他地域から運ぶことなく地域で使うエネルギーを地域でつくるエネルギーでまかなうことに決めました。

そして、安全で安心な再生可能エネルギーによる地域の自立を果たし、持続可能で豊かな会津地方を後世に残すべく、2013年8月1日に会津電力が設立されました。

会津電力は地元資本や「会津ソーラー市民ファンド2014」の個人出資などを資金に経営されています。

主に、小規模分散型の発電設備を増やすため、太陽光発電や小水力発電、木質バイオマスなどの自然エネルギーを生産する環境を整えていくことを、関連企業とともに実施しています。

それら事業で得た収益は、出資の配当として還元されます。また、市民やその子供たちに自然エネルギーに親しんでもらうため、再生可能エネルギーの啓蒙活動や教育活動にも投じられています。
 
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教育活動の様子

会津電力とその関連企業のアイパワーアセット株式会社は、現在会津地方全域に計50カ所の発電施設を設置しています。

この数は会津電力とその関連企業の特徴のひとつに由来しています。会津電力とその関連企業は50kWクラスの小規模発電所を増やすことで、自然災害や機器の損傷などにより送電不能な状況に陥るリスクを回避しているのです。
 
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門田一ノ堰太陽光発電所。小規模発電所のひとつ

一方で1,000kWの発電が可能なメガソーラー・雄国太陽光発電所や350kWの発電が可能な西羽賀太陽光発電所も開所していて、全発電施設の総発電容量は現在4,280kWに達しています。
 
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雄国太陽光発電所

それらと並行して、風力発電や小水力発電の設立に向けた調査、関連会社での森林の保全とエネルギー自給を執り行う木質バイオマス事業などを展開しています。

そんな会津電力の代表を佐藤さんが務めています。

「あんたたちも被爆はしてるんだよ、間違いなく」

連日多忙な佐藤さんは、この日も午後から仙台で打ち合わせがありました。取材でお邪魔した喜多方から仙台市までは約180km。長距離移動を控えるなか撮影時間を含めて貴重な45分を割いてもらい、インタビューをはじめました。
 
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写真:服部希代野

まずは会津電力をはじめた佐藤さん自身の動機から伺いました。

新井 あのー、ホームページを拝見しても、目的や理念は書かれているんですけど、ちゃんと佐藤さんのお言葉でこの会津電力をはじめたきっかけについてお聞きできますか?

佐藤さん うーん、まあ書かれている通りですよ。

新井 ……。

佐藤さん 原発事故がきっかけですね。放射能の周りの、第一原子力発電所の周辺にいかれたことはありますか?

福島県の知人に案内してもらい、近くまではいったことがあることを伝えました。

佐藤さん ああ、そう。あの周辺は結局住めなくなっちゃっているわけですよね。ひどい放射能に汚染されて。

放射能の恐怖ってわかりますか、あなたは。

新井 いや……。

佐藤さん わからないよね。教わってないもんね。原子力、安全、安心、明るい未来のエネルギーだっけ。ね?

福島県双葉町には「原子力 明るい未来の エネルギー」 という標語が書かれた看板が設置されていました。

佐藤さん まあ、放射能っていうのは、人間の人生も壊しちゃう。

新井 ええ。

佐藤さん 細胞も傷つけちゃうし。爆弾のようになれば、一瞬でみんな消えちゃうわけですから。熱線でもって、溶けちゃうというか焼かれちゃうというか。そういうコントロールできないものを使って発電をしてきたわけですよ。

佐藤さんは、会津地方で220年以上続く酒蔵の9代目でもあります。酒造は自然と一体になって営まれる商い。土地と密接に関わる仕事をしてきたからこそ、より感じることが多いようです。
 
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大和川酒蔵北方風土館(写真:服部希代野)

佐藤さん 飯館村っていうのは知っていますか? 全村避難になった飯館村。

新井 うんうん、知っています。

佐藤さん 故郷を追われちゃうわけですよ。会津に住んでいてそんなことになったらどうしようと、震災以前に一度考えていたんです。そう思っていたら一号機が爆発して……。

わたしは220数年やってきた酒蔵の9代目で、ここの水をくみ上げて、米を栽培して、それでお酒をつくってきたけれど、これが全部ダメになるわけ。

声音から、憤りがひしひしと溢れてきました。

佐藤さん コノヤロって思うでしょう。なんでそんなことするんだと。そんな危ないことをやっていたんだと。今までそれで危なくない、大丈夫だ、安全だ、安心だって言っておいて。

とにかく原子力はコストも安いし、ね。国が原子力政策を決めて、それにのっとって電力会社が儲かるからってやってきたわけですよ。で、それはもうダメだと。

幸い会津は汚染にほとんど問題なかったから、幸いにも! 風が吹かなかった。東京だって、あなたはどこに住んでいたのかわからないけど。

新井 都内です。

佐藤さん あなたも被爆はしてるんだよ、間違いなく。どの程度かは別にしても。

新井 ……。

佐藤さん そういうことがあって、原子力のエネルギーには頼れないということで、わたしたちは自然エネルギーを自分たちでつくることにしました。

話は原子力発電所と燃料棒に移っていきました。

「見過ごしてきたわけだから。騙されたやつも悪いんだよ」

佐藤さんは、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こったから原子力発電所はダメなのだと言っているわけではない様子。

佐藤さん 使用済みの燃料棒ってわかります?

新井 使用済みの、燃料棒?

佐藤さん いれて、化学反応さして、熱をつくらせて、その熱で水を沸騰さして、その蒸気でタービンを回すという発電の理屈だけど、使ったあとの燃料棒は抜く。強烈な放射能を帯びたような奴を。

日本には今50数基の原発があるけど、その設置地域はみんな使用済み燃料棒を処理できないわけだ。

新井 うんうん。

佐藤さん これをどっかに埋めるったって、それで地下を汚しちゃう。要するに、捨て場がないわけですよ。処理もできないまま。おかしいと思わない?

原子力発電所が自宅の近くにないわたしにも、なんだかおかしい話だということは感じられました。

それでも、原子力発電所を維持しようとするのには、何か理由があるのでしょうか。佐藤さん曰く、以下のような理屈のようです。

佐藤さん その原子力を止めると、原子力産業が止まっちゃうと。電力会社に貸している銀行、引き受けている保険屋、電力会社をつくっている各種企業の仕事が止まって、景気が悪くなる。経済が回んなくなるから、だから原子力を回しましょうっていう。おかしくない? こんな危ないものを……。

佐藤さんは、何も誰かを責めているだけではありません。

佐藤さん これはわたしたちのせいでもある。わたしたちにも責任はあるわけ。だって、騙されていたけれど、見過ごしてきたわけだから。騙されたやつも悪いんだよ。

新井 ま、そうなんですかねぇ……。

佐藤さん 騙したほうはもっと悪いけどさ。かといって爺さんが悪いの、親父が悪いの、世の中が悪いのってそれは違う。これはもうすでにあなたの子どもや孫にまでも続いていく。

だから「今」はじめる。それを形にしたのが会津電力でした。

「これからは、お金があれば幸せだって話じゃない」

話は会津電力を通じて、ご自身が体現していることに及びました。

佐藤さん 電力会社でなくても自分たちでできるんだっていうことだよ。電力の自由化になって、あなたも発電事業者になれるわけ。太陽光パネルがあれば。大きいか小さいかの違いだけだから。で、売ることもできるから。

新井 この先、会津地方や福島県の自給が達成したら、余った電力はどうしていこうと思っていますか?

佐藤さん もちろん、余った電力は都市部や足りないところに売ればいいでしょう。……あのね、いろんな意味で東京に一極集中しちゃってるから。人、物、金、それから産物から電気から何からみんな地方から送り込む。こんなバカなことしなくていいんですよ。

このあと佐藤さんは地方で生産されたエネルギーが都市部に供給されていることにはじまり、地方で育った子供たちが東京に出ていき働くことで東京にお金を生んでいる矛盾にまで触れてくれました。

途中、「東京って住みやすくて素敵なまちだと思います?」と聞かれたわたしは、一拍おいて「わかりません」と答えています。

東京の素敵な部分は知っているけれど、東京以外に住んだことがないので比較しようがありません。また、東京都世田谷区の下北沢のようなまちで演劇を見ることが好きなので、そんな東京の魅力も感じています。単純に「住みにくい」と口を合わせることは簡単だけれど、それでは失礼だと思いました。

むしろ、佐藤さんにとって会津地方や福島県はどこが素敵なのでしょう?

佐藤さん ここは大穀倉地帯にあるわけだから食料は豊富。日本の食料自給率は4割切ってるってよく言うけども、ここはもう自給率が100パーセント以上あるわけですよ。

新井 ああ、なるほど。

佐藤さん それから水も、太陽光も、森もあるわけだから。地熱もあるわけだ。これを自分たちで使いましょうと。ここでつくられたものを、みんな自分たちで使って当然。

新井 ええ、そうですね。

話は「奪われること」に及んでいきます。

佐藤さん ここで降った雨や雪をここでわたしたちは管理しているわけでしょう。洪水になったって、地元の人が一生懸命、河川整備して自分たちで直してきた。そうやって日々住民が接している地域の水を、地域は発電に使えず、東京の電力会社がダムとして利用して電力事業をしちゃっているわけ。おかしいでしょう。

新井 おかしいですね。

佐藤さん でも、これからは、お金があれば幸せだって話じゃない。生活や、自然が豊かなところや文化や、環境のほうが大事でしょう。

わたしは「東京には、そんな幸せな環境がないんだよ」と言われているような気持ちになっていきました。

「便利さや幸せは誰かが与えてくれるわけないじゃん」

地域のことは地域でやればいいという未来を見る一方で、都市部に経済を集中させ、地方が資源の供給元になってきたという過去もあります。

東京に生きるわたしは、この関係が今後どうなっていくのか気になってしかたなくなり、佐藤さんに東京の人に関係する質問をしました。

新井 今まで、会津の話をお伺いしていましたけど、東京にいる人たちはどんなことを考えたほうがいいと思いますか? この記事は福島の人だけじゃなくて、東京に住んでいる人にも読んでもらいます。

佐藤さん だから、便利さや幸せは誰かが与えてくれるわけないじゃん。自分でつくり出すものでしょう。自分たちの価値観をつくり出せばいいでしょう。

あなた喜多方にきたのははじめて?

新井 はじめてです。

佐藤さん いいところでしょう。そういう背景を見ながら取材しなきゃダメだよ。今はどんな価値観から見ても、こっちのほうがよっぽど豊かなんだから。

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喜多方の通り(写真:服部希代野)

正直よくわからなかったので、質問を続けました。

新井 例えば、具体的には何が豊かなんですか?

佐藤さん あのさ、中央と地方っていっても、中央はここなんだから、俺がいるところが中央なんだから、東京は地方なんだよ。

新井 ま、そうですね。

佐藤さん アイデンティティっていうのはそういうことだよ。あんたが生まれた故郷どこ?

新井 東京です。

佐藤さん じゃあ、東京が故郷じゃん。そこがあなたの中央だから、そこから考えなよ。

新井 そうですよね。自分の中での中央から考えたほうがいいってことですよね……。なるほどな、面白いな。

うかつにも「面白い」といったことで、呆れられてしまいました。

佐藤さん (苦笑)。

面白いんじゃない。当たり前なんだよ、それが。自己中心主義とは言わないけど、少なくともそこから発想しないでどうするんだよ。

新井 うんうん。いや、本当にそうですね。

佐藤さん だから、そういう視点で取材しないと、話がね、かみ合わない。

35分のインタビューを終えて、あと5分弱で撮影をして帰ります。

シャッター音を聞きながら、佐藤さんがこんなことを話してくれました。

佐藤さん いい? 教えとくよ。わたしも爺さんから言われた。必ずあなたたちが生きているうちに、この3つがあるからね。覚悟しておきなさいよと。

新井 お願いします。

佐藤さん ひとつは必ず天変地異がある。もっと大きなのがくるさ。東京にくるか、どこにくるかはわからない。

ふたつ目は経済恐慌がありますよ。リーマンショックみたいなの、もっと派手なのがくるから。どんなに金をジャバジャバ印刷したって、実態経済から離れはじめる。

みっつ目。戦争がある、必ず。おそらく、どっかで生き死にやらなくちゃなんない。だからそうならないように生きなさいってことですよ。

新井 なるほど。

佐藤さん よっぽど緊張感もっていかないと、ダメなものはダメだよ。

「できれば、付き合わなくてもいいようになっていきたいね」

外に移動して酒蔵の前に行き、冒頭に掲載した写真を撮影したあと、室内に戻る佐藤さんにわたしは、途中から気になったままでいた、この質問をしました。

新井 佐藤さんは今後、東京とどう付き合っていきたいですか?

すると正直な答えを返してくれました。

佐藤さん できれば、付き合わなくてもいいようになっていきたいね。

この言葉にわたしは現実を感じました。

東京に住んでいると、お金が豊かさの象徴になります。ですが他県で取材すると、環境が豊かさの基準なのだと教えられます。どちらか一方が優位で、どちらか一方が下位の価値観だとは、わたしには思えません。

わたしにとって東京が中央なら、今の東京に魅力を感じる人たちと一緒に未来の東京にとってよくなる選択をしていけばいいことになります。夜景が好きなら、どうすればこの夜景を維持していけるのか考えればいい。

中央と地方の関係が今のまま続いていくことは東京にとって理想なのかもしれない。確かに自分にとっての中央で考えればその答えでもいいのだけれど、それで本当に考えることをやめてしまっていいのだろうかと悩む自分がいます。

これがわたしの中央で考えた、いまの答えと未来への問いです。

あなたの中央はどこですか?