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枠からはみ出したら楽に生きられた。独学でプロになり、世界中どこでも仕事をつくる“野良”デザイナー・市角壮玄さんインタビュー

こちらの記事は、greenz peopleのみなさんからいただいた寄付を原資に作成しました。

みなさんは、自分の肩書きや職業をどんな言葉で表現していますか?

会社員、自営業、フリーター、あるいは企業名と職種名を掛け合わせる人もいるかもしれません。でも、改めて考えてみると、自分を説明するにはひとつの肩書きでは充分ではなく、「肩書き」の枠からはみ出してしまうものではないでしょうか。

今回、インタビューさせていただいた「hoxaigraphics」の市角壮玄さんの肩書きは「デザイナー」。ですが、他にも「占い師」「寿司職人」としても活動するなど、のびのびと肩書きの枠からはみ出し続けています。

誰に教わることなく、すべて独学でデザインを身につけてきた“野良デザイナー”を自認する市角さんが、どんなふうに枠からはみ出していったのか、インタビューで伺いました。
 
市角壮玄さん

市角壮玄(いちずみ・そうげん)
hoxaigraphicsデザイナー/アートディレクター。1980年、千葉・習志野にて、兼業農家の長男として生まれる。桜美林大学芸術文化郡卒業。学生時代に劇団KOZに参加。Webやフライヤー制作を担当したことからデザインの道へ。企業、行政のWebサイト、グラフィック、UI、絵本制作などを多数手がける。占い師ユニット「not for sale.」メンバー。2016年より寿司アート集団「HOXAI KITCHEN」を始動。野菜だけでつくる「VEGESUSHI」はパリ、ベルリンでも好評を博している。BBT大学 (ビジネス・ブレークスルー大学) 経営学部講師

400年前の先祖は「武士のソーシャルデザイナー」

世の中がつくる“枠”からはみ出すのは、ちょっと勇気のいることです。市角さんが、自ら進んで枠からはみ出していった背景には、ルーツにあたるふたりの男性の存在がありました。
 
市角壮玄さん
武士の子孫だからではありませんが、市角さんは居合いをたしなみます

ひとりは、約400年前の先祖・市角頼母(たのも)公。大阪夏の陣で豊臣方について敗戦を喫し、大阪・河内から一族を連れて習志野・大久保へと落ちのびた武将です。以降は、武士として身につけた知識や教養を発揮。大久保の村人たちに水田の灌漑技術を教え、寺社の建築にも尽力したので、村人たちに受け入れられて名主に選ばれたのだとか。

頼母公は、決して「強い武士」ではありませんでした。「私が太平の世に生きられるのは身の程をわきまえていたから。私にできるのはこの村に貢献することなのだ」と人生を楽しみ、「負けて逃げた武士のくせに」と陰口をする人がいてもどこ吹く風。堂々と、90歳の長寿を全うしました。

武士の本文は戦だけれど、頼母さんはサブとして持っていた知識や経験で生き抜きました。武士であることにこだわらず「よそもの、ばかもの、わかもの」として活躍した、いわば武士のソーシャルデザイナーですよね。「この男、なんか400年越しに僕にメッセージを伝えている」とシンパシーを感じます。

もうひとりは、一等航海士だったお父さん。海の男として生きてきたのに自動操船技術の発達によって失業。しかし、会社勤めは全く肌に合わず、幼い市角さんに「会社は地獄。サラリーマンになることほど怖いことはない」と語り聞かせたそうです。

僕はもともと内気で、学校や集団に溶け込むのが苦手だったし、社会に適応できない漠然とした不安がありました。父に「会社で働くのは恐ろしいことだ」と聞かされるうちに、世を捨ててお坊さんになろうと考えたり、哲学書を読みふけったりするようになったんです。

大学では哲学を専攻。友人たちと「この世って生きている価値あると思う?」などと語り合う日々を送っていた市角さんに、あるとき転機が訪れます。哲学青年のひとりが、突然生き生きとした表情をして「演劇はいいぞ」と言いはじめたのです。

会社勤めせずに食べていけるかもしれない

友人の紹介で出会った演劇青年たちは、常に泣いたり笑ったりしながら、何かを表現をしていてすごく楽しそう。誰ひとりとして「卒業したら就職するかどうか」なんて考えてないように見えました。
 
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学生時代、劇団の仲間たちといっしょに(市角さんは右から3番目)

演劇の人たちが、「バイトしながらでも好きな芝居ができたらいい」と言うのを聞いて、「好きなことを主眼にして、最低限の暮らしでも幸せに生きようとする人たちっているんだ」と初めて知って。しかも、彼らはお互いにダメなところがあっても温かく迎え入れるコミュニティをつくっていました。そこで「僕も彼らの役に立つことをしたい」と劇団を手伝うようになりました。

あるとき、「劇団のWebサイトがあるといいね」という話が持ち上がり、市角さんが購入したばかりのパソコンで初めてのWeb制作に取り組むことに。できあがったWebサイトは好評で、次々とWeb制作の依頼が舞い込むようになりました。すると、今度は友人の紹介で、京都造形大学の竹村真一先生を中心としたプロジェクト「Earth Literacy Program」でグラフィックを担当するチャンスが巡ってきます。
 
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2005年、竹村真一氏(プロデューサー)、アラカワケンスケ氏(ディレクター)による「Earth Literacy Program」。グラフィックを担当した「スノーメール」は第9回文化庁メディア芸術祭に入賞(アート部門審査委員会推薦作品)

21、22歳の若造なのに、三菱地所の会議に出席してデザイナー扱いされて、僕はカンチガイしたんです。「この仕事で食べていけるぞ!」って(笑) ところが、「学生だから」という枠がなくなると、僕はただのペーペーのスキルも社会経験もないダメデザイナー。仕事は来ない、今さら就職もできないしどうしよう? っていう状態に陥りました。

家賃2万5000円のアパートに住み、お風呂は2日に1回のコインシャワー。スーパーの裏で「いらない野菜はありませんか」と聞いて、キャベツの芯を煮たり焼いたり。それでもなお、市角さんは心のなかで「勝った!」と快哉を叫んだそうです。

なぜなら、お父さんが言っていた「地獄のような会社」に入らずに食いつないでいられたからです。

ときには“物物交換”で未来に投資することを選ぶ

スタートは苦しかったものの、ひとつの仕事が次の仕事を呼び、3〜4年するともう暮らしに困ることはなくなったそう。その頃から、市角さんはデザインを必要とする人がいたら、どこにでも会いに行く“移動型のライフスタイル”で暮らすようになりました。

オフィスを構えて仕事が来るのを待つよりも、仕事がある現場に出かけるほうが重宝されるということに気づいたんです。みんなで一緒にごはんを食べて、お酒を飲んで、友だちになって初めて仕事って生まれてくるんだな、って。

「デザインを必要としているのにお金がない」という人には、報酬をお金以外の何かで受け取る“物物交換”で仕事をすることも。たとえば、メンズ占い師ユニット「not for sale.」のWebサイト制作では、「占いを教えてもらい、メンバーに参加する」ことが“報酬”でした。
 
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2009年に結成したメンズ占い師ユニット「not for sale.」。市角さんは「易タロット」を担当しています(一番右)

報酬の金額に囚われて仕事を選ぶのはもったいないと思うんです。もしかしたら、3年後、5年後に回り回ってやってくるご縁を、自らシャットアウトしているのかもしれないし。お金がすぐに入るかどうかよりも、「面白そう」「この後で楽しいことにつながりそう」というワクワクを大事にする。需要のあるところに貢献して、ご縁をつくっていくことが最大の投資かもしれません。

その言葉通り、「占い師」になったことは、デザイナーとしての市角さんの仕事に意外な展開をもたらします。

「not for sale.」の占い師として認知されたことで、出会う人の幅が広がり、それに応じて仕事の幅も急速に広がりました。クリエイターが集まる場で「占い師です」と言うとすごくウケますし、「占い師」として出会った人に「実はデザイナーです」と言うとまた面白がられます。異なるスキルを掛け合わせるとレア度が増すんですよね。

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台湾サロンのようす。「様々なスタイルの占い師に囲まれて占ってもらえる」と人気になりました

「not for sale.」は「日本発 占いの海外展開」をテーマに、台湾、シンガポール、サンフランシスコなどにも出張。2011年11月には経済産業省「COOL JAPAN」のアジア進出支援コンテンツにも採択されました。フリーランスのデザイナーになって約10年、市角さんは世界中どこでも仕事ができるスタイルを手に入れていたのです。

“野良デザイナー”だからこそ身についたデザイン思考

市角さんのデザインスキルは、すべて独学で身につけたもの。人手の足りない現場では、スタイリングや撮影もこなすうちに、アートディレクションを手がけるようにもなりました。でも、「最初の最初のとき」は? デザインの基礎をどんなふうに培ったのでしょうか。

仕事がないときはヒマだけはあったので、「自分が美しいと思うものは何だろう」ということはずっと気にしていました。

まちを歩いて「きれいだな」と思う色やプロダクトを写真に撮ったり、「かわいい」と思うパッケージを集めたりするうちに、共通点が見えて来て、自分が「美」だと思っているものの正体を言語化できるようになりました。

美的センスは、外から教育されて身につくものではないです。美しいと思う心は、自分のなかにしかないわけで。

市角さんは、自らのデザイナーとしての成長プロセスを「野良育ち」と表現します。この野性味あふれる(?)デザイナーとしてのあり方に注目したのが、実践的な学びで実力を身につけることを目指す「ビジネスブレークスルー大学(以下、BBT大学)」。市角さんは「デザインによる問題解決をしている」と評価され、デザインシンキングの講師として迎えられました。
 
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BBT大学ではオンライン授業が中心。デザインシンキングはワークショップ形式で教えることが多いので、臨場感を持って学んでもらうために劇時代の友人に協力を得て連続ドラマを作成したそう(写真はその1コマ)

デザインシンキングとは、ひとことで言えば、デザイナーの感性と手法を用いて、問題発見・解決を図る方法やプロセスのこと。課題を抱えている人を中心に置き、その課題の本質を見極め、テストを繰り返しながら解決可能なアイデアを磨き上げていきます。

課題を抱えるクライアントの現場に出向いて、デザインのスキルと経験による解決を提示すること続けてきた市角さんの手法はデザインシンキングそのもの。「野良でデザイナーをやってきたからこそ、デザインシンキングが身についたのかも」と市角さんは言います。

そして今年、市角さんは“野良”で身につけたデザインシンキングを用いて、新しいプロジェクトを始動させました。野菜だけでつくる寿司「VEGESUSHI」のケータリングです。
 
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パリの人々を喜ばせたVEGESUSHI。「ヨーロッパの野菜は酢飯とのコンビネーションがいい」と必ず現地の野菜を使う

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ゴーヤ、レンコン、人参、パプリカ、ときにはフルーツを合わせることも。見栄えよく食べやすいのでケータリングにもってこいです

市角さんは、もともと料理好き。海外で過ごす時間が増えるにつれて「現地で和食を提供したら喜ばれるのでは」と考えはじめていました。海外で「和食」の代表といえば「寿司」です。

ところが、日本文化に興味を持つ外国人の多くは、健康志向なヴィーガンで、魚で握る寿司が食べられない。デザインシンキングではこのニーズの矛盾を突くんですけれども、その結果生まれたのが野菜でつくる「VEGESUSHI」。しかも、ケータリングすることを考慮して、握る寿司ではなく押し寿司にして、野菜でカラフルにデコってケーキみたいに仕上げました。

予想通り、野菜のお寿司はパリでもベルリンでも大好評。今後は、海外に向けて玄米を広めたいお米メーカー「東洋ライス」にお米の提供を受けつつ、ヨーロッパを中心に「VEGESUSHI」を展開する予定です。

スローガンを持たない“間の人”がいてもいい

デザイン、占い、寿司のケータリング。やりたいことがあれば、臆せずに枠を外れていく市角さんは、社会における自分の役割を“間(あいだ)の人”だと考えているそう。
 
市角壮玄さん
フットワーク軽く、ヨーロッパと日本を往復する市角さん。このときは京都の街角で

greenz.jpに登場する人たちって素晴らしい人たちばかりで。自分ごととして社会課題に取り組んで、組織を立ち上げてその解決に当たる姿を見ていると、「自分もそうならなきゃいけないかな?」と焦ったり、そうでない自分と比べて落ち込んだりしちゃいますよね。

でも、僕は、 世の中の役に立つということも宣言しないし、特定のイシューを掲げない人がいるのも大事 だと思っていて。特定のスローガンを持たないからこそ、いろんな分野の立派なたちと一緒に仕事したり、役立ったりできるじゃないですか。どちらかというと、僕みたいな“間の人”がもっと増えるほうが、世の中もよくなるんじゃないかと思っています。

最後に、市角さんに「これからやりたいこと」を質問してみると、「一緒に人生を楽しめる仲間、ついでにパートナーがほしい!」という答えが返ってきました。いわく「フリーって安定していないと思われる」という悩みがあるそうです。

実は、僕みたいなフリーランスには「関係性」と「スキルの柔軟性」という二重の安定性があって。フリーランスとしての関係性は、会社員とは違ってあくまで個人のもの。大切にすれば一生続くものです。また、 “社内スキル”で仕事しているわけじゃないから、「つぶしがきかない」ということもない。

社会状況が変わるような危機にも、柔軟に対応できるのはフリーランスの強みなんですよ。

「世の中が用意した枠に当てはまらないからといって悲観しないでほしい」と市角さん。一見すると荒唐無稽で無鉄砲な”枠をはみ出す生き方にも、「実は誰にでもできるコツと順序がある」と言います。そして、そういったノウハウを共有するコミュニティをつくっていきたいそうです。

もし、今、この社会で生きることに居心地の悪さを感じているなら、その感覚を信じて自分なりのあり方を模索してみるのもよいかもしれません。肩書きや枠組みなんて、便宜上のものだと割り切って「これならできる」ということを、思い切って追求してみませんか? 人生はただ一度きりの冒険なのですから。